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(12)かくまい人と幼なじみ ①
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◇
町方与力・左近が重蔵の屋敷を訪れたのは、翌日の昼下がりである。
「おい重の字、大丈夫かよ」
「帰れ」
重蔵は即刻、戸を閉めようとした。
「おめえが傷を負わされたと聞いたから、驚いたぞ」
「ただのかすり傷だ」
「そうつっぱった態度をとるんじゃねえよ。いつまで根に持ってんだ」
「侮辱されれば容赦をするな。武士の心得だぞ」
「まあ、そう言ってくれるなよ。今日は勝之進の様子を見に来たのさ。おめぇへの用じゃないぜ、断じてな。しかし、手ぶらで邪魔するのもなんだと思ったから、傷に効く膏薬を持ってきてやったぜ」
なにかと理由をこじつけて重蔵を押しのけると、左近は勝手に家の中へと上がり込んできた。
重蔵はしぶしぶと左近を客間へ招き入れ、さも不服そうに白湯を出した。
「勝之進よ、沢庵と会ったそうだな」
「はい。熊沢さまが紹介してくださったと聞きました」
「ふふん。やはり重の字に任せて正解だった。さすがの腕前だな」
左近に馴れ馴れしく肩を叩かれて、重蔵の渋面はますます色濃くなった。
「勝之進どのに、いったいなんの用事だ」
「じつは、勝之進にこれを届けに来た」
左近が懐から取り出したのは、帳簿である。
勝之進が手に取ってみると、その端にかすかな血痕が残っていた。
「これは……」
「たぶん、兵衛が死ぬ直前まで持っていたやつ。こりや吟味方が取り調べで使っている書きつけだな」
吟味方――罪人の取り調べや訴訟ごとの審議をおこなう町方役人は、この名で呼ばれた。
左近の持つ帳簿は、取り調べや審議の内容を書き記した記録書だという。
「なぜ、それが兵衛どのの持ち物だと分かるのですか」
と、勝之進。
「あいつの家の匂いがするんだよ。あのケチときたら、着物に穴が開いたら買えばいいのを、わざわざ箪笥に匂い袋を入れて虫よけをするのさ。丁子(クローブ)のツンとくる匂いが、こいつからも香ってくるんだ」
左近から受け取った帳簿に身を当ててみると、鼻腔の奥をつつく独特の香りがあった。
先日に沢庵が言っていた、
『熱海さまが事件当日、大切そうに抱えていた書物』
とは、この吟味記録の帳簿に間違いなかろう。
「なぜ、これを熊沢さまがお持ちに」
「兵衛の家から持ってきた」
「あの、もちろん同意を得て?」
「や、こっそり」
「え、へえ……」
お世辞にも穏便とは言えない発言に、勝之進は舌がもつれた。
「なんだおめぇ、俺が盗み働いたみてえに驚きやがって」
「だって同意を得ずに持ってきたと」
「言い方が悪かったな。この書きつけは捨ててあったものさ。それを俺が拾ったのだから、持っていても問題あるまいよ」
「捨ててあった、とは、どこにです」
「兵衛の役宅へ行ったら、土間の竈に放り込まれてた」
左近いわく、兵衛とは役職や地位こそ違えども、業務外の交流が深かったという。
町方同心にもいくらか種類があって、兵衛のように町を巡する同心は『定り同心』と呼ばれる。
一方、同心の上官である与力たちの職務は、人事、記録、奉行の補佐など多岐に別れた。
左近の場合、非常事件の記録や事務処理を担当する『非常取締掛』を任されているが、名の通り非常時を除けば非番であり、ふだんは浅草界隈を見回っている。
左近が取り締まりを担当する浅草は、兵衛が定廻りとして警邏する神田に近い。
顔を合わせる機会も多く、兵衛の役宅で呑むこともあったため、熱海家の敷居をまたぐのは左近にとって造作もないのだという。
「そもそも、俺は最初から、兵衛の死には大きな裏があると思っていたのさ」
やがて、こう語り出した。
勝之進では、兵衛を殺せない。
左近は兵衛が殺されてすぐ、下手人の容疑がかかった勝之進を調べた。
兵衛を殺した悪党とはどんな人間かと思い、釈放後の勝之進の生活を見張ってみたが、仕事でも私生活でもおよそ人殺しができるとは考え難い男だった。
働きぶりは可も不可もなく、剣術道場では逃げ腰で負けが続いている。だが、角のない性格ゆえに同僚たちからは愛されているとみえる。
対して、兵衛は仕事と奉仕を生きがいにしていると言える滅私的な人物で、世のため人のためと、文武の鍛錬をかさなかった。
少なからず、素人よりは腕の立つ兵衛が、あの弱弱しい勝之進に一太刀で絶命させられるはずがない。
勝之進の無実を確信した左近は、昨日の宵の口、兵衛の親類をしらみ潰しに当たった。
寺社奉行所で勝之進の処遇が審議されているあいだ、左近はすでに、兵衛が殺される直前のことを沢庵から耳にしている。
誰かと待ち合わせをしていて殺されたのなら、下手人は兵衛の顔見知りでもおかしくはない。
左近はそう踏んでいた。
兵衛の兄やその妻の実家、さらに遠い親戚の町方与力・土橋泰山の役宅にも上がったのち、今朝の明朝に熱海家を訪れた。
町方与力・左近が重蔵の屋敷を訪れたのは、翌日の昼下がりである。
「おい重の字、大丈夫かよ」
「帰れ」
重蔵は即刻、戸を閉めようとした。
「おめえが傷を負わされたと聞いたから、驚いたぞ」
「ただのかすり傷だ」
「そうつっぱった態度をとるんじゃねえよ。いつまで根に持ってんだ」
「侮辱されれば容赦をするな。武士の心得だぞ」
「まあ、そう言ってくれるなよ。今日は勝之進の様子を見に来たのさ。おめぇへの用じゃないぜ、断じてな。しかし、手ぶらで邪魔するのもなんだと思ったから、傷に効く膏薬を持ってきてやったぜ」
なにかと理由をこじつけて重蔵を押しのけると、左近は勝手に家の中へと上がり込んできた。
重蔵はしぶしぶと左近を客間へ招き入れ、さも不服そうに白湯を出した。
「勝之進よ、沢庵と会ったそうだな」
「はい。熊沢さまが紹介してくださったと聞きました」
「ふふん。やはり重の字に任せて正解だった。さすがの腕前だな」
左近に馴れ馴れしく肩を叩かれて、重蔵の渋面はますます色濃くなった。
「勝之進どのに、いったいなんの用事だ」
「じつは、勝之進にこれを届けに来た」
左近が懐から取り出したのは、帳簿である。
勝之進が手に取ってみると、その端にかすかな血痕が残っていた。
「これは……」
「たぶん、兵衛が死ぬ直前まで持っていたやつ。こりや吟味方が取り調べで使っている書きつけだな」
吟味方――罪人の取り調べや訴訟ごとの審議をおこなう町方役人は、この名で呼ばれた。
左近の持つ帳簿は、取り調べや審議の内容を書き記した記録書だという。
「なぜ、それが兵衛どのの持ち物だと分かるのですか」
と、勝之進。
「あいつの家の匂いがするんだよ。あのケチときたら、着物に穴が開いたら買えばいいのを、わざわざ箪笥に匂い袋を入れて虫よけをするのさ。丁子(クローブ)のツンとくる匂いが、こいつからも香ってくるんだ」
左近から受け取った帳簿に身を当ててみると、鼻腔の奥をつつく独特の香りがあった。
先日に沢庵が言っていた、
『熱海さまが事件当日、大切そうに抱えていた書物』
とは、この吟味記録の帳簿に間違いなかろう。
「なぜ、これを熊沢さまがお持ちに」
「兵衛の家から持ってきた」
「あの、もちろん同意を得て?」
「や、こっそり」
「え、へえ……」
お世辞にも穏便とは言えない発言に、勝之進は舌がもつれた。
「なんだおめぇ、俺が盗み働いたみてえに驚きやがって」
「だって同意を得ずに持ってきたと」
「言い方が悪かったな。この書きつけは捨ててあったものさ。それを俺が拾ったのだから、持っていても問題あるまいよ」
「捨ててあった、とは、どこにです」
「兵衛の役宅へ行ったら、土間の竈に放り込まれてた」
左近いわく、兵衛とは役職や地位こそ違えども、業務外の交流が深かったという。
町方同心にもいくらか種類があって、兵衛のように町を巡する同心は『定り同心』と呼ばれる。
一方、同心の上官である与力たちの職務は、人事、記録、奉行の補佐など多岐に別れた。
左近の場合、非常事件の記録や事務処理を担当する『非常取締掛』を任されているが、名の通り非常時を除けば非番であり、ふだんは浅草界隈を見回っている。
左近が取り締まりを担当する浅草は、兵衛が定廻りとして警邏する神田に近い。
顔を合わせる機会も多く、兵衛の役宅で呑むこともあったため、熱海家の敷居をまたぐのは左近にとって造作もないのだという。
「そもそも、俺は最初から、兵衛の死には大きな裏があると思っていたのさ」
やがて、こう語り出した。
勝之進では、兵衛を殺せない。
左近は兵衛が殺されてすぐ、下手人の容疑がかかった勝之進を調べた。
兵衛を殺した悪党とはどんな人間かと思い、釈放後の勝之進の生活を見張ってみたが、仕事でも私生活でもおよそ人殺しができるとは考え難い男だった。
働きぶりは可も不可もなく、剣術道場では逃げ腰で負けが続いている。だが、角のない性格ゆえに同僚たちからは愛されているとみえる。
対して、兵衛は仕事と奉仕を生きがいにしていると言える滅私的な人物で、世のため人のためと、文武の鍛錬をかさなかった。
少なからず、素人よりは腕の立つ兵衛が、あの弱弱しい勝之進に一太刀で絶命させられるはずがない。
勝之進の無実を確信した左近は、昨日の宵の口、兵衛の親類をしらみ潰しに当たった。
寺社奉行所で勝之進の処遇が審議されているあいだ、左近はすでに、兵衛が殺される直前のことを沢庵から耳にしている。
誰かと待ち合わせをしていて殺されたのなら、下手人は兵衛の顔見知りでもおかしくはない。
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