9 / 24
第3話【くれなゐ心中】
『くれなゐ心中』③
しおりを挟む
◇
吟と過ごした二年間の追憶から、四郎はようやく現世に舞い戻る。冷えた川の浅瀬に座り込み、腕には息のない吟を抱いていた。
吟の腕に結ばれた縄には、見知らぬ女の土座衛門が繋がっている。
『どうか探さないでおくれ』
吟が書き残した手紙の続きが、四郎の頭をよぎった。
『お前がおらねば生きられぬ、私自身が許せなくなってしまった』
この文面から、自決は予想できる。だが、まさか心中する相手に、ほかの女を選ぶとは思わなかった。
「ふざけんな……ッ」
四郎は事切れた吟の胸ぐらを掴み、歯を軋ませた。
「死ぬなら前みてぇに、ひとりで死ねば良かったろ。どうして俺の知らねえところで、俺の知らねえ女と死のうなんて思ったんだ」
怒りのあまり、声が震えた。
「毎朝眠いのを我慢して、あんたが寝てる間に飯作って、仕事行って、帰って布団しいて抱かれて……俺がこれだけ尽くしてやったのは、一体何だったんだ?」
吟はもちろん、返事を返さない。
四郎はその死に顔も憎かった。
長らく連れ添った四郎との愛より、そこらの女と結んだ軽薄な愛に傾いた吟が、なにより許せなかった。
「食い終わった茶碗を洗ったのも、布団干したのも、飯を作ったのも、全部忘れたのか?俺がいなきゃ生きていけなかったくせに!」
恫喝を続けたために喉が枯れた。
ひと呼吸、ふた呼吸と息を継いだ刹那、
「けほっ」
吟が息を吹き返した。額から滴る水に整った眼が潤んでいる。
――この弱った瞳が好きだった。
吟が心を許すほど、完璧な容姿と才能で塗り固めた脆さが見えて、四郎にはそれが嬉しかったのだ。
「……あんたが弱くなれる相手は、俺だけだと思ってたのに」
四郎は力尽きたように嗚咽する。
吟に頼られるのは、信頼されている自分だけの特権だと思っていた。吟の身勝手さを、四郎は甘く見ていたのだ。
きっと、明日になれば吟と女の心中死体が上がり、世間が二人の関係を《誠の恋仲》と認める。
生きて残された四郎は、遊び相手の一人でしかなくなるのだろう。
二年もの間、積み上げてきた愛情が、たった一人の女になし崩しにされるのだ。
(そんなこと、させてたまるか)
手繰り寄せた縄から、四郎は女の手首を引き剥がした。
「お琴、お前かい……」
朦朧とした顔で問うてきた吟に、四郎は笑いかける。
「怒っちまって、ごめんな。でも、俺に尽くされて後ろめたいなんて、もう思わなくていいよ」
優しく声をかけながら、女から奪った縄を自身の手に巻いた。
「し、四郎」
吟が正気に戻った。
「最後まで一緒に添い遂げるなんて、まるで夫婦になった気分だな」
四郎は吟を腕に閉じ込めると、勢いよく川へ倒れた。
川面に無数の泡沫が弾ける。
すべての泡が消えるころには、紅の月だけが水鏡に残っていた。
【おわり】
吟と過ごした二年間の追憶から、四郎はようやく現世に舞い戻る。冷えた川の浅瀬に座り込み、腕には息のない吟を抱いていた。
吟の腕に結ばれた縄には、見知らぬ女の土座衛門が繋がっている。
『どうか探さないでおくれ』
吟が書き残した手紙の続きが、四郎の頭をよぎった。
『お前がおらねば生きられぬ、私自身が許せなくなってしまった』
この文面から、自決は予想できる。だが、まさか心中する相手に、ほかの女を選ぶとは思わなかった。
「ふざけんな……ッ」
四郎は事切れた吟の胸ぐらを掴み、歯を軋ませた。
「死ぬなら前みてぇに、ひとりで死ねば良かったろ。どうして俺の知らねえところで、俺の知らねえ女と死のうなんて思ったんだ」
怒りのあまり、声が震えた。
「毎朝眠いのを我慢して、あんたが寝てる間に飯作って、仕事行って、帰って布団しいて抱かれて……俺がこれだけ尽くしてやったのは、一体何だったんだ?」
吟はもちろん、返事を返さない。
四郎はその死に顔も憎かった。
長らく連れ添った四郎との愛より、そこらの女と結んだ軽薄な愛に傾いた吟が、なにより許せなかった。
「食い終わった茶碗を洗ったのも、布団干したのも、飯を作ったのも、全部忘れたのか?俺がいなきゃ生きていけなかったくせに!」
