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第三話 ほろほろ雨
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車椅子での接客には不自由もあるだろうと心配していたが、もともと明るくて機転の利くしぐれの仕事ぶりに、未央はほとほと感心していた。
しぐれには主にインターネット販売の梱包をお願いしていたが、彼女の提案で、サイトの見栄えを落ち着きのあるものからエレガントな雰囲気に変え、メインに扱っていたポストカードや小物入れに加え、指輪やイヤリングなどの装飾品のレパートリーを増やしたら、若い女性からの注文が多く入るようになった。
店番をしぐれに頼んでいる間も、店舗に隣接するアトリエで、未央は集中して作品づくりができている。何かあれば、すぐに未央が店に出られる安心感もあるのだろう。時折、お客さまとの笑い声が聞こえてくる様子を見れば、しぐれものびのびと接客しているようだった。
清倉へひとりで越してきて、東京の生活に慣れきっていた自分が田舎の生活に馴染めるのだろうかと、最初は不安だらけだったが、今は驚くほどに充実している。
そんな忙しい毎日を送っていれば、別れた婚約者である財前文彦のことはもう思い出さないだろうと思っていたが、やはり、まだ彼の裏切りにこだわる自分はいるのかもしれない。
このところ、夕方になると、傘をささなくても大丈夫な程度のわずかな雨が降る。そのほろほろと降る雨を見ると、文彦と別れたあの日に降っていた雨を思い出す。
別れを告げ、婚約者として会うことはもうないと彼がようやく気づいたあのときも、わずかな雨が降っていた。お互いに見つめ合い、息をひそめていた。いっそ、声をあげて泣き濡れるようなどしゃ降りになってしまえば、その場を立ち去ることができたかもしれない。けれど、ぎゅっと胸をつかまれた痛みにこらえながら泣くような、そんなほろほろとした雨の中、未央は静かに彼の目を見つめていたのだった。
「未央さん、おつかれさまでしたぁ」
ぺこりと頭を下げ、アトリエの裏口から帰っていくしぐれを見送ると、未央はほろほろと空から降ってくる雨に気づいた。
今日もすぐにやむだろう。しぐれもそれをわかっているから、薄手の防水パーカーを着ていた。傘を持って追いかけなくてもよさそうだ。そう判断して、未央は店の中へと戻る。
いつもと変わらない日常。閉店準備を終えた店内はしずまり返っている。しかし、連日の雨が未央の心を揺さぶったのだろうか。文彦を思い出すと必ず、あの作品を見たくなる。自身の足音だけを響かせながら、奥へと進む。
ワンピースを着た少女と手をつなぐ野球帽の男の子の後ろ姿に、わずかに降る雨。『ほろほろ雨』と題した作品の前で足を止め、未央はそっと指を伸ばす。
「文彦さん……」
その名を呼んでも、文彦はもう応えてくれない。
いつからだっただろう。名前を呼んでも上の空で、ふたりの会話に集中してくれなくなったのは。
文彦とは幼少期から家族ぐるみの付き合いをしていて、結婚を意識する関係になるまでは、会えば気さくに話せる友人のような関係だった。
未央は女子校に通っており、男友だちはおらず、男の子には少し警戒するところがあったが、いつも穏やかで優しい文彦には気を許していた。彼だけは違う。なぜそう思っていたのかは漠然とした感覚でしかないが、絶対的な安心感で彼を特別視していた。
だからこそ、父親から文彦との結婚を提案されたとき、前向きな気持ちで考えることができたのだと思う。
結婚準備を進める中で、文彦にどんな心境の変化が生まれたのかはいまだにわからない。わかっているのは、彼の裏切りをこの目で見たということだけだ。彼は思い過ごしだと言い張ったが、日増しに不信感を募らせる未央を見て、傷つけたことは認めた。あくまでも、裏切りはなかったと不満を残したまま。
