底辺乗り物オタクの私―推しの推し活が、溺愛すぎる

亜 れみた

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第11話:リハーサルの戦場、楽屋の再会

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いすみ鉄道の黄色い魔法が残る、房総からの帰り道。 「本当は、オレだろ」 壮大が放ったその独占欲に撃沈し、頭を撫でる彼の大きな手の温もりに魂を抜かれたあと、車内には少しだけ気まずく、けれど心地よい沈黙が流れていた。

夜の国道を滑らかに走る車内。私は助手席で、愛機の一眼レフを抱えたカメラバッグを膝の上でぎゅっと抱きしめていた。そんな私の手元をチラリと見て、壮大がふとした疑問を口にする。

「・・・全然わかんないんだけど、撮り鉄とライブ写真撮影って使うカメラ違うの?」
その問いに、私は「鉄」としての矜持を込めて答えた。

「カメラ本体というより、パーツの考え方が違うんです。特に、レンズフード。撮り鉄にとってのフードは、逆光や余計な光を遮って、車両のディテールを克明に映し出すための『盾』なんです。特にスカイレールのような複雑な構造体を撮る際は、反射を抑えるために、花形の深いフードが欠かせないんですよ」
私はそこまで一気に語り、ふう、と息をついた。

「一方で、ライブは室内が多いし、暗い中で照明を点けた状態の空間ですよね。そうなると、ただ光を遮るんじゃなく、限られた光をどう効率的に集めるか、そのためのレンズフードが大切なか役目を果たすんです」
壮大は信号待ちで車を止め、ハンドルを指で叩きながら感心したように頷いた。

「そうなんだ。民鉄さん、撮りたいから撮ってるだけで詳しくはないって言ってるけど、知識が十分備わってきてると思いますよ。素晴らしい」
急に彼が混ぜてきた「敬語」の響きに、胸がトクンと跳ねた。「民鉄」という呼び方は相変わらずだけれど、そこには一人の表現者としてのリスペクトが混ざっているようで。

翌朝。通勤電車に揺られながら、私は昨夜の会話を思い出していた。仕事終わりにカメラ屋さんに行って、ライブ用のフードを新調しよう。そんなことを考えていた矢先、スマホが震えた。
画面を見て、私は絶句した。まるで手のひらに乗った私の行動をすべて見透かしているかのような、壮大からのLINE。

『今日は仕事終わったらカメラ屋さんに行く?』
その一行に続いて、すぐに次のメッセージが届く。
『今夜開いてる? レンズフード見に行かない?』
彼の質問は、常に決定事項だ。私が返信を打つ暇も与えず、追い打ちがかかる。
『じゃー、オレ寝るから仕事終わったら連絡して!』
「・・・また、これだ」 思わず独り言が漏れる。二日連続で、推しとお出かけ。いや、これは仕事の準備なのだ。レンズフード一つ取っても、いろいろな種類がある。彼と一緒に選ぶ時間が、これからの「任務」への覚悟を固めていく。

そして終業後、私たちは銀座のカメラ専門店にいた。事務所で打ち合わせがあったという壮大は今日も深く帽子を被っていた。一般客に紛れ込んではいるけど、その立ち姿だけで、周囲の空気から「色」が浮き立っている。
「これ、試してみる?」 壮大が棚から手に取ったのは、真っ黒で無骨なフードだった。
「ライブは、俺が動くだけじゃなく、照明も生き物みたいに動く。民亜が守りたい『ディテール』と、俺が求める『熱量』。その中間を狙うなら、このくらいのバランスがいいんじゃないか。光を拒絶するんじゃなく、手懐けるための道具としてさ」
彼は私のカメラを静かに受け取り、何も言わずにフードを装着してみせた。

 大きな手が、慣れた動きで私の機材を包み込む。その様子が、必要以上に近く感じられて、胸の奥が詰まる。
「……フードにも、いろいろあるんですね。形も、深さも、材質も。連結器みたい」
「そうだな。正解はない」

 彼はそう言ってから、少しだけ間を置いた。
「あるのは、君が俺をどう残したいか。それだけだ」

 カメラが返される。その瞬間、指先が触れた。
 昨日、いすみ鉄道のホームで感じた感触が、遅れてよみがえる。
「君のタイミングでいい。俺を射抜け」
 低い声が、銀座の静かなフロアに溶けていく。

「……壮大さん」

「ん?」

「決めました。フードは、これにします」

 私はレンズを覗くふりをして、息を整えた。

「でも、守るためじゃありません」
「ほう。じゃあ?」
「あなたの光を、いちばん綺麗に束ねるためです。
 ほかの誰にも見せない表情を、私の中に留めるために」
 彼は何も言わず、ただ一度だけ小さく笑った。
 会計は、結局「先行投資だ」の一言で、彼が済ませてしまった。

 私は今日、重厚な一眼レフを抱えてライブハウスの重い扉を叩いた。 
 首から下げたカメラの重みは、いつも撮り鉄で慣れ親しんでいるはずなのに、今日はどこか異質の緊張感を伴って私の肩に食い込んでいる。 

 といっても、今日ここに撮りに来たのは、壮大がボーカルを務めるバンド「1825」(いはにご)ではない。壮大から直々に「ライブ写真を撮れ」と命じられたあの日以来、私の頭の中はそのミッションを完璧なダイヤで遂行することだけで埋め尽くされていた。今日、私がここに来たのは、その本番を成功させるための、実戦形式の「特訓」の機会を自ら作り出したからだった。

 最近は、音楽業界も少しずつその門戸を広げている。スマートフォンでの撮影を許可するライブも増えたし、「この曲だけならSNSにアップしていいですよ」という親切な企画も珍しくない。中には全編撮影可で「じゃんじゃん拡散してください」という、宣伝効果を狙った太っ腹なバンドも存在する。 

 けれど、望遠レンズを装備した本格的な一眼レフとなると、話は別だ。三脚の持ち込みは当然禁止だし、周囲の客の視界を遮る大きな機材は敬遠される。ライブハウスという狭い空間で、一眼レフを自由に振り回せる環境はそうそうない。私は血眼になって情報を探し、ようやく今回の特別なチャンスを掴み取ったのだ。

 それは、ある新鋭バンドが企画した『限定5名・ライブカメラマン体験権』というものだった。  客席の一列目よりさらに前、いわゆる「最前柵」の中。さらにはステージ袖からも撮影が許可されるという、文字通り「プロの画角」を体験できる権利だ。応募条件には「ライブカメラマンの経験不問」とあった。 (一眼レフなんて、みんながみんな持っているものじゃないし・・・もしかしたら当選するかも。もしここで運を使い果たしたら・・・) 

 そんな不安は、当選通知を受け取った瞬間に的中した。けれど、喜びよりも先に冷や汗が流れた。 (・・・これで「1825」のライブのチケット運を使い果たしていたらどうしよう。神様、これはあくまで壮大に命じられた『仕事』のための特訓なんです・・・!)  そう心の中で弁明せずにはいられなかった。私にとって、どれほど彼と一緒に過ごす時間が増えたとしても、推しバンドは依然として「推しバンド」なのだ。脳が、心が、勝手に「聖域」として彼らを定義している。だからこそ、その聖域を汚さないための、最高の一枚を射抜くための「修行」が必要だった。

 ライブが始まると、そこは想像を絶する戦場だった。  暗闇の中で激しく明滅するスポットライト、演者の予期せぬ動き、そしてスピーカーから放たれる身体を揺らすほどの爆音。 「・・・ライブカメラマンさん、すごすぎる・・・」  本物のスタッフジャンパーを着たカメラマンさんの動きを盗み見ながら、私は必死にシャッターを切った。一瞬の表情の変化、指先が弦を弾く瞬間、飛び散る汗。それを逃さない彼らの反射神経と集中力は、まさに「異能」だ。

 あとは体力だ。撮り鉄の時も、三脚を抱えて斜面を登ったり、長時間重い機材を持って待ち構えたりする。けれど、ライブ撮影はそれとは違う筋肉を使う。低い姿勢でステージ下を這い、次の瞬間には背を伸ばして袖へ走る。 (使う神経も筋肉も、撮り鉄とは全然違う・・・。これが「戦場」なんだ)  自分が撮ったものがどう映っているのか、プレビューを確認する暇さえない。ただただ、音と光の奔流に身を任せて、指を動かし続けた。

 撮影後、予想外のサプライズが待っていた。一眼レフカメラマンの参加者は、なんと終演後に「楽屋挨拶」ができるというのだ。会場に着いてから初めて知らされたその特権に、私は一気に緊張の極致に達した。  楽屋前の関係者通路。並べられた無機質なソファーの前で、参加した5人が集まる。 (好きなバンドだったし、ライブは本当にかっこよかった・・・。感想、ちゃんと伝えられるかな)  5人が集合すると、スタッフから労いの言葉と、「メンバーのプライベートに踏み込まないように」という簡単な注意事項を聞かされた。そして、いざ楽屋へ。

 重い防音扉の向こう側は、通路とは打って変わって賑わっていた。  圧巻のステージを終えたばかりの関係者や知人たちが、メンバーを囲んで興奮冷めやらぬ様子で語り合っている。熱気と、汗と、達成感の匂いが充満する、そこはアーティストの「聖域」だった。    しかし、スタッフさんの通るような声が、その喧騒を切り裂いた。 「今日のライブカメラマンさん、いらっしゃいましたー!」

 一瞬、楽屋内の「音の高さ」がガクンと下がった気がした。関係者たちの視線が、場違いなほど緊張した面持ちで立っている私たち5人に注がれる。こういう時、バンドメンバーの中で一番社交的なメンバーが場を回してくれるのは、どこのバンドも同じらしい。ボーカルの男性が爽やかな笑顔で「お疲れ様! 良いの撮れた?」と声をかけてくれる。

 夢のような時間はあっという間に過ぎた。「では、ライブカメラマンの皆さま、ありがとうございました!」というスタッフさんの言葉と共に、拍手で挨拶が締め切られようとした、その時だった、 背後から、聞き覚えのある声がした。

「民亜!」
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