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第四話 天泣
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「あっ、井沢さん」
引き戸を開けると、にこやかに微笑む朝晴が立っていた。
「日曜日でお忙しいかと思ったんですが、大丈夫ですか?」
「はい、どうぞ。意外と、お昼どきは空いてるんですよ」
普段は閉店間際の夕方に来ることの多い朝晴が、この時間帯に訪れるのは珍しい。彼は店内に誰もいないのを確認して、ゆっくりと入ってくる。
「昨日は東京へ行ってきたんですよ。帰りに寄るつもりが遅くなってしまって」
週末になると、朝晴は展覧会を見によく東京へ行くようだ。だから、毎週必ず、顔を見せに来るわけではない。会いたいとお願いしているわけでもないし、申し訳なさそうな朝晴には戸惑ってしまう。
「今日は何かお探しですか?」
しぐれに誤解されるだろうと思うと気まずい。恥ずかしさを隠すように尋ねると、朝晴は苦笑いする。
未央に会うことが朝晴の目的なのは明白だからか、軽くかわされて困ったように髪をかく彼を見て、しぐれはにやにやしながら作業台へ戻っていく。
「そういえば、新作に取り組んでるって言ってましたよね。完成しましたか?」
少し間をおいて、朝晴は尋ねてくる。
「はい、ついさっき。ご覧になります?」
「ぜひ」
未央はカウンターの上の額縁を持ち上げると、あらかじめ、店の中央に作っておいた空きスペースに運ぶ。飾りつけると、朝晴は早速、しげしげと眺める。
その目には、イベントコーディネーターとしての経験からくるのだろう、バイヤーのような真贋を見極める鋭さが宿っている。
緊張して見守っていると、朝晴がこちらに顔を向ける。
「タイトルは?」
「あっ、札をまだつけてませんでしたね」
未央はカウンターの中へ戻ると、引き出しからタイトル用の画用紙を取り出し、筆ペンで『天泣』と記す。
「天泣ですか。それで、雲がないんですね」
カウンター越しに手もとをのぞき込んできた朝晴はそう言うと、ふたたび、天泣の前に立ち、作品を眺める。
「一見、三人の子どもたちが楽しく遊んでいますが、凪のように落ち着いた切ない作品ですね」
やはり、朝晴にはわかるのだろう。未央の心が反映された作品にある複雑さが。
「天泣って、どういう意味なんですかぁ?」
しぐれが興味を持ったように尋ねてくる。
「雲のない晴れた空から降る雨ですよ。お天気雨ともいいますね」
「へえ、晴れてるのに泣いてるんですねー。その子どもたち、楽しそうにしてるからって、悲しんでないわけじゃないって感じなのかなぁ」
しぐれの言葉にどきりとしながら、朝晴に視線を向けた。彼もまた、心をのぞこうとするかのように瞳をじっと見つめてくる。
作品に込めたものをすべて見透かされるのは、どうにも落ち着かない。未央が目をそらすと、朝晴も何も言わずに天泣から目を離す。
「次の作品も楽しみですね」
「ありがとうございます。実はもう、取り掛かっているんですよ。秋が終わる前には完成すると思います」
「いいですね。製作してるところなんか見てみたいです」
イベントコーディネーターの血が騒いだのか、朝晴はそう言う。
基本的にアトリエには誰もいれていない。しぐれも気をつかって入ってこないぐらいだ。けれど、朝晴の気さくさに警戒心が解けたのか、自分でもふしぎなほど、すんなりと口を開いていた。
「定休日に予定が合えば、ご案内しましょうか?」
中学教師の朝晴が、定休日に訪ねてこられるとしたら、次は冬休みだろうか。彼もそう気づいたのだろう。思案げにあごに手を置く。
「夜に訪ねるのは、やはりダメですよね?」
「そうですね……、ダメではないですけれど」
夕食を何度か一緒に食べているから、その帰りなら大丈夫だろうとは思うけれど。
「それでは、アトリエにご案内できても、製作するところはあまりお見せできないかもしれないです」
「かまいません。何度でも通いますから。まずは、来週末にでも」
「あっ、はい」
つい、流れに押されてうなずいてしまう。
「では、来週の日曜、夕方にうかがいます」
イベントコーディネーターとしての彼の敏腕さゆえだろうか、あっさりと決まってしまった。
「そういえば、未央さん。西島誠道氏を知ってますか?」
「西島先生?」
その名を朝晴の口から聞くとは思わなくて驚く。
「先生をご存知なんですか? 私の恩師なんですよ」
「やはりそうでしたか。俺も東京で何度か一緒に仕事したことがありまして、昨日、久しぶりに誠道氏のギャラリーへ行ってきたんですよ」
「そうだったんですね。実は、清倉への出店が叶ったのは、西島先生が尽力してくださったおかげなんです」
油絵作家でありながら、自身のギャラリーを運営する誠道は、若手芸術家の育成にも力を入れている。
未央が清倉に出店すると相談したとき、両親の説得、店舗のレイアウト、建築業者とのやりとりを含め、率先して動いてくれた誠道には並々ならぬ恩義がある。
「年末には展覧会を開くそうですね。いい作家は知らないかと聞かれて、未央さんをご紹介したら、すでにご存知でした」
朝晴はそう言って快活に笑ったあと、目をのぞき込んでくる。
「誠道氏は展覧会への参加を未央さんにお願いしたと言ってましたよ」
それも、誠道に聞いたのだろう。だとしたら、返事も知っているはずだ。だから、朝晴は心をのぞくような目をしている。
「西島先生からお誘いいただきましたが、出品する気はないとお断りしました」
「またどうして?」
朝晴から目をそらし、ふしぎそうにこちらを見るしぐれにも背を向けて、未央は息をつく。
「華やかな世界からは身を引きましたので」
引き戸を開けると、にこやかに微笑む朝晴が立っていた。
「日曜日でお忙しいかと思ったんですが、大丈夫ですか?」
「はい、どうぞ。意外と、お昼どきは空いてるんですよ」
普段は閉店間際の夕方に来ることの多い朝晴が、この時間帯に訪れるのは珍しい。彼は店内に誰もいないのを確認して、ゆっくりと入ってくる。
「昨日は東京へ行ってきたんですよ。帰りに寄るつもりが遅くなってしまって」
週末になると、朝晴は展覧会を見によく東京へ行くようだ。だから、毎週必ず、顔を見せに来るわけではない。会いたいとお願いしているわけでもないし、申し訳なさそうな朝晴には戸惑ってしまう。
「今日は何かお探しですか?」
しぐれに誤解されるだろうと思うと気まずい。恥ずかしさを隠すように尋ねると、朝晴は苦笑いする。
未央に会うことが朝晴の目的なのは明白だからか、軽くかわされて困ったように髪をかく彼を見て、しぐれはにやにやしながら作業台へ戻っていく。
「そういえば、新作に取り組んでるって言ってましたよね。完成しましたか?」
少し間をおいて、朝晴は尋ねてくる。
「はい、ついさっき。ご覧になります?」
「ぜひ」
未央はカウンターの上の額縁を持ち上げると、あらかじめ、店の中央に作っておいた空きスペースに運ぶ。飾りつけると、朝晴は早速、しげしげと眺める。
その目には、イベントコーディネーターとしての経験からくるのだろう、バイヤーのような真贋を見極める鋭さが宿っている。
緊張して見守っていると、朝晴がこちらに顔を向ける。
「タイトルは?」
「あっ、札をまだつけてませんでしたね」
未央はカウンターの中へ戻ると、引き出しからタイトル用の画用紙を取り出し、筆ペンで『天泣』と記す。
「天泣ですか。それで、雲がないんですね」
カウンター越しに手もとをのぞき込んできた朝晴はそう言うと、ふたたび、天泣の前に立ち、作品を眺める。
「一見、三人の子どもたちが楽しく遊んでいますが、凪のように落ち着いた切ない作品ですね」
やはり、朝晴にはわかるのだろう。未央の心が反映された作品にある複雑さが。
「天泣って、どういう意味なんですかぁ?」
しぐれが興味を持ったように尋ねてくる。
「雲のない晴れた空から降る雨ですよ。お天気雨ともいいますね」
「へえ、晴れてるのに泣いてるんですねー。その子どもたち、楽しそうにしてるからって、悲しんでないわけじゃないって感じなのかなぁ」
しぐれの言葉にどきりとしながら、朝晴に視線を向けた。彼もまた、心をのぞこうとするかのように瞳をじっと見つめてくる。
作品に込めたものをすべて見透かされるのは、どうにも落ち着かない。未央が目をそらすと、朝晴も何も言わずに天泣から目を離す。
「次の作品も楽しみですね」
「ありがとうございます。実はもう、取り掛かっているんですよ。秋が終わる前には完成すると思います」
「いいですね。製作してるところなんか見てみたいです」
イベントコーディネーターの血が騒いだのか、朝晴はそう言う。
基本的にアトリエには誰もいれていない。しぐれも気をつかって入ってこないぐらいだ。けれど、朝晴の気さくさに警戒心が解けたのか、自分でもふしぎなほど、すんなりと口を開いていた。
「定休日に予定が合えば、ご案内しましょうか?」
中学教師の朝晴が、定休日に訪ねてこられるとしたら、次は冬休みだろうか。彼もそう気づいたのだろう。思案げにあごに手を置く。
「夜に訪ねるのは、やはりダメですよね?」
「そうですね……、ダメではないですけれど」
夕食を何度か一緒に食べているから、その帰りなら大丈夫だろうとは思うけれど。
「それでは、アトリエにご案内できても、製作するところはあまりお見せできないかもしれないです」
「かまいません。何度でも通いますから。まずは、来週末にでも」
「あっ、はい」
つい、流れに押されてうなずいてしまう。
「では、来週の日曜、夕方にうかがいます」
イベントコーディネーターとしての彼の敏腕さゆえだろうか、あっさりと決まってしまった。
「そういえば、未央さん。西島誠道氏を知ってますか?」
「西島先生?」
その名を朝晴の口から聞くとは思わなくて驚く。
「先生をご存知なんですか? 私の恩師なんですよ」
「やはりそうでしたか。俺も東京で何度か一緒に仕事したことがありまして、昨日、久しぶりに誠道氏のギャラリーへ行ってきたんですよ」
「そうだったんですね。実は、清倉への出店が叶ったのは、西島先生が尽力してくださったおかげなんです」
油絵作家でありながら、自身のギャラリーを運営する誠道は、若手芸術家の育成にも力を入れている。
未央が清倉に出店すると相談したとき、両親の説得、店舗のレイアウト、建築業者とのやりとりを含め、率先して動いてくれた誠道には並々ならぬ恩義がある。
「年末には展覧会を開くそうですね。いい作家は知らないかと聞かれて、未央さんをご紹介したら、すでにご存知でした」
朝晴はそう言って快活に笑ったあと、目をのぞき込んでくる。
「誠道氏は展覧会への参加を未央さんにお願いしたと言ってましたよ」
それも、誠道に聞いたのだろう。だとしたら、返事も知っているはずだ。だから、朝晴は心をのぞくような目をしている。
「西島先生からお誘いいただきましたが、出品する気はないとお断りしました」
「またどうして?」
朝晴から目をそらし、ふしぎそうにこちらを見るしぐれにも背を向けて、未央は息をつく。
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