その罪の、名前 Ⅱ

萩香

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PAST/いくつかの嘘

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 ケーキの箱を手に遼が自宅の前までたどり着くと、ちょうど門の前に、シルバーグレイの車が滑り込んで来た。

 玄関ドアに手を掛けたまま、遼は立ち止まって視線を滑らせた。ほどなく車体のドアが開いて、助手席から知香が降りてくる。

「ありがとう。……ごちそうさま」

 中をのぞき込むようにしてそう言うと、知香は車のドアを閉めた。車の中で、相手が軽く手を振ったのが遼にもわかった。
 ゆっくりと滑り出していく車を名残おしそうに見送っている知香の背に向かって、遼はクスクスと笑いながら声をかけた。

「……おかえり。こんな時間にちゃんと帰してくれるなんて、今度の彼氏はいい人だね」

 突然暗がりから響いた弟の声に、知香は驚いたように振り返った。

「遼!? ……何だ、いたの」

「いたの、じゃないよ。……はい、これ。花梨館の店長から」

「……ありがとう。ブラウニー?」

「うん。日持ちするから、おなか空いてなかったら別に今日食べなくても平気だよ」

「うん……」

 そう頷いて、知香はまた黙り込んでしまう。訝しげに遼が顔をのぞきこむと、知香はちょっと困ったように首を傾げた。

「遼、あのね」

「?」

「……私、プロポーズされた。結婚しないかって、言われたの」

 遼は沈黙する。
 知香が今の彼氏と付き合い始めて、まだ三カ月ほどだ。確か、会社に入ってすぐの飲み会で知り合ったと聞いている。

 三カ月。一人の人間を知るには、短すぎるといえば短すぎる期間だ。

「早い……気もするけど。……悪くないんじゃない。いい会社の人なんだろう」

「うん……」

 頷きながらも、知香はまだ迷う顔だ。

 知香が女子大を卒業して、まだ数カ月しか経っていない。いきなり結婚と言われても、まだピンと来ないのだろう。遼にしたって、姉が結婚するなんてまったく実感がわかない。

 両親が離婚していることもまた、知香をためらわせる一因かもしれない。結婚に対して、どうしてもネガティブなイメージがあるのだ。うまくいかなかった実例が、あまりにも身近に存在するから。

「別に、今すぐに結婚するってことじゃないんだろう。正式に、って話になったら……父さんとか、母さんにも会ってもらうことになるし」

「そう……そうよね」

「ゆっくり、考えてみれば?」

 遼にはそんな言葉しか、かけられない。決めるのは知香だ。

 相手がどんな人にせよ……知香を幸せにできる人だったら遼はそれで良かった。

 知香が幸せになること。そして、離れた場所にいる母親も含めて、家族全員が平穏であること。そのたった二つの願いしか、遼は抱いていなかったから。
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