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婚活アプリでマッチングしたのは、年齢詐称の女子高生でした

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「えへへ、お兄さん……これからもずっとよろしくね!」

 ウエディングドレス姿の彼女は、赤い瞳を涙に濡らしながらにっこりと微笑む。
 彼女に出会ってから1年と1日を超えてさらに半年後……奇跡のようなこの日に繋がる物語の始まりは……。


 ***  ***



Chapter1 邂逅

 なんとなく学校に行ってなんとなく恋をして。
 社会人になり……ステキな出会いをした女性と暖かな家庭を築く……。
 小さいときにはそう思っていたのだけれど、現実はけっこう残酷で。

 自分の年齢プラスマイナス3歳……年収条件なし、タバコは……できれば吸わない。
 検索条件を飲み込んだアプリが、数百件の検索結果を返す。

 人差し指で画面をスライドすると、きらめくように流れていく女性たちのキメ顔。

 仕事+飲み会終わりの金曜日午後23時15分……一人暮らしのアパートで俺は、先日登録した婚活マッチングアプリを弄りながら、深い深いため息をついていた。

 そろそろ孫の顔を見せてよと言う故郷の両親と、心の底で焦る自分を偽ることに疲れ、思い切って婚活マッチングアプリに登録した俺を待っていたのは、ある意味当たり前の現実だった。


 ******
 無料の出会い系アプリは良くない!
 少額でもいいから有料のアプリを使いましょう!
 ******


 検索した婚活指南サイトのトップページで、やけにビビッドなフォントカラーで主張してくるその言葉に押され、せっかくならと月額7千円ほどかかるアプリに申し込んだのだけれど。

 少なくないお金をかけていると思うと、えり好みをしてしまう。
 俺自身、そんなご立派なスペックじゃないだろうに。

 ため息一つ……机代わりのコタツ机の上に置いたノートパソコン……ソイツの横に転がっている水晶玉を指先でもてあそぶ。
 天井から降り注ぐLED照明の灯に、きらりと赤と青のプリズムが煌めきを放つ。

 直径3センチくらい……ネックレスに加工されたコイツは、子供の時……小さな神社の神主をしていた曽祖父から貰ったお守り。

 俺を守ってくれる霊験あらたかなシロモノらしい。

 実際、受験や学生時代に遭遇した事故など……いろいろなモノから俺を守ってくれたのだが……生涯の伴侶だけはサポート外らしい。

 ひい爺ちゃん……そこかなり大事でしょうよ……。

 ふう、とため息をもう一つ。

 その時、アプリの画面にぴこん、と軽快な音を立ててポップアップアイコンが表示される。

 おっ……この婚活アプリでは、登録間もないユーザー同士の相性をAIで判定し、オススメとして出してくれる機能がある。

 お互いビギナーなので、マッチングしやすいとか……興味を持った俺は、アイコンをタップする。


 んん……?


 表示された女性のプロフィールに思わず眉をひそめる俺。

 名前は蒼 (あお)……変わった名前だ (ちなみに、苗字はマッチングしないと分からない)

 年齢は27歳……俺の希望にぴったり。
 タバコも吸わない……更に良い。

 だが、俺が眉をひそめたのはこれら基本的なプロフィールではなく、画面に映し出された顔写真で……。

 普通、こういうアプリでは正面から撮った笑顔の写真を載せるのが普通だ……それもなるべく柔らかく輝くような表情で。

 閲覧者の目に留まる一番大事なポイントが顔写真なのだから当然だ。

 だがこの女性は……。

 

 大きな目に可愛らしい顔立ち……27歳にしては童顔だ。

 笑えば可愛いだろうに、ハの字にゆがむ眉毛と合わせ、なにか不機嫌そう……いや、緊張しているのか?

 という子供っぽい髪形は、確かに似合っているのだが、20代後半の社会人女性がするには幼すぎる。

 極めつけは一言コメントだ。


【3か月以内の入籍希望!! 絶対1年以内に子供が欲しいです!!!】


 うおお、居並ぶ「!」に圧倒されてしまった。

 27歳なら、まだそこまで焦る年齢ではなかろーに……こんな食い気味の一言を書くと逆効果な気がするぞ。

 ヤリモクのゲス男に引っかからないだろうか……有料アプリでは数少ないとはいえ、そういう輩もいると聞く。

 なんだか少し心配になってしまった……顔はめっちゃ好みなんだよな。

 今月分の「いいね! ポイント」が余っていた俺は、ダメもとで「いいね!」ボタンをタップする。

 お互いが「いいね!」した場合だけ、1対1のチャットができ、リアルで会うことができる (ちなみに、いいね! ポイントは有料)という仕組みである。

 女性は1日100個くらい「いいね!」を貰うらしいもんな。
 数を打たないと……俺はそのほか数人に「いいね!」を送ると……あくびを一つ、スマホを充電ケーブルにつなぐと眠りについた。


 ***  ***


 って、めちゃくちゃ返事がきてんじゃないか……晴天の土曜日、すでに日も高く上った午前9時にのろのろと起きだす俺。
 目をこすりながらスマホのロックを解除した瞬間、一気に目が覚める。

 アプリのアイコンに、「いいね!」の返信を示す星マークが踊っている。

 どの子が返信してくれんだろう……ドキドキしながら婚活アプリを開いた俺の目に飛び込んで来たのは。
 俺が最初に「いいね!」した女性、蒼さんからのメッセージだった。


 ”こんばんは! 「いいね!」ありがとうございますっ!”
 ”あたしの名前は、凰河 蒼(おうが あお)っていいます”
 ”お兄さん、なかなかカッコいいですね☆”
 ”良かったら、明日会いませんか? たぶん住んでるところ近いですよね!”
 ”中央駅近くでお昼とか! あたしのラインIDはコレ(XXXXX)なんでっ! お返事待ってま~す♪”


 ……プロフィールの一言コメントはあんなに食い気味だったのに、やけに軽いノリの子だな。
 ……って、いきなり今日会うの!?

 特に予定無いからいいけれど……こういうアプリには一定数”悪徳業者”が潜んでるというし……。
 口ではそう言いながらも、俺はいそいそと洗面所に行き顔を洗い、無精ひげをそる。

 朝食のトーストをかじりながら、中央駅近くのランチを探す。
 やはり最初はイタリアンだよな……それともおしゃれなカフェの方がいいのか……。

 何コイツちょろいなとか言わないで欲しい。

 この婚活アプリに登録してから初めてのマッチング……それもタイプど真ん中の娘である。
 多少舞い上がるのは仕方ないじゃないか……。

 おっと、彼女に返信をしておかないと……。

 俺は、婚活アプリのチャット機能で、彼女にお礼のメッセージと、自分のラインIDを送る。
 ほどなくして返信が返され、ラインのフレンドに彼女……凰河 蒼が登録される。

 なんか進みが速いな……こういうもんなのだろうか?

 蒼さんといくつかのやり取りをして……顔合わせの初デートは、本日12:30に中央駅北口大ケヤキ前待ち合わせと決まったのだった。


 ***  ***


「あはは、お兄さん面白いですねっ!」
 初デートで話そうと暖めていた渾身のネタに、手を叩いて笑ってくれる蒼さん。

 約束の10分前に行くと、蒼さんはすでに待ち合わせ場所に着いていた。

 リサーチ済みの、路地にある落ち着いた雰囲気のカフェに入る。

 日当たりが良く、2階の屋根より少し高いプラタナスの若木が木陰を作るオープンテラス……甘さ控えめのチーズケーキが名物の、アラサー女子に大人気なオトナカフェ……らしい。

 蒼さんは最初落ち着かない様子で緊張していたものの、お互い年齢が近いという事もあり、すぐに打ち解けた雰囲気になる。

 歳は1つ下のはずだが、俺の事を「お兄さん」と呼ぶ彼女。

 身長は150ちょいくらいか……ぱっちりとした目に、柔らかな輪郭を描く頬……アプリの写真より、さらに童顔に見える。
 髪型が写真と同じツインテールなのが、さらにその印象を強くする。

 ……先ほどから気になっているんだけど、彼女が笑うたびに三角の髪留めがピコピコと動いている。

 情報番組でそういうアクセサリー (アレはウサギ耳だったかも)を見た気はするが、こういうフォーマルな場で付けるようなモノじゃなかった気がするので、どうしても気になってしまう。

 その後もトークは盛り上がり……お互い好きな音楽の話になる。
 彼女の反応に微妙な違和感を感じたのはその時だった。

「も~、お兄さんけっこう好きですよね!」
「クラスでもマセた子が聞いてましたよ」

 ……ん?

 大学時代に俺らの世代で流行ったロックバンド……懐メロと言うには新しいと思うんだけど……。

 学生時代の感覚を持ち続けることが、若さをキープする秘訣なのかもな。
 蒼さんのシワ一つないみずみずしい手先と目尻を見ながら、自分もおっさんの入り口に立ったのかと心の中で天を仰いでしまう。

 気が付くと、楽しい時間はあっという間に過ぎ去り……。

 初回デートは長すぎない方がいいだろう。
 俺はさりげない流れで、支払いを済ますと、彼女を連れて店を出る。

 トークもいい感じだったし……2回目のデートは水族館あたりで……駅の改札前で切り出してみるか……。

 中央駅へ続く歩道を歩きながら、頭をフル回転させる……こんなに集中しているのは大学受験以来かもしれない。

 と、蒼さんが俺のジャケットの袖をくいくいっと引っ張る。

「ん、お兄さん……キャンディ食べます?」

 にへらっ、という感じで笑みを浮かべた蒼さんが、封を開けたばかりのキャンディを俺に差し出してくる。

 可愛い……思わずその笑顔に見とれた俺は、ありがたく一粒頂くと口の中に放り込む。

 ふわりとグレープのフレーバーが口いっぱいに広がる。

 きらり……その瞬間、彼女の瞳が

「えへ、お兄さん……こっち行こう?」

 ぽうっ……頭の中がモヤがかかったようにぼーっとする……。

 俺は彼女に手を引かれるまま、駅前繁華街に続く交差点を左に曲がる。
 やけにピンクなネオンが輝く建物に入り……。

 あれ、ここって……。

 ……って、ラブホじゃんか!!

 ラブホの一室に入り、彼女が鍵をかけ……ぽふんと回転ベッドに座らされた瞬間、一気に意識が覚醒する。

「え!? もうに戻ったの……ウソ!」

 目の前で水色のブルゾンを脱ごうとしていた彼女が驚きに目を見開く。

 いやいや、なんだよ正気って! アンタ薬でも盛ったのかよ……そう抗議しようとするが、まだ口は満足に回らなく……。

「ゴメンお兄さん……あたしには時間が無いの……」
「気にすることは無いから、今夜だけ……」

 ふぁさ……彼女のスカートが床に落ちる……そのまま彼女の手がベッドに座り込む俺の肩に掛かり……。

 って、ちょっと待てって!

 婚活アプリで出会って初日にベッドインとかありえないだろ!?

 これは何かの罠で、今にも道を極めた怖いオジサンたちが部屋に入ってくるんじゃないかビビった俺は、なんとか動きそうな右手で抵抗を試みる。

 ぐいっ……

 わずかに動いた右手は、彼女の肩にかけられたままだったショルダーバッグに当たり……。

 ぱさっ……

 僅かに開いたジッパーの隙間から、一冊の手帳のようなものがこぼれ落ちる。
 ベッドに落ちた拍子に開いたページに見えたのは……。


 ******
 私立若葉丘高等学校 2年B組
 凰河 蒼
 生年月日:2004年3月21日
 ******


 彼女の名前が書かれた学生証で……。

 はあ!?

 高校生で17歳!?

 驚きの声を上げる俺とバツの悪そうな顔をする蒼……俺と彼女の出会いは、”出会って2時間でラブホしかも年齢詐称”という、最悪なモノだった。



Chapter2 説得

 やってしまった……という様子で顔を覆う彼女……凰河 蒼 (おうが あお)。
 婚活アプリで出会った27歳女性は、実は17歳女子高生だった。

 年齢詐称は規約違反だったはず……「いいね!」もタダじゃないんだぞ……。

 どうやって登録審査をクリアしたのか分からないけど、このことが露見すれば業者だけじゃなくご両親や学校に迷惑がかかる。

 運が悪ければ悪い男に引っかかって一生消えない傷が残っていたかもしれないじゃないか!
 ……それに、もし最後までしていたら……俺は条例違反で逮捕、会社も解雇……一人の人生を壊していたかもしれないんだ。

 流石にこれはいたずらでは済まされない……年下の少女相手だが、しっかりと叱ってやるべきだろう。

「あぅ……ごめんよう……お兄さんいい人そうだったから……」

 俺が本気で叱っていることを察したのか、一気に涙目になる蒼。

 あんなに強気で迫って来たのに、今は年相応の少女の顔になり……自分がとんでもないことをやってしまったと理解したのだろう。真っ青な顔でぷるぷると震えている。

 ふぅ……少し強く言いすぎたかもしれない。

 改めて彼女の様子を観察する。

 オトナづくりをするためか、うっすらと化粧をしているものの、涙目でうつむく様子から、心底反省している様子がうかがえる。
 そう言えば、この部屋を選ぶ時もわたわたしながら電話でフロントにパネルの操作を聞いていたっけ。

 エンコーや美人局に慣れているのなら、わざわざこちらにそんな仕草は見せないはずだ。
 こちらの意識を催眠状態にしたキャンディとか、色々聞きたいことはあるものの……。

 何か事情があるんだろうか?

