底辺乗り物オタクの私―推しの推し活が、溺愛すぎる

亜 れみた

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第19話 羽田の静寂を破る影

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羽田空港の出発ロビーは、旅立ちを待つ人々の期待と、機能美の結晶である無機質な静寂が混ざり合う、不思議な聖域だ。

私はこの場所が好きだ。展望デッキから滑走路を見渡せば、巨大な機体が重力を振り切り、空へと溶けていく。その様は、計算し尽くされた「表現」そのもので、私の脳を心地よく刺激する。

「壮大さんこそ。さっきから滑走路の動き、全部追ってますよね。もうコックピットにいるみたい」
隣を歩く彼にそう言うと、壮大は小さく笑った。帽子を深く被り、視線を避けながら歩く姿は慣れたものだ。それでも隠しきれない存在感に、私は無意識に一歩だけ距離を測る。
――この距離感は、もう他人のものじゃない。
それを知っているのは、私と彼だけだ。
その均衡は、唐突に破られた。

「少し、よろしいですか?」

湿り気を帯びた低い声。柱の陰から現れた数人の男たちが、流れるように私たちの前に立つ。ICレコーダーとカメラ。空気が一瞬で凍った。
「別の方を待っていたんですが、SOUDAIさんが女性と歩いているのを見かけまして。広島のライブは二日後ですよね?」
取材陣の言葉には、確信犯的な棘があった。急遽決まった「1825(いはにご)」の代打出演まで、彼らはすでに把握していたのだ。

「二日も前から前乗りですか? 女性とご一緒で、楽しそうですね」
一瞬、思考が白く染まった。一日前なら「仕事の前日入り」という建前も立つ。けれど、二日前となると話は別だ。どうしよう。私の存在が、壮大の築き上げてきたものを壊してしまうのではないか。足がすくみ、声が出ない私を救ったのは、隣に立つ男の、拍子抜けするほど軽やかな声だった。

「あ、バレちゃいました? でも、遊びじゃないんですよ。今日はまずここで撮影、続いて桃太郎空港でも撮影なんです。僕、一応『空の王子』やらせてもらってるんで」
壮大は淀みなく、それでいて確かな説得力を持って言葉を紡いだ。

「明日は広島空港で撮影の予定です。うちのマネージャーが三組兼任してて手が回らなくて、今回のライブは急遽だったから、撮影スタッフの彼女と二人で先に入ることになったんですよ」
彼は私を「撮影関係者」という完璧なシールドの内側に引き入れた。プロの取材陣を相手に、彼は一歩も引かず、むしろその状況さえも自分の「役割」の一部として演じきってみせたのだ。

「なるほど・・・失礼しました。では、良い旅を」
去っていく男たちの背中を見送りながら、私はようやく止まっていた呼吸を再開した。膝の力が抜け、その場にへたり込みそうになる私を覗き込み、壮大はいたずらっぽく笑った。
「な、民亜を『関係者』にしておいたオレ、賢いだろ!」
彼は全く焦っていなかった。むしろ、私の動揺を包み込むような余裕さえあった。その自由奔放な強さに、私の胸は別の意味で激しく鼓動を打ち始めていた。

岡山桃太郎空港に降り立つと、そこには私が普段親しんでいる鉄路の風とは違う、乾いた空の風が吹いていた。 私はあまり飛行機という移動手段を使わない。けれど、壮大が案内してくれるままに歩くターミナルは、まるで映画のセットのように輝いて見えた。

「壮大さん、次はあそこの光が差している場所で撮りましょう」
私はカメラを構え、彼の姿をレンズに収める。 「空の王子様」としての彼の記録を、私は一瞬も逃さずに刻んでいく。ファインダー越しに見る彼は、先ほど羽田で記者を煙に巻いたときとは違い、どこか遠くを見つめるような、澄んだ瞳をしていた。

私は、自分が影響を受けてきた素晴らしい表現の数々を思い出す。その美意識を吸収し、糧としてきた私の思考から生まれるこの写真たちが、彼の力になると信じて。大分の豊かな自然の中で育まれた私の感性が、今、彼の姿を最高の一枚へと昇華させていく。撮影の合間、壮大は何度も私を振り返り、優しく目を細めた。その視線に触れるたび、私の中にある「自分」という存在が、より確かなものとして形作られていくのを感じた。

「本と一緒にいると、なんだか空気が柔らかくなるな」
ふいに壮大が零した言葉に、私はシャッターを切る手を止めた。 「・・・それは、私が壮大さんの表現を尊敬しているからですよ」 「そっか。光栄だな」 そう言って笑う彼の横顔を、私は一生忘れないだろうと思った。
広島に移動した私たちは、街の鼓動を肌で感じるために外へ出た。 私の目的地は、今まさに変革の真っ只中にある広島駅周辺だ。

