春、桜咲く

高鍋渡

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第二章 桜の下で誓った

第40話

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「よう、四時間ぶりか……美月さんは、久しぶり」

 玄関に入って扉を閉めた伊織が私の後ろに恥ずかしそうに隠れる美月に声をかける。

「ご飯ちゃんと食べてる?」

「あんまり……」

「眠れてる?」

「あんまり……」

「……ごめん、詩織のことずっと支えてくれていたのに気が回らなくて。今度はちゃんと助けるから、明後日だけでも学校に来て欲しい」

 私がごちゃごちゃ考えて言うのに三時間かかった言葉を伊織は出会って三十秒足らずで言ってしまった。

「詩織に電話したとき周りに皆いてさ、真人や佐々木さんたちも来たいって言ったんだけど真人は大会直前だから練習させるために帰らせて、他の人たちは雪で帰れなくなると困るから俺一人で来たんだけど、皆気持ちは一緒だよ。美月さんが嫌がらせを受けることはおかしいと思ってるし、守って、加害者を捕まえたいって思ってる。俺や真人がいないはずの明後日が最大のチャンスなんだ。俺たちを信じて、一日だけ頑張って欲しい」

 強くてまっすぐな信念のある言葉。こういうところは伊織には敵わないと思う。美月は「うん。頑張る」と言って私の背中で頷いた。嬉しそうな表情に、私も嬉しくなる。

 伊織が持っていたケーキ屋さんの箱を美月に渡したとき、玄関の扉が開いた。

「ただいま……え? 修羅場?」

 入ってきたのは伊織より少しだけ身長が低いくらいの男の子。顔こそ幼げな印象が残っているがその体格とランドセルは不釣り合いだ。

 彼は伊織と私、そして美月の顔を三周くらい順番に見て不思議そうな顔をしている。彼が美月の弟で小学六年生の風美君だろう。

「お、お邪魔してます。私は美月の友達の春咲詩織。こっちは私の双子の兄の伊織です。しゅ、修羅場とかではないから安心してください」

 私よりも随分と体格が良い風美君には自然と敬語を使ってしまう。

「そうですか、良かった。えっと、美月姉ちゃんの弟の風美です」

 風美君は私と伊織に対して深々と頭を下げた。

 美月に似た可愛い顔をしていながらも伊織に迫る体格と礼儀正しさ、ケーキをもらったことを美月から告げられると笑顔で喜ぶ無邪気さ、これで卓球の実力は大学生に勝るというのだから、色々な要素が詰め込まれすぎて渋滞している。

「風美、今日は少し早かったんじゃない?」

「うん、午後から授業なしになって集団下校になった。学校で親の迎えを待つ人もいるけど。それより……」

 靴を脱ぎ、美月の問いに答えながら風美君は伊織の顔を見つめた。

「伊織さんは、美月姉ちゃんの彼氏ですか?」

 美月の顔がみるみるうちに真っ赤に染まっていく。伊織は顔色一つ変えずに美月を見ている。自分で答えずに、美月に答えさせるつもりだ。真っ向から否定して美月を傷つけない優しさでもあり、明言を避ける意気地なしでもある。

