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しおりを挟むさっき触れた修史の額が汗ばんでいたので、階下の洗面所でタオルを探し、桂は二階に戻った。
幼い頃から入り浸っているこの家は、なかば親戚の家のような感覚で、どこに何が置いてあるかは概ね把握している。
この家の中で、桂が立ち入らないようにしているのは、修史の両親の部屋と書斎、そして麻里の部屋くらいだ。
修史の部屋のドアを開けると、修史はもう眠っているらしく、静かな寝息が聞こえてきた。
一昨日くらいから、何となく修史の調子が悪そうだとは思っていたのだ。部活の忙しさに加え、急に寒くなったせいもあり、体力を消耗していたのかもしれない。
昔から修史は、こんな風に熱でも出して倒れるまで、疲れたとか無理だとか言わないたちなのだ。
部屋に入り、タオルでそっと額と首の汗を拭っても、修史が起きる気配はない。
本当は着替えた方がよいのだろうが、さすがに勝手にそこまで世話をするのは気が引けた。
基本的に修史は、ふだん弱味を見せたり、人を頼ったりすることをしない。理性とか、常識とか、正しさとか、理想とか。そんなものを生真面目に背負うことが苦にならない性分らしく、誰に対しても、必ず自分が支える側に立ちたがる。
それでも、いま目の前の寝顔はひどく無防備だ。熱にうなされているのか、時々眉根を寄せて苦しそうにしている。
熱出ると、同じ夢見ないか?
いつだったか、修史がそんな風に言っていたことがあった。どんな夢かを聞いても、修史もよく覚えていないらしく、答えは曖昧だった。
繰り返される、形のない悪夢。…今も、その夢を見ているのだろうか。
麻里が帰宅するまで、下のリビングで宿題でも片付けているつもりだったが、何となくそのまま修史の部屋に止まることにする。
少し冷え込んできたので、修史のデスクの椅子の背にかかっているひざかけを取って、ホットカーペットのスイッチを入れて座り、ベッドの横板にもたれた。
…この部屋、こたつにすればいいのに。
毎年冬になるとそう思い修史に提案するのだが、桂がこたつから出てこなくなるから、という理由でいつも却下されている。
ホットカーペットの温もりに眠気を感じながらしばらく適当に携帯をいじっていると、桂、と後ろから修史の声に呼ばれた。
起きたのかと思って振り向いたが、特にそれ以上の台詞は続かない。まだ、眠っているようだ。
桂は苦笑する。
…もしここにいるのが、修史の彼女だったら。…その寝言は、けっこうアウトだと思う。
それでも、実際はその言葉には何の意味もない。ただ、近すぎるのだ。家族のように、当たり前のように近くにいて。自分にとってどういう存在なのかを、改めて考える必要すらない。
例えばお互いが、誰を選んでも。他の誰と、どんな時間を過ごそうと。…別に何も、変わりはしないのだ。
そんなことを考えながら、桂はふと、壁のカレンダーに目をやる。
明日は金曜日。それを確認して、ようやく、今日の放課後の予定を完全にすっぽかしてしまったことに気付く。
時間はもう4時半を過ぎている。相手の連絡先は知っていたが、向こうから着信があった様子もないし、今さら連絡をする必要性は感じなかった。
もともと、気が向いたら行くとしか言っていないのだ。これまでも行けないことはあったし、…来週、今日の分も適当に埋め合わせすればいいだろう。そう結論づける。
来なかった理由を問い質されたり、言葉で責められることはきっとない。他の方法で、答えや代償を求められるだけだ。それはそれで別に構わなかった。
修史が次に起きたのは、それから小一時間ほどした頃だ。ベッドのすぐ横でうたた寝をしかけていた桂に気付いて、修史はやや呆れたようすだった。
「…うつるって、言ってんのに」
「大丈夫だってば。…何か、飲む?」
スポーツドリンクを渡すと、修史は素直に受け取って、ゴクゴクと飲んだ。その様子を見守りながら、桂は笑みをこぼした。
顔色は悪くない。熱も下がってきているようだし、おそらく、心配するような感染症ではないだろう。
いつの間にか日が落ちていたので、桂は立ち上がって部屋のカーテンを引き、電気をつける。
「…そういえば修史、寝言、言ってたよ」
「寝言?」
やはり全く覚えがないらしく、手早く着替えながら不思議そうに首をかしげる修史に、桂は笑って言った。
「“かなえ”って」
「……」
修史が一瞬、黙り込む。桂の表情を見て、すぐにからかわれていることに気付いたようで、コツンと桂の頭を叩いた。
それは特に強い痛みではなかったが、その瞬間、ひり、と説明しようのない感覚が、桂の心を撫でた。
修史に事実を伝えなかったのは、それが別にわざわざ言う必要のないことだと知っていたからだ。
冗談のなかに、混ぜ込んでしまえる類いのもの。聞き流しておいて、特に問題のないこと。
だが、例えばさっき、本当に修史が加奈恵の名前を呟いていたら、…自分はどう感じたんだろう。
寝言を言ってたよと、今と同じように笑えただろうか。
そんなことを考えかけて、やめた。
それは、考える必要のないこと。意味のないことだ。
…重苦しい記憶の向こうに、必死に、抑え込んでいるもの。油断すると膨らんでいく、何か得体の知れないもの。
修史が言っていたようなそんな悪夢なら、もしかしたら自分も見ているのかもしれないと桂は思う。いま、この瞬間に。
そしてそれは、心配しなくても、弾ける前にちゃんと覚める。跡形もなく、ちゃんと消えていく。
…痛みも、苦しみも、現実ではなく。ただの夢に過ぎないのだから。
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