 ぽろぽろと涙をこぼす彼女に罪悪感が芽生えた俺は、ひとまずアメニティのポットでお茶を入れ、彼女の話を聞いてみることにしたのだった。


 ***  ***


「はふぅ……落ち着いたぁ」

 俺の入れたお茶と、冷蔵庫から取り出したドーナツ (有料)をぱくぱくと平らげた蒼は、満足の吐息を漏らしている。

 120分コースで借りたから時間があるとはいえ、高校生がラブホの回転ベッドに座ってくつろがないで欲しい……。

 思わず半眼になった俺の様子に気づいたのか、あ……とバツの悪い顔になる蒼。

 彼女は湯飲みをテーブルに置き、パンプスを脱ぐと回転ベッドの上に乗り、速やかに土下座体制に移行する。

 こちらに向けられた彼女の頭……三角の髪留めがピコピコと動いている。
 え、何やってるの……そう声をかける間もなく。

「あらためて……本当にごめんなさい!」
「あたし、1月前に”コレ”が分かって凄く動転しちゃって……何とかしなきゃとパニックで……”目的”を達成するにはこんな方法しか思いつかなくて」

「本当にごめんなさい! あたし……どんな罰でも受けるから……誰にも言わないし」
「だから、もし一発するなら……」

 ビシッ!

「ぴいっ!?」

 最初は殊勝に謝っているかと思ったら、いきなりとんでもないことを言いだした彼女の脳天を思わずチョップしてしまう。

 謎の悲鳴を上げた蒼は、頭を抑えながら涙目で抗議を試みる。

「ええっ!? 今の流れでチョップしますか!」
「ケンコーなアラサー男子ならこの流れですっきり後腐れなくオシマイだと思ったのに……!」

 ……どうやらコイツはなかなかにイイ性格をしているようだ。

 オトナとして、しっかりきっちり説教してやらねばなるまい。
 俺は蒼をベッドの上に正座させると、説教兼事情聴取を開始した。


 ***  ***


「ずびぃ……脚がしびれたぁ……」

 事情聴取を終えた蒼は、涙目でテーブルに備え付けられた椅子に座り、むくんだふくらはぎをマッサージしている。

 彼女が話した事情は……まとめると以下になる。


 1か月前、ごく普通の高校生活を送っていた蒼にが見つかる。
 治療は海外で行うしかなく、治療に入れるまで1年待ちで……無事に戻ってこれる可能性は小さい。
 だから、素敵な男性とが欲しい。


 聞きだしてみると、そういう事もあるかもしれないという事情ではあるが……血色がよく健康そのものに見える彼女が不治の病ねぇ……にわかには信じられない。

 まあ、自分が同級生の男なら敬遠するだろうな……事情が重すぎる。

 しかし、事情を語る彼女の表情はぞっとするほど真剣で、瞳は涙に揺れていた (足がしびれていたのかもしれないが)。

 もうすぐ部屋の時間が過ぎる……このまま部屋代を立て替えてウチに帰すのが普通の対応だが……。

 妙に彼女の事が引っ掛かる……ふと、胸に下げたネックレスの水晶玉がじんわりと熱を持っていることに気づく。
 そっとシャツの間から水晶玉を観察すると……彼女の瞳と同じ赤い光がきらりと煌めいた。

 ……オカルトと言われるかもしれないが、この水晶玉が煌めく時、自分の人生における大事な選択が迫っている事を、過去の経験から俺は分かっていた。

 これも”縁”か……ちらりと曽祖父の顔が脳裏に浮かぶ。
 覚悟を決めた俺は、静かに蒼に申し出る。

 目を真ん丸に見開いて驚きを表す彼女。

 俺は、自分の一年間を彼女にプレゼントすることに決めた。



Chapter3 享楽

「おつです~、オニイサン……待った? なーんてね♪」

 5月……ゴールデンウィークの谷間、平日を振替休日にした俺は、蒼と中央駅で待ち合わせる。

 いたずらっぽい笑顔で話しかけてきた蒼は、市内でも可愛いと評判の私立若葉丘高等学校の制服姿だ。

 空色のインナーシャツに黒のジャケット、スカートもシャツと同じ空色……赤白のストライプ柄リボンがワンポイントになっている。
 ホワイトのロークルーソックスにグレーのローファー。

