39 / 46
第四話 天泣
9
しおりを挟む
***
八坂の一人娘である未央は、将来を期待され、いずれ、父のような立派な大人になるために、母より厳しくしつけられてきた。しかし、幼稚園児のころから手先の器用さや絵を描く才能を見せつけ、学生時代には数々の絵画コンクールに受賞し、両親は早々に、父と同じ道は歩めないと断念した。
それならば、八坂の名に恥じない家に嫁がせたいと考えたのだろう。昔から親交のあった財前家との縁組の話が、本人たちの預かり知らぬところで進んでいた。
文彦と婚約するように、と両親から言われたとき、切り絵作家の道が絶たれることは覚悟したが、未央はそれでもよかったのだ。
父のようにはなれない自分が、両親をがっかりさせているのはわかっていたし、その上で、これまで切り絵作家としての活動を応援してくれた両親が認めた相手との結婚だ。強い抵抗はなかった。
しかし、文彦が浮気したと知ったとき、両親の思いや自身の生き方まで否定されたような気分になった。文彦は背負うものの大きさが何もわかっていない。彼に対してこんなにも失望するとは思ってなかった。
両親も破談は仕方ないと受け入れてくれたが、すぐにでも別の縁談を決めるつもりだっただろう。だから、清倉で切り絵の店をやりたいと言い出した未央に反対した。今でも、できることなら結婚して、東京で暮らしていてほしいと願っているだろう。
公平がふたたび、切り雨を訪ねてきたのは、翌週の日曜日だった。
未央は興味津々のしぐれを休憩に行かせると、公平を店内へ招き入れた。
「あれから、考えてくれましたか?」
自然と惹きつけられるように、『天泣』の前へと歩み寄った公平は、深刻そうな顔つきで尋ねてきた。
彼は去年、大学院を卒業した。今は財前不動産の本社に勤務している。兄の代わりに財前を継いでいく未来を描いていなかったであろう彼の肩にかかる重圧は、父のように立派にと期待されていた未央もわからないでもなかった。きっと、そばで支えてくれる人が必要だ。公平はその相手に、未央を選んだのだと思う。
「文彦さんが亡くなって、3回忌もまだですから」
「破談になってからは、ずいぶん経つよ」
そろそろ、忘れてもいいころだろう。公平はそう思っているみたいだ。
「気持ちの整理をするには、まだ足りないんです」
そう言うと、公平は情けなさそうに眉をさげる。
「兄さんが生きてたら、やり直してたかもしれない?」
「……わからないです」
幸せに過ごした日々を取り戻したい。そう言ったのは、夢に出てきた文彦だった。あれは、未央の願望が見せたものかもしれないが、それすらあやふやだ。
「あの日、兄さんが俺に何を伝えたかったんだろうって、ずっと考えてるよ」
天泣に描かれた三人の子どもたちを見つめ、公平は息をつく。
「答えは出ましたか?」
答えのないものに答えを見つけるのは苦しいだろう。結局のところ、自身の願望を認めるだけの作業だ。
「兄さんは未央さんとやり直すつもりだったと思う。あの事故の何日か前に、俺、兄さんに言ったんだ。俺が未央さんと結婚するから、兄さんがどれだけ復縁を望んでも無駄だって」
「文彦さんは、なんて?」
「黙ってた」
「そうですか」
「兄さんは昔から、気に入らないと黙り込む人だったから、俺と未央さんの結婚は認めたくなかったんだと思う」
公平はこちらを振り返ると、ゆっくりと深く頭をさげる。
「未央さんから兄さんを奪って、申し訳なかった」
震える公平の黒髪に、未央はそっと手を伸ばす。
苦しいのは彼も同じだ。大切な人を失った。文彦が生きていたら、三人で過ごせた未来は必ずあったのに。
「泣いてもいいんですよ」
彼はぴくりと肩を震わせる。
「ずっと泣いてないんですよね? お葬式でも、気丈に振る舞ってましたから」
そう言うと、公平は目もとをこすり、顔をあげた。わずかに潤み、赤くなる目には、気丈な力強さがある。これから財前を背負う男に、涙は似合わないとわかっているのだろう。
「泣きませんよ、俺は」
公平の決意を受け止めるように未央はそっとうなずいて、天泣の額縁に触れる。
「どうか、天泣をもらってやってくれませんか?」
「いいんですか?」
「はい。公平さんの代わりに、この作品が泣いてくれますから」
そう言うと、公平はまばたきをした。
「俺の代わりに泣く……?」
「妙なことを言って、気を悪くなさらないでくださいね」
「ならないですよ。むしろ、兄さんと未央さんが、俺をずっと見守ってくれてるような作品だって感じてたんです」
「そう思ってくださいますか?」
にっこりすると、公平もようやく固い表情を崩し、尋ねてくる。
「気になってたんですが、女の子と手をつないでる男の子は、兄さん? それとも、俺?」
「それは、見る人が決めるものですから」
「それじゃあ、俺ってことにしておきます」
彼は自信満々にそう言うと、未央がよく知る無邪気な笑顔で笑った。
【第四話 天泣 完】
八坂の一人娘である未央は、将来を期待され、いずれ、父のような立派な大人になるために、母より厳しくしつけられてきた。しかし、幼稚園児のころから手先の器用さや絵を描く才能を見せつけ、学生時代には数々の絵画コンクールに受賞し、両親は早々に、父と同じ道は歩めないと断念した。
それならば、八坂の名に恥じない家に嫁がせたいと考えたのだろう。昔から親交のあった財前家との縁組の話が、本人たちの預かり知らぬところで進んでいた。
文彦と婚約するように、と両親から言われたとき、切り絵作家の道が絶たれることは覚悟したが、未央はそれでもよかったのだ。
父のようにはなれない自分が、両親をがっかりさせているのはわかっていたし、その上で、これまで切り絵作家としての活動を応援してくれた両親が認めた相手との結婚だ。強い抵抗はなかった。
しかし、文彦が浮気したと知ったとき、両親の思いや自身の生き方まで否定されたような気分になった。文彦は背負うものの大きさが何もわかっていない。彼に対してこんなにも失望するとは思ってなかった。
両親も破談は仕方ないと受け入れてくれたが、すぐにでも別の縁談を決めるつもりだっただろう。だから、清倉で切り絵の店をやりたいと言い出した未央に反対した。今でも、できることなら結婚して、東京で暮らしていてほしいと願っているだろう。
公平がふたたび、切り雨を訪ねてきたのは、翌週の日曜日だった。
未央は興味津々のしぐれを休憩に行かせると、公平を店内へ招き入れた。
「あれから、考えてくれましたか?」
自然と惹きつけられるように、『天泣』の前へと歩み寄った公平は、深刻そうな顔つきで尋ねてきた。
彼は去年、大学院を卒業した。今は財前不動産の本社に勤務している。兄の代わりに財前を継いでいく未来を描いていなかったであろう彼の肩にかかる重圧は、父のように立派にと期待されていた未央もわからないでもなかった。きっと、そばで支えてくれる人が必要だ。公平はその相手に、未央を選んだのだと思う。
「文彦さんが亡くなって、3回忌もまだですから」
「破談になってからは、ずいぶん経つよ」
そろそろ、忘れてもいいころだろう。公平はそう思っているみたいだ。
「気持ちの整理をするには、まだ足りないんです」
そう言うと、公平は情けなさそうに眉をさげる。
「兄さんが生きてたら、やり直してたかもしれない?」
「……わからないです」
幸せに過ごした日々を取り戻したい。そう言ったのは、夢に出てきた文彦だった。あれは、未央の願望が見せたものかもしれないが、それすらあやふやだ。
「あの日、兄さんが俺に何を伝えたかったんだろうって、ずっと考えてるよ」
天泣に描かれた三人の子どもたちを見つめ、公平は息をつく。
「答えは出ましたか?」
答えのないものに答えを見つけるのは苦しいだろう。結局のところ、自身の願望を認めるだけの作業だ。
「兄さんは未央さんとやり直すつもりだったと思う。あの事故の何日か前に、俺、兄さんに言ったんだ。俺が未央さんと結婚するから、兄さんがどれだけ復縁を望んでも無駄だって」
「文彦さんは、なんて?」
「黙ってた」
「そうですか」
「兄さんは昔から、気に入らないと黙り込む人だったから、俺と未央さんの結婚は認めたくなかったんだと思う」
公平はこちらを振り返ると、ゆっくりと深く頭をさげる。
「未央さんから兄さんを奪って、申し訳なかった」
震える公平の黒髪に、未央はそっと手を伸ばす。
苦しいのは彼も同じだ。大切な人を失った。文彦が生きていたら、三人で過ごせた未来は必ずあったのに。
「泣いてもいいんですよ」
彼はぴくりと肩を震わせる。
「ずっと泣いてないんですよね? お葬式でも、気丈に振る舞ってましたから」
そう言うと、公平は目もとをこすり、顔をあげた。わずかに潤み、赤くなる目には、気丈な力強さがある。これから財前を背負う男に、涙は似合わないとわかっているのだろう。
「泣きませんよ、俺は」
公平の決意を受け止めるように未央はそっとうなずいて、天泣の額縁に触れる。
「どうか、天泣をもらってやってくれませんか?」
「いいんですか?」
「はい。公平さんの代わりに、この作品が泣いてくれますから」
そう言うと、公平はまばたきをした。
「俺の代わりに泣く……?」
「妙なことを言って、気を悪くなさらないでくださいね」
「ならないですよ。むしろ、兄さんと未央さんが、俺をずっと見守ってくれてるような作品だって感じてたんです」
「そう思ってくださいますか?」
にっこりすると、公平もようやく固い表情を崩し、尋ねてくる。
「気になってたんですが、女の子と手をつないでる男の子は、兄さん? それとも、俺?」
「それは、見る人が決めるものですから」
「それじゃあ、俺ってことにしておきます」
彼は自信満々にそう言うと、未央がよく知る無邪気な笑顔で笑った。
【第四話 天泣 完】
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
つまらない妃と呼ばれた日
柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。
舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。
さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。
リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。
――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします
二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位!
※この物語はフィクションです
流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。
当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる