90 / 95
第三章
32話
しおりを挟む
依織はまっすぐこちらを見ていた。さっきまで赤くなって取り乱していた男と同じ顔とは思えないほど、静かで真剣な表情だった。
「冗談って言っておけば、もし嫌な顔されたとしても、笑って誤魔化せると思って……」
口元が、ほんのわずかに歪む。笑おうとしてるはずなのに、うまく笑えてない。気づけば、俺たちはいつの間にか足を止めていた。
「俺、そんなに強くないんです。シキ様が思ってるより、ずっと」
風が吹いて、向かい合った彼の前髪が揺れる。街灯に照らされた顔は、どこか心細そうだった。
「嫌われたくない。でも、距離も縮めたい。もっとシキ様のこと知りたいし、触れたいし……もっと俺のこと見てほしい。……でも、踏み込みすぎて嫌われるのは怖い」
泣きそうな顔でこちらを見つめる依織に胸が苦しくなる。
「自分でもずるいって思ってます。ちゃんと本気でぶつかれないくせに、期待だけ……するなんて」
夜風が二人のあいだを抜ける。駅前のざわめきが少しずつ近づいてきているのに、やけにこの場所だけが静かだった。
「ごめんなさい。困らせちゃいましたか?」
依織は、眉尻を下げながらも、一歩距離を詰めてきた。
「でも、結局、隠そうとしてたこと全部言っちゃいましたし……」
俺は何も言わなかった。否、言えなかった。呼吸が触れ合いそうなほど近くに来た依織の視線は、俺の逃げ道すらなくそうとしているようで。まるで、蛇に睨まれた蛙のように、俺は指先一つも動かせなかった。
「もう少しぐらい、欲張ってもバチは当たらないですよね。俺の逃げ道、なくなっちゃいましたから」
そう言いながら、彼は指先で俺の頬を撫でる。冷えた夜の空気の中、依織が触れたところだけが熱を持っていく。
「ねぇ、シキ様」
低く、柔らかい声が落ちてくる。
「俺は、このまま帰ってほしくないんですけど」
頬を撫でていた手が、今度は顎に触れる。目は合っているはずなのに、依織以外を見ることは許さないとでもいうように、視線を捕らわれる。
「……シキ様は帰りたいですか?」
顎に触れた指先が、ほんのわずかに力を込められる。視線を逸らす自由だけは残されているのに、逸らせない。
喉が、ごくりと鳴る。
どうしよう。返事に迷ってしまう。目の前の男が望んでいることは、たぶん俺も望んでいる。まだ一緒にいたい。それは、もう否定しようがない。でも……
俺は、顎に添えられていた手に自分の手を重ねて、ゆっくりと、その指先を外させた。
その瞬間、依織の表情が揺れた。目がわずかに見開かれて、唇がきゅっと結ばれる。彼は、その行動を拒絶だと受け取ったのか、傷ついたような顔を見せる。
そんな顔をさせるつもりはなかった。
外したはずのその手を、逃げられないように握り込む。指と指を絡めるほどではない。ただ包み込むように、自分の掌の中に閉じ込める。
依織の体温が、じわりと伝わる。
視線は逸らさないまま。口を開いた。
「……もう一軒だけ、行こう」
その言葉が落ちた瞬間、依織の目が今度は違う意味で揺れた。驚きと安堵と、それから隠しきれない喜びが、順番に浮かぶ。
「……え」
間の抜けた声が漏れる。先ほどまでの攻めるような視線は消え、代わりに熱を帯びたまま、ほんの少しだけ柔らかくなっていた。
「なんだよ……帰って欲しかったのか」
少しだけ意地悪く言うと、依織ははっと我に返ったみたいに首を振った。
「ち、違います!ただ……」
「ただ?」
「驚いたというか、なんというか……」
言葉を探している依織は、一瞬視線を落とした。俺はそれをじっと見つめる。
「で、依織」
名前を呼ぶと、彼は即座に顔を上げた。
「もう一軒付き合ってくれるんだよな?」
彼は、一瞬、意味を飲み込むように瞬きを繰り返す。それから、ゆっくり、ゆるやかに、表情がほどけていく。
「もちろんです!」
それはもう即答だった。
「冗談って言っておけば、もし嫌な顔されたとしても、笑って誤魔化せると思って……」
口元が、ほんのわずかに歪む。笑おうとしてるはずなのに、うまく笑えてない。気づけば、俺たちはいつの間にか足を止めていた。
「俺、そんなに強くないんです。シキ様が思ってるより、ずっと」
風が吹いて、向かい合った彼の前髪が揺れる。街灯に照らされた顔は、どこか心細そうだった。