恫喝を続けたために喉が枯れた。
ひと呼吸、ふた呼吸と息を継いだ刹那、
「けほっ」
吟が息を吹き返した。額から滴る水に整った眼が潤んでいる。
――この弱った瞳が好きだった。
吟が心を許すほど、完璧な容姿と才能で塗り固めた脆さが見えて、四郎にはそれが嬉しかったのだ。
「……あんたが弱くなれる相手は、俺だけだと思ってたのに」
四郎は力尽きたように嗚咽する。
吟に頼られるのは、信頼されている自分だけの特権だと思っていた。吟の身勝手さを、四郎は甘く見ていたのだ。
きっと、明日になれば吟と女の心中死体が上がり、世間が二人の関係を《誠の恋仲》と認める。
生きて残された四郎は、遊び相手の一人でしかなくなるのだろう。
二年もの間、積み上げてきた愛情が、たった一人の女になし崩しにされるのだ。
(そんなこと、させてたまるか)
手繰り寄せた縄から、四郎は女の手首を引き剥がした。
「お琴、お前かい……」
朦朧とした顔で問うてきた吟に、四郎は笑いかける。
「怒っちまって、ごめんな。でも、俺に尽くされて後ろめたいなんて、もう思わなくていいよ」
優しく声をかけながら、女から奪った縄を自身の手に巻いた。
「し、四郎」
吟が正気に戻った。
「最後まで一緒に添い遂げるなんて、まるで夫婦になった気分だな」
四郎は吟を腕に閉じ込めると、勢いよく川へ倒れた。
川面に無数の泡沫が弾ける。
すべての泡が消えるころには、紅の月だけが水鏡に残っていた。
【おわり】
2
あなたにおすすめの小説
従僕に溺愛されて逃げられない
大の字だい
BL
〈従僕攻め×強気受け〉のラブコメ主従BL!
俺様気質で傲慢、まるで王様のような大学生・煌。
その傍らには、当然のようにリンがいる。
荷物を持ち、帰り道を誘導し、誰より自然に世話を焼く姿は、周囲から「犬みたい」と呼ばれるほど。
高校卒業間近に受けた突然の告白を、煌は「犬として立派になれば考える」とはぐらかした。
けれど大学に進学しても、リンは変わらず隣にいる。
当たり前の存在だったはずなのに、最近どうも心臓がおかしい。
居なくなると落ち着かない自分が、どうしても許せない。
さらに現れた上級生の熱烈なアプローチに、リンの嫉妬は抑えきれず――。
主従なのか、恋人なのか。
境界を越えたその先で、煌は思い知らされる。
従僕の溺愛からは、絶対に逃げられない。
鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる
結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。
冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。
憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。
誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。
鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
秘花~王太子の秘密と宿命の皇女~
めぐみ
BL
☆俺はお前を何度も抱き、俺なしではいられぬ淫らな身体にする。宿命という名の数奇な運命に翻弄される王子達☆
―俺はそなたを玩具だと思ったことはなかった。ただ、そなたの身体は俺のものだ。俺はそなたを何度でも抱き、俺なしではいられないような淫らな身体にする。抱き潰すくらいに抱けば、そなたもあの宦官のことなど思い出しもしなくなる。―
モンゴル大帝国の皇帝を祖父に持ちモンゴル帝国直系の皇女を生母として生まれた彼は、生まれながらの高麗の王太子だった。
だが、そんな王太子の運命を激変させる出来事が起こった。
そう、あの「秘密」が表に出るまでは。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる