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真実と終わる恋

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 涙に潤む慈愛に満ちた瞳で見つめられると、なんだかくすぐったい。

「まるで結婚するみたい」

 卯乃さんにワンピースを着せてもらい、髪を結ってもらう。爪に淡い桜色のネイルをして、唇にも同色の紅をさしてもらう。

「あの男とはいずれそうなる。美鈴なら大丈夫だ。せいぜい浮気されぬよう、見張っておくのだな」
「浮気って……」
「そういう浮ついたところのある男だ。頭でわかっていても感情的になる。冷静でおれと言い含めておいたのに、余計なことを口走ったかと思えば、奇子様に美鈴を返せとわめき散らしておったわ」
「白夜くんが奇子さんにそう言ったの?」
「惚れた女に関わることは冷静になれぬ。千年経っても変わらぬのだ。そこが弱いところであり、白夜という男の芯であるのかもしれん。その代わり、美鈴を愛する想いは人一倍強い。少々ひねくれておるが、優しい男だろう」
「白夜くんのこと、よくわかってるのね」
「大概の者は顔を見ればわかる。いや、白夜の横におる夜桜一真という男。あの男はわからぬな。変わった男だのー」

 卯乃さんまでもを困らせる一真を思い浮かべたら、くすりと笑ってしまう。

「そうね。そこが一真のいいところね」
「噂をすれば。迎えに来たようだの。あとは一真に任せて、今日という日を楽しむのだよ、美鈴」
「卯乃さんは?」
「仕事が済めば帰る。今頃、彩斗美はてんてこ舞いしておるだろう」
「あ、私が休んだから……」
「気にするな。いつものことだ。彩斗美にもそのぐらいの苦労は乗り越えていってもらわねばな。後のことは心配せず、美鈴は早く白夜のもとへ行ってやりなさい」

 卯乃さんがバスルームの扉を開いた先では、静かに一真が佇んでいる。彼は私を一目見るなり少々驚きに目を細めたが、私の容姿には触れず、手を差し伸べた。

「さあ、白夜様がお待ちかねです。参りましょう」

 バスルームから白夜くんの寝室までは、ガラス張りの通路でつながれている。無言で歩く一真についていくが、ガラスに映る自分を見ると落ち着かない。
 こんな風におしゃれをしたのは初めてのことだ。背伸びしすぎてはいないだろうか。

「変じゃないかしら」

 たまりかねて一真の背中に声をかける。一真は不思議そうに振り返り、優しく微笑む。

「いいえ、少しも。一番に褒めるのは白夜様と思い、何も申し上げませんでしたが、いつも以上にお美しいですよ。白夜様もお喜びになるでしょう」
「なんだか特別な日みたい。勝手に舞い上がってるみたいで恥ずかしいわ」
「舞い上がる? それはそれは。美鈴様は予想以上に可愛らしい方ですねー」

 くすくすと笑って、一真は歩き出す。からかわれたのかわからず、私は消化不良のまま彼についていく。

 寝室の前で白夜くんは待っていた。退屈そうに腕を組んでいたが、私に気づくと、先ほどの一真と同様、驚いたように腕をほどいて呆然と立ち尽くす。

「一真、おかしなところはない?」
「ええ、何も。悩殺されているのですよ、白夜様は。白夜様もまだまだ」

 ふふふと笑う一真に促されて、私は彼に向かう。
 白夜くんはいつものように素っ気なく顔をそらすと、ぶっきらぼうに寝室のドアを開く。
 部屋の中は薄暗く見える。

「美鈴、来い」

 手を差し伸べる彼に近寄ると、肩に手を回されて。彼と共に部屋へ入り息を飲む。

「白夜くん……、これ……」
「気に入ったか?」
「気に入るも何も……。すごく綺麗……」

 寝室の中央にはクリスマスツリー。薄暗い部屋を灯す橙の光が部屋中に散りばめられて、テーブルの上では豪奢なキャンドルスタンドの明かりが揺らめいている。
 ほんのわずかな時間、私が沐浴していたその間に、部屋中を飾り付けてくれたのだ。

「喜んでくれたならいい」
「クリスマスツリー、近くで見ても?」
「ああ、食べるものを用意しておく」
「白夜くんが紅茶を淹れてくれるの?」
「そうだな、そうしよう」

 白夜くんがテーブルに向かうと、一真が食器を並べる。阿吽の呼吸で行動する彼らはいつも卒がなく、無意味な行動など何一つ取ることはないのだろうと思う。

 クリスマスツリーに敷き詰められたオーナメントは赤薔薇で、素朴な明るさの光が控えめに灯る。この世に二つとないツリーではないか。そう思えるほどみやびだ。

「白夜様、私としたことが肝心の茶葉を忘れたようです。取りに行って参りますのでお待ちください」
「あ、ああ。そうだ、卯乃は帰ったのか?」
「様子を見て参ります。必要でしたら送って参りますが」
「そうしてくれ」
「では、少々お時間を頂きます」

 一真は一礼すると寝室を出ていく。
 紅茶以外にも飲み物はあるようだ。白夜くんはワインクーラーで冷やされている瓶を取り出すと、手慣れた手つきでグラスに注ぐ。
 炭酸飲料のようだが、いちいちおしゃれだ。注ぐ様も同様に優雅で、見惚れてしまう女の子もいるだろう。

 改めて眺めると、白夜くんは本当に綺麗な顔立ちをしている。女の子にもてるだろう。
 呼結から出たことのない私には、白夜くんの交友関係は未知数で。もしかしたら彼がお付き合いしたことのある女の子もいるかもしれなくて、再熱なんてことも……。卯乃さんが妙なことを言うから余計な心配をしてしまう。

「美鈴、乾杯しよう」

 白夜くんが差し出すグラスを受け取る。細かな気泡の浮かぶグラスからはアップルの香りがする。

「一真は待たなくていいの?」
「気にするな。一真は好きなようにする」
「白夜くんがそう言うなら……、じゃあ、乾杯」

 グラスを重ね、ドリンクを口にする。濃厚なアップルの甘みが口の中に広がる。サイダーとのバランスが良く、とても飲みやすい。

「クリスマスをこんな風に誰かと過ごすなんて初めて」
「俺もだ。だいたいイベントに興味もなかったしな」
「本当? 考えてみたら私、白夜くんが今までどう過ごしてきたか、何も知らないの」
「話すほどのことはない。美鈴が安哉と過ごして来なかった方が意外だな」
「安哉くんは誘ってくれないの。変に遠慮していたのね、きっと」
「それは幸運だったな。美鈴と二人で過ごしたら、どんな男もやましい気持ちになる」
「え……」

 白夜くんは私のほおに手を添わせ、そっと髪に指をからませる。

「ワンピース……、よく似合ってる。あまりに綺麗だから嫉妬する」
「嫉妬……?」
「一真はどんなことも俺より先に得てしまう」
「どんなこともって……、そんなことはないと思うわ」
「まあ、そうだな」

 ふっと笑って、白夜くんは私に顔を近づける。

「あ……っ」

 唐突に唇が重なる。グラスを落としそうになる手を、同様にグラスを持った白夜くんの大きな手が包み込む。それでも力が入らない。
 後ろ頭を支えられ、しっとりと唇が重ねられていく。
 いつまでもこの唇に触れていたい。そう思う気持ちは一つになり、私はそっと彼の背に腕を伸ばした。
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