その声で囁いて

UTAFUJI

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第一章

5話

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 あの飲み会の翌日は、案の定、二日酔いに悩まされた。
 少し寝たから大丈夫だろうと高をくくって、二次会、三次会までつき合って酒を飲み続けた結果があれだ。
 次の日が休みでよかったと、昼すぎまで気持ち悪さと頭痛に転がされながら、何度も思ったのを覚えている。

 途中で脱落した店長も、やっぱり二日酔いだったらしい。
「お休みもらいます」なんてグループチャットに連絡が入って、ぼんやりした頭で眺めていた俺は、(そりゃそうだろ)と心の中で呟いた。

 すぐにキャストたちから返信が続いて、画面はにぎやかだった。

「一週間くらい休んでもいいんですよ~」
「有給消化チャンスですね!」
「お大事に……ってか、絶対昨日のわんこ熱燗が原因でしょ!」

 半分寝転がりながらスマホを握って、あの無駄に元気なやりとりを眺めていたっけ。
 頭に響いてちょっとしんどかったけど……それでも、嫌な感じはしなかった。

 最後に店長が送った“泣いてるうさぎスタンプ”でチャットは締めくくられて、そのとき、不覚にも少し笑ったのを今でも覚えている。

 あれから、もう二週間が経った。
 二週間なんて、本当にあっという間で、気づけばすぐに過ぎていった。

 飲み会の後、特別に大きな出来事があったわけじゃない。
 それでも、細かいところは少しずつ変わった。

 そう……本当に小さな変化。

 たとえば、俺は飲み会以降、よく後輩たちから話しかけられるようになった。
 前までは同じ空間にいても、必要最低限の事務的なやりとりしかなかったのに、今では駅前のカフェの話や、やってるゲームの話をふってくるようになった。

 また、別の後輩とはバックヤードですれ違うたびに、ちょっとした雑談を交わすようにもなった。

 あのぎこちない距離感が、嘘みたいに。
 今では、ふつうに“会話”をできているのが少し不思議だった。

 レイは、そんな俺を見て
「えっ!? あのシキ君が!? 後輩くんたちとお話しできてるなんて!!」と、やけに大げさに茶化してきた。……あれはまだ許していない。

 けど、飲み会とこいつのおかげで、少しでも人との距離を縮められたのは事実だ。

 やっぱり飲み会って、偉大だな――
 なんて言ったら、絶対誰かに笑われるけど。
 それでも、一晩の酒の席で、数ヶ月分の空気がやわらぐこともあるんだって、今回ばかりは、ちょっとだけ認めざるを得なかった。

 ……ま、その代償があの二日酔いだったんだから、トータルで見ればチャラかもしれないけど。

 そんなふうに、後輩ともまともに会話できるようになって、少し浮かれていた俺は今、絶賛体調不良中だ。

 昨日、雨に打たれながら帰ったのがまずかったらしい。おかげで今日は朝から頭が重い。熱こそないが、心なしか寒気もする。

 仕事に特に支障はなかったが、他のスタッフからは「大丈夫ですか?」と声をかけられることが何度かあった。
最初は「大丈夫。」と返していたけれど、何度も繰り返しているうちに、逆に嘘っぽく聞こえる気がしてくる。
結局「少し頭が痛い」と正直に言ったら、「じゃあ休憩行ってこい」と即座に休憩室に押し込まれた。

 申し訳ない気持ちもあったが、それ以上に――
(……俺、そんなにわかりやすい顔してたのか?)
と、自分の演技力のなさに苦笑した。

 休憩をもらってからホールに戻ると、今度は店長に呼び止められる。
腕を組んで目の前に佇むその姿は、いつもの倍くらい圧があった。
 組まれた腕の上で指先が一定のリズムでトントンと動いていて、それが妙に落ち着かない。
 何かミスをしてしまったのかと、思わずソワソワしてしまう。

「薬は飲んだか?水分は?熱は?ちゃんと寝てるのか?」

 低い声で矢継ぎ早に問いかけられる。
まるで尋問を受けているみたいで、思わず苦笑いすると、返ってきたのは呆れ顔とクソデカため息だった。

 店長は片手で額を押さえ、片肘をカウンターに預けながら、じろりとこちらを見据える。
 額にかかる前髪を乱暴にかき上げ、ため息をもう一度吐いた。

「で?熱はないのか?」

「恐らくないはずです。朝の段階では平熱でしたし、今のところはただの頭痛です」

「“今のところ”って言い方が信用ならん」
 
 
店長は眉間に皺を寄せて、じろりと俺を睨む。

「……正直者が損するやつじゃないですか」

「損でもなんでもいい。お前はいつも無理して頑張りすぎるから、心配なんだよ。」
 
その言葉に、思わず目を逸らした。

(……心配、か)
 
 店長は視線を外し、指先でカウンターをとんとんと叩く。
 小さな間を置いてから、少し声を低くした。

「それにな……オーナーに“シキが働きすぎて倒れた”なんて思われたら、俺の立場が危うい」

「……あー」

「“あー”じゃない。あの人、お前のことになると本気で怖いんだよ。過保護すぎてな」

「いや、怖いのは店長にだけじゃないですか?」
 
「全員にだ。俺が悪者扱いされるのはごめんだからな」

 店長が肩をすくめてぼやくのを見て、思わず小さく吹き出してしまった。

「笑ってごまかすな」

「ごまかしてないですよ」

「……まぁいい。とにかく無理はするな。帰りたくなったらすぐに言え。」

 そう言った店長は、わざとらしく視線を逸らし、カウンターに置かれたグラスを手に取って磨き始めた。
 
 声の調子はぶっきらぼうなままだったけれど、その手つきがどこか落ち着かないのが目に入ってしまう。
 本当に心配してくれているんだと気づくと、少しだけ胸の奥がむず痒くなった。

 結局そのあとも、いつも通りにシフトをこなした。
体調は良くなかったが、作業に集中していれば頭痛のことも少しは紛れる。
何より「普通に働けている」ことを示すのが、一番の安心材料になる気がしていた。
 
 ただ、店長が明日はもう休めと言ってきたのは驚いた。理由は「熱を出されても困るから」だったけど、その顔には心配の文字がはっきりと書いてあった。
 
 もともと明後日からは二連休だったので思いがけず三連休になってしまった。こんな形ではあっても、正直少し嬉しかった。
 
 やがて閉店時間が来て、後輩たちと片付けを終える。制服はクリーニング用のカゴに入れて、私服に着替えてロッカーの鍵をかける。
 
(……これで、ようやく帰れる)
 
 店を出ると、夜風が肌を撫でた。
 アスファルトに反射する街灯の光を眺めながら歩いていると、ほんの少しだけ頭が軽くなった気がした。ようやく家で横になれると思うと、自然と肩の力も抜けていく。

 寝たら楽になるだろうという思考が脳内を埋める。とりあえず寝て明日風呂に入ろうとか、洗濯物溜まってたから明日回そうとか、どうでも良いことを考えながら帰り道を歩く。

 アパートのエントランスにたどり着き、オートロックの前で立ち止まる。
 いつもの癖で鞄の中を探り、黒い革のキーケースを引っ張り出そうと手を突っ込む。

 ……ない。

「……は?」

 もう一度、底まで手を突っ込んで探る。
 財布、スマホ、ハンカチ……普段と同じ中身が入っているのに、肝心のキーケースだけが見当たらない。

 ――思い出したのは今朝のこと。
 出勤してすぐ、前に買った頭痛薬を探すために鞄の中身をロッカーに広げた。そのとき一緒に出したキーケースを、棚の上に置いたまま……戻すのを忘れて扉を閉めたんだ。

「……最悪だ」

 エントランスの無機質なランプが、こちらをあざ笑うように点滅している。玄関どころか、アパートに入ることすらできない。
 せっかく家に帰り着いた安堵が、音を立てて崩れていった。

 一度、取りに戻るか?
 そう考えてスマホを取り出す。
 画面に浮かんだ時刻を見た瞬間、その考えは霧散した。
 
 終電はすでに過ぎている。
 しかも、タクシーで向かったところで、店は施錠済みだ。

「……詰んだな」

 ため息をひとつ吐き、スマホを見下ろす。
 どうせ家に入れないなら、駅前まで戻ってネカフェで夜を明かすしかないか。
 そんな現実的な算段を立てかけたとき、画面が小さく震えた。

 通知が一件。
 差出人を見た瞬間、思わず息が詰まる。

 お姉ちゃん。

『アキトから今日シキくん体調悪そうだったって聞いたけど、大丈夫そ? なんかあった?』

 通知を読んだ瞬間、額に手を当てた。

(……店長、あんなこと言っておきながら、しっかり共有してやがる)
 
 わずかに舌打ちしながらも、画面を開いて通話ボタンを押す。
 呼び出し音が数回続いたあと、すぐに姉の声が響いた。

「栞季? 大丈夫なの?」

「……体調は、大丈夫。頭痛はちょっとあるけど、平気」

「ほんとに?」
 
 疑うような間が挟まって、思わず視線を逸らす。

「ほんとだって。……ただ」

 言葉を切ってから、苦笑い混じりに続ける。

「……鍵、ロッカーに置きっぱなしにしててさ。家に入れない」

 通話口の向こうで、一瞬の沈黙。
 次の瞬間、ぷっと吹き出す音がして、それが堪えきれずに大きな笑いに変わった。

「ははっ……珍しいじゃん、そんなミスするの!」

「……笑いごとじゃないんだけど」

 苦々しく返すと、さらに楽しそうに笑われる。

「ごめんごめん。で、今どこ住んでるんだっけ?住所送りな。泊めてあげるから、車出すわ」

「いや、そこまでしなくても……」

「遠慮すんなって~、ほら!さっさと教えな!」

 軽い調子で言われるのに、拒否する言葉が喉の奥で止まった。

「……わかった。住所送る」

 通話を切ってから位置情報を送ると、すぐに既読がついて「了解!」のスタンプがくる。
 ただのスタンプなのに、なんだか妙に頼もしく感じるのが癪だった。
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