菊禍物語(きっかものがたり)

麦畑 錬

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最終話【菊禍物語】

『菊禍物語』①

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 ◇

 隣町へ向かう人々の雑踏は、いつかつくだの湾岸で聴いた波の音に似ている。
 
 隣町を南へ越えたところには増上寺ぞうじょうじがあり、睦月いちがつ半ばでも初詣に来る人だかりが後を絶たない。

 一成いちなりはすれ違う者たちの嫌悪の眼差しを一身に受けながら、子分を引き連れて銀座の往来を北上した。

 一成や子分を避けて歩く人々の影が、かすれた声で対話している。

 血の気の多い子分たちには、その陰口が気に入らない。巨体に迫力を醸し出し、身を乗り出した子分を、ひと回りも小柄な一成が制した。

「よしなさい。相手は堅気の人間です」

「もう我慢なりませんぜ。ゆくゆくは若が朝場の親分となって、この銀座を治めるってのに、堅気に舐められていちゃあ」

 子分が苦言を呈した。

 この日、一成はやくざ者だった父親の死をきっかけに、空席となった親分の座を継承する。

 本来なら父が隠居となった折に、本妻の子である一成の世襲が決まっていたが、父の死により跡目の相続は火急の事となった。

「親分がこんなにも早く亡くなるなんざ、あんまりだ」

 別の子分が一成の後ろで泣いた。銀座周辺の町を牛耳っていた、朝場一家の親分だけあって、父を慕うやくざ者は多い。

「仕方ありません。侠客きょうかくであれば、いつ命を取られても覚悟の上です」

 侠客は弱きを助け強きをくじくのを美徳とした、旧世代のやくざ者である。

 江戸時代当時の盗賊に、犯さず殺さずの美学があったように、やくざ者の界隈にも手本とされる生きざまがある。

 父は表向き、そういう古風なやくざ者のひとりであった。

「それにしたって、若。義侠ぎきょうもクソもねえ博徒ならいざ知らず、侠客があんな殺され方をしたうえに、一家の名まで穢されて……これじゃ親分があまりにも不憫だ」

 巨漢の子分まで泣き出した。

 父は十日前、隣町を縄張りとしていた、一成の兄のもとを訪れていたが、不運にも、ひとりの浪人の襲撃に遭って命を落とした。

 襲われた賭場には、兄が従える二十人の子分と、腕ひとつで一家の親分に成り上がった父がいた。

 ところが、手練の浪人ひとりに手も足も出ず、全員惨殺されたという。

 事件を調べた与力からは、浪人の動機は恋人の仇討ちだと説明を受けた。

「それに、今回は状況が悪すぎます。相手は朝場一家の者に恋人の命を奪われ、その仇を自らの剣をもって果たしました。仇討ちは美談になりやすいですし、なにより、ひとりでやくざ者二十人を斬った大立ち回りは瓦版に映えます。これで朝場一家の評判も地に落ちましたね」

「若、どうしたってそんな平気な顔で、冷てぇことをお言いなさるんで。若をいちばん可愛がってた親父さんじゃありやせんか」

 こう言われても、一成は歩みを止めないまま沈黙していた。

 人の流れに逆らい、朝場一家の傘下にある料理茶屋の敷居を跨いで、

「そうですね」

 ようやく、応答した。

 心が無いと言われるのは、初めてでない。情に欠けているのを、いちばん指摘していたのは一成の父だ。

「悲しいですよ。なにせ実の父ですから」

 心にも思っていないような声が出た。実際、心にも思っていない。

 侠客の子に生まれた一成は、賭場の音を聞いて育ち、暴力を主な手段として教わり、裏社会の空気を吸って青年となっている。

 温情が朽ち果てたかわりに、悲しみや恐怖を感じないで済むようになった。

 息子を非情な人間に育てておいて、心がない、などと批判する父こそ、一成にしてみれば身勝手千万である。

 そんな父の死に対しては、荷物が一つ減った程度にしか感じない。

(沈みゆく船の、親分か)

 跡目相続の集会が進む傍ら、晴れて二代目親分を襲名した一成は、貧乏くじを引いた気分でいた。

 そもそも、世間を騒がせる朝場一家惨殺の原因は、兄の一家が行う借金の取り立てにあった。

(過失とはいえ、堅気を殺すとは。面倒なことをしてくれた)

 子分の不徳は一家全体の責任である。

 おかげで、今や朝場一家といえば、侠客の美徳を破ったとして、やくざ者界隈でも爪弾きにされ始めている。

 今日、一成は二代目親分として、一家に乗り込んできた浪人を助命するよう、町奉行所に申し出た。

『これは我が一家の責任、命を取られても文句はありませぬ。お奉行さま、何卒、かの曽根竹之丞に慈悲をお与えください』

 誠実な若者に見えるよう、一成は必死な顔を作り、偽りの涙を流して訴えた。

 周りにいた与力や同心たちの視線に、好感が宿っていた。やくざ者の親分が直々に浪人を救ったと知れ渡れば、世間の一家に対する溜飲が下がるだろう。

 それでも、人々が事件を忘れるまで時がかかる。

 世間の目も気にして、しばらくは町方同心も賄賂を受け取らぬだろう。

 これまで見逃されていた賭場の営業も慎まねばならぬ。

(一家を捨てるべきか。いいや、評判が落ちたとはいえ、町の連中からみかじめ料は取れる。賭場の儲けは減るが、しばらくの辛抱。あとは子分か。不仲の博徒一家に寝返られたら、俺が困る)

 一成が自身の損得を考えている間に、集会は終わった。

 子分の多くは一成の襲名に賛成であり、事が決まるや否や、祝福の宴に興じていた。

 みな、ヤケ酒である。

 朝場一家の事件は、銀座一帯の瓦版でも大々的に取り上げられた。

 事件が風化するまで、子分たちはどこへ行っても冷たい眼差しを受けるだろう。

「あの、若……いや、親分。お酌を」

 一成の隣へ、子分がひとり膝をついた。

「あなたは、賭場で雑用をなさっていた」

半蔵はんぞうです」

 半蔵は凛とした目鼻立ちに似合わず、謙虚な態度で頭を下げた。

 背が高い半蔵と比べると、小男の一成がより際立ってしまうためか、半蔵は低い姿勢のまま上目遣いに面を上げた。

「背を伸ばしてくれて構いませんよ。腰が痛いでしょう」

 声をかけたが、半蔵は目を泳がせ、

「あの時は大変失礼をいたしました。まさか一家の二代目とは思わず……」

 おずおずと平伏して詫びた。

「構いません。私の幼な顔と背丈ばかりは、どうにもなりませんから」

 半蔵が詫びているのは、つい半月前からの出来事である。

 晩年は老いて滅多に縄張りを回れなくなった父に代わり、一成が朝場一家の治める賭場を見回っていた。

 その時、賭場で雑用をしていた半蔵は、子分も伴わず賭場をうろつく一成に、

『子供がこんな所に居たら駄目じゃないか』

 こう窘めて、静かに追い返した。

 よわい十九に達した一成だが、背丈は小さく顔も幼い。素性を知らぬ半蔵は、一成を子供と見紛うたのだ。

 法のうえでは、民間での賭場の営業が禁じられており、事が露見すれば運営側も客も罰される。それを知ってか、半蔵はそっと裏口から一成を逃がし、

『誰にも言っちゃいけないよ』

 と、口を添えた。

 それからも、賭場を訪れるたびに半蔵に見つかって追い出されている。

 だが、半蔵にとくべつ配慮され、世話を焼かれるのは気分が良かった。

「半蔵、挨拶は済んだか」

 上から降った唸り声に、びくり半蔵の肩が跳ねる。

 半蔵の後ろに現れた男の影が、一成の小柄を覆った。

兵二郎へいじろうのお兄さん」

 半蔵の背後に聳え立つ長身から、鋭利な眼差しが放たれる。

 その攻撃的な気配に気づきながら、一成は構わず盃の酒を服した。

「お久しぶりです。最後にお会いしたのは一年前でしたね」

「親父はなかなか、俺をおめぇに会わせたがらねぇからな。俺の悪い虫が移るとよ」

 半蔵を押しのけた兵二郎が、一成の隣に腰を下ろした。

 兵二郎は一成の兄だが、実質、朝場一家の立場としては次男である。

 一成は父と本妻との間に生まれた嫡子にあたるが、兵二郎は後妻が連れてきた十歳上の義子だ。

 そのため、もとは『兵一郎へいいちろう』だった名を、次男らしく父が改めさせた。

 義理とはいえ親子関係にある兵二郎も、当然やくざ者となり、父からは一部の子分と、隣町の縄張りを与えられている。

「親父がいなくなったんで、堂々と弟に逢いに来たというわけよ」

「半蔵さんは、あなたの配下ですね」

「親父が俺に寄越したのさ。俺と下っ端のやくざモン、そんでこの木偶の坊だけが生き残っちまった」

 兄の横では、居場所に困った半蔵が、肩身を狭めて脇に退いていた。

「あれほどの腕前の方に目をつけられて、生き残っただけでも幸運です」

 兵二郎の一味は、父の商売よりはるかに悪辣だ。高利貸しや過度の地上げ、金を取れないと分かれば女衒にも走る。
ここまでの悪行を働くものは『博徒ばくと』と呼ばれ、義侠を美学とする古きやくざ者には軽蔑されたものだ。

 この悪行三昧が、父の命取りとなる。

 借金の取り立てで堅気を死なせ、朝場一家襲撃事件の引き金となったのは、この兵二郎の子分だった。

「いい人は早く亡くなると言いますが、悪い人は長生きをするのですね」

 一味を悪質な組織としてのさばらせた兵二郎と、わずかな人数の子分たちは、運良く賭場を出ていたために生き残っている。

「おめぇは、俺に早死にしてほしかったろ」

「あなたが生き残って、何より幸福ですよ」

 嘘をついた。

「いちばん幸せのはおめぇだろう。親父がいなくなったお陰で、こうして一家の長になれたんだからよ」

 無神経な兵二郎の言い草に、酒宴の場がかすかに張り詰める。まだ酔いきれていない子分たちの表情には、敵意が漲っていた。

 兵二郎が親分なら、とっくに内乱が起きたに違いない。

(この阿呆さえいなければ、親分も楽なのに)

 一成にとって、最も面倒な親分の仕事といえば、騒動ばかり起こす兵二郎の世話だ。

「口を慎んでいただけますか。あなたの失態を、まだ誰も許してはいません」

 窘めると、兵二郎の眉が引き攣った。

 弟の一成が対等以上の口をきいたのが、気に障ったと見える。

「半蔵、いつまでぼうっとしてやがる。下っ端はさっさと下がらねえか」

 兵二郎は半蔵に当たると、ばつが悪そうに一成の隣を退いた。

 不機嫌な兄の隣で、半蔵は常にうつむいている。

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