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真実と終わる恋

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「橘白夜は確かな意志で安哉を死に至らしめた。安哉を許せない気持ちは殺意になり、安哉を弟として愛する気持ちが涙を流させたんだ」

 安哉はそう苦しげに吐き出すと、これが奇子と初代橘安哉の死の真相だと息をついた。

「橘安哉は先に死んだ奇子の名を刻むことはできなかった。ですから、自らの名を刻んだのですね。そうしてあなたは、橘安哉として何回も転生を繰り返しておられる」

 壮絶な過去に投げかける言葉を忘れた俺に代わり、一真が安哉へ語りかける。
 安哉は呼結神社に伝わる名を刻む儀式を知っているのだろう。大して不思議そうにもせず一真を見返すと、首をゆるく横に振る。

「それは……違う」
「違うと言いますと?」
「橘安哉は生まれ変わってなんかいない。全ては橘白夜なりの弔いで、これこそが橘白夜が虚飾である証拠だよ」
「橘白夜を責めておられる」
「もちろんだよ。橘一族は白夜のせいでしきたりに縛られ、苦しんだ時代もある。白夜はそれで気が済んだのかもしれないが、全部は自分を慰めるためだった」
「では美鈴様との婚約も、重荷と?」
「俺はそう思ってないけど、美鈴は違うんだろう。自然に出会ってたら、美鈴はこんなにも悩まなかったかもしれない」

 安哉は頭を抱える。婚約者として出会ったがゆえの苦しみに苦悩している。

「橘白夜が作ったしきたり、か」

 俺はようやく口を開く。

「ああ、そうだよ。初代安哉が橘安哉として生まれ変わることを望んだから、せめてもの罪滅ぼしと、白夜は数百年に一度橘家に生まれる男児に安哉の名を授けるよう占い師に言い含めた」
「その占い師というのは?」
「伊予の一族だよ。伊予には妹がいた。妹の子孫が代々橘家に仕え、この秘密を誰にも漏らすことなく生きている」

 橘家を影で支える一族がいる。それが奇子の身の回りの世話をしていた巫女の一族だと、安哉は言う。

「白夜を恨んでいた老女の一族がよくその役目を引き受けたな」
「逆だよ。恨んでいたからだ。伊予が最も憎んでいたのは橘安哉だ。安哉が奇子と結ばれないよう、側で見張りたかったのかもしれない」
「伊予の一族に、橘家に生まれてきた赤子が誰の生まれ変わりかなどわかるだろうか。それほどの力があるとは思えない」
「昔はその力があったかもしれない。でもさ、別にいいんだ、今となっては。ただのしきたりに過ぎないから。今は慣例的に河北家の娘を娶ることになってるだけだ。橘白夜は、奇子の縁者である河北家の娘と二代目橘安哉を結婚させることで、自らの罪をぬぐったつもりでその生涯を閉じたかったんだ」
「それがしきたりの始まりか」

 長い時を経るうちに本来の目的を見失った秘め事が、しきたりとして橘家に残っている。

「ああ。だから俺は橘安哉の生まれ変わりでもなんでもない。白夜の言うように、千年も経った今、このしきたりを守る意味なんて希薄で、くだらないものだよ」

 安哉はかすかに笑う。しきたりに縛られた人生は美鈴だけのものではなく、安哉もまた情けなく思っているのだろう。

「美鈴を解放してやる気になったか」

 そう言えば、安哉はハッと顔を上げる。

「それとこれとは違う。俺は美鈴を手放す気はないよ」
「そうやって千年前の不幸な出来事を繰り返すつもりか? おまえは橘安哉の生まれ変わりだよ。だから美鈴に執拗になる。魂が求めてるんだろうな」
「魂……? 白夜らしくないこと言うんだな」
「そうだな。だが、疑う理由もないからな」

 俺はちょっと苦笑いする。
 奇子が橘安哉の魂を見間違えるはずはない。なぜだかそれは確信できた。奇子が怯えるのだから、間違いはないはずだと。

 橘白夜は千年経った今も、まだ安哉を苦しめている。そして、定めたしきたりが自らの首を絞める行為となり、俺に襲いかかっている。自業自得か。これは、安哉の命を奪い、一人のうのうと生きたであろう白夜の郷だろうか。

「そろそろ、断ち切らないか」
「俺にそれを言うんだな、白夜は。それを俺に求めることは、美鈴を諦めろって言ってるのと変わらないよ」
「河北家との婚約はおまえの代で終わらせろ。おまえにはふさわしい女が他にいるかもしれない。もしいないのならば、正々堂々奪いに来い。今度は俺も受けて立つ」
「負ける気はしないって感じだな。橘白夜もきっとおまえみたいなやつだったんだろうな」

 皮肉げに安哉は笑う。

「そうかもな」
「だったら本当に奇子は白夜の名を頼りに現れるかもしれないな」
「ああ、そんな日も来るかもしれないな。もし現れたら渡してやりたいものがある」
「渡してやりたいもの?」
「まだあるんだろう? 橘白夜が奇子に贈ろうとした、つげ櫛。橘家に代々伝わっていると俺は思うが」
「あるよ。橘安哉は結局奇子には渡さなかったんだ。それに白夜は気づいて、いつか奇子に巡り会えた時のために大切に伝えてきた」
「俺に渡してくれないか。彼女は誤解したまま死んだ。成仏できずにいるかもしれない。橘白夜の思いが伝われば、安らかな眠りにつけるだろう」
「家宝をおまえに渡せって? めちゃくちゃだな。……まあでも、出来る限りのことはするよ。橘安哉が渡さなかった罪だ。その罪を償うのは俺なんだろう」

 安哉は首をすくめるが、前向きに検討している態度は見せる。俺にはそれで十分だ。

「おまえなら出来るさ。美鈴はおまえを信用している。それは奇子の心にもあったものだろう。本気で安哉を嫌っていたわけじゃないさ。ただ白夜の方が好きだった。そういうことだろう」
「なんか腹の立つ言い方するよな。俺はまだ美鈴を諦めたわけじゃないよ。しきたりなんて取り払って、一人の男として美鈴に求婚する」
「好きにしろ」
「どうせ振られるって馬鹿にしてるだろう。おまえのそういうところ、本当に嫌いだ」

 安哉は拗ねるように赤くなって、そっぽを向く。
 橘安哉は憎めない男だ。そう思いながら彼の横顔を見つめる俺に、一真はそっと耳打ちする。

「まるで兄弟げんかのようですね。羨ましい限りです」
「ふん、うるさい。さあ、もう帰るぞ。美鈴をいつまでも待たせるわけにはいかないからな」

 俺は乱暴に立ち上がると、窓辺に立ってこちらを見つめている美鈴に手招きをする。

「白夜、美鈴を連れて帰る気か?」

 慌てて俺の前に立ちはだかる安哉を睨みつける。

「当たり前だ。俺を誰だと思ってる」

 彼はわなわなと唇を震わせたが、立ち向かってくることなく目をそらすと身を引いた。

 俺は一真を連れて部屋を出る。同時に別の部屋から美鈴が飛び出してくる。

「白夜くんっ」

 俺の名を呼んで廊下を駆けてくる美鈴は不安げなままだけれど、彼女を包む空気は軽やかで天女のように美しく……、これ以上ないぐらい俺は、彼女を改めて可愛いと思った。
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