78 / 81
真実と終わる恋
20
しおりを挟む
*
祈りの声が私を果てなく包み込む。闇に落ちていた身体が宙を舞うように軽くなり、点のようだった小さな光が次第に大きく膨らみ、私の全身を飲み込む。
幾重にも重なる声に集中する。卯乃さん……、奇子さん……、そして白夜くん。様々な方向から三人の声が聞こえてくる。
私も負けてはいけないのだ。奇子さんの黒い熱意に取り込まれてはいけない。私は生きるのだ。美鈴として。
河北美鈴は堀内白夜を愛しているのだから。
光に目がくらむ。迫る祈りの声が急速に集まり始める。拡散していたその声が一つになった時、私にまとわりつく何かがはがれ落ちていった。
「もう何も起こらないから大丈夫だ、一真。二人にしてくれ。目覚めたら連れていく」
白夜くんの声が私を呼び覚ます。まぶたを上げると、八角形の天井が私を見下ろしていた。
ここは白夜くんの部屋だ。チェストの上のアンティークの置き時計を見れば、ここを訪れてからさほど時間は経っていないようだと気づく。
「気づいたか……」
視界に現れた白夜くんはベッドに腰掛けると私の髪やほおを撫で下ろす。ひどく優しい手つきに私は安堵する。
「私……、気を失ってたの……?」
「ああ。起きれるか?」
白夜くんの手に支えられながら体を起こす。
手櫛で髪を梳き、首の後ろに手を回す。じっとりと身体が汗ばんでいる。シャワーを浴びたい。
「一緒に風呂に行こうか」
「えっ、一緒に! あ、いやだ、……いいの。そんなに気になってるわけじゃないの」
お風呂に入りたいだなんて、まるで私の心の中を読んだように白夜くんが言うから慌ててしまう。動揺する私を見て、彼は口元をわずかにゆるめて笑う。
「何を誤解してる。体を清めるためだ。卯乃が沐浴の準備をしている」
「沐浴……」
「一緒に入りたいのは山々だが、まだ早いとは思う。高校卒業するまでは我慢するさ」
「……何を言うの」
「必然だ。いつかそうなる。さあ行こうか」
身の置き場がなくなるようなことをさらりと言う白夜くんを直視できない。
「行こうって、白夜くんのおうちでお風呂なんて」
「気にするな。俺専用の風呂がある。どう使おうが、とがめられたりしない」
「白夜くん専用のお風呂? なんだか、想像もつかない話だわ」
「時追の跡取りの道は定められてるからな。ある程度の自由は与えられている」
専用のお風呂があることと、自由を与えられていることの接点が見出せず困り果ててしまうが、私が拒む余地はきっとないのだと思う。
「そうなの……。じゃあ、使わせてもらうわ。沐浴は儀式の一つなのよね?」
「俺はそう聞いているが? 奇子の霊を美鈴の体に入れると提案するのは勇気がいった。卯乃の理解を得るのは難しかったが、最良の選択だったとは思う。あとは卯乃に任せている。だから安心して風呂に入ってこい」
そう話してくれる白夜くんの手がわずかに震えている。怖かったのは彼も一緒だったのだろう。不安だっただろう。
「白夜くん……、大丈夫よ。後悔なんてしないで」
そっと彼の手に手のひらを重ねる。
「白夜くんが私のために悩んでくれただけで嬉しいの」
白夜くんは表情をハッとさせると、気まずそうに目をそらす。
「……美鈴は純粋すぎる」
「なんだか変な気持ちよ。白夜くんと思いが通じてるなんて、変な気持ち。もう私たち、ずっと一緒にいられるのよね?」
ようやく真っ直ぐ白夜くんを見つめることが出来たのに、彼はなかなか目を合わせてくれない。
「白夜くん……、私ね、話したいことがたくさんあるの。儀式が済んだら、聞いてくれるかしら」
「ああ。……行くか。俺も妙な気分になってきた。これ以上、このまま二人でいるのは良くないな」
私の話を聞いているのかいないのか、白夜くんは口ごもりながらそう言うと、ベッドから降りて私の手を引いた。
真っ白な空間に置かれたバスタブの湯につかる私は、心身ともに緊張がほぐれていくのを感じる。疲労感すら心地が良い。
バスルームの窓からは青空が望め、薄く透き通るシャワーカーテンもエレガントで、普段の生活からかけ離れた雰囲気に夢見心地になる。
まぶたを閉じながらバスタブにもたれかかると、シャワーカーテンの奥から声をかけられる。
「美鈴、どうだの。気分はいいか?」
卯乃さんだ。
「ええ、すごく体が軽いわ。眠ってしまいそう」
「男の部屋で安易に眠ってはならんよ。常に気を張っておらねばな」
小さな笑い声が聞こえて、上気しているだろうほおがますます上気する。
「殿方が待ちくたびれておる。そろそろ上がるかの」
「そうね。卯乃さん、バスタオルあるかしら」
立ち上がり、辺りを見回して尋ねる。
「そのままで良い」
卯乃さんの指がシャワーカーテンにかかる。ゆっくりと開くカーテンの奥には、バスタオルを持った卯乃さんがいる。
反射的に胸元を隠すが、卯乃さんは私の全身を眺めると、そっと目を細める。
「あの男にくれてやるにはもったいないほど綺麗だの。さあ、出てきなさい。この日のために用意したドレスを着せてやろう」
バスタブから出ると、卯乃さんは持っていたバスタオルで優しく体を拭いてくれる。これも儀式だろうか。拒んでいいのかもわからずされるままになっていると、彼女は風呂敷包みを運んできて、中から真っ白なワンピースを取り出した。
「これは?」
「クリスマスプレゼントというやつかの。我が山口家は歴史ある呼結の民。クリスマスというものは無縁だが、あの孫娘は跳ねっ返りゆえ、他の宗教を知るのは勉強のためだなどと屁理屈を言って、クリスマスプレゼントだけは要求する。今年は美鈴にも贈らせてもらおうと彩斗美と選んだものだ」
「え、そんな……、嬉しいけれど、なんだか……」
「嬉しいのであれば受け取っておけ。彩斗美も寂しいのだよ、白夜に美鈴を取られてしまうようで。せめてものはなむけだ。受け取ってやりなさい」
「ありがとう、卯乃さん。彩斗美にも感謝してる」
「幸せになるのだよ」
祈りの声が私を果てなく包み込む。闇に落ちていた身体が宙を舞うように軽くなり、点のようだった小さな光が次第に大きく膨らみ、私の全身を飲み込む。
幾重にも重なる声に集中する。卯乃さん……、奇子さん……、そして白夜くん。様々な方向から三人の声が聞こえてくる。
私も負けてはいけないのだ。奇子さんの黒い熱意に取り込まれてはいけない。私は生きるのだ。美鈴として。
河北美鈴は堀内白夜を愛しているのだから。
光に目がくらむ。迫る祈りの声が急速に集まり始める。拡散していたその声が一つになった時、私にまとわりつく何かがはがれ落ちていった。
「もう何も起こらないから大丈夫だ、一真。二人にしてくれ。目覚めたら連れていく」
白夜くんの声が私を呼び覚ます。まぶたを上げると、八角形の天井が私を見下ろしていた。
ここは白夜くんの部屋だ。チェストの上のアンティークの置き時計を見れば、ここを訪れてからさほど時間は経っていないようだと気づく。
「気づいたか……」
視界に現れた白夜くんはベッドに腰掛けると私の髪やほおを撫で下ろす。ひどく優しい手つきに私は安堵する。
「私……、気を失ってたの……?」
「ああ。起きれるか?」
白夜くんの手に支えられながら体を起こす。
手櫛で髪を梳き、首の後ろに手を回す。じっとりと身体が汗ばんでいる。シャワーを浴びたい。
「一緒に風呂に行こうか」
「えっ、一緒に! あ、いやだ、……いいの。そんなに気になってるわけじゃないの」
お風呂に入りたいだなんて、まるで私の心の中を読んだように白夜くんが言うから慌ててしまう。動揺する私を見て、彼は口元をわずかにゆるめて笑う。
「何を誤解してる。体を清めるためだ。卯乃が沐浴の準備をしている」
「沐浴……」
「一緒に入りたいのは山々だが、まだ早いとは思う。高校卒業するまでは我慢するさ」
「……何を言うの」
「必然だ。いつかそうなる。さあ行こうか」
身の置き場がなくなるようなことをさらりと言う白夜くんを直視できない。
「行こうって、白夜くんのおうちでお風呂なんて」
「気にするな。俺専用の風呂がある。どう使おうが、とがめられたりしない」
