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真実と終わる恋
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悲しみに沈む美鈴に、どんな声をかけてやればいいだろう。
安哉と結婚したくないから、俺には会わない。彼女が言っているのはそれだけのことだから、俺がどうにかすることなんて何もない。
そう悩むうちに電話は一方的に切れた。これが俺と彼女の距離感だ。彼女は言うほど、俺を頼りにはしていない。
「美鈴様は大丈夫でしょうか」
気づくと、一真が部屋に入って来ていた。
「立ち聞きも度が過ぎると悪趣味だ。もう少し控えめにしてろ」
俺はすぐに苛立ちを一真にぶつけてしまう。
「立ち聞きなど。白夜様がお辛そうでしたので、美鈴様に何かあったのかと想像しただけですよ」
一真はいつも通り、しれっと答える。
「そんなわかりやすい顔をしてるつもりもないけどな。安哉が強行的に動いてるみたいだ。美鈴も今回ばかりはどうにも逃げられないらしい」
「いよいよ結婚ですか。白夜様はなんと声をかけて差し上げたのです?」
「期待するほどのことは言ってやってない。美鈴が自分で何とかする問題だ」
「助けを求めておられたのでは? 美鈴様はご自身では気づいておられないようですが、橘安哉と一緒の時は窮屈そうにしておりますよ」
「だからって婚約解消できるわけでもないんだろう。明日は来ないつもりみたいだ」
「そうですか。白夜様はこのまま終わらせるのですね」
一真は淡々と答える。俺にどうしろって言うんだ。美鈴が俺を頼らないなら、どうすることも出来ないというのに。
無言の一真の視線が痛い。俺を責め立てる目だ。これが最後のチャンス。この機を逃したら、美鈴とはもう関わりを持つことはない。そんなことぐらい俺だってわかっているのに。
「……一真は帰れ。俺はもう一人で大丈夫だ」
突き放すように言うと、一真は眉をひそめる。彼が表情を曇らせるのは珍しく、こんな時は俺の選択が間違っていると警鐘を鳴らしているのだ。
「なぜです? まだ何も解決されてませんよ」
「解決するためだ。一真は明日、ここへ来い。もちろん美鈴を連れてだ。美鈴を連れてくるまでここへ来るのは許さない」
俺はそう吐き捨てる。
どうしたんだ、俺は。焦るわけでもない。落ち込むわけでもない。それなのに、やけに苛立っている。
「わかりました。そのように致します。どうか夜更けはお気をつけて」
「ああ、正体を暴いてやるさ。むしゃくしゃしてる俺に手を出したらどうなるか知らしめてやる」
一真は眉をひそめたままだったが、無言で頭を深く下げると部屋を出ていく。
静かになる寝室には異様な静寂さが満ちていく。何か起きるだろう。俺はそんな予感を抱きながら、いつの間にか握りしめていたスマホを持ち上げた。
俺は切られたばかりの電話にかけ直した。明日一真を迎えに行かせるから、必ず一緒に来いと、美鈴に念を押すつもりだった。
おせっかいだと美鈴は怒るかもしれないが、彼女を放っておけないのは俺の気持ちだ。先ほどの味気ない会話の終わりを修復するつもりもあった。
思いの外、電話はすぐにつながった。しかし、沈黙が続く。まだ泣いているのだろうか。
「美鈴、聞こえるか?」
そう尋ねると、涙をぬぐうような息づかいが聞こえてくる。
「話せるか?」
「……」
「美鈴……?」
「……白夜、助けて」
もう一度尋ねると、か細い声が電話を通して届く。
「奇子か」
俺の胸は急速に激しく鳴り出す。美鈴は今、意識を失っているのだろう。奇子が美鈴の身体を欲しがっていたことを思い出したら、焦りが浮かぶ。
「俺は美鈴に用がある。美鈴を出してくれないか」
「どうして……、どうして助けてくれないの。あなたは私が安哉と結婚してもかまわないの……」
スマホを握る手に力がこもる。かまわないわけがない。だから、こうして美鈴に関わろうとしているのだ。
「美鈴が納得してるなら口出しはしない。だが、この話は奇子とする話じゃない。美鈴に直接会って話すつもりだ」
「あの子は安哉と結婚する気よ……。だから私に謝ったの……」
「受け入れるつもりがあるのはわかっている」
「助けて……、怖い……。怖いの。私を……安哉に触れさせないでって言ったのに……」
震える奇子の声が、そのまま美鈴の声に重なる。
「安哉が何かしたか……?」
「私を抱きしめて……」
俺はぎゅっと目を閉じる。
相手は婚約者だ。そんなことぐらいあって当たり前だ。現に俺はそれを目にした。美鈴の唇に触れようとした安哉を見るのはつらかった。
安哉を好きではない奇子からしたら、それは俺が感じるよりも苦しいものだったはずだ。
「白夜……白夜、抱きしめて……あなたになら私……」
「俺には無理だ……」
奇子の願いは受け入れられない。俺は奇子を愛してはいない。
「白夜……」
絶望した奇子の声は消え入りそうなほど儚い。
「安哉はまた……私を……」
声はかすれ、消えていく。その言葉を最後に、奇子の声はぷつりと途絶えた。
俺は悄然と、スマホを耳に当てたまま立ち尽くした。聞こえるのは無機質な音のみ。虚しく続く保留音だけが、いつまでも続いていた。
悲しみに沈む美鈴に、どんな声をかけてやればいいだろう。
安哉と結婚したくないから、俺には会わない。彼女が言っているのはそれだけのことだから、俺がどうにかすることなんて何もない。
そう悩むうちに電話は一方的に切れた。これが俺と彼女の距離感だ。彼女は言うほど、俺を頼りにはしていない。
「美鈴様は大丈夫でしょうか」
気づくと、一真が部屋に入って来ていた。
「立ち聞きも度が過ぎると悪趣味だ。もう少し控えめにしてろ」
俺はすぐに苛立ちを一真にぶつけてしまう。
「立ち聞きなど。白夜様がお辛そうでしたので、美鈴様に何かあったのかと想像しただけですよ」
一真はいつも通り、しれっと答える。
「そんなわかりやすい顔をしてるつもりもないけどな。安哉が強行的に動いてるみたいだ。美鈴も今回ばかりはどうにも逃げられないらしい」
「いよいよ結婚ですか。白夜様はなんと声をかけて差し上げたのです?」
「期待するほどのことは言ってやってない。美鈴が自分で何とかする問題だ」
「助けを求めておられたのでは? 美鈴様はご自身では気づいておられないようですが、橘安哉と一緒の時は窮屈そうにしておりますよ」
「だからって婚約解消できるわけでもないんだろう。明日は来ないつもりみたいだ」
「そうですか。白夜様はこのまま終わらせるのですね」
一真は淡々と答える。俺にどうしろって言うんだ。美鈴が俺を頼らないなら、どうすることも出来ないというのに。
無言の一真の視線が痛い。俺を責め立てる目だ。これが最後のチャンス。この機を逃したら、美鈴とはもう関わりを持つことはない。そんなことぐらい俺だってわかっているのに。
「……一真は帰れ。俺はもう一人で大丈夫だ」
突き放すように言うと、一真は眉をひそめる。彼が表情を曇らせるのは珍しく、こんな時は俺の選択が間違っていると警鐘を鳴らしているのだ。
「なぜです? まだ何も解決されてませんよ」
「解決するためだ。一真は明日、ここへ来い。もちろん美鈴を連れてだ。美鈴を連れてくるまでここへ来るのは許さない」
俺はそう吐き捨てる。
どうしたんだ、俺は。焦るわけでもない。落ち込むわけでもない。それなのに、やけに苛立っている。
「わかりました。そのように致します。どうか夜更けはお気をつけて」
「ああ、正体を暴いてやるさ。むしゃくしゃしてる俺に手を出したらどうなるか知らしめてやる」
一真は眉をひそめたままだったが、無言で頭を深く下げると部屋を出ていく。
静かになる寝室には異様な静寂さが満ちていく。何か起きるだろう。俺はそんな予感を抱きながら、いつの間にか握りしめていたスマホを持ち上げた。
俺は切られたばかりの電話にかけ直した。明日一真を迎えに行かせるから、必ず一緒に来いと、美鈴に念を押すつもりだった。
おせっかいだと美鈴は怒るかもしれないが、彼女を放っておけないのは俺の気持ちだ。先ほどの味気ない会話の終わりを修復するつもりもあった。
思いの外、電話はすぐにつながった。しかし、沈黙が続く。まだ泣いているのだろうか。
「美鈴、聞こえるか?」
そう尋ねると、涙をぬぐうような息づかいが聞こえてくる。
「話せるか?」
「……」
「美鈴……?」
「……白夜、助けて」
もう一度尋ねると、か細い声が電話を通して届く。
「奇子か」
俺の胸は急速に激しく鳴り出す。美鈴は今、意識を失っているのだろう。奇子が美鈴の身体を欲しがっていたことを思い出したら、焦りが浮かぶ。
「俺は美鈴に用がある。美鈴を出してくれないか」
「どうして……、どうして助けてくれないの。あなたは私が安哉と結婚してもかまわないの……」
スマホを握る手に力がこもる。かまわないわけがない。だから、こうして美鈴に関わろうとしているのだ。
「美鈴が納得してるなら口出しはしない。だが、この話は奇子とする話じゃない。美鈴に直接会って話すつもりだ」
「あの子は安哉と結婚する気よ……。だから私に謝ったの……」
「受け入れるつもりがあるのはわかっている」
「助けて……、怖い……。怖いの。私を……安哉に触れさせないでって言ったのに……」
震える奇子の声が、そのまま美鈴の声に重なる。
「安哉が何かしたか……?」
「私を抱きしめて……」
俺はぎゅっと目を閉じる。
相手は婚約者だ。そんなことぐらいあって当たり前だ。現に俺はそれを目にした。美鈴の唇に触れようとした安哉を見るのはつらかった。
安哉を好きではない奇子からしたら、それは俺が感じるよりも苦しいものだったはずだ。
「白夜……白夜、抱きしめて……あなたになら私……」
「俺には無理だ……」
奇子の願いは受け入れられない。俺は奇子を愛してはいない。
「白夜……」
絶望した奇子の声は消え入りそうなほど儚い。
「安哉はまた……私を……」
声はかすれ、消えていく。その言葉を最後に、奇子の声はぷつりと途絶えた。
俺は悄然と、スマホを耳に当てたまま立ち尽くした。聞こえるのは無機質な音のみ。虚しく続く保留音だけが、いつまでも続いていた。
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