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名を刻む儀式

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 三年二組の前を二度ほど往復した。勇気を出してドアを開けてみようと近づく。すると、教室から二組の生徒が出てくるから、くるりと背を向ける。その繰り返しだ。
 我ながら、なぜこうも躊躇してしまうのだろう。戸惑いつつ、やはり直接謝罪しなくてはと、ドアの前に舞い戻る。
 その時だった。またか、というタイミングでドアが開く。驚きで飛び上がりそうになりながら、胸に手を当て身を引く。現れたのは、一真だった。

「おや、美鈴様、白夜様に会いに来られたのですか?」

 開口一番そう言われ、にこやかに微笑む一真を見上げる私のほおは、無意識に赤らんでしまう。もちろん図星だったからなのだが、こんな風に赤くなっては誤解されてしまいそうで慌てて答える。

「土日はアルバイトに行けなくてごめんなさい。白夜くんに電話したんだけど、つながらなくて。メールもしたけど返事はないし、大丈夫かなって心配してたの」
「ああ、そうでしたか。いけませんねー」

 一真は間延びした声で、あきれた様子を見せる。

「本当にごめんなさい」
「いえ、美鈴様は悪くありませんよ。美鈴様より電話があったことは、白夜様より報告を受けました。電話には出れなかったとのことでしたが、きっとアルバイトを休む連絡だろうと白夜様は言っておられたので、わかっておいでです。折り返しお電話されるように話しておいたのですが、しなかったようですね。美鈴様が気に病むことではありませんよ。わざわざそれを言いにいらしたのですか?」
「ええ、そう。無断で休んでは心配すると思って。今週末は行けるわ」

 白夜くんから連絡がなかったのはそういうことだったのかと安堵する私に、一真は穏やかな笑顔を見せる。

「もう体調はよろしいのですか? 無理は良くありませんが、来て頂けるのでしたら喜びます」

 喜ぶのは、一真?
 それとも白夜くん?
 と、思ったけれど、ストレートには尋ねられない。だいたい白夜くんが喜ぶはずもないのだが。

「白夜くんは怒ってない?」
「なぜ怒るのです?」
「……私、あの日の記憶がなくて。電話に出てくれないのも連絡をくれないのも、もしかしたら怒ってるからじゃないかって思って。私、何かしたかもしれなくて」
「ご心配はいりませんよ。美鈴様は具合を悪くされて少しの間眠っていただけですから。私の方こそ、無理をさせてしまったと反省しています。白夜様も言葉にはしませんが、とても心配されてますよ」
「白夜くんも心配を? 今日はもう白夜くんは帰ったの?」

 教室の中へと視線を動かす。一真と白夜くんが一緒にいないのは珍しい。白夜くんだけ先に帰るのはあまり考えられなかったが、教室に彼がいる気配はない。

「白夜様は生徒会長と職員室へ行かれました。今から迎えに行くところです」
「生徒会長と?」

 一真の意外な返答に驚く。生徒会に白夜くんが興味を示すとは思えなかったのだ。

「ええ、視聴覚室の見回りの件でご相談を。美鈴様も一緒に行かれますか?」

 そう続けた一真の言葉に私は納得する。白夜くんはきっと視聴覚室の見回りをしたくなくて、やらなくていいように交渉しに行ったのだろう。そういう行動力は持ち合わせていそうだ、なんて勘ぐってみる。

「あー、私はいいわ。大丈夫よ。白夜くんにはまた改めてお詫びするわ」

 一真の申し出を断る。視聴覚室の見回りに関して不満がないわけではないが、やりたくないわけではない。白夜くんと同意見だと先生に勘違いされるのも意に沿わない。

「お詫びなどと、気にされなくて結構ですよ。美鈴様の優しいお気持ちは私から白夜様に伝えておきます。もう帰られますか? 下駄箱まで一緒に参りましょう」

 一真に促され、歩き出す。廊下ですれ違う生徒は二人で歩く私たちが珍しい取り合わせに見えるのか、少し驚いた眼差しを向けてくる。しかし、一真は全く取り合わない様子で無言で歩いていく。

「周囲の目が気になりますか?」

 不意に一真が言う。

「え、……気になるっていうのか。私たちって少し前までは話もしたことなかったのに、こうして一緒に歩いてるなんて不思議な感覚で。きっと周りもそう思ってるのかなって思ったの」
「そうですねー。私はいつかこのような日が来ると思っておりましたよ。白夜様と美鈴様には不思議なご縁があるのでしょう」

 一真とではなく、白夜くんと縁があると話すことや、まるで予言者のような口ぶりが気になる。私のことに関して何か知っているのだろうかと疑いたくもなる。
 だが、それならそれでいいかもしれないとも思う。私が抱える問題の解決には一真が必要だ。つまり、協力者として選ぶなら、彼が適任だと感じているのだ。

 いつ、どう切り出そう。
 そう思い悩みながら階段を降りようとした時、一真が足を止めた。見れば、階下から安哉くんが上がってくるところだった。

「おやおや」と、小さな声でつぶやいた一真の声が届いたのか、安哉くんはハッと顔を上げて階段を駆け上がってくる。

「美鈴、もう帰り? ちょっと待ってて。俺も帰るから」

 安哉くんは一真に目もくれないでそう言うと、すぐさま一組の教室へ駆け込んでいく。

「どうやら私はお邪魔なようですね。残念ですが、今日のところは引き下がりましょう。では、美鈴様、また明日」
「一真、ありがとう。相談に乗って欲しいことがあるの。また聞いてくれるかしら?」

 すんなりと言葉が出た。一真も取り立てていぶかしむ様子はない。

「それはもちろんでございます。週末は美味しい紅茶とクッキーをご用意してお待ちしております」

 一真は丁寧に頭を下げると、無駄のない颯爽とした足取りで階段を降りていった。
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