「嫌われたくない。でも、距離も縮めたい。もっとシキ様のこと知りたいし、触れたいし……もっと俺のこと見てほしい。……でも、踏み込みすぎて嫌われるのは怖い」
泣きそうな顔でこちらを見つめる依織に胸が苦しくなる。
「自分でもずるいって思ってます。ちゃんと本気でぶつかれないくせに、期待だけ……するなんて」
夜風が二人のあいだを抜ける。駅前のざわめきが少しずつ近づいてきているのに、やけにこの場所だけが静かだった。
「ごめんなさい。困らせちゃいましたか?」
依織は、眉尻を下げながらも、一歩距離を詰めてきた。
「でも、結局、隠そうとしてたこと全部言っちゃいましたし……」
俺は何も言わなかった。否、言えなかった。呼吸が触れ合いそうなほど近くに来た依織の視線は、俺の逃げ道すらなくそうとしているようで。まるで、蛇に睨まれた蛙のように、俺は指先一つも動かせなかった。
「もう少しぐらい、欲張ってもバチは当たらないですよね。俺の逃げ道、なくなっちゃいましたから」
そう言いながら、彼は指先で俺の頬を撫でる。冷えた夜の空気の中、依織が触れたところだけが熱を持っていく。
「ねぇ、シキ様」
低く、柔らかい声が落ちてくる。
「俺は、このまま帰ってほしくないんですけど」
頬を撫でていた手が、今度は顎に触れる。目は合っているはずなのに、依織以外を見ることは許さないとでもいうように、視線を捕らわれる。
「……シキ様は帰りたいですか?」
顎に触れた指先が、ほんのわずかに力を込められる。視線を逸らす自由だけは残されているのに、逸らせない。
喉が、ごくりと鳴る。
どうしよう。返事に迷ってしまう。目の前の男が望んでいることは、たぶん俺も望んでいる。まだ一緒にいたい。それは、もう否定しようがない。でも……
俺は、顎に添えられていた手に自分の手を重ねて、ゆっくりと、その指先を外させた。
その瞬間、依織の表情が揺れた。目がわずかに見開かれて、唇がきゅっと結ばれる。彼は、その行動を拒絶だと受け取ったのか、傷ついたような顔を見せる。
そんな顔をさせるつもりはなかった。
外したはずのその手を、逃げられないように握り込む。指と指を絡めるほどではない。ただ包み込むように、自分の掌の中に閉じ込める。
依織の体温が、じわりと伝わる。
視線は逸らさないまま。口を開いた。
「……もう一軒だけ、行こう」
その言葉が落ちた瞬間、依織の目が今度は違う意味で揺れた。驚きと安堵と、それから隠しきれない喜びが、順番に浮かぶ。
「……え」
間の抜けた声が漏れる。先ほどまでの攻めるような視線は消え、代わりに熱を帯びたまま、ほんの少しだけ柔らかくなっていた。
「なんだよ……帰って欲しかったのか」
少しだけ意地悪く言うと、依織ははっと我に返ったみたいに首を振った。
「ち、違います!ただ……」
「ただ?」
「驚いたというか、なんというか……」
言葉を探している依織は、一瞬視線を落とした。俺はそれをじっと見つめる。
「で、依織」
名前を呼ぶと、彼は即座に顔を上げた。
「もう一軒付き合ってくれるんだよな?」
彼は、一瞬、意味を飲み込むように瞬きを繰り返す。それから、ゆっくり、ゆるやかに、表情がほどけていく。
「もちろんです!」
それはもう即答だった。
0
あなたにおすすめの小説
タトゥーの甘い檻
マリ・シンジュ
BL
執着系わんこ攻(大学生)× 高潔な美形教授受(30代)
どのお話も単体でお楽しみいただけます。
「先生、ここ……僕の瞳を入れるから。ずっと、僕だけを見てて」
真面目な大学教授・新城が、大学生の・羽生にだけ許した、あまりにも淫らな「わがまま」。
それは、誰にも見えない内腿の奥深くに、消えないタトゥーを刻むこと。
「下書き」と称して肌を赤く染めるペン先の冷たさ。
アトリエの無機質なライトの下、四つん這いで晒される大人の矜持。
ずっと年下の青年の、必死で、残酷で、純粋な独占欲。
愚かだと知りながら、新城はその熱に絆され、ゆっくりと「聖域」を明け渡していく――。
「……お前のわがままには、最後まで付き合う」
針が通るその時、二人の関係は一生消えない「共犯」へと変わる。
執着攻め×年上受け、密やかに刻まれる秘め事のお話。
「大学一軍イケメンにいちご狩りに誘われた陰キャの俺、なぜかいちごじゃなくて俺が喰われたんだが(?)
子犬一 はぁて
BL
大学一軍イケメン×大学九軍陰キャ 喰われるなんて聞いてないんだが(?)
