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第一部
疑惑編-5
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夫が泊まっていたホテルは、フローラ一行が滞在しているホテルより狭く、卓とベッドだけでも窮屈そうだった。ネイトによると、このホテルでは小説家の仕事場としてよく活用されているらしい。確かに小説の仕事だけをするだけなら、十分なスペースだ。むしろ狭い方が集中できるかもしれない。
そんな狭いスペースだったが、丸めた原稿用紙が散乱していた。他にも丸めたメモも落ちていたが、フローラはそれを拾って見た。
マムが殺されて全く筆が進まん!
そう書いてあった。夫はげっそりとし、冴えないネイトより髪も肌もぼろぼろだった。これはどう見ても夫はおかしい。いつもと違う。スランプに入ってしまったんだろう。
「なんだ、フローラとネイトじゃないか。何しに来たんだよ」
夫は一旦は立って逃げようとしたが、意外とネイトの圧もあり、諦めてベッドの上に腰かけた。丸めた原稿用紙が、カサカサ響く。その音が妙に大きく聞こえた。
「先生、困りましたよ。明日発売のゴシップ記事です。マムの事も奥様が疑われている事も全部記事になっていますよ」
ネイトはカバンからゴシップ記事を見せた。夫は絶叫。
「ああああ、もう公爵家の評判は地におちた。終わりだ、終わりだ!」
「先生、本当に我々はどうすれば……」
絶叫したり、慌てている男二人をみていると、急にフローラの心が冷えてきた。数々の不貞行為と比べらたら、どうって事ない。実際、フローラはネイトが見せてきた記事を見ても、眉ひとつ動かさない。男達の情けなさにため息しか出ない。
「ところで、あなた。マムが殺された時間どこにいたの? まっすぐ別邸に向かったんじゃないの?」
一番気になる事を聞いた。夫にアリバイが無いのが、気掛かりだった。
「いや、実は馬車から可愛い女を見つけ……」
フローラの冷たい声に言い逃れができないと思ったのだろう。夫は素直にその時間に何をしていたか話した。
馬車をナンパをやっていたそうだ。相手の女はうまく引っかかってくれず、今は名前もわからない。つまりアリバイはこの女から証明するのは無理そう。
「ちょっと、先生。ナンパなんてやめてくださいよ。愛人だったらこちらが用意します」
「そうだけど、あの子は本当に可愛かった」
この後に及んでも愛人斡旋をしようとするネイト。絶叫したかと思うと、今は女を思い出し鼻の下を伸ばしている夫。
呆れて頭が痛い。いつもはクールで塩対応の夫も、ここまで情けなかったと思うと、色んな意味で涙が出そう。
でも。
フローラは、涙を堪えた。ぐっと奥歯を噛み締め、夫の前に進む。
こんなクズ夫でも、今はきっと妻しかいないだろう。今、この男を何とか立ち直らせるのは、自分しかいないと決めた。
その点、愛人という存在は何と都合が良いのだろうか。ただただ甘くて美味しい部分を味わうだけの存在だ。
一方、妻は相手が弱った時も、病んだ時も側にいる。
ふと、結婚した時の誓いの言葉を思い出す。もしかしたら、こんな夫でも今側にいられる事は、妻の特権かもしれない。
「あなた、負けないでよ」
フローラは、まっすぐに夫の青い目を見つめていた。
「あなたは、作家でしょ。こんな事ぐらいネタにして良い作品書きなさい。元を取らないと損じゃない? うちのメイド達もビュッフェでそう言ってたわ。今のあなたはビュッフェに行ってもコーヒー一杯で満足している感じよ」
フローラは背筋をすっと伸ばし、いつもより強い口調で言い放った。
「そうですよ、先生。この事件もネタにして作品にしちゃいましょ!」
ネイトもフローラに援軍してくれた。いつもはイライラさせられ編集者だったが、今だけは許せそうだ。
「そうか、そうだよな……。ビュッフェで肉やスイーツも食べないと損だよな」
夫の目に光が宿り始めた。さっきまでは絶叫し、死にかけていた目だったが、何かスイッチが入ったようだ。
「うん、ネタにしよう。この事件も、ミステリーにしたら、面白い」
「先生の新境地ですね!」
ここでネイトは煽てて、夫はすっかりやる気を取り戻していた。
「やっぱり奥さんです。男は妻の言葉に弱いんですかね」
ネイトはそんな事を言っていたが、自分の言葉が夫に影響を与えたかは、わからない。相変わらず、夫はフローラに興味はなさそうだったが。
「すまん、ありがとう、フローラ」
何故か夫は頭を下げていた。それを見下ろすフローラは、何とも言えない微妙な顔になっておたが、すぐに切り替えた。ここでずっとグズグズと夫の相手をしている暇は無い。
「私、これから出かけます」
「うん? フローラ、どこいくんだよ」
夫は置いてきぼりにされる子供のような表情を見せたが、無視だ。今の夫の仕事はここで作品を書くことだ。マムを殺した犯人を捕まえる事ではない。
「これから殺人犯を探しに行きます」
「は、本当か?」
「奥さん、何をするんです?」
夫もネイトも引いていたが、これはもう止められない。
「こうなったら私が犯人を捕まえて、公爵家の名誉も守るわ!」
いつになく自信たっぷりに宣言するフローラに夫は言葉を失っていたが、すぐに真顔になって頷く。
「やってみろ。お前が思うように自由に」
「ええ、あなた。ありがとう」
ネイトは文句を言ってきたが無視だ。もう犯人を捕まえるしかなない。
そう思うと、腹の底から力がみなぎってきた。もう泣くのもやめる。メンヘラもやめよう。今は夫も為にできる事をしたかった。
これも愛?
愛の選択と行動ができている?
分からないが、愛人は夫の為にそこまでするとは、思えなかった。これは妻にしか出来ない事かもしれない。
そんな狭いスペースだったが、丸めた原稿用紙が散乱していた。他にも丸めたメモも落ちていたが、フローラはそれを拾って見た。
マムが殺されて全く筆が進まん!
そう書いてあった。夫はげっそりとし、冴えないネイトより髪も肌もぼろぼろだった。これはどう見ても夫はおかしい。いつもと違う。スランプに入ってしまったんだろう。
「なんだ、フローラとネイトじゃないか。何しに来たんだよ」
夫は一旦は立って逃げようとしたが、意外とネイトの圧もあり、諦めてベッドの上に腰かけた。丸めた原稿用紙が、カサカサ響く。その音が妙に大きく聞こえた。
「先生、困りましたよ。明日発売のゴシップ記事です。マムの事も奥様が疑われている事も全部記事になっていますよ」
ネイトはカバンからゴシップ記事を見せた。夫は絶叫。
「ああああ、もう公爵家の評判は地におちた。終わりだ、終わりだ!」
「先生、本当に我々はどうすれば……」
絶叫したり、慌てている男二人をみていると、急にフローラの心が冷えてきた。数々の不貞行為と比べらたら、どうって事ない。実際、フローラはネイトが見せてきた記事を見ても、眉ひとつ動かさない。男達の情けなさにため息しか出ない。
「ところで、あなた。マムが殺された時間どこにいたの? まっすぐ別邸に向かったんじゃないの?」
一番気になる事を聞いた。夫にアリバイが無いのが、気掛かりだった。
「いや、実は馬車から可愛い女を見つけ……」
フローラの冷たい声に言い逃れができないと思ったのだろう。夫は素直にその時間に何をしていたか話した。
馬車をナンパをやっていたそうだ。相手の女はうまく引っかかってくれず、今は名前もわからない。つまりアリバイはこの女から証明するのは無理そう。
「ちょっと、先生。ナンパなんてやめてくださいよ。愛人だったらこちらが用意します」
「そうだけど、あの子は本当に可愛かった」
この後に及んでも愛人斡旋をしようとするネイト。絶叫したかと思うと、今は女を思い出し鼻の下を伸ばしている夫。
呆れて頭が痛い。いつもはクールで塩対応の夫も、ここまで情けなかったと思うと、色んな意味で涙が出そう。
でも。
フローラは、涙を堪えた。ぐっと奥歯を噛み締め、夫の前に進む。
こんなクズ夫でも、今はきっと妻しかいないだろう。今、この男を何とか立ち直らせるのは、自分しかいないと決めた。
その点、愛人という存在は何と都合が良いのだろうか。ただただ甘くて美味しい部分を味わうだけの存在だ。
一方、妻は相手が弱った時も、病んだ時も側にいる。
ふと、結婚した時の誓いの言葉を思い出す。もしかしたら、こんな夫でも今側にいられる事は、妻の特権かもしれない。
「あなた、負けないでよ」
フローラは、まっすぐに夫の青い目を見つめていた。
「あなたは、作家でしょ。こんな事ぐらいネタにして良い作品書きなさい。元を取らないと損じゃない? うちのメイド達もビュッフェでそう言ってたわ。今のあなたはビュッフェに行ってもコーヒー一杯で満足している感じよ」
フローラは背筋をすっと伸ばし、いつもより強い口調で言い放った。
「そうですよ、先生。この事件もネタにして作品にしちゃいましょ!」
ネイトもフローラに援軍してくれた。いつもはイライラさせられ編集者だったが、今だけは許せそうだ。
「そうか、そうだよな……。ビュッフェで肉やスイーツも食べないと損だよな」
夫の目に光が宿り始めた。さっきまでは絶叫し、死にかけていた目だったが、何かスイッチが入ったようだ。
「うん、ネタにしよう。この事件も、ミステリーにしたら、面白い」
「先生の新境地ですね!」
ここでネイトは煽てて、夫はすっかりやる気を取り戻していた。
「やっぱり奥さんです。男は妻の言葉に弱いんですかね」
ネイトはそんな事を言っていたが、自分の言葉が夫に影響を与えたかは、わからない。相変わらず、夫はフローラに興味はなさそうだったが。
「すまん、ありがとう、フローラ」
何故か夫は頭を下げていた。それを見下ろすフローラは、何とも言えない微妙な顔になっておたが、すぐに切り替えた。ここでずっとグズグズと夫の相手をしている暇は無い。
「私、これから出かけます」
「うん? フローラ、どこいくんだよ」
夫は置いてきぼりにされる子供のような表情を見せたが、無視だ。今の夫の仕事はここで作品を書くことだ。マムを殺した犯人を捕まえる事ではない。
「これから殺人犯を探しに行きます」
「は、本当か?」
「奥さん、何をするんです?」
夫もネイトも引いていたが、これはもう止められない。
「こうなったら私が犯人を捕まえて、公爵家の名誉も守るわ!」
いつになく自信たっぷりに宣言するフローラに夫は言葉を失っていたが、すぐに真顔になって頷く。
「やってみろ。お前が思うように自由に」
「ええ、あなた。ありがとう」
ネイトは文句を言ってきたが無視だ。もう犯人を捕まえるしかなない。
そう思うと、腹の底から力がみなぎってきた。もう泣くのもやめる。メンヘラもやめよう。今は夫も為にできる事をしたかった。
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