その声で囁いて

UTAFUJI

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第一章

21話

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 テレビの画面はタイトルロゴのまま止まっていて、照明をつけ直した部屋には、どこか柔らかい空気が戻っていた。

「……あ、もう12時まわってる」

 伸びの姿勢のまま時計に目をやったイオリは、そう呟きゆるく首を傾け、俺のほうを見てくる。

「シキ様、お風呂入りますか?」

「ん?あー。いや、お前が先に入ってくれば?」

「えっ、い、いいですよ!お客さんを先に――」

「いいから、気にせず入ってこいよ」

 食い気味で言ってみると、イオリは少し迷うように視線を泳がせた。

「じゃあ……お言葉に甘えて、先に入ってきます」

「ああ」

 立ち上がったイオリが軽く伸びをして、脱衣所へ向かっていく。その背中が見えなくなるまで、自然と目で追ってしまっていた。

 しんとしたリビングに微かな水音が聞こえてくる。

 テーブルの上に置いていたスマホを手に取ると、またいくつか通知が溜まっていた。画面を開けば、レイと姉ちゃんからのメッセージ。どちらも内容は似たようなものだ。

『本当に大丈夫?』『熱とか出てない?』『無理してない?』

 映画を見る前に「平気だ」って送ったはずなのに、どうやら信じてもらえていないらしい。苦笑しながらそれぞれに返信を打つ。


 ――ほんとに大丈夫。ちゃんと休んでるから。

 送信して、画面を伏せようとした瞬間。手の中で、スマホが震えた。着信の文字が浮かび上がる。

 発信元は、姉ちゃん。

 小さく息をつきながら通話ボタンを押す。

「もしもし?」

『全然既読つかないから心配したんだけど!?大丈夫!?ちゃんと家帰れてる!?』

 受話口の向こうから、勢いよく飛んでくる声。その慌てっぷりに思わず笑いそうになりながら、スマホを耳から少し離す。

「大丈夫。ちゃんと生きてるから」

『ほんとに!?今どこにいるの!?』

「友達ん家。泊まってる」

『え、泊まってる!?誰の家!?ちゃんと知ってる人!?』

 矢継ぎ早の質問に、思わず天井を仰ぐ。お前は俺の親か。

「知ってる奴だよ。心配しすぎ」

『だって体調悪かったじゃん!また倒れたらどうすんの!』

「大丈夫だって。ちゃんと飯も食ったし、いっぱい寝た」

『……ほんとに?』

「うん」

 ようやく少し安心したのか、受話口の向こうの息が落ち着いていく。それでも姉ちゃんの声は、相変わらず明るくて賑やかだった。心配していたテンションのまま、気づけば話は取り留めもなく続いている。気づけばもう十分以上話していた。

「あ、そういえば。あの服も返さなきゃだな」

 なんとなく口にすると、受話口の向こうで姉ちゃんの声が弾む。

『確かに!デートもやり直さなきゃじゃん!」

「デートじゃなくて、お出かけな」

『いーや、あれはデートです~!誰が何を言おうとデートです~!』

「う~ん、じゃあデート。デートかぁ」

 苦笑いで誤魔化しながら、なんとなく視線を落としたとき、背中に視線を感じた。ぞくり、とする。

 ゆっくりと振り向くと、そこに立っていたのはイオリだった。
 湯上がりの髪から滴る水滴をタオルで拭きながら、肩にタオルをかけて、無言でこちらを見ている。その目は、驚くほど冷めた色をしていた。

「……」

 言葉が出てこない。何もやましいことなんてないのに、なんか居た堪れない。

「あ、……また掛け直すね」

 通話を切った瞬間、静寂が戻った。けれどその静けさは、さっきまでの穏やかなものとは違っていた。

 視線を上げると、イオリはまだそこに立っていた。肩にかけたタオルの端から、滴った雫が床に落ちる。

「お風呂、どうぞ」

 短く、それだけを言って、イオリは視線を逸らした。
それがまるで、会話の余地を閉ざすように感じられて、俺は無意識に喉を鳴らした。

「……ああ」

 かろうじて返した声は、思っていたよりもか細かった。
 イオリはそれ以上、何も言わずキッチンの方に歩いていく。
 その背中を目で追いながら、俺は胸の奥に小さく刺さった棘のようなものを、指で探るように押さえた。

 リビングを出る前に、キッチンの方をちらりと見た。イオリは背を向けて、何かを片づけていた。その背中に声をかけることができなくて、ただ静かに浴室へと向かった。

 浴室のドアを閉めると、外の空気が一気に遮断された。シャワーの音だけが狭い空間に響く。

 熱い湯を肩に流しながら、ぼんやりと天井を見上げた。さっきのイオリの顔が、どうしても頭から離れない。

(……なんで、あんなに焦っちゃったんだろ)

 別にやましいことなんて何もなかったのに。それなのに、あの冷めた視線を向けられた瞬間、まるで何かを咎められたみたいに息が詰まった。

 シャワーが、胸の奥に残るものを洗い流してくれそうな気がして、数秒間、頭からぶっかかってみるも、それは完全には消えてくれなかった。流れた湯が指先を伝い、床に落ちていく。それを見ながら、上がったらなんて声かけようかななんて考えた。

 風呂を上がり、用意されていた服に袖を通す。思っていたよりも大きくて、袖口も指先まで隠れてしまう。でもそれしか着るものは見当たらず仕方なくそれを着て、脱衣所を出る。リビングの空気は、さっきまでの湿った熱気と違って少しひんやりしている。

 イオリはソファに腰をかけたまま、ゆっくりと寝息を立てていた。スマホを手にしたまま、指先がその上で止まっている。

(……寝落ちしたのか)

 そう思いながら、そばにあったドライヤーを手に取る。スイッチを入れると、低い風の音が部屋に広がった。その音にもイオリは微動だにしない。
 
 髪を乾かし終えた俺は、視線をイオリに向けてみるも起きる気配はない。先ほどと変わらず、ソファに身を預けたまま、穏やかな寝息を立てている。
 ドライヤーの音にも反応しなかったのだから、もう完全に深く眠ってしまったんだろう。少し俯いた寝顔は、いつもの表情よりずっと幼く見えた。

 テーブルの上には飲みかけの水。ソファの脇には、彼が使っていたブランケットが落ちている。俺はそれを拾い上げて、そっとイオリの肩にかけ、また隣に腰を下ろした。

 照明を落とし、テレビの電源も消す。そのままイオリに寄りかかってゆっくりと目を閉じる。触れ合ったところから広がる温もりとイオリの寝息が俺の眠気も誘ってくる。

「おやすみ、イオリ」

 聞こえてないとわかっていても、自然に口をついて出た。小さな囁きは空気に溶け、夜の静寂の中に沈んでいった。
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