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名を刻む儀式
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卯乃さんから聞いた話を思い出しながら、とつとつと語るが、彩斗美は驚きをあらわに目を見開く。
「よく覚えてたね、さすが美鈴。その梅鈴媛神がね、最初に大木に名を刻んだ神と言われてるの。もちろん、天夜美大神と結ばれたくてね。今はあの大木も傷みがひどくて参拝できないんだけど、おばあちゃんが子供の頃はまだ、名を刻みに来る参拝客もいたみたい」
「最近までお参り出来たんだったね」
「そう。でも今は出来ないから、神木から削り取った小さな木片をこのお守りに入れているの」
彩斗美はお守りのひもをほどき、口を開くと手のひらにトントンと振り落とす。すると、中から小さな木片が滑り出てくる。
「その木片に結ばれたい相手の名前を書くと、願いが叶うって言われてるんだよね」
私がそう言うと、彩斗美は少しばかり表情を歪め、声を落とす。
「表向きはね」
「表向き……?」
彩斗美は小さくうなずいてから話し始める。
「本当は、梅鈴媛神と天夜美大神が結ばれたのは来世でなの。私はあなたの名前を忘れない。そう言って、梅鈴媛神は天夜美大神の名を神木に刻み、死んでいった。名を刻まれた天夜美大神は転生したのちも同じ名を持って生まれ、その名を追って彼を探し出した梅鈴媛神の、生まれ変わりとされた女神と結ばれた……そういう逸話があるの」
「じゃあ呼結神社の御祭神は、生まれ変わった後の梅鈴媛神と天夜美大神ってこと?」
「うん、そうやって私は聞いてる。だからこの神社の御利益は、来世で結ばれますっていうものなの。でも、そんなこと言ったら商売にならないもんね。長い年月をかけて、いつの間にか真実は捻じ曲げられて、良縁を運ぶ縁結びの神になったの」
「言い伝えが本当なら、例えこの木片に大切な人の名を刻んでも、結ばれるのは来世で……なんだね」
「騙してるみたいだって思った? でもね、今世で結ばれなくても、苦情があるわけじゃないよ。所詮は神頼みだもの。叶えば、御利益があったーって喜んでもらえるものだから」
「神社の娘が言うセリフとは思えないね。でもなんだか、彩斗美らしい」
くすりと笑うと、バツの悪そうな顔をしていた彩斗美も肩の荷が下りたように息をつく。
「美鈴だから話したんだよ? 私だって参拝客には幸せになってもらいたいって思ってるんだから」
「彩斗美の言いたいこととか、事情はわかるよ。私は来世でもいいと思うの。いつか想う人と結ばれるなら、信じて生きていける気がするよね」
歪められた歴史など、いつの時代もあるだろう。その時代の人々が、都合の良いようにすり替えてきたことは、そのまま真実となって私たちを励ますこともあるのだ。
「美鈴は一途そうだもんね。っていうか、実践してるんだよね? 奇子は千年も前に名を刻んで、白夜っていう男の人を探してるんだから」
まるで梅鈴媛神と天夜美大神がかつて結ばれた時のように、奇子は千年の時を経て白夜を探し結ばれようとしている。そこに私の意思は介在していないけれど、奇子の想いは一途だ。その奇子が私なのだから、妙な気分にもなる。
「私ね、彩斗美の話を聞いて、少し気になることがあるの。奇子さんは自分の体に『白夜』の名を刻んだって言ってたよね? 神木にではなくて」
「うん……。自分の体に刻んだっていうのは、私も気になってる。神木に刻むと願いが叶うなんていう逸話が生まれたのは、もしかしたら話を和らげるための現世に近い思想のもので、本来は自分の体に相手の名を刻んで来世も結ばれようとした生々しいものだったかもしれない」
「綺麗事に作り変えられていくっていうのはわかる気がする。逸話に関しては、想像するしかないよね。でも、それが本当の話で、体に刻むことが来世へのつながりを生むことになるんだったとしたら、奇子さんが探してる男の人は、『白夜』っていう名前で生まれ変わってる可能性が高いことになるね」
奇子が名を刻んだことで、橘白夜がまた白夜という名前で生まれ変わっている。そして奇子は私の体を操り、白夜くんに様々なことをしている可能性がある。それは、白夜くんの前世が橘白夜である形のない証拠かもしれない。