「白夜くん専用のお風呂? なんだか、想像もつかない話だわ」
「時追の跡取りの道は定められてるからな。ある程度の自由は与えられている」
専用のお風呂があることと、自由を与えられていることの接点が見出せず困り果ててしまうが、私が拒む余地はきっとないのだと思う。
「そうなの……。じゃあ、使わせてもらうわ。沐浴は儀式の一つなのよね?」
「俺はそう聞いているが? 奇子の霊を美鈴の体に入れると提案するのは勇気がいった。卯乃の理解を得るのは難しかったが、最良の選択だったとは思う。あとは卯乃に任せている。だから安心して風呂に入ってこい」
そう話してくれる白夜くんの手がわずかに震えている。怖かったのは彼も一緒だったのだろう。不安だっただろう。
「白夜くん……、大丈夫よ。後悔なんてしないで」
そっと彼の手に手のひらを重ねる。
「白夜くんが私のために悩んでくれただけで嬉しいの」
白夜くんは表情をハッとさせると、気まずそうに目をそらす。
「……美鈴は純粋すぎる」
「なんだか変な気持ちよ。白夜くんと思いが通じてるなんて、変な気持ち。もう私たち、ずっと一緒にいられるのよね?」
ようやく真っ直ぐ白夜くんを見つめることが出来たのに、彼はなかなか目を合わせてくれない。
「白夜くん……、私ね、話したいことがたくさんあるの。儀式が済んだら、聞いてくれるかしら」
「ああ。……行くか。俺も妙な気分になってきた。これ以上、このまま二人でいるのは良くないな」
私の話を聞いているのかいないのか、白夜くんは口ごもりながらそう言うと、ベッドから降りて私の手を引いた。
真っ白な空間に置かれたバスタブの湯につかる私は、心身ともに緊張がほぐれていくのを感じる。疲労感すら心地が良い。
バスルームの窓からは青空が望め、薄く透き通るシャワーカーテンもエレガントで、普段の生活からかけ離れた雰囲気に夢見心地になる。
まぶたを閉じながらバスタブにもたれかかると、シャワーカーテンの奥から声をかけられる。
「美鈴、どうだの。気分はいいか?」
卯乃さんだ。
「ええ、すごく体が軽いわ。眠ってしまいそう」
「男の部屋で安易に眠ってはならんよ。常に気を張っておらねばな」
小さな笑い声が聞こえて、上気しているだろうほおがますます上気する。
「殿方が待ちくたびれておる。そろそろ上がるかの」
「そうね。卯乃さん、バスタオルあるかしら」
立ち上がり、辺りを見回して尋ねる。
「そのままで良い」
卯乃さんの指がシャワーカーテンにかかる。ゆっくりと開くカーテンの奥には、バスタオルを持った卯乃さんがいる。
反射的に胸元を隠すが、卯乃さんは私の全身を眺めると、そっと目を細める。
「あの男にくれてやるにはもったいないほど綺麗だの。さあ、出てきなさい。この日のために用意したドレスを着せてやろう」
バスタブから出ると、卯乃さんは持っていたバスタオルで優しく体を拭いてくれる。これも儀式だろうか。拒んでいいのかもわからずされるままになっていると、彼女は風呂敷包みを運んできて、中から真っ白なワンピースを取り出した。
「これは?」
「クリスマスプレゼントというやつかの。我が山口家は歴史ある呼結の民。クリスマスというものは無縁だが、あの孫娘は跳ねっ返りゆえ、他の宗教を知るのは勉強のためだなどと屁理屈を言って、クリスマスプレゼントだけは要求する。今年は美鈴にも贈らせてもらおうと彩斗美と選んだものだ」
「え、そんな……、嬉しいけれど、なんだか……」
「嬉しいのであれば受け取っておけ。彩斗美も寂しいのだよ、白夜に美鈴を取られてしまうようで。せめてものはなむけだ。受け取ってやりなさい」
「ありがとう、卯乃さん。彩斗美にも感謝してる」
「幸せになるのだよ」
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
9
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる