5 / 46
第一話 七下の雨
5
しおりを挟む
未央からイベントに参加したいと電話がかかってきたときは、正直驚いた。どれほど誘っても頑として首を縦に振らなかった彼女に何かあったのは間違いないだろう。電話では詳しく聞けなかったが、直接会えば、心変わりの理由を聞けるだろうか。
切り雨に着くと、ちょうど未央が店先の掃き掃除をしているところだった。
清楚な無地のワンピースをまとう品の良い後ろ姿をまじまじと眺める。後ろで束ねた髪からのぞく真っ白なうなじが綺麗で、思わず見とれそうになるのは、どんな男であってもそうだろう。垢抜けた女の人にあまり出会えない町だからこそ、彼女自身は控えめなのに、うわさになるのも仕方ないほどやけに目立つ。
「おはようございます、八坂さん」
いつまでも後ろ姿を見つめていると、あらぬうわさを立てられかねない。声をかけると、未央は驚いて振り返る。
「井沢さん、いつからそこに? 全然気づかなくてごめんなさい」
「いえ、いま着いたばかりです」
嘘ばっかりだが、笑顔でそう言うと、彼女はなんの警戒心もなくほほえんで、店の引き戸を開く。
「中へどうぞ」
「開店前に入っては、ご迷惑では?」
しぐれの忠告が脳裏をよぎって、そう尋ねる。
「大丈夫ですよ。お呼び立てしたのは私ですから」
「いえ、そうではなくて」
「そうではなくて?」
未央は不思議そうに首をかしげる。
うわさされていることを知らないのだろう。どこか浮世離れした雰囲気を持っているし、普段から下世話な話などしないように見える。
「お付き合いしている方に誤解されませんか?」
はっきりと尋ねると、彼女はびっくりしたようにまばたきをした。
「そのような方はいませんから、ご心配なく」
そう言って、くすりと笑う。
「俺もいませんよ」
聞かれてもないのに答えて、店内へと入る。
「井沢さんはご結婚されてないんですか? 落ち着いていらっしゃるから、てっきり」
「もう32になりますが、まったく縁がなくて」
「私より5つ年上なんですね」
「八坂さんはお若いですね」
妹のしぐれより2つ年上のようだが、年不相応に落ち着いている。いや、しぐれが子どもっぽいだけかもしれないが。
「井沢さんだって」
軽口をきくように話したあと、未央はカウンターの前に置かれた椅子に案内してくれる。
「昨夜は遅くにお電話して申し訳ありませんでした。今日もいらっしゃるっておっしゃっていたから、わざわざお電話しなくてもよかったですよね」
「いえ、イベントの書類を持ってきたので、二度手間にならずにすみました」
バッグから書類を取り出して、カウンターに広げる。イベントの計画書や安全に関する契約書、会場のレイアウトなど、さまざまな書類だ。
未央はそれらを一枚ずつ手に取り、入念に確認していく。切り絵作家だからか、それとも、彼女の所作が美しいだけなのか、指先の動きひとつ取っても丁寧で、品の良さが漂っている。
「どうして、参加してくれる気になったんです?」
参加申請書にサインする彼女にそう尋ねる。
「昨日、有村さんがいらしたでしょう?」
「有村くんが何か?」
「有村さんとお話していたら、切り絵体験をやってみたくなったんです」
有村は教師の手をわずらわせることのない平凡な生徒で、未央の心を動かしたと聞けば、少々驚く。
「そう言ってましたね。無料の体験コーナーをやりたいと」
「有村さんが切り絵の飾りを探していたので、いっそのこと、ご自身で作られてみては? と思ったんです」
「へえ、有村くんが切り絵の飾りを。またどうして?」
「お母さまにプレゼントしたいそうです。あ、内緒ですよ、この話。井沢さんは主催者だからお話してるんです」
人差し指を立てた唇に、年相応の愛らしさを感じて、なぜだかホッとする。
「学生のために決断してくれたんですね。ありがとうございます」
頭を下げると、未央はいえいえと首を振り、両手のひらを胸の前で合わせる。
「井沢さんにお願いがあるんですけれど」
「何か?」
「有村さんにお祭りに参加するように伝えてくれませんか? 井沢さんにご相談してからと思ったものですから、有村さんにははっきりとまだ伝えられてなくて」
「お安い御用ですよ。イベントの案内は学生たち全員に配布しますから、そのときに声をかけておきますよ」
そう言うと、未央は安堵したのか、胸に手を当てた。
切り雨に着くと、ちょうど未央が店先の掃き掃除をしているところだった。
清楚な無地のワンピースをまとう品の良い後ろ姿をまじまじと眺める。後ろで束ねた髪からのぞく真っ白なうなじが綺麗で、思わず見とれそうになるのは、どんな男であってもそうだろう。垢抜けた女の人にあまり出会えない町だからこそ、彼女自身は控えめなのに、うわさになるのも仕方ないほどやけに目立つ。
「おはようございます、八坂さん」