「そ、そういうわけじゃないけど……」

「あ、そういうこと。すみません、伊織さん、変なことを聞いて」

 美月の言葉と態度で風美君はすべてを理解したようだ。さすがは美月の弟、恋愛に関する脳みそはかなり優れている。

「来てくださってありがとうございます。美月姉ちゃんの楽しそうな顔久しぶりに見ました。それじゃあ美月姉ちゃん、俺、着替えて小屋で練習するから」

 風美君はもう一度私たちに頭を下げた後、自分の部屋に向かったようだ。

「礼儀正しいんだね、風美君」

「うん、卓球クラブでそっちも教わってるみたい。色んな世代の人と試合もしてるみたいだし」

 美月は伊織と目を合わせないように私と会話をする。そして恥ずかしさに耐えきれなくなったのかケーキを冷蔵庫に入れてくると言ってこの場を離れてしまった。

「なんで何もしゃべらなかったの?」

 美月がいなくなった隙に聞いてみると伊織は難しそうな表情をして答えた。

「なんて言ったらいいか分からなくて」

「彼氏じゃないよって言えば良かったじゃん」

「まあ、そうなんだけどさ。でもなんとなくこう……いや、なんでもない」

 否定することを悩んでいる。この大雪でわざわざ家に来たことも含めて、脈ありに違いない。

 さすがに伊織を自分の部屋に入れる勇気はなかった美月は、私が美月のお母さんと話をした居間に伊織を通した。

 伊織と少し話をするだけで美月はみるみると元気になり、明後日と言わず、明日から学校に行きたいと言うほどにまでになった。これが恋のパワーかと感心せざるを得ない。

 伊織が来てから二時間ほどが過ぎた。美月は私に話したのと同じようにいじめの詳細を伊織にも話している。時折思い出しては涙ぐむ場面もあったけれど、優しく話を聞いてくれる伊織の姿に美月は勇気を振り絞って一生懸命に話をしていた。

 話を聞いて美月を励ます伊織は頼もしくて、私の自慢のお兄ちゃんだ。

「そろそろ帰るよ。詩織のことよろしくね美月さん……無理はしないで」

 一通り話し終えたところで伊織が腰を上げた。泣いたせいか、暖房が熱いせいか、それともまた別の熱か、顔をほんのりと紅潮させて名残惜しそうにしている美月と一緒に伊織を見送った。

 どかどかと雪が降っていてとてもじゃないが自転車は意味をなさない。明日は晴れの予報ということもあり、伊織は自転車は萩原家に置かせてもらって明日、私たちを迎えに来るついでに自転車を取りに来ることになった。

「美月、結構元気戻ってきたんじゃない?」

「そうかな?」

「うん、伊織に会ったら急に元気になった。やっぱり私より伊織の方が良いのか、ちょっと残念」

「そ、そんなことないよ。確かに伊織君でテンション上がったけど、詩織がそばにいてくれたおかげで色々考えられるようになったんだし。詩織がいなくて伊織君だけだったら元気になれてないと思う」

 パートから戻った美月のお母さんは私が泊まることを快く受け入れてくれた。初めて会った美月のお姉さんもお父さんも優しそうな人で、第二の自宅にしたいくらいには萩原家は居心地が良い。

 美月が落ち込んでいる状態なら一緒にお風呂に入ってしまおうかとも思っていたけれど、割と元気になった今は女同士と言えども恥ずかしいので別々に入り、明日の準備を終えあとは眠りに就くだけとなった。

 美月の部屋でお客さん用の布団に入り眠ろうとしたが、少し肌寒さを感じていたときにベッドに眠る美月から声をかけられた。

「詩織、寒くない?」

「ん、ちょっと寒いかも」

「じゃあ、こっちに来ない? 枕だけ持って……」

 ベッドの上で布団をめくって美月が手招きをしている。私は吸い寄せられるように美月のベッドに潜り込んだ。

 一人用のベッドなので二人だと当然狭く感じるがそのおかげで体が密着して美月の体温のおかげで温かい。それどころか、仰向けになっている私の左隣にいる美月が私の左腕に抱き着いてきてさらに温度は増している。

「美月?」

「伊織君といるとすごくドキドキするけど、詩織といるとすごく落ち着くの。少しだけこうさせて?」

 私は美月を元気づけることに関して伊織に負けていると思っていたけれど、そもそも比べることが間違いだったのだ。私たちは役割が違っていた。

 元気づけて、前へと引っ張っていくのが伊織。落ち着かせて、隣で支えるのが私。それに気づくと、伊織へのほのかな嫉妬は消え失せて、ずっとこうしていてあげたいと思うようになった。

「詩織や伊織君、桜君や佐々木さんたちが守ってくれることは信じてる。でも、やっぱりまだ少し怖いの。だから、少しだけこうさせて? 詩織とくっついてると落ち着くから」

「うん、無理しないでね。ゆっくりで良いからね」

 私に抱き着く美月の力が強くなる。嫌な思い出とこれからの希望とが美月の中で戦っているのだろう。私にできることは支えること。私は美月の方に向き直り、美月を抱きしめる。

 まどろみの中で美月は大丈夫と唱え続けた。その意識が途切れるまで、私たちは体と心を温め続けた。
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