半信半疑だったものが明らかになっていく気はしたが、断定するには早いように思う。彩斗美には細かな話は言い出せない。しかし、彼女もまた真相に近づくように私の意見に同意する。
「そう、私が言いたかったのはそれ。だからやっぱり、堀内白夜の前世が橘白夜だった可能性は考えられるよ。それに、橘っていうのも気になる」
「橘白夜は天皇の娘だった奇子さんのはとこだった。つまり、彼も天皇家ゆかりの人間で、橘安哉くんの祖先は天皇家につながってる」
「橘白夜が、橘安哉くんの先祖だった可能性も高いよね、美鈴」
阿吽の呼吸で、私たちはまことしやかに語る。するりと紐解けていく過去に恐怖を感じる。
私たちはそれを暴いて、その先に何を見つけようとしているのか。
「……どうするの? 彩斗美」
私は不安になりながら彩斗美に問う。
「安哉くんに聞くに決まってるじゃない。ああいう家には絶対、記録が残ってるはずだから。もしかしたら、安哉くんだって何か知ってるかもしれない」
目を輝かせる彩斗美を、途方に暮れて私は見つめる。
安哉くんは、橘安哉という名を背負って生まれてきた人だ。もしかしたら、何か知ってるんじゃないかという思いはある。
だが、どう話せばいいだろう。私の中にいる奇子の存在。奇子が白夜という名の青年を恋慕い現れたこと。その白夜という青年が堀内白夜くんかもしれないこと。
そんなこと、安哉くんに話して理解してもらうことは不可能な気がした。
「安哉くんには私から話すね、彩斗美」
思いとは裏腹な言葉を私は吐き出す。この役目に怖気付いたら、彩斗美が代わりに安哉くんに聞いてくれるだろう。これは、私と奇子さんの問題だ。彩斗美を巻き込んでいい話ではないという思いだけが、私にそう答えさせていた。
「何かわかるといいね」
彩斗美が笑顔を見せるから、私も小さく微笑む。
「そうだね。奇子さんには幸せになってもらいたい。それは私も願ってるの」
その解決方法はまだ見つけられていないけれど、奇子さんの願いが叶えられたら、私たちは一つになって生きていける。彩斗美の笑顔に励まされ、そんな思いが生まれるようだった。
「よく覚えてたね、さすが美鈴。その梅鈴媛神がね、最初に大木に名を刻んだ神と言われてるの。もちろん、天夜美大神と結ばれたくてね。今はあの大木も傷みがひどくて参拝できないんだけど、おばあちゃんが子供の頃はまだ、名を刻みに来る参拝客もいたみたい」
「最近までお参り出来たんだったね」
「そう。でも今は出来ないから、神木から削り取った小さな木片をこのお守りに入れているの」
彩斗美はお守りのひもをほどき、口を開くと手のひらにトントンと振り落とす。すると、中から小さな木片が滑り出てくる。
「その木片に結ばれたい相手の名前を書くと、願いが叶うって言われてるんだよね」
私がそう言うと、彩斗美は少しばかり表情を歪め、声を落とす。
「表向きはね」
「表向き……?」
彩斗美は小さくうなずいてから話し始める。
「本当は、梅鈴媛神と天夜美大神が結ばれたのは来世でなの。私はあなたの名前を忘れない。そう言って、梅鈴媛神は天夜美大神の名を神木に刻み、死んでいった。名を刻まれた天夜美大神は転生したのちも同じ名を持って生まれ、その名を追って彼を探し出した梅鈴媛神の、生まれ変わりとされた女神と結ばれた……そういう逸話があるの」
「じゃあ呼結神社の御祭神は、生まれ変わった後の梅鈴媛神と天夜美大神ってこと?」
「うん、そうやって私は聞いてる。だからこの神社の御利益は、来世で結ばれますっていうものなの。でも、そんなこと言ったら商売にならないもんね。長い年月をかけて、いつの間にか真実は捻じ曲げられて、良縁を運ぶ縁結びの神になったの」
「言い伝えが本当なら、例えこの木片に大切な人の名を刻んでも、結ばれるのは来世で……なんだね」
「騙してるみたいだって思った? でもね、今世で結ばれなくても、苦情があるわけじゃないよ。所詮は神頼みだもの。叶えば、御利益があったーって喜んでもらえるものだから」
「神社の娘が言うセリフとは思えないね。でもなんだか、彩斗美らしい」
