その声で囁いて

UTAFUJI

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第一章

20話

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 映画が進むにつれて、空気がじわじわと変わっていく。

 暗い廃墟を進む登場人物たち。まだ怪奇現象は起きていないが、無音の中に響くのは、彼らの足元で砕けるガラスの音と、床板が軋む微かな音だけ。息を潜めるような静寂が、逆に神経を研ぎ澄ませた。

 ただ、画面に流れる映像よりも、隣に座るイオリの反応のほうが気になって仕方がなかった。

 肩に触れるほどの距離で、イオリの体がほんの少しずつこっちに寄ってくる。息を呑むたび、わずかに腕が触れ合って、熱が伝わる。

 可愛いな、こいつ。

 そう思った瞬間、イオリがハッとしたように身体を離した。 そして、消え入りそうな声で「……すみません」と呟き、スススと距離を取る。

  俺は何も言わず、視線を画面に戻す。

 物語の中盤ぐらいだろうか、主人公の仲間たちが次々に怪異に襲われ消えていくのが映し出されている。何者かに引き摺られて闇に消えていく者、ふらふらと何かに誘われるように高所から飛び降りる者。

 それらが映し出されると、隣のイオリも一緒に反応する、それがいちいち耳に届いてきて面白い。

「ひぃ……」
「うっ……」

 声を押し殺してるつもりなのかもしれないが、全部聞こえている。怖いなら目を逸らせばいいのに、イオリは必死に画面を凝視していた。

 その真剣な横顔が、やけにおかしくて。
 俺はそっと視線を向け、気づかれないように指先を伸ばす。

 ツン。

 イオリの腕に軽く触れた瞬間、肩がビクッと大きく跳ねた。

「っ、ひゃっ……!!」

 変な声を出して飛びのいたイオリを見て、思わず笑いがこみ上げる。

「な、なんですか!?びっくりするじゃないですかっ!」

「いや、思ったより反応いいなと思って」

 笑いを堪えながら答えると、イオリは頬を真っ赤にしてクッションを抱え直した。
 その仕草がまた可愛くて、俺は結局、笑いを抑えきれなかった。

「もう……やめてください……」

「悪かった悪かった」

 そう言いながらも、まだ口元が緩むのを止められない。

 画面の中では、主人公が途中で逸れた仲間のビデオテープの中身を確認して、恐怖に慄きながら廃墟から出ようとしていた。

 物語も、そろそろ終盤に差し掛かっているのだろう。

 画面の中の主人公は、暗闇の奥に仲間と思しき“人影”を見つけている。

(……これは、くるな)

 嫌な予感が背中を這い上がる。主人公が軽口を叩きながら、懐中電灯でその人影を照らして近づいていく。仲間と同じ服を着ている。

 ――あと数メートル。

 次の瞬間、その“人影”の首が、ぐりん、と不自然に回転した。
 吊り上げられるように天井に引き上げられ、乾いた悲鳴がスピーカーを割った。

 光が明滅し、画面が一瞬だけ真っ白になる。

 俺は無意識に隣へ視線をやる。

 イオリは固まっていた。息をするのも忘れたみたいに、目を見開いて、画面を凝視している。
 肩は小刻みに震えていて、手に抱えていたクッションが今にも破れそうなほど力が入っていた。

「イオリ?」

 思わず声をかけると、イオリはビクッと肩を跳ねさせて、裏返った声で返事をした。

「は、はいっ!」

 その反応に、微笑ましくなるものの、先ほどまでの驚き方と比べて本気で怖いんだなというのも伝わってきて、そんなにホラー無理だったのかと、少しだけ罪悪感も胸をかすめる。

 けれど、あまりにも固まっているその様子がおかしくて、俺はなんとなく、イオリの肩にゆっくりと体を預けてみた。

「し、シキ様っ!?」

 イオリの声が跳ねる。驚きと戸惑いが混ざったその声音に、思わず喉の奥で笑いが漏れそうになる。

「動かないでください、びっくりする……っ」

 そう言いながらも、イオリの体温は逃げようとせず残っている。俺はそのまま、何も言わずに画面へ視線を戻す。

 画面の中では、主人公が出口を求めて走っていた。荒い息遣いと足音、そして遠くで鳴り響く悲鳴。その音が部屋の空気を震わせる。

 イオリの隣で、俺はただ無言で成り行きを見守った。互いの体温の境目だけが、やけに鮮明だった。

 主人公が出口を見つけてゆっくりと扉を開けて、外の景色が見える。そこで画面が一気に暗転した。

 静寂の中で、白い文字がゆっくりと流れ始める。

 エンドロールだ。

 張り詰めていた空気がふっと緩んで、イオリが深く息を吐いた。強張って肩が、ようやく少しだけ落ちる。

「終わりましたね」

 小さく呟いたその声は、少し弱々しい。イオリの顔にはまだ緊張の名残があるも、どこか安心したようでもある。

 その表情を見て、思わず口を開いた。

「大丈夫か?」

「だ、だいじょ……うぶですっ。ほんとに」

 言葉の割に、まだ少し声が震えている。目の端がうるんでいるのを見て、堪えきれず笑いが漏れた。

「お前、可愛いな」

「えっ……」

 イオリがぽかんと口を開けたまま固まっている。そのまま少しの沈黙が落ち、エンドロールの音楽が静かにフェードアウトしていった。

 ――と、その瞬間。

 暗転していた画面が、再びふっと明るくなった。
 スタッフロールが終わったはずの画面で、さっきの廃墟の中がもう一度映し出される。

 壊れたカメラに、主人公が出口の扉を開けている様子が映っている。エンドロールの前の光景だ。でも主人公が開けた扉の先は先ほど見たはずの外の景色ではない。

「……え、まだあるの……?」

 イオリが小さく呟いた瞬間、開かれた扉の先が映し出される。全てを飲み込みそうなほど、ただただ真っ暗な空間が広がっている部屋。安堵している主人公がその部屋に踏み込んだ瞬間扉がバタンと閉まり、その扉の中から主人公の悲鳴が聞こえる。
 
 画面の中で、カメラにノイズが走り一瞬だけ、主人公たちを襲ったと思われる亡霊がこちらに指を指してる姿が画面いっぱいに映った。

「っっ!!」

 イオリが悲鳴を飲み込むように跳ね上がり、そのまま反射的に俺の体へ抱きついてきた。腕と胸のあたりに、温かい感触が押し当てられる。

「……っ、びっくりした……!いまの反則ですよ!」

 声が震えていて、しがみついた腕はなかなか離れない。それにどう声をかければいいかわからなかったが、悩んだ末に、軽く背を叩いた。

 ようやくイオリがこちらに目を向ける。その表情はまだ恐怖の余韻を残していて、瞳が少し潤んでいた。映画が終わってタイトルが並んでる画面に戻る。その光が、イオリの頬を薄く照らす。

 しがみついているイオリの手は、まだ俺に回されたままで。それがなんだか可笑しくて、俺は軽く息を吐く。

「次は、お前が見たがってた映画見るか?」

 するとイオリは、少し気の抜けた笑いを漏らして、俺の胸元に伸ばされていた手をゆっくり離した。

「なんかもう、疲れたのでいいです」

「ふふ、そうだな」

 そう返すと、イオリはぐったりとクッションにもたれかかり、息を整えるように小さく伸びをした。

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