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不完全燃焼と、黄色いカレー
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壮大との、はじめての夜。
それは、期待とか覚悟とか、そういう言葉が出番を失うくらい、あっけなく終わった。
ふたりで飲み始める前から、壮大はすでに利き酒セットをいくつか空けていて、楽しそうに話していたかと思うと、いつのまにか布団に沈み込むように眠ってしまったのだ。
不完全燃焼――。
そう言葉にしてみて、私はひとりで首を振る。
何か期待してたの、わたし?
ないないないない。
・・・ああ、恥ずかしい。
翌朝、チェックアウトを済ませて、新潟市街地へ向かう。
今日の目的のひとつは、やっぱりバスセンターのカレーライスだった。
あの、黄色くて、どこか懐かしい香り。
なぜこんなにも中毒性があるのか、理屈では説明できない。
私は新潟駅の工事中の仮店舗営業の頃から何度もここを訪れている。完全高架化までの過程を見届けるみたいに、新潟に来るたび、バスセンターにも立ち寄ってきた。そのせいで、いくら好きとはいえ、毎回カレーライスというわけにもいかず、いつのまにかカレーうどんやカレーそばといった「おとなりさん」メニューを頼むことが増えていた。
そして、その影響を受けた男が、今、目の前にいる。
壮大は券売機の前で立ち止まり、カレーライス、カレーそば、カレー以外の選択肢を、真剣な顔で見比べている。
迷っている。その様子が、どうしようもなく、かわいい。
このままずっと見ていたい気持ちもあったけれど、券売機の後ろには長い列。
バスセンターの人気は相変わらずだった。
順番が来ると、壮大は私を先に促した。
私がボタンに指を伸ばすのを、じっと見ている。
カレーライスを選ぶと、壮大はカレーそばを押して、こう言った。
「初・バスセンターのカレーライスは、民亜の皿からいただくとして。オレは、民亜がカレーライスの次によく食べてる、カレーそば」
一瞬、思考が止まった。
数えたことなんてない。
でも、確かにそうだ。
そんなこと、知ってるの、私以外に壮大しかいない。
心の中で、意味不明なツッコミを連打しながら、私は黙ってしまった。
それにしても、いい香りだ。
観光客の多くは気にしていないかもしれないけれど、「バスセンター」のカレーなのだ。
目の前を行き交うバスを眺めながら食べる、この距離感がたまらない。
写真に収めたカレーライスを、壮大がじっと見つめている。
「どうぞ」と言うと、彼はスプーンですくい、ためらいもなく、私の口に運んだ。
初バスセンターのカレーも、私にあーん。
・・・かわいい。
市街地はバスは通るけれど、電車は通っていない。
萬代橋の下、信濃川沿いを歩くと、車もバスも姿を消す。
乗り物が何も通っていなくても、そこには確かな至福があった。
この日は、バスセンターのカレーライスに始まり、カレーそば、新潟のソウルフード・イタリアン、そして壮大おすすめのラーメンまで辿り着いた。
新潟はラーメンも有名になりつつあるらしい、という話を聞きながら、私たちはひたすら麺を食べた。
胃袋が満ちていくほど、旅をしている実感が深くなる。
完璧じゃなくても、ちゃんと、記憶に残る一日だった。
楽しい時間は、どうしてこうも足が速いんだろう。
「帰りさ、高速バスにしない?」
何気ない提案みたいな口調だったけれど、私は思わず足を止めた。
え? 高速バス?
あの SOUDAI が?
振り向いた私に、壮大は首をかしげて「?」を浮かべる。
でもこの人の「?」は、もうだいたい決まっている。
「もう取ってある」
ほら、やっぱり。
民鉄チャンネルでは、これまで何度も高速バスの乗車体験を載せてきた。
特に東京―新潟間。個室こそないけれど、独立した3列シートのバリエーションがとにかく豊富で、私はほぼ網羅する勢いで乗り比べている。
ただし、3列シートは人気が高い。
2列シートの車両に、申し訳程度に3列が混ざっているタイプも少なくない。
3列が取れなかった場合は、2列シートを一人で二席使い。
隣り合った席はどうしても落ち着かないから、2列なら必ず二席予約する。
それは、チャンネルでも何度も言ってきた、私の鉄の掟だ。
・・・なのに。
なのに、なのに。
2列シート、隣り通しで予約した???
思わず声が裏返った。
「壮大さん、私、2列シートなら一人で二つ使いしか紹介したことないですよ!」
壮大は一瞬きょとんとして、それから、にこっと笑った。
「そうだね。でもさ」
悪びれもせず、楽しそうに続ける。
「2列シートで、カップルがいちゃいちゃしてたって情報、民鉄チャンネルで聞いたことあるよ」
・・・拾うとこ、そこ?
心の中で全力で突っ込みながら、私は顔が熱くなるのを感じていた。
高速バスの座席配置一つで、こんなにも平常心を失うとは思わなかった。
決定事項の「?」を携えたまま、壮大はもう発車時刻を気にしている。
「ねえ、個室バスってさ」
高速バスの話題が一段落したところで、壮大がふと思い出したみたいに言った。
「2室予約したら、2人で1つの部屋で過ごせるの?」
・・・待って。
その「2人」って、誰と誰?
質問の形をしているくせに、主語が抜け落ちている。
私は脳内で暴走しかける思考を、慌てて非常ブレーキをかけた。
落ち着け。
落ち着くんだ、民亜。
「バスの中ではお静かに」
そう書いてあるんだから、仮に何が起きたとしても、静かにしてるんだよ。
一瞬でそこまで想像してしまった自分に、内心で悲鳴を上げる。
これは・・・確実に対象、私だ。
でも私は、もう一度、自分の思考を強制停止させた。
顔に出たら終わりだ。
「はいはい」
少し呆れたみたいに、興味なさそうに。
必死で「大人の余裕」を演じる。
「そんなこと考える前に、ちゃんと座席の説明聞いてください」
心臓だけが、なぜか高速運行に入っていた。
この人の無邪気な質問は、いつも私の理性の耐久テストになる。
それは、期待とか覚悟とか、そういう言葉が出番を失うくらい、あっけなく終わった。
ふたりで飲み始める前から、壮大はすでに利き酒セットをいくつか空けていて、楽しそうに話していたかと思うと、いつのまにか布団に沈み込むように眠ってしまったのだ。
不完全燃焼――。
そう言葉にしてみて、私はひとりで首を振る。
何か期待してたの、わたし?
ないないないない。
・・・ああ、恥ずかしい。
翌朝、チェックアウトを済ませて、新潟市街地へ向かう。
今日の目的のひとつは、やっぱりバスセンターのカレーライスだった。
あの、黄色くて、どこか懐かしい香り。
なぜこんなにも中毒性があるのか、理屈では説明できない。
私は新潟駅の工事中の仮店舗営業の頃から何度もここを訪れている。完全高架化までの過程を見届けるみたいに、新潟に来るたび、バスセンターにも立ち寄ってきた。そのせいで、いくら好きとはいえ、毎回カレーライスというわけにもいかず、いつのまにかカレーうどんやカレーそばといった「おとなりさん」メニューを頼むことが増えていた。
そして、その影響を受けた男が、今、目の前にいる。
壮大は券売機の前で立ち止まり、カレーライス、カレーそば、カレー以外の選択肢を、真剣な顔で見比べている。
迷っている。その様子が、どうしようもなく、かわいい。
このままずっと見ていたい気持ちもあったけれど、券売機の後ろには長い列。
バスセンターの人気は相変わらずだった。
順番が来ると、壮大は私を先に促した。
私がボタンに指を伸ばすのを、じっと見ている。
カレーライスを選ぶと、壮大はカレーそばを押して、こう言った。
「初・バスセンターのカレーライスは、民亜の皿からいただくとして。オレは、民亜がカレーライスの次によく食べてる、カレーそば」
一瞬、思考が止まった。
数えたことなんてない。
でも、確かにそうだ。
そんなこと、知ってるの、私以外に壮大しかいない。
心の中で、意味不明なツッコミを連打しながら、私は黙ってしまった。
それにしても、いい香りだ。
観光客の多くは気にしていないかもしれないけれど、「バスセンター」のカレーなのだ。
目の前を行き交うバスを眺めながら食べる、この距離感がたまらない。
写真に収めたカレーライスを、壮大がじっと見つめている。
「どうぞ」と言うと、彼はスプーンですくい、ためらいもなく、私の口に運んだ。
初バスセンターのカレーも、私にあーん。
・・・かわいい。
市街地はバスは通るけれど、電車は通っていない。
萬代橋の下、信濃川沿いを歩くと、車もバスも姿を消す。
乗り物が何も通っていなくても、そこには確かな至福があった。
この日は、バスセンターのカレーライスに始まり、カレーそば、新潟のソウルフード・イタリアン、そして壮大おすすめのラーメンまで辿り着いた。
新潟はラーメンも有名になりつつあるらしい、という話を聞きながら、私たちはひたすら麺を食べた。
胃袋が満ちていくほど、旅をしている実感が深くなる。
完璧じゃなくても、ちゃんと、記憶に残る一日だった。
楽しい時間は、どうしてこうも足が速いんだろう。
「帰りさ、高速バスにしない?」
何気ない提案みたいな口調だったけれど、私は思わず足を止めた。
え? 高速バス?
あの SOUDAI が?
振り向いた私に、壮大は首をかしげて「?」を浮かべる。
でもこの人の「?」は、もうだいたい決まっている。
「もう取ってある」
ほら、やっぱり。
民鉄チャンネルでは、これまで何度も高速バスの乗車体験を載せてきた。
特に東京―新潟間。個室こそないけれど、独立した3列シートのバリエーションがとにかく豊富で、私はほぼ網羅する勢いで乗り比べている。
ただし、3列シートは人気が高い。
2列シートの車両に、申し訳程度に3列が混ざっているタイプも少なくない。
3列が取れなかった場合は、2列シートを一人で二席使い。
隣り合った席はどうしても落ち着かないから、2列なら必ず二席予約する。
それは、チャンネルでも何度も言ってきた、私の鉄の掟だ。
・・・なのに。
なのに、なのに。
2列シート、隣り通しで予約した???
思わず声が裏返った。
「壮大さん、私、2列シートなら一人で二つ使いしか紹介したことないですよ!」
壮大は一瞬きょとんとして、それから、にこっと笑った。
「そうだね。でもさ」
悪びれもせず、楽しそうに続ける。
「2列シートで、カップルがいちゃいちゃしてたって情報、民鉄チャンネルで聞いたことあるよ」
・・・拾うとこ、そこ?
心の中で全力で突っ込みながら、私は顔が熱くなるのを感じていた。
高速バスの座席配置一つで、こんなにも平常心を失うとは思わなかった。
決定事項の「?」を携えたまま、壮大はもう発車時刻を気にしている。
「ねえ、個室バスってさ」
高速バスの話題が一段落したところで、壮大がふと思い出したみたいに言った。
「2室予約したら、2人で1つの部屋で過ごせるの?」
・・・待って。
その「2人」って、誰と誰?
質問の形をしているくせに、主語が抜け落ちている。
私は脳内で暴走しかける思考を、慌てて非常ブレーキをかけた。
落ち着け。
落ち着くんだ、民亜。
「バスの中ではお静かに」
そう書いてあるんだから、仮に何が起きたとしても、静かにしてるんだよ。
一瞬でそこまで想像してしまった自分に、内心で悲鳴を上げる。
これは・・・確実に対象、私だ。
でも私は、もう一度、自分の思考を強制停止させた。
顔に出たら終わりだ。
「はいはい」
少し呆れたみたいに、興味なさそうに。
必死で「大人の余裕」を演じる。
「そんなこと考える前に、ちゃんと座席の説明聞いてください」
心臓だけが、なぜか高速運行に入っていた。
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