くすりと笑うと、バツの悪そうな顔をしていた彩斗美も肩の荷が下りたように息をつく。
「美鈴だから話したんだよ? 私だって参拝客には幸せになってもらいたいって思ってるんだから」
「彩斗美の言いたいこととか、事情はわかるよ。私は来世でもいいと思うの。いつか想う人と結ばれるなら、信じて生きていける気がするよね」
歪められた歴史など、いつの時代もあるだろう。その時代の人々が、都合の良いようにすり替えてきたことは、そのまま真実となって私たちを励ますこともあるのだ。
「美鈴は一途そうだもんね。っていうか、実践してるんだよね? 奇子は千年も前に名を刻んで、白夜っていう男の人を探してるんだから」
まるで梅鈴媛神と天夜美大神がかつて結ばれた時のように、奇子は千年の時を経て白夜を探し結ばれようとしている。そこに私の意思は介在していないけれど、奇子の想いは一途だ。その奇子が私なのだから、妙な気分にもなる。
「私ね、彩斗美の話を聞いて、少し気になることがあるの。奇子さんは自分の体に『白夜』の名を刻んだって言ってたよね? 神木にではなくて」
「うん……。自分の体に刻んだっていうのは、私も気になってる。神木に刻むと願いが叶うなんていう逸話が生まれたのは、もしかしたら話を和らげるための現世に近い思想のもので、本来は自分の体に相手の名を刻んで来世も結ばれようとした生々しいものだったかもしれない」
「綺麗事に作り変えられていくっていうのはわかる気がする。逸話に関しては、想像するしかないよね。でも、それが本当の話で、体に刻むことが来世へのつながりを生むことになるんだったとしたら、奇子さんが探してる男の人は、『白夜』っていう名前で生まれ変わってる可能性が高いことになるね」
奇子が名を刻んだことで、橘白夜がまた白夜という名前で生まれ変わっている。そして奇子は私の体を操り、白夜くんに様々なことをしている可能性がある。それは、白夜くんの前世が橘白夜である形のない証拠かもしれない。
半信半疑だったものが明らかになっていく気はしたが、断定するには早いように思う。彩斗美には細かな話は言い出せない。しかし、彼女もまた真相に近づくように私の意見に同意する。
「そう、私が言いたかったのはそれ。だからやっぱり、堀内白夜の前世が橘白夜だった可能性は考えられるよ。それに、橘っていうのも気になる」
「橘白夜は天皇の娘だった奇子さんのはとこだった。つまり、彼も天皇家ゆかりの人間で、橘安哉くんの祖先は天皇家につながってる」
「橘白夜が、橘安哉くんの先祖だった可能性も高いよね、美鈴」
阿吽の呼吸で、私たちはまことしやかに語る。するりと紐解けていく過去に恐怖を感じる。
私たちはそれを暴いて、その先に何を見つけようとしているのか。
「……どうするの? 彩斗美」
私は不安になりながら彩斗美に問う。
「安哉くんに聞くに決まってるじゃない。ああいう家には絶対、記録が残ってるはずだから。もしかしたら、安哉くんだって何か知ってるかもしれない」
目を輝かせる彩斗美を、途方に暮れて私は見つめる。
安哉くんは、橘安哉という名を背負って生まれてきた人だ。もしかしたら、何か知ってるんじゃないかという思いはある。
だが、どう話せばいいだろう。私の中にいる奇子の存在。奇子が白夜という名の青年を恋慕い現れたこと。その白夜という青年が堀内白夜くんかもしれないこと。
そんなこと、安哉くんに話して理解してもらうことは不可能な気がした。
「安哉くんには私から話すね、彩斗美」
思いとは裏腹な言葉を私は吐き出す。この役目に怖気付いたら、彩斗美が代わりに安哉くんに聞いてくれるだろう。これは、私と奇子さんの問題だ。彩斗美を巻き込んでいい話ではないという思いだけが、私にそう答えさせていた。
「何かわかるといいね」
彩斗美が笑顔を見せるから、私も小さく微笑む。
「そうだね。奇子さんには幸せになってもらいたい。それは私も願ってるの」
その解決方法はまだ見つけられていないけれど、奇子さんの願いが叶えられたら、私たちは一つになって生きていける。彩斗美の笑顔に励まされ、そんな思いが生まれるようだった。
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