俺は いちご狩りに誘われただけだが。
何故か誘ってくれた大学一軍イケメンの海皇(21)に、突如襲われて喰われたのは俺だった?
ちょっと待ていっ! 意味不なんだが。
いちご狩りからはじまるケンカップルいちゃらぶ♡
※大人描写ありの話はタイトルに『※』あり
定時後、指先が覚えている
こさ
BL
職場で長く反目し合ってきた二人。
それでも定時後の時間だけは、少しずつ重なっていく。
触れるはずのなかった指先。
逸らさなかった視線。
何も始まっていないのに、
もう偶然とは呼べなくなった距離。
静かなオフィスでゆっくりと近づいていく、
等身大の社会人BL。
俺以外美形なバンドメンバー、なぜか全員俺のことが好き
toki
BL
美形揃いのバンドメンバーの中で唯一平凡な主人公・神崎。しかし突然メンバー全員から告白されてしまった!
※美形×平凡、総受けものです。激重美形バンドマン3人に平凡くんが愛されまくるお話。
pixiv/ムーンライトノベルズでも同タイトルで投稿しています。
もしよろしければ感想などいただけましたら大変励みになります✿
感想(匿名)➡ https://odaibako.net/u/toki_doki_
Twitter➡ https://twitter.com/toki_doki109
素敵な表紙お借りしました!
https://www.pixiv.net/artworks/100148872
(完結)冷徹アルファを揺さぶるオメガの衝動
相沢蒼依
BL
名門・青陵高校に通う佐伯涼は、誰もが一目置く完璧なアルファ。冷静沈着で成績優秀、規律を重んじる彼は、常に自分を律して生きてきた。だがその裏には厳格な父と家の名に縛られ、感情を抑え込んできた孤独があった。
一方、クラスの問題児と呼ばれる榎本虎太郎は自由奔放で喧嘩っ早く、どこか影を抱えた青年。不良のような外見とは裏腹に、心はまっすぐで仲間思い。彼が強さを求めるのは、かつて“弱さ”ゆえに傷ついた過去がある。
青陵高校1年の秋。冷徹で完璧主義の委員長・佐伯涼(α)は、他校の生徒に絡まれたところを隣のクラスの榎本虎太郎(Ω)に助けられる。だがプライドを傷つけられた佐伯は「余計なことをするな」と突き放し、二人の関係は最悪の出会いから始まった。
《届かぬ調べに、心が響き合い》
https://estar.jp/novels/26414089
https://blove.jp/novel/265056/
https://www.neopage.com/book/32111833029792800
(ネオページが作品の連載がいちばん進んでおります)
[BL]憧れだった初恋相手と偶然再会したら、速攻で抱かれてしまった
ざびえる
BL
エリートリーマン×平凡リーマン
モデル事務所で
メンズモデルのマネージャーをしている牧野 亮(まきの りょう) 25才
中学時代の初恋相手
高瀬 優璃 (たかせ ゆうり)が
突然現れ、再会した初日に強引に抱かれてしまう。
昔、優璃に嫌われていたとばかり思っていた亮は優璃の本当の気持ちに気付いていき…
夏にピッタリな青春ラブストーリー💕
【完結】かわいい美形の後輩が、俺にだけメロい
日向汐
BL
続編・番外編はTwitter(べったー)に載せていきますので、よかったらぜひ🤲
⋆┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈⋆
過保護なかわいい系美形の後輩。
たまに見せる甘い言動が受けの心を揺する♡
そんなお話。
⋆┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈⋆
【攻め】
雨宮千冬(あめみや・ちふゆ)
大学1年。法学部。
淡いピンク髪、甘い顔立ちの砂糖系イケメン。
甘く切ないラブソングが人気の、歌い手「フユ」として匿名活動中。
【受け】
睦月伊織(むつき・いおり)
大学2年。工学部。
黒髪黒目の平凡大学生。ぶっきらぼうな口調と態度で、ちょっとずぼら。恋愛は初心。
「あなたが見ているのは、誰ですか」
静羽(しずは)
BL
新人社員の湊 海(みなと かい)は大手企業に就職した。
情報処理システム課に配属された。
毎日作成した書類を営業課に届けている。
海は情報処理システム課で毎日作成した書類を営業課に届けている。
そこには営業課に所属するやり手社員、綾瀬 (あやせ はると)の姿があった。
顔見知りになった二人は、会社の歓迎会で席が隣になったことで打ち解け遥斗は湊に一目惚れしていた事、自分のセクシャリティを打ち明けた。
動揺しつつも受け入れたいと思う湊。
そのタイミングで大学時代に憧れていた先輩・人たらし朝霧 恒一(あさぎり こういち)と卒業後初めて再会し、湊の心は二人の間で揺れ動く。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる