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第10話:ファインダー越しの特別席、ライブカメラマンの誕生
しおりを挟む「ええええええん! 推しがひどいこと言ったー!」
私は思わず、車内で叫んでしまった。チケット難民の切実な痛みを、あろうことか本人が「よかった」なんて、あんまりだ。
「ひどいです、壮大さん! どんだけ競争率高いと思ってるんですか! みんな必死なんですよ!」 「いや、そうじゃなくてさ。・・・民亜カメラマン。次はステージの真下から、ライブ写真をお願いします」
一瞬、車内の空気が止まった。
「・・・いやいやいやいや、無理ですって!」
私は全力で首を振った。 「壮大さん、いくらなんでも冗談が過ぎます。取材カメラマンが、そのままライブスチールの本番を撮るなんてありえないことくらい、私だって知ってますよ。あんな戦場みたいな現場、私みたいな風景オタクには無理です!」
ライブ撮影は戦場だ。激しく動く光、刻々と変わるアーティストの表情、一瞬のシャッターチャンス。静止している風景や、スタジオでのポートレートとは次元が違う。 しかし、壮大はなんてことない表情で、さらりと返してきた。 「だから? 民亜カメラマンはどっちもできるから大丈夫。俺が保証するよ」 「逆です、逆! 何の根拠があってそんな・・・」 「根拠? あるよ」 壮大は信号待ちで車を止め、まっすぐに私を見た。その瞳は、少しもふざけてなどいなかった。
「ライブ写真の方が、君の得意な『撮り鉄』に近い気がしない?」 「・・・え?」 「時速百キロで駆け抜ける列車を、一瞬の歪みもなく、光の計算まで完璧にして切り取るんだろ? ライブだって同じだよ。音という速度に乗って激しく動く俺を、君のタイミングで射抜けばいい。・・・ほら、動体予測なら、そこらのカメラマンより君の方が何万回も場数踏んでるでしょ?」
その言葉に、私は絶句した。
動体予測。確かに、向かってくる列車のヘッドライトが見えた瞬間から、シャッターを切るべき「切り位置」を逆算するのは、撮り鉄の基本動作だ。
ステージを駆ける壮大を、レールを走る列車に見立てる。 彼のシャウトを、トンネルを抜ける咆哮に見立てる。 そう考えると、不思議と、ファインダー越しに彼と向き合うイメージが、私の頭の中でカチリと「連結」されていった。
「ライブ写真の方が、撮り鉄に近い気がしない?」 壮大が放ったその言葉は、私の頭の中で脱線しかけていた思考を、見事に正しいレールへと戻してくれた。動体予測、切り位置、シャッターチャンス。鉄道写真で培ったその感覚を、ステージの彼にぶつける。 「あはは! 自分たちを電車に例えたんですか? ・・・なんだか、急にやれそうな気がしてきました。笑えてきた。じゃー、決まりです。撮らせてください、最高の『編成写真』を」
私の快諾に、壮大は満足そうにハンドルを叩いた。 「よし。・・・でもさ、民亜。オレばっかり撮るなよ? メンバーみんな均等にな。それが『関係者』としての仕事だぞ」 「わかってます、わかってますー。ステージ全体のバランスを考えて、しっかり全員の『雄姿』を収めますから」 私は軽口で返しながら、自分の中の「撮り鉄魂」が燃え上がるのを感じていた。被写体が列車から人間になっても、その本質を捉えたいという欲望は変わらない。
いすみ鉄道の沿線を離れ、車は房総のさらに深い緑の中へと進んでいく。 車内に流れるのは、もちろん彼らのバンド「1825」(いはにご)の楽曲だ。重厚なドラムに、空を突き抜けるような壮大のボーカル。そして、その底辺を支える、うねるようなベースライン。
車内に響く「1825」の重厚なアンサンブル。私は無意識に、右手の指先で膝を叩いていた。それはドラムのリズムではなく、地を這うようにうねる、野性的でいて計算尽くされたベースの旋律をなぞる動きだった。
ふと、ハンドルを握る壮大さんの視線が、私の指先に落ちた。
「……民亜。君、今、ベースラインを聴いてるだろ?」
「えっ……!」
私は心臓が跳ねるのを感じ、慌てて指を止めた。図星だった。普通、ボーカルがいるバンド曲なら歌声に意識が行くはずだ。けれど、私はどうしても、曲の土台を支えるあの低音に意識が吸い寄せられてしまう。
「あ、いえ……その、ドラムも格好いいなと思って……」
「嘘だ。君の指の動きは、完全にベースのピッキングのリズムだったよ」
壮大さんは、少し意地悪く、けれど心底感心したように笑った。
「面白いね。普通は歌を聴く。でも君は、その下を走るレールの振動を聴こうとしている。撮り鉄が、列車の外装だけじゃなく、線路の継ぎ目の音やモーターの唸りで編成の調子を見抜くのと一緒だ。
……やっぱり、君には『本質』を支えているものが何なのか、本能でわかっちゃうんだな」
私は焦って窓の外を見上げた。頬が少し熱い。 九州女として、表の華やかさよりも、それを成立させている「土台」や「仕組み」に目が行ってしまうのは、私の染み付いた性分なのだろうか。
「……壮大さん、意地が悪いです。隠してたわけじゃないですけど、私、実は重低音に弱いんです。重い機関車が地面を揺らしてくるあの感覚に、どこか似ていて」
「ははは! 最高の褒め言葉だ。なら、さっきの『全員均等に撮れ』って話、前言撤回するよ。君の耳が捉えたその『レールの振動』、思う存分ファインダーに焼き付けてくれ。君が何を撮るか、俺も楽しみになってきた」
走行音が、心地よいリズムを刻む。壮大さんの瞳には、すべてを見透かしたような、それでいて深い信頼の色が宿っていた。
信号が変わるまで、まだ少しだけ時間があった。
車内に流れていた曲が、ちょうど間奏に入る。
壮大はハンドルから片手を離し、
私の方へ伸ばしかけて――途中で止めた。
「・・・今、やめといた方がいい?」
問いかけは、確認というより猶予だった。
逃げ道を残すための、最後の減速。
私は何も言えず、ただ首を横に振った。
それだけで、十分だった。
彼は小さく息を吸い、
視線を外したまま、ほんの少しだけ身を寄せる。
触れたのは一瞬。
確かめるように、軽く、深く。
音もなく、熱だけが残った。
壮大はすぐに距離を戻し、
何事もなかったように前を向いた。
「・・・仕事中だからな」
それが言い訳なのか、約束なのかは分からない。
でも、もうさっきまでの関係には戻れないことだけは、
はっきりと分かっていた。
車が動き出す。
胸の奥で、何かが静かに「確定」する音がした。
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