本当に、文彦は裏切っていなかったのだろうか。いや、何もなかったとしても、彼が信頼を裏切る行為をしたことは間違いない。だからこそ、未央は彼をいまだに許せず、心はあの日に立ち止まったままでいる。
しぐれには主にインターネット販売の梱包をお願いしていたが、彼女の提案で、サイトの見栄えを落ち着きのあるものからエレガントな雰囲気に変え、メインに扱っていたポストカードや小物入れに加え、指輪やイヤリングなどの装飾品のレパートリーを増やしたら、若い女性からの注文が多く入るようになった。
店番をしぐれに頼んでいる間も、店舗に隣接するアトリエで、未央は集中して作品づくりができている。何かあれば、すぐに未央が店に出られる安心感もあるのだろう。時折、お客さまとの笑い声が聞こえてくる様子を見れば、しぐれものびのびと接客しているようだった。
清倉へひとりで越してきて、東京の生活に慣れきっていた自分が田舎の生活に馴染めるのだろうかと、最初は不安だらけだったが、今は驚くほどに充実している。
そんな忙しい毎日を送っていれば、別れた婚約者である財前文彦のことはもう思い出さないだろうと思っていたが、やはり、まだ彼の裏切りにこだわる自分はいるのかもしれない。
このところ、夕方になると、傘をささなくても大丈夫な程度のわずかな雨が降る。そのほろほろと降る雨を見ると、文彦と別れたあの日に降っていた雨を思い出す。
別れを告げ、婚約者として会うことはもうないと彼がようやく気づいたあのときも、わずかな雨が降っていた。お互いに見つめ合い、息をひそめていた。いっそ、声をあげて泣き濡れるようなどしゃ降りになってしまえば、その場を立ち去ることができたかもしれない。けれど、ぎゅっと胸をつかまれた痛みにこらえながら泣くような、そんなほろほろとした雨の中、未央は静かに彼の目を見つめていたのだった。
「未央さん、おつかれさまでしたぁ」
ぺこりと頭を下げ、アトリエの裏口から帰っていくしぐれを見送ると、未央はほろほろと空から降ってくる雨に気づいた。
今日もすぐにやむだろう。しぐれもそれをわかっているから、薄手の防水パーカーを着ていた。傘を持って追いかけなくてもよさそうだ。そう判断して、未央は店の中へと戻る。
いつもと変わらない日常。閉店準備を終えた店内はしずまり返っている。しかし、連日の雨が未央の心を揺さぶったのだろうか。文彦を思い出すと必ず、あの作品を見たくなる。自身の足音だけを響かせながら、奥へと進む。
ワンピースを着た少女と手をつなぐ野球帽の男の子の後ろ姿に、わずかに降る雨。『ほろほろ雨』と題した作品の前で足を止め、未央はそっと指を伸ばす。
「文彦さん……」
その名を呼んでも、文彦はもう応えてくれない。
いつからだっただろう。名前を呼んでも上の空で、ふたりの会話に集中してくれなくなったのは。
文彦とは幼少期から家族ぐるみの付き合いをしていて、結婚を意識する関係になるまでは、会えば気さくに話せる友人のような関係だった。
未央は女子校に通っており、男友だちはおらず、男の子には少し警戒するところがあったが、いつも穏やかで優しい文彦には気を許していた。彼だけは違う。なぜそう思っていたのかは漠然とした感覚でしかないが、絶対的な安心感で彼を特別視していた。
だからこそ、父親から文彦との結婚を提案されたとき、前向きな気持ちで考えることができたのだと思う。
結婚準備を進める中で、文彦にどんな心境の変化が生まれたのかはいまだにわからない。わかっているのは、彼の裏切りをこの目で見たということだけだ。彼は思い過ごしだと言い張ったが、日増しに不信感を募らせる未央を見て、傷つけたことは認めた。あくまでも、裏切りはなかったと不満を残したまま。
本当に、文彦は裏切っていなかったのだろうか。いや、何もなかったとしても、彼が信頼を裏切る行為をしたことは間違いない。だからこそ、未央は彼をいまだに許せず、心はあの日に立ち止まったままでいる。
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