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classmate
しおりを挟む「小暮くん、なに考えてるの?」
試験明けの7月中旬。間もなく夏休みに入り、周りの空気も何となく浮わついて感じる、そんな時期。
ファーストフード店のテーブルで頬杖をついていた祐介は、我に返って視線を上げた。
目の前には、亜弥の苦笑顔がある。
「あ、ゴメン」
素直に詫びた。久しぶりに亜弥と会っているのに、自分がぼうっと他のことを考えていたことに気づいたからだ。
祐介は冷めたポテトをつついた。
「試験が終わったばかりで疲れてるのかなと思ったけど、そういう顔じゃないね」
そう言って亜弥は笑う。清水亜弥は、祐介の通う私立清鳳学園の隣の女子校、香泉女子の生徒である。祐介は、5月から亜弥と付き合うようになっていた。
清鳳は男子校である。同じ最寄り駅を使う香泉女子とは生徒会や部活動での交流もあり、両校の生徒にはカップルも多い。
亜弥の女子らしい穏やかな雰囲気と、さらさらした髪が気に入っていた。
何となく声をかけたのは祐介の方だ。あれは清鳳に入学して、少し経った頃。
その日、電車の中で、立ったまま何かの文庫本を読んでいる亜弥が目についた。香泉の制服だった。
文庫本には紺色の布カバーがかけられていて、電車から降りるとき、彼女は読みかけのページにそっと革紐のしおりを挟んだ。電車の喧騒の中で、その空間がやけに静かだった。
赤毛のアンだな、と彼女が読んでいる本を勝手に想像した。同世代の女子の読みそうな本などよくわからないが、きっとそんなところだろう。
電車から降りたところで、思わず声をかけた。まだ4月だった。一緒にいたクラスメイトには、オマエ手が早い、と散々からかわれた。
ちなみに後日、実際にそのとき何を読んでいたのか亜弥に聞いてみたら、「壬生義士伝」と答えられた。いま読みかけているのは青春スポーツものの4巻目だという。祐介が一目惚れした乙女は、案外、乙女チックな本を好まないらしかった。
「それで、何考えてたの?」
亜弥に聞かれ、祐介は目を瞬かせる。考えていた? 何を?
目の前にいる彼女の話もろくに聞かずに、ぼんやりと自分が何を考えていたかに気づいて、祐介はギョッとする。
自分の手に残る、他人の手首の感触がよみがえる。間近で見た瞳と、息づかい。誘うように微笑む唇。…夏服のシャツの襟元。
「ゴメン、何かオレ、やっぱ疲れてるのかも」
…あれは先月の出来事だ。もう1か月近く経つ。どうして、また思い出してしまったんだろう。
山崎桂。クラスメイトの一人。
放課後の教室で、誘われるままふらふらと桂の手を掴んで、机の上に引き倒していた。その直後に教室に人が来たせいで結局何事もなかったのだが、あの場に誰も来なかったら、確実にどうにかなっていたと思う。
桂は、その際立った容姿のせいで、クラスの中でも目立つ存在だ。クラスで…というより、学園の中で桂のことを知らない人はいないのかもしれない。
その姿と、頭の良さと。…見ているとゾクゾクするような、あの雰囲気。
あの時のことは桂と自分の中ではなかったことになっていて、今は普通にクラスメイトをやっているつもりだ。
綺麗な奴だとは思うけど、桂に恋愛感情を持っているわけじゃない。理屈じゃないのだ。ふわっと誘われるように、どうしてもその仕草に目が行ってしまう。
男子校だから、という問題でもない気がする。例えば清鳳が共学で、そこに山崎桂がいたとしても、自分は桂のことを目で追ってしまうかもしれない。
「今日は帰ろっか」
亜弥が言った。必要以上にねちねちと追及してこない。そんなところも気に入っていた。察しが良く、必要なときに、必要な言葉をかけてくれる。大事だし、大事にしなければと思っている。
ファーストフード店を出て、しばらく他愛もないことを話しながら並んで歩いていると、駅の方を見やった亜弥が、あ、と呟いた。
「山崎桂くん」
「はい?」
タイムリーに出てきたその名前にギョッとしながら視線を巡らせると、確かに駅の改札を桂が入っていくところだった。一緒に誰かいたが、たぶん1Aの坂井修史だろう。桂とは同じ中学で、家が近いと聞いている。
この距離で、他校の女子から個人名を特定されている。学園内どころの有名人じゃない。確かに日頃、桂目当てで清鳳の校門付近をうろつく女子は多いのだ。
当の桂は、それをさらりと会釈で交わしたり、適当に話に付き合ったり、悪い印象を残すことなく、慣れたようすで受け流していく。
「彼、本当に人気あるんだよね、うちの学校で。小暮くん、同じクラスでしょう。普段、どんな感じ?」
「あー。よくわかんない。…でも女子が思うほど、キラキラの王子様でも…お利口さんの良い子ちゃんでもない…かな」
山崎桂には、いろんな噂がある。その中には事実も、そうでないものもあるだろう。…学園の外には決して漏れない、様々な際どい噂。
「ふうん?」
「…遠くから、キャアキャア見てるのがいいのかもなぁ」
ごく普通の女子たちに、捕まえられるような相手じゃない。それだけは確かだと思った。女の子に冷たくすることはないけれど、騒がれて喜んでいるわけでもない。桂は本当の姿や本音を、たぶんすごく奥深くに隠している。
祐介が知っている桂も、きっと実際の桂ではない。…もっと、もっと奥だ。絡め取られるような色気の、もっと向こう。
誰もたどり着けない場所に、本当の桂がいる。
…山崎はやめとけよ、小暮。
例の教室での一件の翌日、同じクラスの瀧川将人に言われた言葉だ。それで、あの日教室に来たのが瀧川だったのだとわかった。
あの場面を見られたことは死ぬほど気まずかったが、そんな忠告を寄越してくるくらいには、瀧川自身も山崎桂の危うさに気づいているのだろう。
やめておくも何も、祐介としては、桂に手を出すつもりは全くないのだ。それなのにふらふらとあの空気に酔ってしまう。これまで、そんな風に何人の人間が堕ちていったのか、知らない方が身のためだという気がした。
あの体の奥底に何があるのか。いつか、それを知れるのか。ふと見せる、寂しいような切ないような表情は、何のためなのか。
いつでも微笑んでいるようなあの唇は、どうしたら本当に笑うのか。
どうしても、そんなことを考えてしまう。
祐介と亜弥は、駅の改札を通り、ホームへと向かった。反対側のホームに、何か話しながら次の電車を待つ、桂たちの姿が見える。
「…あんな風に笑うんだ」
普段立ち止まる場所より少し手前で足をとめた亜弥が、驚いたようにそう呟いた。視線を向けると、確かに桂が笑っている。
他人に見せるための笑顔じゃない。屈託のない、少し幼いような笑顔。
時々桂は、あんな風に笑う。見とれるほど綺麗なのは相変わらずだが、あの日教室で感じたような危うさは、今の桂からは感じられない。
別人のように、空気の色が変わる瞬間がある。それはもしかしたら、素顔の山崎桂に近いのかもしれない、と思う。
ふと、視線を感じたのか、桂の隣にいる坂井修史がこちらに目を向けた。お互い、名前とクラスを知っている程度の知り合いだ。直接話したことはない。
軽く会釈をされる。隣の桂もそれに気づいたようで、こちらを見て、にこ、と笑った。
いつもの桂だ。クラスメイトとして、そこには何の違和感もない。
桂にとっては、あれはきっと何でもないことなのだ。簡単になかったことにできるような、他愛もないアクシデント。
「山崎くんがクラスにいたら、私も好きになってたなぁ」
ここからでもわかる鮮やかな笑顔に引き込まれたように、亜弥がそんなことを言う。それを聞いても、祐介は不思議と嫉妬を覚えない。そりゃそうだろうなと思うだけだ。
きっと誰だって、目を奪われる。あるいは、心を。
「…なら、山崎より先に亜弥に声かけといて良かった」
亜弥が桂に恋する前に。自分が、桂に堕ちる前に。
「何それ。山崎くんは、私なんかに声かけないでしょう」
「そんなの、わかんないだろ」
「えー、わかるよ。…さっきの顔、見なかったの?」
「え?」
亜弥に訊かれ、祐介は首を傾げた。
さっきの、笑った顔なら見た。安心したように、ふわっと微笑んだ。…だから、何だというのだろう。
「わからないならいいよ」
亜弥は苦笑した。行こ、と背を押される。それに頷いて歩き出しながら、もう桂のことをあれこれ考えるのはやめておこう、と祐介は思った。
…自分には、どうせ届かない。いくら気にしても、桂が心の内を見せてくれるわけじゃない。桂が必要としているものを、与えてやれるわけじゃない。
いつの間にか、蝉がうるさいくらいに鳴いている。それをかき消すように、ホームに電車が滑り込んでくる。
高校最初の夏が、始まろうとしていた。
END
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