底辺乗り物オタクの私―推しの推し活が、溺愛すぎる

亜 れみた

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第18話 軌道が結ぶ、空と未来への前乗り

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スマホが短く震えたのは、午後のけだるい日差しが部屋に差し込む頃だった。 画面を見ると、そこには「壮大」の名前。彼からのLINEはいつも唐突で、そして民亜の日常を鮮やかに塗り替えてしまう。

『木曜日 急遽 広島でライブ』
一瞬、目を疑った。急遽? 木曜日? 民亜は指先を動かし、すぐにネットのニュースやSNSを漁った。どうやら、ある人気バンドのボーカルが不慮の怪我で出演を辞退し、その代打として、壮大たちのバンド「1825(いはにご)」に白羽の矢が立ったらしい。

「急遽?お疲れ様です。ネットで見ました。ボーカルがケガをしたバンドの代打なんですね。急遽観ることになった人たちを魅了しちゃってください!」

エールを送るつもりで打ったメッセージ。けれど、壮大からの返信は、民亜の予想の斜め上を突き抜けていった。
『そうじゃなくて。』 「そうじゃなくて?」 『木曜休みじゃないの?』 「はい、お休みじゃないです。今度は火曜日と水曜日がお休みです。」

少しだけ残念な気持ちを抱えながら返した。すると、画面の向こうで彼がニヤリと笑っているような、そんな気配が伝わってきた。

『マジか!最高!ちょうーど良すぎ!』 「え?え?まさか。」 『水曜日前乗りしようと思ったけど、火曜日から前乗りであわせられる!』

相変わらず、彼の日本語は度々おかしい。「あわせて」って言った? それとも「行く」って言った? そもそも、民亜が行くことはもう彼の中では確定事項らしい。困った人だ。・・・ま、行くのだけれど。
広島。その地名は今、民亜のような鉄道ファンにとって、特別な響きを持っている。 今、広島駅周辺は百年に一度と言っても過言ではない変革の時を迎えているのだ。

最大の注目は、広島電鉄(広電)の路面電車が、JR広島駅の駅舎2階に直接乗り入れるという壮大なプロジェクト。 これまで地上を走っていた路面電車が、駅前大橋を渡り、そのまま高架へと駆け上がっていく。路面電車が空へと羽ばたくようなその姿は、かつてのアニメや空想の世界が現実のものとなる瞬間だ。
「ついに、路面電車が空を飛ぶんだ・・・」

独り言が漏れる。これに並行して、これまでの慣れ親しんだ路線の経路も大きく変わる。民亜は以前、この歴史的な転換を前に、今は亡き、あるいは形を変える風景を記録するために広島を訪れたことがある。

遊園地の乗り物のような独特な機構で知られた鉄道「スカイレール」が廃止される前、民亜はその姿を動画に収め、YouTubeに綴った。あの日歩いた、どこかノスタルジックな広島駅周辺の景色。 あの日記録した風景の中には、もう二度と見ることのできない経路も含まれている。

行きたい。広島。 それも、ただの旅行じゃない。大好きな鉄道の歴史が動く瞬間に、推しである壮大と一緒に行ける。この幸運に、胸の奥が熱くなった。
「行き方だけどさ、羽田で待ち合わせして、岡山桃太郎空港に飛びたい。そこからレンタカーで広島に行きたいんだ」
壮大から届いた次の提案に、民亜はわくわくが止まらなかった。 広島へ行くなら、羽田から広島空港へ直行するのが効率的だ。けれど、彼はあえて「岡山」を経由地として選んだ。

それはきっと、彼なりのこだわりなのだろう。 空の旅を終えたあと、岡山から広島へと続く山陽の道。瀬戸内海のきらめきを遠くに眺め、移りゆく景色を楽しみながら、一歩ずつ目的地へと近づいていくプロセス。 乗り物好きとしての好奇心と、「空の王子様」としての彼の任務が掛け合わさったような、少し遠回りで、けれど最高に贅沢なプラン。

「乗り物好きと、空の王子様。二人のこだわりが詰まった旅・・・なんだか、特別な任務に向かうみたい」
民亜は自分の心音が高鳴るのを感じていた。 広島は今、鉄からの熱い注目を浴びている。路面電車が2階へ発着するというニュースは、単なる利便性の向上ではない。それは、都市と交通の新しいあり方を示す、一つの象徴なのだ。 その変化の胎動を感じる旅に、彼が誘ってくれた。それだけで、日常が映画のワンシーンのように輝き始めた。

羽田空港、高鳴る鼓動のシンクロ

そして迎えた、火曜日の朝。 民亜と壮大は、羽田空港の出発ロビーで合流した。
「岡山に着いたら、桃太郎空港で何か食べよう」 事前にそう決めていても、結局は出発時間よりかなり余裕を持って集まってしまうのが、乗り物好きふたりの性分だ。

「民亜、さすがだね。この搭乗ゲート付近の空気を吸わないと、旅が始まらないって顔をしてる」 「壮大さんこそ。さっきから滑走路の動きを完璧に把握して、まるでもうコックピットにいるみたいですよ」

ふたりは顔を見合わせて笑った。 巨大なハブ空港、羽田。 ここは、無数の「旅」が交差する場所だ。ふたりは、展望デッキから次々と離着陸する飛行機を眺めたり、広大なロビーを上から見下ろしたりして過ごした。

機能美に溢れたターミナルの構造、計算し尽くされた動線。 「ねえ、あの機体。あんなに滑らかに空へ溶けていく。まるで広電が駅前大橋を駆け上がる姿の予行演習みたいじゃない?」 「はは、民亜は本当に鉄道基準なんだな。でも、確かにそうかもしれない。重力から解き放たれる瞬間っていうのは、いつ見てもいいもんだ」
 空港内のカフェで、ブラックコーヒーを堪能する。
  深煎りの苦味が、高ぶった神経を少しだけ落ち着かせてくれる。……はずだった。
 壮大さんは、カップを持つ私の右手に、自分の左手をそっと重ねた。 「……壮大さん、誰かに見られたら……」 「大丈夫だよ。この席、死角になってる」

 テーブルの下。彼の長い足が、私の脚を捕まえるように優しく絡めてくる。  リラックスウェア越しに伝わる、彼の強靭な体温。新潟の夜、ツインルームの片方のベッドで感じたあの重みが、フラッシュバックのように脳内を支配する。

 コーヒーの湯気の向こうで、彼の瞳が色濃く、湿り気を帯びる。  彼は私の手の甲を親指でゆっくりとなぞり、そのまま指の隙間に、深く自分の指を滑り込ませた。  連結。  公衆の面前というスリルが、二人の間の熱を加速させていく。

「広島、着いたらさ。……レンタカー、俺に運転させて。二人きりの『個室』、確保しよう」  彼の囁きは、まるで首筋を直接舐め上げられたような錯覚を私に与えた。 「岡山からのドライブ、楽しみにしてて。……お前のダイヤ、全部狂わせてやるから」

 深煎りのコーヒーよりも苦く、甘い、彼の独占欲。  私たちは、期待と微かな痺れを身体に宿したまま、席を立った。  これから始まる空の旅、その先に待つ極上のプライベートな時間。  二人の心音は、完璧なシンクロを見せていた。

「岡山から広島へのルート、どの道を通るか考えてたんだ」 「瀬戸内の景色が見えるルートがいいですね。広電の2階乗り入れを前に、まずは陸と海を感じて・・・」

壮大が少しだけ満足そうに微笑む。 彼がハンドルを握り、民亜が助手席でガイドを務める。 これから始まる、岡山桃太郎空港からのレンタカーの旅。 それは、推しと一緒に過ごせる夢のような時間であり、同時に変わりゆく広島駅周辺の記録を更新するための、大切な一歩でもあった。

「さて、そろそろ行こうか。保安検査場、混み始める前に抜けちまおう」
壮大がコーヒーカップを置き、背筋を伸ばした。 民亜も頷き、荷物をまとめて席を立つ。 これからのフライト、そして岡山でのドライブ、広島でのライブ。 楽しみな予定が、パズルのピースのようにカチリとはまっていく感覚。 二人の旅は、完璧なスタートを切るはずだった。

ロビーを歩く壮大の背中は、どこか誇らしげで、そして「空の王子様」にふさわしい気品に満ちている。民亜はその半歩後ろを、喜びを噛み締めながら歩いていた。
けれど、その完璧な調和は、あまりにも唐突に、そして暴力的に破られた。

「ちょっとお話よろしいですか?」

低く、けれど粘り気のある声。 背後から、あるいは柱の陰から、音もなく現れた数人の男たち。 彼らは流れるような動きで二人の進路を塞ぎ、壁のように立ちはだかった。
一瞬で空気が凍りつく。 男たちの手には、無機質な光を放つICレコーダー。 そして、鋭いレンズをこちらに向ける、プロ仕様の大きなカメラ。
逃げ場のない羽田空港の雑踏の中で、民亜と壮大は予期せぬ「壁」に突き当たった。

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