いつまでも後ろ姿を見つめていると、あらぬうわさを立てられかねない。声をかけると、未央は驚いて振り返る。
「井沢さん、いつからそこに? 全然気づかなくてごめんなさい」
「いえ、いま着いたばかりです」
嘘ばっかりだが、笑顔でそう言うと、彼女はなんの警戒心もなくほほえんで、店の引き戸を開く。
「中へどうぞ」
「開店前に入っては、ご迷惑では?」
しぐれの忠告が脳裏をよぎって、そう尋ねる。
「大丈夫ですよ。お呼び立てしたのは私ですから」
「いえ、そうではなくて」
「そうではなくて?」
未央は不思議そうに首をかしげる。
うわさされていることを知らないのだろう。どこか浮世離れした雰囲気を持っているし、普段から下世話な話などしないように見える。
「お付き合いしている方に誤解されませんか?」
はっきりと尋ねると、彼女はびっくりしたようにまばたきをした。
「そのような方はいませんから、ご心配なく」
そう言って、くすりと笑う。
「俺もいませんよ」
聞かれてもないのに答えて、店内へと入る。
「井沢さんはご結婚されてないんですか? 落ち着いていらっしゃるから、てっきり」
「もう32になりますが、まったく縁がなくて」
「私より5つ年上なんですね」
「八坂さんはお若いですね」
妹のしぐれより2つ年上のようだが、年不相応に落ち着いている。いや、しぐれが子どもっぽいだけかもしれないが。
「井沢さんだって」
軽口をきくように話したあと、未央はカウンターの前に置かれた椅子に案内してくれる。
「昨夜は遅くにお電話して申し訳ありませんでした。今日もいらっしゃるっておっしゃっていたから、わざわざお電話しなくてもよかったですよね」
「いえ、イベントの書類を持ってきたので、二度手間にならずにすみました」
バッグから書類を取り出して、カウンターに広げる。イベントの計画書や安全に関する契約書、会場のレイアウトなど、さまざまな書類だ。
未央はそれらを一枚ずつ手に取り、入念に確認していく。切り絵作家だからか、それとも、彼女の所作が美しいだけなのか、指先の動きひとつ取っても丁寧で、品の良さが漂っている。
「どうして、参加してくれる気になったんです?」
参加申請書にサインする彼女にそう尋ねる。
「昨日、有村さんがいらしたでしょう?」
「有村くんが何か?」
「有村さんとお話していたら、切り絵体験をやってみたくなったんです」
有村は教師の手をわずらわせることのない平凡な生徒で、未央の心を動かしたと聞けば、少々驚く。
「そう言ってましたね。無料の体験コーナーをやりたいと」
「有村さんが切り絵の飾りを探していたので、いっそのこと、ご自身で作られてみては? と思ったんです」
「へえ、有村くんが切り絵の飾りを。またどうして?」
「お母さまにプレゼントしたいそうです。あ、内緒ですよ、この話。井沢さんは主催者だからお話してるんです」
人差し指を立てた唇に、年相応の愛らしさを感じて、なぜだかホッとする。
「学生のために決断してくれたんですね。ありがとうございます」
頭を下げると、未央はいえいえと首を振り、両手のひらを胸の前で合わせる。
「井沢さんにお願いがあるんですけれど」
「何か?」
「有村さんにお祭りに参加するように伝えてくれませんか? 井沢さんにご相談してからと思ったものですから、有村さんにははっきりとまだ伝えられてなくて」
「お安い御用ですよ。イベントの案内は学生たち全員に配布しますから、そのときに声をかけておきますよ」
そう言うと、未央は安堵したのか、胸に手を当てた。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
つまらない妃と呼ばれた日
柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。
舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。
さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。
リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。
――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします
二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位!
※この物語はフィクションです
流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。
当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる