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名を刻む儀式
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「ちゃんと終わらせろ。美鈴はそう言いたいんだな」
白夜くんは少し冷たい目で私を見ている。
「解決しなければ、また後世まで引きずるかもしれないわ」
「終わらせるしか解決策はない。そう考えるんだな」
「……解決策になるのかはわからないの」
白夜くんの苛立ちが伝わってきて、私は萎縮していく。迷惑な話だろう。彼にとって身に覚えのない話ならなおさら。
「美鈴様はどうされたいのです? 白夜様が橘白夜だと断定できたとして、何をどうされたいのですか?」
一真がそう聞いてくれる。だからいつも私は白夜くんとの会話に詰まらずにいられる。
「もしそうなら、奇子さんの想いを断ち切らせたいの。……そうしないと、奇子さんはまた白夜くんに危害を加えるかもしれない」
「どういうことです? 危害とは」
「白夜くんの首を絞めたのは……、私が。そう思って。だってあの日、私は真っ赤なネイルをして外出したから。それだけじゃないの。香水のことも。……ムスクは奇子さんが愛用していたの。だから気に入って、白夜くんの部屋にも振りまいた気がしてるの」
「なるほど。柑橘系の香りはお気に召さず、怒りに任せ瓶ごと投げ捨てたのだとしたら納得できる話ですね。しかし、堀内家のセキュリティは有能ですよ。美鈴様が忍び込むなど到底無理でしょう」
「私の仕業じゃないっていうの?」
「そう考える方が自然だという話です。もっとも奇子の霊能力をもってすれば、セキュリティの電気系統を狂わせることなど容易いかもしれませんがね」
「……疑いは晴れないわね」
嘆息する。全てが曖昧で全てが不条理な出来事だ。
「申し訳ありません。確証の得られない話だからこそ、私たちも美鈴様に協力をお願いしたのですから」
「私は何も出来てないわ……」
「そんなことはありませんよ。このところの白夜様は今まで以上に楽しい高校生活を送られています。それだけでも十分に意義のあることでした」
「……それは私とは関係ないと思うの」
おずおずと答えると、一真は目を細めて笑むだけだ。だから、余計に落ち着かない。
「ごめんなさい。おかしな話をして。でもね、私が……ううん、奇子さんが橘白夜への想いを断ち切ったら、私の問題も白夜くんの問題も解決するかもしれないと思ったの。まだ何もわかってなくて、全てが仮定の話なのだけど」
そう言うと、一真は思案げに腕を組む。しかし深く考え込む様子もなく、その仕草がポーズだったのではないかと思うほど、すぐに口を開く。
「そうですねー。では、奇子と橘白夜がなぜ別れたのか、それを調べましょう。何か手がかりはありそうですか?」
「え……、そこから?」
白夜くんの前世が橘白夜であるかどうか。白夜くんの部屋に時折現れ、彼の首を絞めたのが本当に私ではないのか。
他にも確かめなければならないことはあるのに、一真の提案はやたらと限定的だ。
「白夜様の前世が橘白夜である。それは仮に確かなこととして、これからは話を進めましょう」
一真はそう一方的に決めて、話を続ける。
「二人が別れた理由。それがわかれば、奇子が今でも橘白夜に固執する理由がわかるような気がします。それともう一つ。橘という名は気になりますね。その点もご存知のことはありますか?」
「たぶん……、橘白夜が奇子さんに愛想を尽かしたの。だから奇子さんだけ想いを残してる」
愛想を尽かした理由はわからないけれど、それは理由のないことかもしれなくて。
「おやおや、それは聞き捨てならない。つくづく罪な男のようですね、橘白夜という方は」
一真がまるで白夜くんを責めるように言うから、不機嫌そうな彼が怒り出さないうちにと、私は慌てて続ける。
「橘白夜に関しては確認が必要だけれど、安哉くんなら詳しいことを知ってる気がするの」
「橘と言えば、やはり橘安哉ですか。やはり彼とは何か因縁めいた関係なのかもしれませんね。彼もまた、橘安哉の名に縛られた男ですから」
さらりと放つ一真の言葉に衝撃を受ける。
「え……、縛られた……」
「ええ、そうは思われませんでしたか? 同じ名を持って生まれ変わる。そう聞いた時、迷わず橘安哉の顔を思い浮かべましたよ、私は」
「……そうね、言われたら……」
安哉くんと私の婚約の間にあるしきたりは、白夜くんに話したことがある。
橘家に橘安哉という名の男子が生まれたら、遠戚である河北家の女子と婚姻関係を結ぶというもの。
白夜くんの見聞きしたものは全て一真に伝わっているのだろう。それは至極当然の、何も不自然なところがなくて、すんなりと受け入れられる。だから私たちはそのまま話を続けた。
「橘安哉もまた罪作りな男だったのでしょうか。彼を好いた女性に名を刻まれたのかもしれませんね。しかし、その相手は奇子ではありえない。それだけはわかります」
「その辺のことは何もわからないわ。わかっているのは……」
私は言いよどむ。今更、話さないわけにはいかないけれど、やはり落ち着かない気持ちになるから。
「なんです?」
一真が優しく促すから、私は迷いながら口にする。
「初代橘安哉と橘白夜は兄弟みたいなの。……それで、その、奇子さんを二人で取り合ったって、安哉くんが言ってたわ……」
「ほう。それはまた興味深い。恋の勝者は橘安哉でしたか。それで橘白夜は身を引くわけですね」
「それは……、どうかしら。奇子さんは橘安哉とは結ばれてないの。安哉くんは橘安哉の子孫ではなくて、白夜の方の子孫なの。そして、橘家の直系男子は安哉くんだけって聞いてるわ」
「ということは、初代橘安哉は子を成していない。もしくはすでに途絶えたか。橘白夜だけが幸せに生きたのかもしれませんね」
白夜くんは不機嫌そうに短い息を吐き出す。まるで俺だけが悪者だと言わないばかりに。
しかし、一真の言葉はそうだろうと思えるものだ。もしも白夜くんが橘白夜であるなら、今こうして彼が前世の記憶もなく幸せに暮らしていることが何よりの証拠のような気がする。
「橘家のことは安哉くんに聞いたら少しはわかることが出てくると思うの」
「では、私が聞きましょう」
一真の提案に驚く。
「一真が? でも私が……」
「これは大人である男女の色恋沙汰ですからねー。美鈴様には少し刺激が強いかもしれません。身の丈にあったお付き合いを白夜様とされてはいかがでしょうか」
「付き合うって……、私はそんな。白夜くんに何かを調べてもらおうなんて思ってなくて。一真にもそうよ。ただ話を聞いて欲しかっただけなの」
付き合うだなんて、急に意味を履き違えそうな言葉を使うから、胸がドキドキする。
「そうですねー。近々期末試験がございます。学生は学生らしく、勉学に励むのが筋かと。白夜様も美鈴様と共に学びましたら、今まで以上に勉学に励まれると思いますよ」
「それは一真だって一緒じゃない」
「私はもう卒業しておりますから。この一年間は白夜様のお目付役として残っているだけなのですよ」
「そうなの?」
先程から一真には驚かされてばかりだ。
「留年したと噂されましょうが、私にはどちらでも良いことなのです。気にしておりません」
「白夜くんはひどい我がままを一真に敷いてるのね」
「そう非難されるのは美鈴様だけですよ。とても貴重な方です。しかしながら、卒業していることは誰にも口外しておりませんので、白夜様も知らないことです」
「……何がなんだか」
「話すほどのことでもない、取るに足らない話だと申しているのですよ」
一真はそう言って、ますます不機嫌そうにため息を吐く白夜くんに優しく微笑みかけた。
白夜くんは少し冷たい目で私を見ている。
「解決しなければ、また後世まで引きずるかもしれないわ」
「終わらせるしか解決策はない。そう考えるんだな」
「……解決策になるのかはわからないの」
白夜くんの苛立ちが伝わってきて、私は萎縮していく。迷惑な話だろう。彼にとって身に覚えのない話ならなおさら。
「美鈴様はどうされたいのです? 白夜様が橘白夜だと断定できたとして、何をどうされたいのですか?」
一真がそう聞いてくれる。だからいつも私は白夜くんとの会話に詰まらずにいられる。
「もしそうなら、奇子さんの想いを断ち切らせたいの。……そうしないと、奇子さんはまた白夜くんに危害を加えるかもしれない」
「どういうことです? 危害とは」
「白夜くんの首を絞めたのは……、私が。そう思って。だってあの日、私は真っ赤なネイルをして外出したから。それだけじゃないの。香水のことも。……ムスクは奇子さんが愛用していたの。だから気に入って、白夜くんの部屋にも振りまいた気がしてるの」
「なるほど。柑橘系の香りはお気に召さず、怒りに任せ瓶ごと投げ捨てたのだとしたら納得できる話ですね。しかし、堀内家のセキュリティは有能ですよ。美鈴様が忍び込むなど到底無理でしょう」
「私の仕業じゃないっていうの?」
「そう考える方が自然だという話です。もっとも奇子の霊能力をもってすれば、セキュリティの電気系統を狂わせることなど容易いかもしれませんがね」
「……疑いは晴れないわね」
嘆息する。全てが曖昧で全てが不条理な出来事だ。
「申し訳ありません。確証の得られない話だからこそ、私たちも美鈴様に協力をお願いしたのですから」
「私は何も出来てないわ……」
「そんなことはありませんよ。このところの白夜様は今まで以上に楽しい高校生活を送られています。それだけでも十分に意義のあることでした」
「……それは私とは関係ないと思うの」
おずおずと答えると、一真は目を細めて笑むだけだ。だから、余計に落ち着かない。
「ごめんなさい。おかしな話をして。でもね、私が……ううん、奇子さんが橘白夜への想いを断ち切ったら、私の問題も白夜くんの問題も解決するかもしれないと思ったの。まだ何もわかってなくて、全てが仮定の話なのだけど」
そう言うと、一真は思案げに腕を組む。しかし深く考え込む様子もなく、その仕草がポーズだったのではないかと思うほど、すぐに口を開く。
「そうですねー。では、奇子と橘白夜がなぜ別れたのか、それを調べましょう。何か手がかりはありそうですか?」
「え……、そこから?」
白夜くんの前世が橘白夜であるかどうか。白夜くんの部屋に時折現れ、彼の首を絞めたのが本当に私ではないのか。
他にも確かめなければならないことはあるのに、一真の提案はやたらと限定的だ。
「白夜様の前世が橘白夜である。それは仮に確かなこととして、これからは話を進めましょう」
一真はそう一方的に決めて、話を続ける。
「二人が別れた理由。それがわかれば、奇子が今でも橘白夜に固執する理由がわかるような気がします。それともう一つ。橘という名は気になりますね。その点もご存知のことはありますか?」
「たぶん……、橘白夜が奇子さんに愛想を尽かしたの。だから奇子さんだけ想いを残してる」
愛想を尽かした理由はわからないけれど、それは理由のないことかもしれなくて。
「おやおや、それは聞き捨てならない。つくづく罪な男のようですね、橘白夜という方は」
一真がまるで白夜くんを責めるように言うから、不機嫌そうな彼が怒り出さないうちにと、私は慌てて続ける。
「橘白夜に関しては確認が必要だけれど、安哉くんなら詳しいことを知ってる気がするの」
「橘と言えば、やはり橘安哉ですか。やはり彼とは何か因縁めいた関係なのかもしれませんね。彼もまた、橘安哉の名に縛られた男ですから」
さらりと放つ一真の言葉に衝撃を受ける。
「え……、縛られた……」
「ええ、そうは思われませんでしたか? 同じ名を持って生まれ変わる。そう聞いた時、迷わず橘安哉の顔を思い浮かべましたよ、私は」
「……そうね、言われたら……」
安哉くんと私の婚約の間にあるしきたりは、白夜くんに話したことがある。
橘家に橘安哉という名の男子が生まれたら、遠戚である河北家の女子と婚姻関係を結ぶというもの。
白夜くんの見聞きしたものは全て一真に伝わっているのだろう。それは至極当然の、何も不自然なところがなくて、すんなりと受け入れられる。だから私たちはそのまま話を続けた。
「橘安哉もまた罪作りな男だったのでしょうか。彼を好いた女性に名を刻まれたのかもしれませんね。しかし、その相手は奇子ではありえない。それだけはわかります」
「その辺のことは何もわからないわ。わかっているのは……」
私は言いよどむ。今更、話さないわけにはいかないけれど、やはり落ち着かない気持ちになるから。
「なんです?」
一真が優しく促すから、私は迷いながら口にする。
「初代橘安哉と橘白夜は兄弟みたいなの。……それで、その、奇子さんを二人で取り合ったって、安哉くんが言ってたわ……」
「ほう。それはまた興味深い。恋の勝者は橘安哉でしたか。それで橘白夜は身を引くわけですね」
「それは……、どうかしら。奇子さんは橘安哉とは結ばれてないの。安哉くんは橘安哉の子孫ではなくて、白夜の方の子孫なの。そして、橘家の直系男子は安哉くんだけって聞いてるわ」
「ということは、初代橘安哉は子を成していない。もしくはすでに途絶えたか。橘白夜だけが幸せに生きたのかもしれませんね」
白夜くんは不機嫌そうに短い息を吐き出す。まるで俺だけが悪者だと言わないばかりに。
しかし、一真の言葉はそうだろうと思えるものだ。もしも白夜くんが橘白夜であるなら、今こうして彼が前世の記憶もなく幸せに暮らしていることが何よりの証拠のような気がする。
「橘家のことは安哉くんに聞いたら少しはわかることが出てくると思うの」
「では、私が聞きましょう」
一真の提案に驚く。
「一真が? でも私が……」
「これは大人である男女の色恋沙汰ですからねー。美鈴様には少し刺激が強いかもしれません。身の丈にあったお付き合いを白夜様とされてはいかがでしょうか」
「付き合うって……、私はそんな。白夜くんに何かを調べてもらおうなんて思ってなくて。一真にもそうよ。ただ話を聞いて欲しかっただけなの」
付き合うだなんて、急に意味を履き違えそうな言葉を使うから、胸がドキドキする。
「そうですねー。近々期末試験がございます。学生は学生らしく、勉学に励むのが筋かと。白夜様も美鈴様と共に学びましたら、今まで以上に勉学に励まれると思いますよ」
「それは一真だって一緒じゃない」
「私はもう卒業しておりますから。この一年間は白夜様のお目付役として残っているだけなのですよ」
「そうなの?」
先程から一真には驚かされてばかりだ。
「留年したと噂されましょうが、私にはどちらでも良いことなのです。気にしておりません」
「白夜くんはひどい我がままを一真に敷いてるのね」
「そう非難されるのは美鈴様だけですよ。とても貴重な方です。しかしながら、卒業していることは誰にも口外しておりませんので、白夜様も知らないことです」
「……何がなんだか」
「話すほどのことでもない、取るに足らない話だと申しているのですよ」
一真はそう言って、ますます不機嫌そうにため息を吐く白夜くんに優しく微笑みかけた。
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