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名を刻む儀式
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一真の姿が見えなくなると、入れ違いに安哉くんが現れる。急いで帰り支度をしたのだろう。彼はカバンのチャックを閉めながら私に駆け寄ってきた。
「彩斗美は一緒じゃなかった? 彩斗美と帰るとばっかり思ってたよ。一人だって知ってたら、図書館なんて行かなかったんだけどさ。ごめん」
安哉くんは矢継ぎ早にそう言うと、弱り果てた様子で前髪をくしゃりとつかむ。
エスカレーター式に呼結大学へ入学する我が校の生徒には、大学受験なんてほとんど無縁だが、安哉くんのような優秀な学生は怠けることなく放課後も勉学に励んでいるのだ。
「彩斗美は年末に向けて神社の仕事が忙しいみたい。私もお手伝いに行こうと思ってるんだけど、週末だけで大丈夫って言われてるの。安哉くんも勉強途中だったんでしょう? 謝ることないのよ」
図書館へ行ったにしては戻るのが早い時間だった。きっと忘れ物をしたか何かで一度教室へ戻ってきたところだったのかもしれない。それなのに私を見かけて、急きょ帰ることにしたのだろう。
「美鈴が体調崩したりしたのも、俺の配慮が少なかったからだろうし。もっと気にかけるようにするよ」
安哉くんは申し訳なさそうにする。私に風邪をうつしたとまだ勘違いしてるのだろう。そのせいで、自分のことより私を優先しようなんて考えたのかもしれない。
「安哉くんのせいなんかじゃないの。私のために貴重な時間を潰す必要はないわ。まだ調べ物があるなら図書館に行ってきていいのよ」
そう言ったら、突き放したように感じたのか、安哉くんは複雑そうに苦笑いする。
私も彼の立場を配慮したつもりだったのに、なかなか思いがストレートに伝わらない。彼と話すと感じるすれ違いに私は戸惑うばかりだ。
「あのさ、美鈴。もうすぐ冬休みだよな」
どこか決意したような表情で安哉くんは言う。
もうすぐといっても冬休みまでまだ一ヶ月以上ある。改めてそう言った安哉くんにある種の予感を感じながら私は答える。
「冬休みは巫女のアルバイトで忙しくなると思うの。きっとのんびりなんてしてられないわ」
「……それって、牽制? 一日ぐらい俺とデートする時間、作ってもらえるかなって期待はしてるんだけどさ」
また安哉くんに苦笑させてしまう。でも図星だ。無意識に彼に隙を与えないようにした。このところの私はやっぱりどうかしている。彼の誘いを拒む理由などどこにあるだろう。
「まだわからないわ。神社の年末年始って想像以上に忙しそうよね」
「俺から彩斗美に頼んでおくよ。クリスマスに二人で出かけよう」
「……ええ、そうね。親睦を深めるためね……」
「そんな嫌な顔されると傷つくな。俺だって反省してる。高校卒業したら結婚したいとかもう言わないからさ、今後のことを話し合っていく時間ぐらい欲しいな」
「え、……それは、大学へ行ってもいいって言ってるの?」
驚きで安哉くんを見上げれば、彼は苦々しさと嬉しさがない交ぜになった笑顔を見せる。
「急に明るくなるんだな。そんなに大学行きたかった? だったら素直にそう言ってくれたらいいんだ。結婚しても、美鈴の自由を制限するつもりはないよ」
「……ごめんなさい。そんなつもりじゃないの」
そんなに喜んだように見えたのだろうか。デートに誘われた時、よほど浮かない表情をしたのだろう。
「いいよ。俺だって美鈴の気持ち、今まで聞いたことなかったし。呼結大学へ行くなら、両親も反対しないよ」
「大学には安哉くんのお父さんもいらっしゃるのよね。何の研究をされてるの?」
安哉くんの関心を私からそらす。結婚の話をされるのは、やはりまだ苦手だ。
「父親は文学部の教授だよ。呼結の風土の研究っていうのかな、毎日文献とにらめっこさ」
「この土地について調べてるの?」
「なかなか興味深いらしいよ。どうも呼結神社とうちの橘家には深い関わりがあるらしくってさ。最近はうちにある蔵書を片っ端から読み漁ってるよ」
そう言って安哉くんは肩をすくめるが、彼の口から出た思いがけない言葉に、私の興味はぐんと惹かれる。
「じゃあ、安哉くんのことも何かわかるの?」
「俺のことって?」
安哉くんは不思議そうに首を傾げる。
「ほら、橘安哉っていう名前のこと。ご先祖様に同じ名前の方がいるのよね?」
「ああ、しきたりのことか。まあ、なんとなく俺も知ってるよ。納得はしてないけどさ。納得できるほどには研究も進んでないんじゃないかな」
「聞かせて欲しいわ、その話」
興味なさげにつぶやく彼に対し、私はわずかな興奮を覚えて急かす。自分でもよくわからないが、私の中の何かが私を突き動かすのだ。
「……美鈴が知りたいなら。でもさ、昔話なんて嫌な話だよ」
「嫌な話?」
「嫌な気持ちになるだけってこと。先祖が何をしてきたかなんて、俺はあんまり知りたくないな」
「……そう。でも、自分のルーツだもの。興味は湧かないの?」
安哉くんの表情は浮かない。彼もしきたりに関しては思うことがあるのかもしれない。
「昔はさ、いきなり婚約者だって美鈴を紹介されて戸惑ったり、いろいろ考えたこともあったけど。今は婚約者が美鈴で良かったって思うし、変なしきたりのおかげでそうなったんだから、なんとなくそういうものかって受け入れてる」
「私だったら、どうしてそういうしきたりが生まれたのか知りたいって思うわ」
「そっか。じゃあ、美鈴は文学部が向いてるかもな。父親に相談しておくよ。ついでにうちの先祖の話、詳しくわかったら教えてもらうよ」
好奇心を持つ私に少々あきれたようだが、優しい安哉くんは私の意見を否定したりはしない。理解力と包容力のある人だ。もしかしたら私の知りたいことを教えてくれるかもしれないと希望を持つ。
「家系図みたいなものはないの?」
「それはあるよ。俺も一度だけ見たことある。そういうのも興味ある? さすがに持ち出せないから、見せてはあげられないけどさ」
「あー、それはいいの。どういう人がいたのかなって、ちょっと興味が湧いただけ」
「……歴史的に有名な人はいないと思うよ。美鈴って意外と知りたがりなんだな。俺、美鈴のこと、まだよくわかってないのかもな」
安哉くんは明らかに戸惑っているが、私は引かなかった。引けなかったというのが正しいかもしれない。私はいつもの私ではない。それは感じているのに、止められないのだ。
「ほら、私と安哉くんの先祖はさかのぼれば同じ人につながるって聞いたことあるから。安哉くんのルーツは、私のルーツでもあるのよ」
「なるほどね。確か千年ぐらい前にいた橘安哉が、初代橘安哉らしいけどさ、美鈴のご先祖はもっと前にさかのぼらなきゃいけないんじゃないかな。まあ、橘家と河北家の家系図は複雑だから、調べるのは大変だよ」
私の心は浮き立つ。知りたいことに近づいている。その期待感が満ち溢れてくるのを感じる。
「それを安哉くんのお父さんがされてるのよね。すごいことよ」
「父親のことでも、手放しに褒められると嬉しいもんだよな」
安哉くんはにこりと笑う。
笑顔の彼に安堵する。何も怪しまれていない。彼を騙しているつもりもないけど、ストレートに聞けない後ろめたい思いが私の中にはあるのだと確信してしまう。
下駄箱に到着した私たちは靴に履き替え、校舎を出た。すると、安哉くんは何気に私に向けた笑顔を曇らせ、私の背中を押して早足で歩き出す。
「どうしたの?」
「……あいつがいたからさ」
「あいつって?」
「堀内白夜だよ。職員室にいるのが見えた」
安哉くんは小声で早口に言う。
白夜くんが職員室にいるのは知っている。早くこの場を立ち去ろうと、ますます安哉くんは早足になる。置いていかれないように歩きながらも、私は振り返る。
職員室の窓が開いている。奥には教頭と生徒会長、そして、白夜くんの姿がある。
教頭に向かい合う白夜くんはゆっくりうなずいた後、ふと顔を上げ、窓の方へ首を傾けた。
白夜くんと目が合う。私たちの間には表情がわずかに見分けられる程度の距離があり、次第に離れていく中でも、彼が無表情に私を見つめているのだけはわかった。
「彩斗美は一緒じゃなかった? 彩斗美と帰るとばっかり思ってたよ。一人だって知ってたら、図書館なんて行かなかったんだけどさ。ごめん」
安哉くんは矢継ぎ早にそう言うと、弱り果てた様子で前髪をくしゃりとつかむ。
エスカレーター式に呼結大学へ入学する我が校の生徒には、大学受験なんてほとんど無縁だが、安哉くんのような優秀な学生は怠けることなく放課後も勉学に励んでいるのだ。
「彩斗美は年末に向けて神社の仕事が忙しいみたい。私もお手伝いに行こうと思ってるんだけど、週末だけで大丈夫って言われてるの。安哉くんも勉強途中だったんでしょう? 謝ることないのよ」
図書館へ行ったにしては戻るのが早い時間だった。きっと忘れ物をしたか何かで一度教室へ戻ってきたところだったのかもしれない。それなのに私を見かけて、急きょ帰ることにしたのだろう。
「美鈴が体調崩したりしたのも、俺の配慮が少なかったからだろうし。もっと気にかけるようにするよ」
安哉くんは申し訳なさそうにする。私に風邪をうつしたとまだ勘違いしてるのだろう。そのせいで、自分のことより私を優先しようなんて考えたのかもしれない。
「安哉くんのせいなんかじゃないの。私のために貴重な時間を潰す必要はないわ。まだ調べ物があるなら図書館に行ってきていいのよ」
そう言ったら、突き放したように感じたのか、安哉くんは複雑そうに苦笑いする。
私も彼の立場を配慮したつもりだったのに、なかなか思いがストレートに伝わらない。彼と話すと感じるすれ違いに私は戸惑うばかりだ。
「あのさ、美鈴。もうすぐ冬休みだよな」
どこか決意したような表情で安哉くんは言う。
もうすぐといっても冬休みまでまだ一ヶ月以上ある。改めてそう言った安哉くんにある種の予感を感じながら私は答える。
「冬休みは巫女のアルバイトで忙しくなると思うの。きっとのんびりなんてしてられないわ」
「……それって、牽制? 一日ぐらい俺とデートする時間、作ってもらえるかなって期待はしてるんだけどさ」
また安哉くんに苦笑させてしまう。でも図星だ。無意識に彼に隙を与えないようにした。このところの私はやっぱりどうかしている。彼の誘いを拒む理由などどこにあるだろう。
「まだわからないわ。神社の年末年始って想像以上に忙しそうよね」
「俺から彩斗美に頼んでおくよ。クリスマスに二人で出かけよう」
「……ええ、そうね。親睦を深めるためね……」
「そんな嫌な顔されると傷つくな。俺だって反省してる。高校卒業したら結婚したいとかもう言わないからさ、今後のことを話し合っていく時間ぐらい欲しいな」
「え、……それは、大学へ行ってもいいって言ってるの?」
驚きで安哉くんを見上げれば、彼は苦々しさと嬉しさがない交ぜになった笑顔を見せる。
「急に明るくなるんだな。そんなに大学行きたかった? だったら素直にそう言ってくれたらいいんだ。結婚しても、美鈴の自由を制限するつもりはないよ」
「……ごめんなさい。そんなつもりじゃないの」
そんなに喜んだように見えたのだろうか。デートに誘われた時、よほど浮かない表情をしたのだろう。
「いいよ。俺だって美鈴の気持ち、今まで聞いたことなかったし。呼結大学へ行くなら、両親も反対しないよ」
「大学には安哉くんのお父さんもいらっしゃるのよね。何の研究をされてるの?」
安哉くんの関心を私からそらす。結婚の話をされるのは、やはりまだ苦手だ。
「父親は文学部の教授だよ。呼結の風土の研究っていうのかな、毎日文献とにらめっこさ」
「この土地について調べてるの?」
「なかなか興味深いらしいよ。どうも呼結神社とうちの橘家には深い関わりがあるらしくってさ。最近はうちにある蔵書を片っ端から読み漁ってるよ」
そう言って安哉くんは肩をすくめるが、彼の口から出た思いがけない言葉に、私の興味はぐんと惹かれる。
「じゃあ、安哉くんのことも何かわかるの?」
「俺のことって?」
安哉くんは不思議そうに首を傾げる。
「ほら、橘安哉っていう名前のこと。ご先祖様に同じ名前の方がいるのよね?」
「ああ、しきたりのことか。まあ、なんとなく俺も知ってるよ。納得はしてないけどさ。納得できるほどには研究も進んでないんじゃないかな」
「聞かせて欲しいわ、その話」
興味なさげにつぶやく彼に対し、私はわずかな興奮を覚えて急かす。自分でもよくわからないが、私の中の何かが私を突き動かすのだ。
「……美鈴が知りたいなら。でもさ、昔話なんて嫌な話だよ」
「嫌な話?」
「嫌な気持ちになるだけってこと。先祖が何をしてきたかなんて、俺はあんまり知りたくないな」
「……そう。でも、自分のルーツだもの。興味は湧かないの?」
安哉くんの表情は浮かない。彼もしきたりに関しては思うことがあるのかもしれない。
「昔はさ、いきなり婚約者だって美鈴を紹介されて戸惑ったり、いろいろ考えたこともあったけど。今は婚約者が美鈴で良かったって思うし、変なしきたりのおかげでそうなったんだから、なんとなくそういうものかって受け入れてる」
「私だったら、どうしてそういうしきたりが生まれたのか知りたいって思うわ」
「そっか。じゃあ、美鈴は文学部が向いてるかもな。父親に相談しておくよ。ついでにうちの先祖の話、詳しくわかったら教えてもらうよ」
好奇心を持つ私に少々あきれたようだが、優しい安哉くんは私の意見を否定したりはしない。理解力と包容力のある人だ。もしかしたら私の知りたいことを教えてくれるかもしれないと希望を持つ。
「家系図みたいなものはないの?」
「それはあるよ。俺も一度だけ見たことある。そういうのも興味ある? さすがに持ち出せないから、見せてはあげられないけどさ」
「あー、それはいいの。どういう人がいたのかなって、ちょっと興味が湧いただけ」
「……歴史的に有名な人はいないと思うよ。美鈴って意外と知りたがりなんだな。俺、美鈴のこと、まだよくわかってないのかもな」
安哉くんは明らかに戸惑っているが、私は引かなかった。引けなかったというのが正しいかもしれない。私はいつもの私ではない。それは感じているのに、止められないのだ。
「ほら、私と安哉くんの先祖はさかのぼれば同じ人につながるって聞いたことあるから。安哉くんのルーツは、私のルーツでもあるのよ」
「なるほどね。確か千年ぐらい前にいた橘安哉が、初代橘安哉らしいけどさ、美鈴のご先祖はもっと前にさかのぼらなきゃいけないんじゃないかな。まあ、橘家と河北家の家系図は複雑だから、調べるのは大変だよ」
私の心は浮き立つ。知りたいことに近づいている。その期待感が満ち溢れてくるのを感じる。
「それを安哉くんのお父さんがされてるのよね。すごいことよ」
「父親のことでも、手放しに褒められると嬉しいもんだよな」
安哉くんはにこりと笑う。
笑顔の彼に安堵する。何も怪しまれていない。彼を騙しているつもりもないけど、ストレートに聞けない後ろめたい思いが私の中にはあるのだと確信してしまう。
下駄箱に到着した私たちは靴に履き替え、校舎を出た。すると、安哉くんは何気に私に向けた笑顔を曇らせ、私の背中を押して早足で歩き出す。
「どうしたの?」
「……あいつがいたからさ」
「あいつって?」
「堀内白夜だよ。職員室にいるのが見えた」
安哉くんは小声で早口に言う。
白夜くんが職員室にいるのは知っている。早くこの場を立ち去ろうと、ますます安哉くんは早足になる。置いていかれないように歩きながらも、私は振り返る。
職員室の窓が開いている。奥には教頭と生徒会長、そして、白夜くんの姿がある。
教頭に向かい合う白夜くんはゆっくりうなずいた後、ふと顔を上げ、窓の方へ首を傾けた。
白夜くんと目が合う。私たちの間には表情がわずかに見分けられる程度の距離があり、次第に離れていく中でも、彼が無表情に私を見つめているのだけはわかった。
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