底辺乗り物オタクの私―推しの推し活が、溺愛すぎる

亜 れみた

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第3話:ブラックコーヒーと、デジャヴの響き

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「・・・あの、これ。落ちましたよ」  館林民亜は、はっとして顔を上げた。 

 差し出されたのは、自作の真鍮製「連結器型キーホルダー」。鉄道開業二百周年を記念して、自分で削り出した、世界に一つだけのお気に入りだ。

「あ、すみません・・・ありがとうございます」 

 受け取りながら、隣に座る男性の顔をちらりと見上げる。だが、帽子のつばが影を落とし、表情はよく見えない。完璧な変装のはずなのに、そこから漏れ出る、圧倒的に「整いすぎた」オーラに、民亜の心臓が不自然に跳ねた。  男性は、少し照れたように、それでも真っ直ぐ彼女を見て言った。 「もしかして・・・『民鉄(たみてつ)』さんですか?」

 その一言で、民亜の動きが完全に止まる。 「え? あ、はい・・・そうですけど・・・ええっ!? なんで、分かったんですか?」 「誰にも話しかけられることなんてないチャンネルなのに・・・」  自撮りゼロの、いわゆる底辺チャンネル。民亜は、これまでに一度も、街で声をかけられたことがなかった。だからこそ、この出来事に、素直に驚いていた。

 男性は、椅子の上で背筋を正し、少し身を低くするようにして答えた。 「いや、僕はいつも動画の更新を楽しみにしています。特に、あの・・・鉄筋コンクリートの打継目を、三十分間ただ流すだけの動画。あれは、傑作でした」 「・・・え、あれを見てくださってるんですか? すごく、すごく嬉しいです・・・!」

  民亜の顔に、ぱあっと花が咲く。コメントは少ない。けれど、ちゃんと見てくれている人がいる。しかも、こうして直接、声をかけてくれる人が。民亜は、思わず優しく目を細めて微笑んだ。

「今も、あそこのデッキでやってた撮り鉄配信、観てました」 「バッテリーが切れたって、SNSに投稿されてましたよね。まさか、ここに来るとは思いませんでした」 「そうだったんですか! ちゃんと充電したつもりだったのに・・・すみません・・・」  民亜がメニューに手を伸ばした、その瞬間だった。隣の男が、ごく自然な動作で、そっとそれを制した。 「あ、まだ注文されてませんでしたよね。・・・今日は外、暖かいですけど。ホットで、いいですよね。ブラックで」

 民亜は、目を見開いた。 「え・・・? あ、はい。ブラックを頼もうと思ってましたけど・・・どうして、分かったんですか?」  壮大は、一瞬だけ言葉に詰まった。「しまった」という感情が、ほんのわずかに顔に出る。だがすぐに、穏やかな笑みに切り替えた。  彼は、知っていた。民亜の鉄活YouTubeでは、本人の姿は映らない。それでも、動画の端々に、必ず映り込むものがある。その日、手に取った飲み物。決まって、ホットのブラック。それらを、ただ「眺めていた」だけだと、さっきまでは、思っていた。

「店員さん。こちらに、ホットのブラックを一つお願いします」  店内に通る、はっきりとした中低音。先ほどまでの小声とは違う、芯があり、どこか切なさを含んだ響きだった。  民亜の耳が、ぴくりと反応する。 (・・・え?)  聞き覚えがある。声そのものというより、息の抜け方。母音の伸ばし方。音の置き方。胸の奥が、理由もなくざわついた。まさか。ありえない。声が好きすぎるせいで、そう聞こえただけだ。オタクは、自分の幻聴をいちばん疑う生き物なのだから。

「・・・ところで」  男が、少し照れたように続ける。 「『民鉄(みんてつ)』さんって、どうして“民鉄”ってチャンネル名なんですか?」 「あ、えっと・・・名前が“民亜(たみあ)”なので、それで」 「へえ。民亜、いい名前ですね。僕は・・・壮大(そうだい)といいます」 「そ、壮大・・・?」  民亜の声が、わずかに裏返る。「い、いい・・・いい名前ですね・・・」  心臓が、一拍だけ余計に鳴った。――落ち着け。同じ名前の人なんて、いくらでもいる。

「・・・服部(はっとり)、と言います」  男は、少し間を置いて付け足した。「ただの、乗り物好きな男ですよ」  服部。その名字が、民亜の脳内で小さく反響する。音楽活動はSOUDAI。そして俳優としての名は、服部壮大。理性が「ただの偶然だ」と告げる一方で、知識が勝手にピースを拾い集め始めてしまう。

 沈黙は、気まずさよりも先に、居心地の良さを連れてきた。  喫茶店の奥で、古い冷蔵庫が低く唸り、遠くで列車がガード下を抜ける音がする。民亜は、カメラのレンズキャップを外し、指先で軽く拭いた。その何気ない動きを、壮大の視線が無意識に追っていることに、彼女は気づいていない。

「この喫茶店、よく来られるんですか?」  唐突でもなく、踏み込みすぎてもいない。ちょうどいい距離感の声だった。 「はい、時々。でも今日は・・・山品川(やましながわ)駅まで足を延ばして、山常軒(さんじょうけん)の春限定の駅そばを食べようと思ってたんです」  言ったあとで、少しだけ恥ずかしくなる。わざわざ説明するようなことでもないのに。

「今年の春そば、春野菜だけじゃなくて、桜の塩漬けも入ってるそうですね」 「・・・はっ」  思わず、間の抜けた声が出た。民亜は慌てて口を押さえる。鉄活の話を、誰かと「会話として」することに慣れていない。動画では一方的に語る。コメント欄は、たまに短く返す。それだけの世界だった。 「す、すごいですね。そこまで詳しいなんて」  探るような視線を向けると、壮大は一瞬だけ言葉に詰まった。 「いや、その・・・詳しいというか・・・」  歯切れが悪い。さっきまでの落ち着きが、ほんの少し崩れている。

「駅そばの写真、いつも撮られてますよね。湯気で曇った画像も、香りが伝わってきそうで好きです」 「そばの湯気がいいって言ってもらうこと多いんですけど・・・あれ、実は、解像度が低いだけなんです」  壮大が、首を傾げる。 「はい。スマホの設定、初期のままで・・・暗いところだと、勝手に画質が落ちちゃって」  壮大は、少し驚いたように目を瞬かせた。 「・・・あ、そうなんですね。ま、それも味ですね」  その反応に、民亜は少し安心する。

「簡単ですよ」 「そうですか?」今度は民亜が首を傾げた。 「あ、よかったら・・・貸してみてください」  民亜の手の中にあったスマートフォンを、壮大が拾うように手にした。
 画面を点けた瞬間――。  ロック画面いっぱいに広がる、ライブ写真。  照明。マイク。見覚えがありすぎる、五人のシルエット。

「・・・あ」  今度こそ、完全に声が止まる。 「1825・・・」  民亜の顔が、分かりやすく固まった。 「あっ」  今度は、壮大のほうが小さく声を上げる。 「そうなの・・・?」
 民亜は、ゆっくりと頷いた。息も空気も止まった。 「なーんだ」  壮大が、少し肩の力を抜く。 「俺らのファンか」

 空気が、ふっと軽くなる。 「じゃ、敬語やめるね」  民亜はまだ固まっていた。 「今日も、毎週水曜日の昼間もライブ配信、お疲れさま」  心臓が、きゅっと鳴る。 「水曜日が休みじゃないなんて、言わせないよ」  それは、画面越しに何度も聞いた声だった。 「来週の水曜日は、山品川駅。山常軒の春限定駅そばね」
 壮大は手慣れた手つきでスマホを操作し、画面を民亜に向けた。 「LINEのアイコンは・・・あ・・・ここだ・・・。繋げといたから!」

 民亜は、ようやく息を吐いた。 「え!」  ——そんな出会いだった。

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