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第4話:はじめて推しとデートいやオタ活
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品川駅には「常盤軒(ときわけん)」という、鉄道ファンならずとも知る立ち食いそばの名店がある。
かつて国鉄が走っていた時代から、山手線ホームの片隅で、ずっと人の流れを受け止めてきた店だ。
昼どきにはスーツ姿の会社員や、キャリーケースを引いた旅行者が自然と列をつくる。
立ち食いそばなのに、並ぶこと自体が当たり前になっている。
濃いめの出汁。存在感のある麺。
急いで食べても、ちゃんと「食べた記憶」が残る。
だから常盤軒は、今も変わらず人気なのだと思う。
「山品川駅」にもまた、鉄道員やファンたちの間で語り継がれる話題の駅そばがある。
――「山栄軒(さんえいけん)」。
出汁も麺も文句なし。まずはつゆを一口啜り、シンプルにその深みを味わうのが正解かもしれない。 けれど、鉄(てつ)という生き物は、つくづく「イベント」に弱い。 季節のどんぶり、旬を詰め込んだかき揚げ。その時期、その瞬間にしか出会えない限定メニューの文字に、私たちはいつだって心を躍らせてしまう。
まあ、こういう「限定」に弱い性質は、鉄道ファンに限ったことではないのかもしれないけれど。
貨物便やビジネス客が主流の「ビジネス山手線」だけど、
山品川駅には貨物の車庫があり、従業員の利用も多い。
停車中の貨物列車が何本も並ぶ光景は、それだけで撮影対象になる。
鉄道ファンの間では、ちょっとした人気スポットだ。
今日は、新メニューを食べに来た。
・・・推しと。
おかしい。どう考えてもおかしい。私の脳内解像度がバグって、夢と現実のフレームレートが混ざり合っているのではないか。
待ち合わせは、「山栄軒」の前。 この、どうしようもなく色気のない場所が、かえって「限定メニューを食べる」という目的を無機質に際立たせている。 だったら、一人で来ればいいのに。
彼は私を、正体がバレないための「道具」か何かに使おうとしているのだろうか。
本当に来るんだろうか。やっぱり悪い冗談だったんじゃないか。
期待と不安が、山手線の内回りと外回りのように、私の心の中で激しく交差する。
その時。
ゴトッ、ゴトッ、という重厚な地響きと共に、私の本命――「山貨2000」がホームを通過していった。
無骨な鉄の塊。力強いモーター音。 (・・・今日も凛々しい。好きだー!) 私は心の中で叫んだ。
そうだ。私の推しは「山貨2000」。 「山貨2000」、「山貨2000」・・・。
目の前に現れるはずの
――ああ、でも。
それでも、心臓の音がうるさすぎる。
レールの振動さえ、聞こえなくなりそうになった、その時だった。
「・・・民亜」
声がした。
左側――と思った瞬間、右肩に、そっと指先が触れる。
反射的に息を呑むより早く、今度は左耳のすぐそばで、低く囁かれた。
「山貨2000。
好きなところまで、同じ」
距離が、近すぎる。
耳にかかる息の温度。
言葉より先に伝わってくる、確信みたいなもの。
(・・・知りすぎ)
私は、身動きが取れなかった。
鉄の音も、人のざわめきも、全部遠のいていく。
残っているのは、
右肩の感触と、
左耳に残る、その声だけだった。
民亜が、ぽーっと貨物列車を眺めている隙に買ってきたらしい。
「ほら、行くぞ」 壮大の右手が、民亜の右肩に乗ったまま、二人は「山栄軒」の暖簾をくぐった。
実は、初・山栄軒だった。まさか「民鉄」さんと、ここに来る日が来るとは――と、民亜は心の中で思う。
ほどなくして、そばが運ばれてくる。二つとも、盆を持って運んできたのは壮大だった。
それを見て、民亜は目を丸くする。一つは、春限定の駅そば。もう一つは、潔いほど素朴な「かけそば」だった。 「俺さ、体型維持には気をつかってるんで」
さらっと言う。あの、ステージでのキレのあるライブパフォーマンス。あれには、もちろんストイックな体型管理も関わっている。壮大は本気でそう自負しているらしい。
気をつかわれていた。・・・いや、違う。それだと、春限定の駅そばを食べに来た意味がなくなる。 「食べなくてどうするって?」 民亜の心のツッコミが聞こえたかのように、壮大は言った。
「民亜が食べてるの、ちょっともらうんだ」
壮大は、私のどんぶりから、桜の花びらでところどころピンク色が見え隠れしているかき揚げを、一口分だけ器用に切り取って箸で持ち上げた。 そして、最初の一口を私の口元へと向けてくる。 「ほら、まずは民亜から」 接近してくる物体――というより、推しの箸と至近距離の顔を見て、私は思わず口を開けていた。お、推しが、食べさせてくれている・・・?
「どう?」 「・・・っ、桜の塩漬けがいいアクセントになってる」 ようやく絞り出した感想に、壮大は満足そうに微笑むと、二口目も私の口に入れた。そしてまた、柔らかく微笑んだ。 図々しい想像だけど、壮大もまた「推し」を見て微笑んでいるように見えてしまった。おかしい、夢よ夢。でも、頬に感じる熱も、春の野菜の苦味も、すべてが鮮明な現実だった。
食べ終えるなり、彼は私の荷物をひっ掴んで歩き出した。向かったのはホームの端、巨大な貨物車庫が眼下に見渡せる特等席だ。 そこには、運用を終えたばかりの「山貨2000」が、重厚な沈黙を湛えて鎮座していた。鈍く光る鉄の肌。オイルの匂い。夕陽を浴びて、その無機質な構造体が静かに呼吸しているように見える。
「・・・綺麗」
私が溜息を漏らすと、壮大は満足げに頷いた。 「だろ? この無骨な連結部分こそが、俺らのルーツなんだ。・・・効率だけじゃ語れない、この重みがいいんだよ」
二人の影が、西陽に伸びてバラスト(砂利)と重なる。 「・・・さて、充電完了。次はスタジオだ」 壮大は不意に、キャップを深く被り直した。その瞬間、彼の纏う空気が、世界を魅了するスターのそれに切り替わる。
「あ、頑張ってください」 仕事モードに入った彼に、思わず敬語で声が出た。見送るつもりで立ち止まった私の右肩を、壮大の手が再び強く引き寄せた。
「・・・一緒に来るんだよ」
え――?
拒否権など、最初から想定されていないような、強引で熱を帯びた響きだった。
私は言葉を探すより早く、右手首を取られる。指先ではなく、逃げ道を塞ぐみたいに、手のひらごと。
乱暴じゃない。でも、迷いがない。
逆らう、という選択肢が最初から存在しなかった。
ホームの喧騒が、背中のほうで薄れていく。
彼に引かれるまま歩きながら、私は理解してしまう。
これは「誘い」じゃない。彼の中では、もう次の場所へ進むことが決まっているのだと。
エスカレーターを降り、改札を抜け、人混みに紛れる。
その途中で一度だけ、彼の手に力がこもった。
確認するみたいな、その一瞬が妙に生々しくて、胸の奥がざわつく。
そうして半ば強引に、半ば自分から歩調を合わせる形で、連れて来られたのは――
都内某所の音楽スタジオだった。
「俺だけを撮れ。・・・そして俺も、お前だけを撮る」
防音壁が、その言葉を吸い込まずに残した。
低く、湿った響きで、私の耳の奥に沈殿していく。
カシャ。
カシャ、カシャ。
スマホのレンズが、私の顔を、首筋を、鎖骨のくぼみを、ゆっくりとなぞる。
触れられていないのに、皮膚のほうが勝手に反応してしまう。
カシャ、カシャ。彼のスマホが、私の顔を、首筋を、鎖骨のくぼみを、ゆっくりと舐めるように捉えていく。
まるでレンズが彼の舌の代わりであるかのように。私はカメラを握ったまま、動けない。
足が、膝が、微かに震えているのが自分でもわかる。「…民亜」名前を呼ばれただけで、下腹部がきゅっと締まる。
彼はスマホを置くと、ゆっくり立ち上がり、私との距離を一気に詰めてきた。防音材の壁に、私の背中が触れる。
冷たい感触が背骨を伝うのに、体温は逆に上がっていく。壮大の右手が、私のカメラのストラップに絡まる。
指が布を滑り、そのまま私の肩、首の横、耳の後ろへ。「息、荒いね」耳元で囁かれる。
吐息が耳朶を濡らす。
ぞくり、と全身が粟立つ。「電車を撮るときも、こんな顔してた?」彼の左手が、私の腰に回る。
強く引き寄せられるわけじゃない。
ただ、確実に「ここから逃がさない」と告げるような、優しくて重い力。「…違う、です」声が上擦る。
自分でも情けないと思うのに、言葉は止まらない。「電車は・・・ただ、きれいだから。
でも、壮大さんは・・・」喉が詰まる。
言えない。
言ってはいけない気がする。でも彼は、待たずに私の言葉を奪うように、顔を近づけた。鼻先が触れ合う。
唇が、触れそうで触れない。
