40 / 79
第二章
18話
しおりを挟む
耳元で風が鳴る。温かい風が、ゆっくりと髪を乾かしていく。
レイの指先が髪の根元をほぐすように動いて、温風が地肌に届くよう調整してくれているのがわかる。
思っていたより、レイの手つきは丁寧だった。ゴシゴシと乱暴にやられるかと思っていたが、むしろ逆で指の腹でやさしく撫でるように髪は乾かされていく。
心地よくて何もする気にならず、俺はスマホを手に取り、何の気なしにロックを解除した。これからの天気を確認したり、SNSのタイムラインを眺めたり。特に目的があるわけでもない。ただの暇つぶしだ。
「ねぇ、シキくん」
「ん?」
「そのままだと、服が濡れちゃうかも。タオル取るね?」
「んー」
適当な返事をしながら、スマホから視線を外さずにうなずく。
すると、ドライヤーの音が止んで、肩にかかっていたタオルがふわりと外された。露出した首筋に、ひんやりとした室内の空気が触れる。
「……ん?ねぇ、ここ、怪我した?」
レイの指先が、そっと首筋に触れた。
「色、変わってる」
「怪我?」
怪我なんてしたっけ、と思いながら、スマホの画面を消す。暗くなった画面を鏡代わりにして、襟元をずらして画面を覗き込む。
そこには、歯型があった。
依織に噛まれた跡だ。
心臓がドクンと跳ねる。まずい、と本能が警鐘を鳴らす。反射的に、俺は首元を手で押さえていた。
浴室で見たときは、まだ皮膚の色が完全には戻っていなかった。淡く黄色が残る内出血と、歯型を囲う赤く滲んだ跡。反射で歯型が見えたってことは、そのすべてを、レイに見られたってことだ。
隠したところで、もう手遅れなのは分かってる。それでも、そうせずにはいられなかった。
「……シキくん」
背後から聞こえるレイの声は、静かに感情を押し殺したような声色だった。
「手、どけて」
その言葉に、思わず手のひらに力が入る。見せることを躊躇していることが、後ろめたいことがあると言っているようなものだと理解していながらも、手を退けることはできなかった。
「それ、歯型だよね?」
「……なにが」
平静を装って返したつもりのその声は、自分でも驚くほどか細かった。
レイはそれ以上、問い詰めてこない。ただ、じっと俺を見つめている気配だけが、背中越しに突き刺さってくる。
視線が痛い。逃げたくなる。
数秒の沈黙のあと、レイが乾いた息をひとつ吐いて、再び、静かに口を開いた。
「……もっかい言うね」
噛み跡を隠すように置いた俺の手に、レイの指が触れる。ただ触れられているだけなのにまるで有無を言わせないような静かな圧があった。
「手、どけて。それ、俺に見せてくれる?」
言葉を区切られるたびに、空気がじわじわと重くなっていく。まるで室温が一段階下がったみたいに、肌が粟立つ。
見せたら、軽蔑されるかもしれない。そんな予感が頭の中をかき乱す。いや、こいつに限ってそんなことはない。そう思いたいのに、思考はぐるぐると同じところを回り続ける。どうすればいいかなんて、わかるはずもないのに。
「……お願い」
その一言が、ただただ胸に突き刺さる。寂しげに響いたその声が、余計に苦しくさせた。こんなふうに言われて、平気でいられるわけがない。でも、怖くて動けない。
そんな狭間で、わずかに揺れた気持ちが、俺の指先から、じわじわと力を奪っていった。
少し悩んだ末、俺は首元を押さえていた手から、そっと力を抜いた。
それにすぐ気づいたんだろう。彼の手が包み込むように俺の手と重なり、ゆっくりと俺の手をそこから退かしていく。
レイの指が、そこに触れる。首筋に落ちたその感触は、予想以上に冷たかった。触れられた瞬間、その一点にだけ意識が引き寄せられる。皮膚の感覚が鋭くなる。
「……やっぱり、歯型だ」
その声からは、何の感情も読み取ることができなかった。ただ事実を確認するかのようなその声が、かえって恐ろしい。
冷たい指先が、ゆっくりと跡をなぞっていく。そのたびに、肌がびくりと震え、心臓が跳ねる。
「誰にやられたの?」
やわらかく問いかけるその声が、首筋に触れる指先よりもずっと温かく聞こえる。その温度差に、俺は唇をきつく閉ざすことしかできなかった。
レイの指先が髪の根元をほぐすように動いて、温風が地肌に届くよう調整してくれているのがわかる。
思っていたより、レイの手つきは丁寧だった。ゴシゴシと乱暴にやられるかと思っていたが、むしろ逆で指の腹でやさしく撫でるように髪は乾かされていく。
心地よくて何もする気にならず、俺はスマホを手に取り、何の気なしにロックを解除した。これからの天気を確認したり、SNSのタイムラインを眺めたり。特に目的があるわけでもない。ただの暇つぶしだ。
「ねぇ、シキくん」
「ん?」
「そのままだと、服が濡れちゃうかも。タオル取るね?」
「んー」
適当な返事をしながら、スマホから視線を外さずにうなずく。
すると、ドライヤーの音が止んで、肩にかかっていたタオルがふわりと外された。露出した首筋に、ひんやりとした室内の空気が触れる。
「……ん?ねぇ、ここ、怪我した?」
レイの指先が、そっと首筋に触れた。
「色、変わってる」
「怪我?」
怪我なんてしたっけ、と思いながら、スマホの画面を消す。暗くなった画面を鏡代わりにして、襟元をずらして画面を覗き込む。
そこには、歯型があった。
依織に噛まれた跡だ。
心臓がドクンと跳ねる。まずい、と本能が警鐘を鳴らす。反射的に、俺は首元を手で押さえていた。
浴室で見たときは、まだ皮膚の色が完全には戻っていなかった。淡く黄色が残る内出血と、歯型を囲う赤く滲んだ跡。反射で歯型が見えたってことは、そのすべてを、レイに見られたってことだ。
隠したところで、もう手遅れなのは分かってる。それでも、そうせずにはいられなかった。
「……シキくん」
背後から聞こえるレイの声は、静かに感情を押し殺したような声色だった。
「手、どけて」
その言葉に、思わず手のひらに力が入る。見せることを躊躇していることが、後ろめたいことがあると言っているようなものだと理解していながらも、手を退けることはできなかった。
「それ、歯型だよね?」
「……なにが」
平静を装って返したつもりのその声は、自分でも驚くほどか細かった。
レイはそれ以上、問い詰めてこない。ただ、じっと俺を見つめている気配だけが、背中越しに突き刺さってくる。
視線が痛い。逃げたくなる。
数秒の沈黙のあと、レイが乾いた息をひとつ吐いて、再び、静かに口を開いた。
「……もっかい言うね」
噛み跡を隠すように置いた俺の手に、レイの指が触れる。ただ触れられているだけなのにまるで有無を言わせないような静かな圧があった。
「手、どけて。それ、俺に見せてくれる?」
言葉を区切られるたびに、空気がじわじわと重くなっていく。まるで室温が一段階下がったみたいに、肌が粟立つ。
見せたら、軽蔑されるかもしれない。そんな予感が頭の中をかき乱す。いや、こいつに限ってそんなことはない。そう思いたいのに、思考はぐるぐると同じところを回り続ける。どうすればいいかなんて、わかるはずもないのに。
「……お願い」
その一言が、ただただ胸に突き刺さる。寂しげに響いたその声が、余計に苦しくさせた。こんなふうに言われて、平気でいられるわけがない。でも、怖くて動けない。
そんな狭間で、わずかに揺れた気持ちが、俺の指先から、じわじわと力を奪っていった。
少し悩んだ末、俺は首元を押さえていた手から、そっと力を抜いた。
それにすぐ気づいたんだろう。彼の手が包み込むように俺の手と重なり、ゆっくりと俺の手をそこから退かしていく。
レイの指が、そこに触れる。首筋に落ちたその感触は、予想以上に冷たかった。触れられた瞬間、その一点にだけ意識が引き寄せられる。皮膚の感覚が鋭くなる。
「……やっぱり、歯型だ」
その声からは、何の感情も読み取ることができなかった。ただ事実を確認するかのようなその声が、かえって恐ろしい。
冷たい指先が、ゆっくりと跡をなぞっていく。そのたびに、肌がびくりと震え、心臓が跳ねる。
「誰にやられたの?」
やわらかく問いかけるその声が、首筋に触れる指先よりもずっと温かく聞こえる。その温度差に、俺は唇をきつく閉ざすことしかできなかった。
0
あなたにおすすめの小説
分厚いメガネ令息の非日常
餅粉
BL
「こいつは俺の女だ。手を出したらどうなるかわかるよな」
「シノ様……素敵!」
おかしい。おかしすぎる!恥ずかしくないのか?高位貴族が平民の女学生に俺の女ってしかもお前は婚約者いるだろうが!!
その女学生の周りにはお慕いしているであろう貴族数名が立っていた。
「ジュリーが一番素敵だよ」
「そうだよ!ジュリーが一番可愛いし美人だし素敵だよ!!」
「……うん。ジュリーの方が…素敵」
ほんと何この状況、怖い!怖いすぎるぞ!あと妙にキモい
「先輩、私もおかしいと思います」
「だよな!」
これは真面目に学生生活を送ろうとする俺の日常のお話
眠れない夜を数えて
TK
BL
はみ出し者の高校生、大野暁は、アルバイトに明け暮れる毎日。
ふとしたきっかけで、訳ありな雰囲気のクラスメイト坂下と親しくなり、二人の距離は急速に縮まっていく。
しかし坂下には人に言えずにいる秘密があり、やがて二人の関係は崩れていく。
主人公たちが心の傷や葛藤と向き合い乗り越えていく物語。
シリアスでせつない描写が中心です。
【完結】ネクラ実況者、人気配信者に狙われる
ちょんす
BL
自分の居場所がほしくて始めたゲーム実況。けれど、現実は甘くない。再生数は伸びず、コメントもほとんどつかない。いつしか実況は、夢を叶える手段ではなく、自分の無価値さを突きつける“鏡”のようになっていた。
そんなある日、届いた一通のDM。送信者の名前は、俺が心から尊敬している大人気実況者「桐山キリト」。まさかと思いながらも、なりすましだと決めつけて無視しようとした。……でも、その相手は、本物だった。
「一緒にコラボ配信、しない?」
顔も知らない。会ったこともない。でも、画面の向こうから届いた言葉が、少しずつ、俺の心を変えていく。
これは、ネクラ実況者と人気配信者の、すれ違いとまっすぐな好意が交差する、ネット発ラブストーリー。
※プロットや構成をAIに相談しながら制作しています。執筆・仕上げはすべて自分で行っています。
完結|好きから一番遠いはずだった
七角@書籍化進行中!
BL
大学生の石田陽は、石ころみたいな自分に自信がない。酒の力を借りて恋愛のきっかけをつかもうと意気込む。
しかしサークル歴代最高イケメン・星川叶斗が邪魔してくる。恋愛なんて簡単そうなこの後輩、ずるいし、好きじゃない。
なのにあれこれ世話を焼かれる。いや利用されてるだけだ。恋愛相手として最も遠い後輩に、勘違いしない。
…はずだった。
陰キャな俺、人気者の幼馴染に溺愛されてます。
陽七 葵
BL
主人公である佐倉 晴翔(さくら はると)は、顔がコンプレックスで、何をやらせてもダメダメな高校二年生。前髪で顔を隠し、目立たず平穏な高校ライフを望んでいる。
しかし、そんな晴翔の平穏な生活を脅かすのはこの男。幼馴染の葉山 蓮(はやま れん)。
蓮は、イケメンな上に人当たりも良く、勉強、スポーツ何でも出来る学校一の人気者。蓮と一緒にいれば、自ずと目立つ。
だから、晴翔は学校では極力蓮に近付きたくないのだが、避けているはずの蓮が晴翔にベッタリ構ってくる。
そして、ひょんなことから『恋人のフリ』を始める二人。
そこから物語は始まるのだが——。
実はこの二人、最初から両想いだったのにそれを拗らせまくり。蓮に新たな恋敵も現れ、蓮の執着心は過剰なモノへと変わっていく。
素直になれない主人公と人気者な幼馴染の恋の物語。どうぞお楽しみ下さい♪
オッサン課長のくせに、無自覚に色気がありすぎる~ヨレヨレ上司とエリート部下、恋は仕事の延長ですか?
中岡 始
BL
「新しい営業課長は、超敏腕らしい」
そんな噂を聞いて、期待していた橘陽翔(28)。
しかし、本社に異動してきた榊圭吾(42)は――
ヨレヨレのスーツ、だるそうな関西弁、ネクタイはゆるゆる。
(……いやいや、これがウワサの敏腕課長⁉ 絶対ハズレ上司だろ)
ところが、初めての商談でその評価は一変する。
榊は巧みな話術と冷静な判断で、取引先をあっさり落としにかかる。
(仕事できる……! でも、普段がズボラすぎるんだよな)
ネクタイを締め直したり、書類のコーヒー染みを指摘したり――
なぜか陽翔は、榊の世話を焼くようになっていく。
そして気づく。
「この人、仕事中はめちゃくちゃデキるのに……なんでこんなに色気ダダ漏れなんだ?」
煙草をくゆらせる仕草。
ネクタイを緩める無防備な姿。
そのたびに、陽翔の理性は削られていく。
「俺、もう待てないんで……」
ついに陽翔は榊を追い詰めるが――
「……お前、ほんまに俺のこと好きなんか?」
攻めるエリート部下 × 無自覚な色気ダダ漏れのオッサン上司。
じわじわ迫る恋の攻防戦、始まります。
【最新話:主任補佐のくせに、年下部下に見透かされている(気がする)ー関西弁とミルクティーと、春のすこし前に恋が始まった話】
主任補佐として、ちゃんとせなあかん──
そう思っていたのに、君はなぜか、俺の“弱いとこ”ばっかり見抜いてくる。
春のすこし手前、まだ肌寒い季節。
新卒配属された年下部下・瀬戸 悠貴は、無表情で口数も少ないけれど、妙に人の感情に鋭い。
風邪気味で声がかすれた朝、佐倉 奏太は、彼にそっと差し出された「ミルクティー」に言葉を失う。
何も言わないのに、なぜか伝わってしまう。
拒むでも、求めるでもなく、ただそばにいようとするその距離感に──佐倉の心は少しずつ、ほどけていく。
年上なのに、守られるみたいで、悔しいけどうれしい。
これはまだ、恋になる“少し前”の物語。
関西弁とミルクティーに包まれた、ふたりだけの静かな始まり。
(5月14日より連載開始)
僕の部下がかわいくて仕方ない
まつも☆きらら
BL
ある日悠太は上司のPCに自分の画像が大量に保存されているのを見つける。上司の田代は悪びれることなく悠太のことが好きだと告白。突然のことに戸惑う悠太だったが、田代以外にも悠太に想いを寄せる男たちが現れ始め、さらに悠太を戸惑わせることに。悠太が選ぶのは果たして誰なのか?
おすすめのマッサージ屋を紹介したら後輩の様子がおかしい件
ひきこ
BL
名ばかり管理職で疲労困憊の山口は、偶然見つけたマッサージ店で、長年諦めていたどうやっても改善しない体調不良が改善した。
せっかくなので後輩を連れて行ったらどうやら様子がおかしくて、もう行くなって言ってくる。
クールだったはずがいつのまにか世話焼いてしまう年下敬語後輩Dom ×
(自分が世話を焼いてるつもりの)脳筋系天然先輩Sub がわちゃわちゃする話。
『加減を知らない初心者Domがグイグイ懐いてくる』と同じ世界で地続きのお話です。
(全く別の話なのでどちらも単体で読んでいただけます)
https://www.alphapolis.co.jp/novel/21582922/922916390
サブタイトルに◆がついているものは後輩視点です。
同人誌版と同じ表紙に差し替えました。
表紙イラスト:浴槽つぼカルビ様(X@shabuuma11 )ありがとうございます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる