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2話【いおり】
【いおり】③
しおりを挟むところが、久和との暮らしは、わずか一年も満たぬうちに幕を閉じる。
人が住んでいないはずの家に生活の煙が立ち上るのを見た、村の民の証言から、泰一郎の居所が漏れたのである。
そして、泰一郎は今度こそ久和と引き剥がされた。
「いちさんっ」
真っ先に取り押さえられた泰一郎へ駆け寄ろうとして、久和も雪崩れ込んできた村の者たちに捕らえられた。
「このたわけッ」
当然、耐えかねた父はその場で、泰一郎を殴った。
「どこへ消えたかと思えば、あの犬畜生に身売りなどしおって」
「俺の家から出て行け!」
泰一郎はついに、父へ牙を剥いた。
「ここは俺たちの家、久和は俺の男だ!俺の選んだっ……」
魂の叫びは、猿轡ひとつで封じられた。
「おやめください!」
乱暴に拘束される泰一郎を見て、久和は息も絶え絶えに乞うた。
「おやめください、大旦那さま……この久和めが、ひとりで若旦那さまのお心を惑わせたのです。若旦那さまに罪はございません」
久和はおのれ一人で非を被った。
瞬く間に屋敷へと連れ戻された泰一郎は、光も届かぬ座敷牢へ幽閉された。
「次は勘当されると思え」
父はそう吐き捨てた。
ひと月は屋敷から出してはもらえず、ようやっとの思いで逃げ出してみたものの、かつて暮らしていた家に久和はいなかった。
いるはずがない、と、内心諦めていた。
今ごろは村の外へ追いやられ、久和は二度と戻れぬ身になっているだろう。いずれは泰一郎を諦め、どこかの百姓娘と一緒になっているやもしれぬ。
だが、泰一郎は久和へ吸い寄せられるように、草鞋も履かぬまま家を訪れた。
そこにはただ、村の者たちが押し入ってくる直前の、罠で捕まえた兎を捌いていた残骸だけが、虚しく残っていたのである。
「久和」
呼んだが、返事はない。
代わりに、野犬らしき足音が返ってくる。久和が悪ふざけでもしているのだろうと信じて、勝手口を飛び出した。
野犬の姿を見て、泰一郎は息を忘れた。
すぐ我に返ると、竈の脇に置いていた薪を野犬に投げつけ、その口に咥えていたものを奪った。
腐った人の首である。
すでに肉は食い剥がされており、元の顔の判別がつかぬ。
だが、胸に抱いた首の抱き心地は、秒に体に馴染んだ。
首は、家の庭先から野犬が掘り起こしたものらしい。野犬の荒らした土をさらに深く掘ると、見慣れた柄の着物が出た。
泰一郎は掘るのをやめた。激臭を放つ首を抱え、家の中で泣き通した後、ウサギを捌いていた包丁を手にした。
しかし、刃に映った自分の顔をしばし見つめたのち、元の場所へ首を埋めた。
「待っていろよ。必ず戻るからな」
言い残すと、泰一郎は自ら屋敷へ戻った。
それからは、表向き心を入れ替えたように両親へ忠誠の限りを尽くした。
父から庄屋の仕事を受け継ぎ、母の選んだ女を正妻に迎えた。その間の人生は、己の人生でないと思い生き続けた。
両親と妻が他界し、息子に庄屋業を任せた泰一郎は、ようやく、久和と暮らした家に帰ってこれた。
老いた泰一郎は、片目で過去を見つつ、もう片目で眼前にいる伊織を見た。
「父と母を殺せば、この家はわしのものでなくなる。そう思うて、わしは己の半生を引き換えに、この家を得た。この家で死なねばならぬ。お前の旅立ちを見届け、わしはここで終わらねばならぬのよ」
◇
旅支度を済ませた伊織の鼻を、熟した銀杏の香りがくすぐる。
幼少期はこの香りを嗅ぐや、嬉々として種を集めたものだ。
(言いつけられた数より食べ過ぎて、父に怒られたのよね)
伊織は目を赤らめたまま、破顔する。無理に笑ったが、やはり今朝埋めた泰一郎の死に顔は忘れられない。
自身の生涯を語り残した泰一郎は、そのひと月後にこの世を去った。一晩じゅう咳が続き、喀血し、ようやく眠れたと思ったら、朝には冷たくなっていた。
三日間と蘇生を待ったが、父は目覚めなかったため、遺言の通り庭へ埋めた。
「疑ってごめんなさい、お父さま。短い間でしたが、あなたの娘になれてよかった」
伊織は有り金と荷の詰まった背負子を持ち上げる。
いざ家を発とうという瞬間、伊織の視界の端にイチョウが映った。伊織が家に来る以前から、この土地に根を張っていたものだ。
イチョウの根元に、泰一郎を埋めた。
伊織は父の墓穴を掘っていた昨晩を思い出す。垂れてきた鼻水を拭うと、今一度、父たちの眠る墓へ手を合わせた。
「私は江戸へ参ります。どうか盆になりましたら、父と一緒にいらっしゃってください。――お待ちしております、ととさま」
儚く落ちた青葉を手に取って、伊織はそのまま旅路へついた。
【おわり】
2
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