息が混じり合う距離。「俺は?」低く、甘く、意地悪く問いかける。「俺を見てるとき、どんな気持ち?」親指が、私の下唇をそっと押す。
柔らかい内側に、指の腹が触れる。
湿っている。
自分の唾液が、指に絡む。「…熱い、です」ようやく絞り出した言葉。「ここが・・・ずっと、熱くて」無意識に、自分の胸を押さえる。
心臓が、破れそうなほどに鳴っている。壮大の目が、細くなる。
獲物を前にした獣のような、でもどこか慈しむような光。「それ、俺のせい?」「…はい」即答だった。彼の唇が、ようやく私の唇に落ちる。最初は、ただ重ねるだけ。
柔らかく、探るように。でも、次の瞬間。舌が、唇の隙間をこじ開け、深く侵入してきた。ん・・・っ湿った音が、スタジオに響く。
彼の舌が、私の舌を絡め取り、吸い上げる。
甘い唾液が、混じり合う。左手は私の腰を強く抱き寄せ、右手は髪を掻き上げるようにして後頭部を固定する。逃げられない。
逃げたくない。彼の膝が、私の脚の間に滑り込む。
布越しに、硬く熱いものが当たる。「…っ、は」息が漏れる。
彼は唇を離し、代わりに私の耳たぶを甘噛みした。「カメラ、置け」命令口調なのに、甘い。私は震える手で、カメラを床に置いた。
両手が自由になると、反射的に彼のシャツの裾を掴む。「…壮大、さん」名前を呼ぶだけで、声が震える。彼は私の顎を軽く持ち上げ、目を合わせたまま囁く。「今から、このスタジオで・・・
お前が俺を『連結』する番だ」
指が、私の背中をゆっくり降りていく。
服の上からなのに、まるで素肌をなぞられているように熱い。「最高の瞬間、逃すなよ」彼の唇が、再び降りてくる。今度はもっと深く、もっと貪るように。舌が絡み、歯が軽く当たり、息が混じり、唾液が糸を引く。スタジオの静寂は、もう私たちの吐息と、衣擦れの音と、時折漏れる甘い喘ぎだけで満たされていた。ギターの弦が、かすかに共鳴するように震えた気がした。
まるで、この「セッション」を、祝福しているかのように。
かつて国鉄が走っていた時代から、山手線ホームの片隅で、ずっと人の流れを受け止めてきた店だ。
昼どきにはスーツ姿の会社員や、キャリーケースを引いた旅行者が自然と列をつくる。
立ち食いそばなのに、並ぶこと自体が当たり前になっている。
濃いめの出汁。存在感のある麺。
急いで食べても、ちゃんと「食べた記憶」が残る。
だから常盤軒は、今も変わらず人気なのだと思う。
「山品川駅」にもまた、鉄道員やファンたちの間で語り継がれる話題の駅そばがある。
――「山栄軒(さんえいけん)」。
出汁も麺も文句なし。まずはつゆを一口啜り、シンプルにその深みを味わうのが正解かもしれない。 けれど、鉄(てつ)という生き物は、つくづく「イベント」に弱い。 季節のどんぶり、旬を詰め込んだかき揚げ。その時期、その瞬間にしか出会えない限定メニューの文字に、私たちはいつだって心を躍らせてしまう。
まあ、こういう「限定」に弱い性質は、鉄道ファンに限ったことではないのかもしれないけれど。
貨物便やビジネス客が主流の「ビジネス山手線」だけど、
山品川駅には貨物の車庫があり、従業員の利用も多い。
停車中の貨物列車が何本も並ぶ光景は、それだけで撮影対象になる。
鉄道ファンの間では、ちょっとした人気スポットだ。
今日は、新メニューを食べに来た。
・・・推しと。
おかしい。どう考えてもおかしい。私の脳内解像度がバグって、夢と現実のフレームレートが混ざり合っているのではないか。
待ち合わせは、「山栄軒」の前。 この、どうしようもなく色気のない場所が、かえって「限定メニューを食べる」という目的を無機質に際立たせている。 だったら、一人で来ればいいのに。
彼は私を、正体がバレないための「道具」か何かに使おうとしているのだろうか。
本当に来るんだろうか。やっぱり悪い冗談だったんじゃないか。
期待と不安が、山手線の内回りと外回りのように、私の心の中で激しく交差する。
その時。
ゴトッ、ゴトッ、という重厚な地響きと共に、私の本命――「山貨2000」がホームを通過していった。
無骨な鉄の塊。力強いモーター音。 (・・・今日も凛々しい。好きだー!) 私は心の中で叫んだ。
そうだ。私の推しは「山貨2000」。 「山貨2000」、「山貨2000」・・・。
目の前に現れるはずの
――ああ、でも。
それでも、心臓の音がうるさすぎる。
レールの振動さえ、聞こえなくなりそうになった、その時だった。
「・・・民亜」
声がした。
左側――と思った瞬間、右肩に、そっと指先が触れる。
反射的に息を呑むより早く、今度は左耳のすぐそばで、低く囁かれた。
「山貨2000。
好きなところまで、同じ」
距離が、近すぎる。
耳にかかる息の温度。
言葉より先に伝わってくる、確信みたいなもの。
(・・・知りすぎ)
私は、身動きが取れなかった。
鉄の音も、人のざわめきも、全部遠のいていく。
残っているのは、
右肩の感触と、
左耳に残る、その声だけだった。
民亜が、ぽーっと貨物列車を眺めている隙に買ってきたらしい。
「ほら、行くぞ」 壮大の右手が、民亜の右肩に乗ったまま、二人は「山栄軒」の暖簾をくぐった。
実は、初・山栄軒だった。まさか「民鉄」さんと、ここに来る日が来るとは――と、民亜は心の中で思う。
ほどなくして、そばが運ばれてくる。二つとも、盆を持って運んできたのは壮大だった。
それを見て、民亜は目を丸くする。一つは、春限定の駅そば。もう一つは、潔いほど素朴な「かけそば」だった。 「俺さ、体型維持には気をつかってるんで」
さらっと言う。あの、ステージでのキレのあるライブパフォーマンス。あれには、もちろんストイックな体型管理も関わっている。壮大は本気でそう自負しているらしい。
気をつかわれていた。・・・いや、違う。それだと、春限定の駅そばを食べに来た意味がなくなる。 「食べなくてどうするって?」 民亜の心のツッコミが聞こえたかのように、壮大は言った。
「民亜が食べてるの、ちょっともらうんだ」
壮大は、私のどんぶりから、桜の花びらでところどころピンク色が見え隠れしているかき揚げを、一口分だけ器用に切り取って箸で持ち上げた。 そして、最初の一口を私の口元へと向けてくる。 「ほら、まずは民亜から」 接近してくる物体――というより、推しの箸と至近距離の顔を見て、私は思わず口を開けていた。お、推しが、食べさせてくれている・・・?
「どう?」 「・・・っ、桜の塩漬けがいいアクセントになってる」 ようやく絞り出した感想に、壮大は満足そうに微笑むと、二口目も私の口に入れた。そしてまた、柔らかく微笑んだ。 図々しい想像だけど、壮大もまた「推し」を見て微笑んでいるように見えてしまった。おかしい、夢よ夢。でも、頬に感じる熱も、春の野菜の苦味も、すべてが鮮明な現実だった。
食べ終えるなり、彼は私の荷物をひっ掴んで歩き出した。向かったのはホームの端、巨大な貨物車庫が眼下に見渡せる特等席だ。 そこには、運用を終えたばかりの「山貨2000」が、重厚な沈黙を湛えて鎮座していた。鈍く光る鉄の肌。オイルの匂い。夕陽を浴びて、その無機質な構造体が静かに呼吸しているように見える。
「・・・綺麗」
私が溜息を漏らすと、壮大は満足げに頷いた。 「だろ? この無骨な連結部分こそが、俺らのルーツなんだ。・・・効率だけじゃ語れない、この重みがいいんだよ」
二人の影が、西陽に伸びてバラスト(砂利)と重なる。 「・・・さて、充電完了。次はスタジオだ」 壮大は不意に、キャップを深く被り直した。その瞬間、彼の纏う空気が、世界を魅了するスターのそれに切り替わる。
「あ、頑張ってください」 仕事モードに入った彼に、思わず敬語で声が出た。見送るつもりで立ち止まった私の右肩を、壮大の手が再び強く引き寄せた。
「・・・一緒に来るんだよ」
え――?
拒否権など、最初から想定されていないような、強引で熱を帯びた響きだった。
私は言葉を探すより早く、右手首を取られる。指先ではなく、逃げ道を塞ぐみたいに、手のひらごと。
乱暴じゃない。でも、迷いがない。
逆らう、という選択肢が最初から存在しなかった。
ホームの喧騒が、背中のほうで薄れていく。
彼に引かれるまま歩きながら、私は理解してしまう。
これは「誘い」じゃない。彼の中では、もう次の場所へ進むことが決まっているのだと。
エスカレーターを降り、改札を抜け、人混みに紛れる。
その途中で一度だけ、彼の手に力がこもった。
確認するみたいな、その一瞬が妙に生々しくて、胸の奥がざわつく。
そうして半ば強引に、半ば自分から歩調を合わせる形で、連れて来られたのは――
都内某所の音楽スタジオだった。
「俺だけを撮れ。・・・そして俺も、お前だけを撮る」
防音壁が、その言葉を吸い込まずに残した。
低く、湿った響きで、私の耳の奥に沈殿していく。
カシャ。
カシャ、カシャ。
スマホのレンズが、私の顔を、首筋を、鎖骨のくぼみを、ゆっくりとなぞる。
触れられていないのに、皮膚のほうが勝手に反応してしまう。
カシャ、カシャ。彼のスマホが、私の顔を、首筋を、鎖骨のくぼみを、ゆっくりと舐めるように捉えていく。
まるでレンズが彼の舌の代わりであるかのように。私はカメラを握ったまま、動けない。
足が、膝が、微かに震えているのが自分でもわかる。「…民亜」名前を呼ばれただけで、下腹部がきゅっと締まる。
彼はスマホを置くと、ゆっくり立ち上がり、私との距離を一気に詰めてきた。防音材の壁に、私の背中が触れる。
冷たい感触が背骨を伝うのに、体温は逆に上がっていく。壮大の右手が、私のカメラのストラップに絡まる。
指が布を滑り、そのまま私の肩、首の横、耳の後ろへ。「息、荒いね」耳元で囁かれる。
吐息が耳朶を濡らす。
ぞくり、と全身が粟立つ。「電車を撮るときも、こんな顔してた?」彼の左手が、私の腰に回る。
強く引き寄せられるわけじゃない。
ただ、確実に「ここから逃がさない」と告げるような、優しくて重い力。「…違う、です」声が上擦る。
自分でも情けないと思うのに、言葉は止まらない。「電車は・・・ただ、きれいだから。
でも、壮大さんは・・・」喉が詰まる。
言えない。
言ってはいけない気がする。でも彼は、待たずに私の言葉を奪うように、顔を近づけた。鼻先が触れ合う。
唇が、触れそうで触れない。
息が混じり合う距離。「俺は?」低く、甘く、意地悪く問いかける。「俺を見てるとき、どんな気持ち?」親指が、私の下唇をそっと押す。
柔らかい内側に、指の腹が触れる。
湿っている。
自分の唾液が、指に絡む。「…熱い、です」ようやく絞り出した言葉。「ここが・・・ずっと、熱くて」無意識に、自分の胸を押さえる。
心臓が、破れそうなほどに鳴っている。壮大の目が、細くなる。
獲物を前にした獣のような、でもどこか慈しむような光。「それ、俺のせい?」「…はい」即答だった。彼の唇が、ようやく私の唇に落ちる。最初は、ただ重ねるだけ。
柔らかく、探るように。でも、次の瞬間。舌が、唇の隙間をこじ開け、深く侵入してきた。ん・・・っ湿った音が、スタジオに響く。
彼の舌が、私の舌を絡め取り、吸い上げる。
甘い唾液が、混じり合う。左手は私の腰を強く抱き寄せ、右手は髪を掻き上げるようにして後頭部を固定する。逃げられない。
逃げたくない。彼の膝が、私の脚の間に滑り込む。
布越しに、硬く熱いものが当たる。「…っ、は」息が漏れる。
彼は唇を離し、代わりに私の耳たぶを甘噛みした。「カメラ、置け」命令口調なのに、甘い。私は震える手で、カメラを床に置いた。
両手が自由になると、反射的に彼のシャツの裾を掴む。「…壮大、さん」名前を呼ぶだけで、声が震える。彼は私の顎を軽く持ち上げ、目を合わせたまま囁く。「今から、このスタジオで・・・
お前が俺を『連結』する番だ」
指が、私の背中をゆっくり降りていく。
服の上からなのに、まるで素肌をなぞられているように熱い。「最高の瞬間、逃すなよ」彼の唇が、再び降りてくる。今度はもっと深く、もっと貪るように。舌が絡み、歯が軽く当たり、息が混じり、唾液が糸を引く。スタジオの静寂は、もう私たちの吐息と、衣擦れの音と、時折漏れる甘い喘ぎだけで満たされていた。ギターの弦が、かすかに共鳴するように震えた気がした。
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