「見てください、壮大さん。あそこを、かつては路面電車が走っていたんです」
広島電鉄の旧ルート。かつては人々の日常を運んでいた鉄路が、新ルートへの移行に伴い、静かにその役目を終えようとしていた。 私はこれまで何度も「廃線」を訪ねてきた。けれど、その多くは私が生まれる前の、セピア色の写真の中にしか存在しない物語だった。 しかし、今は違う。

「前回来たときは、まだここに電車の音が響いていたのに・・・」
自分が確かに知っている風景が、目の前で「過去」へと形を変えていく。廃線前と、廃線後。その両方をこの目で見届け、歩くことができるという、贅沢で、そしてどこか切ない体験。 私は、アスファルトに残るかすかな軌道の跡をなぞるように歩いた。

私たちは、新しく生まれ変わる広島駅の2階、路面電車が空へと羽ばたくように乗り入れる予定の場所を見上げた。
 未来へと続く軌道と、消えゆく過去の記憶。その両方を抱きしめながら、私たちは今日、いーーーーっぱい歩いた。  心地よい疲労が、ずっしりと体に蓄積されていた。ホテルの部屋に戻る頃には、私の思考は微睡みの境界線にいた。

 ふと気づくと、ソファーに座っていた壮大さんが、私の肩に頭を預けていた。新潟のあの夜と同じだ。規則正しい寝息。ステージの上で見せる圧倒的な「SOUDAI」ではなく、ただの、疲れ果てた一人の青年としての壮大さんがそこにいた。 「壮大さん……?」  呼んでみたけれど、返事はない。彼の深い眠りを妨げるのが怖くて、私は石像のように固まった。動けないまま、彼の髪から香るかすかなシャンプーの匂いを感じているうちに、私の意識もゆっくりと、眠りの海へと沈んでいった。

 ……ふわり。  夢の中で、私は広電の車両に乗っていた。電車はゆっくりと坂を登り、駅の2階へと滑り込んでいく。空へ続く軌道。その幻想的な光景の中で、誰かに優しく抱き上げられる感覚があった。
「……ん」  薄く目を開けると、視界が揺れていた。ソファーで寝入っていたはずの私を、壮大さんが抱き上げ、ベッドへと運んでいたのだ。  覚醒しかけた私の意識を、彼の腕から伝わる強烈な体温が再び麻痺させる。彼は私を丁寧にベッドに横たえると、毛布をそっと肩まで掛けた。  それで終わりだと思った。けれど、壮大さんはそのまま、当然のような顔をして私の隣に潜り込んできたのだ。

「……おやすみ、民亜」  低い、まだ夢の続きにいるような声。  彼は私の腰を腕で引き寄せ、背中から包み込むように密着した。リラックスウェア越しに伝わる、彼の心臓の音。ドク、ドクと、私の背中に直接打ち付けられるリズム。 「……壮大さん、あの、ここ……」 「……お静かに、だろ? 今日の撮影、疲れたよ。……少しだけ、このまま」

 新潟では不完全燃焼だったその続きを、彼は「眠気」という免罪符を使って強引に埋めにきている。私のうなじに、彼の温かい吐息が吹きかかる。  彼はそのまま、秒速で再び眠りに落ちてしまったふりをしながら、私の手をベッドの中で探し当て、指を一本ずつ絡めるようにして強く握りしめた。    逃がさない。  指先から伝わってくる、あまりに一方的で、けれどどうしようもなく愛おしい独占欲。  けれど、次の瞬間、その指先の力がさらに強まり、彼は私の首筋に深く顔を埋めた。

「……民亜、もう『嘘』はやめよう。……新潟から、ずっとこうしたかった」   

 耳元で囁かれたその言葉は、もはや眠りの中の戯言ではなかった。  重なる吐息。肌と肌が触れ合う境界線が、熱を帯びて溶け始めていく。  彼は私の肩をそっと回して自分の方へ向かせると、暗闇の中で、吸い込まれるような瞳で私を見つめた。   「お前が俺を現像してくれるなら……俺は、お前の中にだけ、本当の姿を残したい」

 重なる唇は、羽田でのあの張り詰めた緊張を、そして今日歩いた廃線の寂しさを、すべて書き換えていくように深く、熱く、互いを求め合った。  鉄道の軌道が未来へと結ばれるように、二人の身体もまた、抗いようのない力で強く、深く連結されていく。  窓の外では、広島の街が新しい一日を始めようとしていた。けれど、この部屋の中だけは、夜の静寂を切り裂くような熱量と、二人だけの特別な時間が、永遠のように刻まれていた。

 私は、隣で眠る壮大さんの体温を全身で感じながら、解けないように握られた手を強く握り返し、幸せな重みの中で再び意識を深く沈めていった。

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