 おなじみのツインテールにした彼女は、いつもより輝いて見えた。

「むふふ~JKと制服デートとか、お兄さんも罪ですなぁ~」

 イヤラシイ表情を浮かべる蒼をチョップで黙らせる。
 う~、なんだよう……と涙目になる蒼……ちょっと可愛い。

 今日はゲーセンに寄って映画を見て……最後にカフェで食事という、まあ普通の学生デートといったプランだ。

 ……などと言いつつ、俺も楽しみかもしれない。
 いまだぶーたれる蒼の手を引き、俺たちは最寄りのゲームセンターへと向かった。

「あ~もう! コイツのアーム弱すぎでしょ!」

 アームに掛かっていた景品が、惜しい所でポロリと落ちる。
 先ほどから蒼はクレーンゲームに挑戦し、絶妙な強さに調整されたアームに翻弄されているところだ。

 彼女が狙っているのは赤色の”頭皮用マッサージブラシ”……なぜこんなものを女子高生が欲しがるの不思議だが、蒼が言うにはこのブランドのブラシはデザインが可愛く、女子高生の間で人気らしい……本当か?

「く……ここでコンテすると今月の学食が……いやでも、もうすぐ取れそうだし……」

 競馬場にいるオヤジのようなセリフをぷるぷる震えながらつぶやく蒼……クレーンゲーム業者の思うツボになりかける彼女を見かね、声をかける。

「え? お兄さんが取ってくれるの?」

 俺は任せろ、と親指を立てると、彼女と交代する。

 蒼が取ろうとしていた手前のブラシ……コイツは他のブラシと重なっておらず、まっすぐ立っている。
 いかにも取りやすそうに見えるが、コイツは囮だ……このアームの強さでこのブラシの形状……アームの刃をブラシの隙間に差すのが最適解……そうすると本命は。

 俺は慎重に獲物を見定める……蒼が好きな赤色の……これだ!
 素早くボタンを操作する。

「おお~っ!? あんな所から!?」

 蒼が驚きの声を上げている。
 がっちりとアームの刃が食い込んだブラシは、あっさりと景品取り出し口へ落ちて行った。

 ほら、欲しがってた赤いヤツだぞ……俺はゲットしたブラシを取り出すと、蒼に手渡してやる。

「すご! 一発で……あ、でも貰っちゃっていいの?」

 妙なところで遠慮するヤツだ……少なくともふさふさの俺に頭皮マッサージブラシなんて必要ない!

「ぷぷっ……女子が使う目的はそんなんじゃないよっ!」

 やけに必死に頭皮マッサージを否定する俺の様子がおかしかったのか、ぷっと噴き出す蒼。

「へへ、あたし……よくから、欲しかったんだよね~普通に買うと結構高いし!」
「ホントにありがとっ、お兄さん!」

 やっぱり新陳代謝の活発な若い子は違いますな―。

 やけにおっさんクサい事を考えつつ、にぱっと咲いた蒼の笑顔を見ていると、まんざらでもない気分になる俺なのだった。


 ***  ***


 俺たちの”思い出作り”は続く……7月。

「海だ~っ! やっほ~!!」

 水着姿になった蒼がサメさん浮き輪を持って砂浜に駆け出していく。
 夏休みに突入した蒼を連れ、俺たちは海水浴に繰り出していた。

 彼女の好きな赤をベースカラーにしたビキニタイプの水着……17歳としても童顔な彼女のイメージ通り、スレンダーな体躯は……これぐらいが健康的でよいと思う、うん。

 俺たちの住んでいる街は海から遠いので、今日は俺のクルマでやって来た。

 ドライブデートとか、本当の恋人同士みたいだな……波打ち際ではしゃぐ蒼を微笑ましい気持ちで見守る俺。

「お~い、お兄さん! 泳ぎで勝負しよ!」

 ふん、小学生の時スイミングスクールに通っていた俺を舐めるなよ?
 蒼の挑発に乗った俺は、一気に海に飛び込んだ。


 マジか……コイツ、速い……。

「あははは! あおちゃんの勝ちぃ~!」

 沖のテトラポットまで勝負だ!

 しょせん相手は小娘……余裕をもって勝つはずだったのだが。
 俺の全力クロールは彼女の平泳ぎに追いつくことが出来ず……。

「お兄さんもなかなかだったケド、あたしのこの鍛え抜かれた肉体には敵いませんよ~」

 海面から突き出たテトラポットの脚に座りながら、ぐっと力こぶを作る蒼。

 確かに、二の腕に膨らんだ筋肉は女性らしい丸みとしなやかさを併せ持っている。

「それじゃ、約束通りかき氷おごりね! あたしブルーハワイで…………あいたっ!」

 ふふん、と得意げに胸をそらす蒼だが、その勢いでテトラポットの上に載せていた右脚が滑り……貝殻か何かで足の裏を切ってしまったようだ。

 大丈夫か? 俺は声をかけてキズの様子を見ようとしたのだが。

「っ……へへっ、こんなのかすり傷だよっ! え~いっ! 海で消毒だ~!」

 彼女は傷口を押さえると、立ち上がり海にダイブする。
 そのまま砂浜に向かって泳いで行ってしまった。

 やれやれ……フリーダムな蒼を追いかけるか……かぶりを振った俺の目に、さっきまで蒼が座っていたテトラポットの脚が目に入る。

 ……ん?

 切り傷が出来ていたはずなのに、……よほど軽い傷だったのか……?

 おっと、早く戻ってかき氷を買ってやらないと。

 その時生じた僅かな疑問など、俺はすぐに忘れてしまった。


「はあ~っ、楽しかった! 海って久しぶりだったから、はしゃぎ過ぎちゃったよ~」

 こんがりと日焼けした蒼が、助手席でううんっと伸びをしている。

「あっ……でも海中遊覧船が満席だったのは残念だったな~海の中、見たかったぁ……」

 そんなの、また今度来たらいいじゃないか……そう言いかけて、彼女には”来年”が無いかもしれないことをふいに思い出す。

 俺は開きかけた口をつぐんでしまう。

 蒼は、湿っぽくなりかけた雰囲気を察し、ワザとらしく明るい声を出す。

「んも~! あおちゃん的には、100点満点中98点の休日だったから! 気にしないでねっ」
「連れてきてくれてホントにありがとう! お兄さんっ!」

 満面の笑みでそう言ってくれる彼女に救われた気がする。

 ……それじゃあ、晩飯食いに行くか、豪華に焼き肉だぞ!

「お~~っ!」

 楽しそうに右手を突き上げる蒼。

 と、クルマは内陸へ向かう峠に掛かり……そういう峠道沿いにはありがちだが、きらびやかにネオンを煌めかせた何軒かのラブホテルが見えてくる。

「あ……」

 恐らく無意識の反応だったのだろう。
 憧憬とも……諦めとも取れるため息をつく蒼……。

 俺が逮捕されることはダメだからな。

「ふえっ……あはは、ゴメンね! 変なトコ見てた」

 あわてて取り繕う蒼……女子高生がそんなところ見ちゃいけません! 冗談めかして追撃する俺はしかし、ちらりと横目で見えた彼女の切なすぎる真剣な表情が、なぜか脳裏から離れなくなるのだった。


 ***  ***


 思わず走り出したくなる祭囃子。
 色とりどりの灯篭に、ありきたりのモノしか売っていないはずなのになぜが輝いて見える沢山の屋台。

 デートを重ねた夏休みが過ぎ去り、もう9月も終わりが見えるころ……。
 俺たちは近くの神社で催される秋祭りに来ていた。

「へへっ、お兄さん、おまた~♪」

 カランコロン……軽快な下駄の音ともに現れたのは、浴衣姿の蒼だ。

 白地に真っ赤なツバキが彩られた浴衣……帯も鮮やかな朱色だ。
 コイツ、あおという名前のくせに、本当に赤色が好きだよなぁ……。

 夕日のせいだけではなく、頬を赤く染めてはにかむ蒼に思わず見とれてしまう。
 彼女のリクエストに合わせ、こちらも紺の甚平姿だ。

 焼きそばやフランクフルト……りんご飴のいい匂いがここまで漂ってくる。

 ぐぅ……思わず腹が鳴ってしまう……しゃーない、給料日が来たばっかだし、なんでも奢ってやるぞ。

「マジでっ!? お兄さん大好き! 早く行こっ!」

 俺の手を引き駆けだす蒼。
 弾ける蒼の笑顔に頬を緩ませつつ、俺たちは屋台村へと突撃した。


 なかなかいい場所が取れたな……この秋祭りでは、最後に季節外れの花火大会が行われる。

 限定スイーツの屋台に並んでいる蒼といったん分かれ、俺は花火大会の場所取りに来ていた。
 レジャーシートを貼り、重し代わりのペットボトルを上に置く。

 さて、これでいいか……そろそろスイーツも買えただろう。

 彼女を迎えに行かないと……俺は観客席となっている河川敷を離れ、神社の参道の方へ戻るのだが……。


「へぇ~、カワイイじゃん! ねーちゃん今一人?」
「オレらと遊ぼうやぁ……面白い体験させてやるぜぇ?」

「ちょっ……カレシと来てるんでやめてもらえます?」

 両手にパフェを持った蒼が、ガラの悪いヤンキー二人に絡まれている。
 たちの悪いナンパか……アイツ可愛いもんなぁ……。

 とりあえずやり過ぎないように収めますか……蒼に何しやがる……ふつふつと怒りがわいてきた俺は、彼女のもとへ急ぐ。

「いいだろぉ~、減るもんじゃなし」
「おいおいマサ、コイツガキっぽい髪形してるけど、外して髪下ろせば結構美人系じゃね? オレかなり好みだわ」

 好き勝手なことを言いながら蒼の頭に手を伸ばすヤンキー。

 このクソガキ……俺はすっと背後に立つと、ヤンキーの腕を取り、ぐっと後ろ手にねじり上げると一気に地面に押し倒す。

 これ以上ヤンチャが過ぎると、もっと痛い目に合ってもらうぞ?

 あえて冷たい声で言い放つと、ヘタレたヤンキーは捨て台詞と共に逃げて行った……雑魚っ。
 仕事柄、護身術のトレーニングは積んでいるけど、あまり素人相手には使いたくないな。

「ふみっ……お兄さん!」

 突然の大捕り物にびっくりしたのか、謎の声を上げながら涙目でこちらを見る蒼。

 まったく……蒼は可愛いんだから気をつけろよ。

 思わず漏れた心配の言葉に、蒼の顔が真っ赤に染まる。

「あぅ……お兄さん、可愛いって……」

 しまった……恥ずかしいことを言ってしまった……あうあうと口をぱくぱくさせる彼女の様子に急に恥ずかしくなった俺は、誤魔化すように彼女の頭をポンポンする。

 その度に蒼のが手のひらに当たる。

 ……ん? さっきのヤンキーのセリフ、なんかおかしな点があったような……。
 ふと心の中に沸いた引っ掛かりが形を成すよりも早く……。

「はいっ! 限定ジャンボパフェ、お兄さんの分!」

 頬を真っ赤に染めた笑顔でどでかいパフェを手渡してくれる蒼の様子に、細かいことはどうでもよくなったのだった。


 腹に響く音と共に、二つ、三つと大輪の花が夜空に咲いていく。
 真っ暗な周囲が、花火が咲く時だけ色とりどりの光で照らされる。

「えへっ、お兄さん。 さっきは守ってくれてありがとっ」
「すごく……すごくカッコよかった」

 花火の光に照らされ、涙で潤んだ彼女の瞳がきらめく。

「あたし、たった1年間だったとしても……たくさんもらった思い出、絶対絶対忘れないよ!」
「ありがとう、お兄さん……」

 蒼はそう言うと、すっと目を閉じる。

 一瞬、おでこにキスしようか迷う。
 だが、きらりと目尻に光った涙が見え……思い直した俺は、彼女にできるだけ大切な思い出を感じて欲しくて。

 桜色の唇に、そっと自分の唇を重ねた。
 その瞬間、夜空に咲いた赤と青の煌めく光が、俺たちを優しく照らした。


 ***  ***


 そしてさらに季節は巡り……全く変わらない彼女の様子に、出会ったときに蒼が語った病気の事など、ウソだと思うようになっていた。

 だが、残酷な運命は突然牙を剥く。

 3月21日……彼女の誕生日であり、記念すべき卒業式の日にそれは始まる。



Chapter4 別離

「えへへ、あたし……ちゃんと卒業できたよ!」

 友人との別れを終えた、制服姿の蒼が校門から俺のもとへやってくる。
 卒業おめでとう……万感の思いでかけた言葉に、彼女はにっこりと微笑むのだった。

 今日は彼女の卒業式であり、18回目の誕生日……そして明日3月22日は、彼女に出会ってちょうど1年になる記念日だ。

 俺は今日と明日有休を取り、万全の体勢で挑む……1年間”思い出作り”を続けてきた彼女へ、本当の気持ちを伝えるために。

「……それじゃあ、いこっか!」

 友人との別れの直後だからなのか、少し湿っぽい蒼の声。

 高校生活最後の1日に、俺と過ごすことを選んでくれたんだ……少しでも楽しんでもらいたいな。
 俺は改めて気合を入れなおすのだった。

 その後は、新しく駅前にできた高層ビルの展望台で食事をして夜景を見る……蒼は楽しんでくれているようだが、時折憂い気な表情を浮かべる。

 ふと、初めて会った日……ラブホテルの一室で彼女から聞いた”事情”が脳裏によみがえる。

 ”治療に入れるまで1年”、”戻ってこれないかもしれない”……今日にいたるまで、健康そのものである蒼の姿に、彼女が語った事情は嘘だとわかっていた。

 だけど、もし俺の推測が当たっていたのなら……彼女と思い出作りをする中で、いくつか感じた違和感は、急速に一つの可能性へと頭の中で収束していく。

 俺は、ぐっとシャツの下に着けているお守りの水晶玉を握りしめる。
 それはほんのりと熱を持ち……運命の選択が迫っていた。

「…………」

 展望台から降りて、中央駅へ向かう道中……ずっと何かを思い詰めたように蒼は無言だった。
 駅に着くと、電車の方向は別なので彼女と別れなくてはいけない。

 その選択は永遠の別れ……その予感があった俺は、彼女を引き留めようと……が、それより先に彼女が口を開く。

「えへ、お兄さん……こっち行こう?」

 1年前と同じセリフ。

 彼女は俺のジャケットの袖を引っ張ると、駅前繁華街に続く交差点を左に曲がる。

 やけにピンクなネオンが輝く建物が目に入り……。
 1年前と同じシチュエーション。

「あ……」

 その時、蒼が息を飲む音が聞こえた。

 目の前を歩いていたのは、幸せそうなカップル。
 プロポーズを受けたのか、目を潤ませている女性の左手薬指には、男性からプレゼントされたであろう指輪が嵌っている。

「……そうだよね、あたしの”事情”でお兄さんのミライを縛るなんて……できっこないよね」

 ささやくように吐きだされた彼女の小さな諦めのセリフ。
 俺はその声を聞き逃さなかった。

 ふぅ……”決まり”か。

 俺は大きく息を吐くと、カバンから小さな包みを取り出し……あえて明るい調子で彼女に告げる。


『なあ、その”角”……この季節はまだ寒いだろ? ぴったりの角カバーを探してきたから、誕生日プレゼントとして蒼にやるわ』


 ぽん、とプレゼントの包みを蒼の手のひらに載せる。
 彼女の反応は劇的だった。

「ぴえええええええええっ!?」

「なんで……なんでお兄さんこれが”角”に見えんのぉ!?」

 先ほどまでの湿っぽい雰囲気はどこへやら……頭の”髪留め”に手をやりながら、声の限りに叫ぶ蒼。


『いやなんでって……蒼って鬼の一族なんだろ?』


「えええええええええっ!? あたしが鬼ってバレてるうううっ!?」

 更に驚きの声を上げる蒼。
 マズい……あまりに突拍子もないことを言う蒼に、通行人が注目し始めたぞ……警察なんかが来ても困るし……どこかゆっくり話せる場所は……!

「ぴいっ!?」

 仕方がない……俺は蒼の手を引くと、間近にあったラブホテルへと飛び込んだ。


 ***  ***


 何の因果か、1年前と同じラブホテルに同じ部屋だ。

 同じように制服姿の蒼は、俺が淹れたお茶を飲み、ドーナツ (有料)を平らげ……ようやく落ち着いてくれたようだ。

「ふぅ……お兄さん、なんであたしが鬼の一族だとわかったの?」

 そうだな、まずは俺の事情から説明する必要がありそうだ。

 俺だって最初から分かっていたわけじゃない。


 ムズムズする頭。
 流れない血。
 他人にはヘアゴムに見える”角”。
 極めつけは初めて会った夜、俺を催眠状態にした瞳。


 蒼との”思い出作り”の中で感じた違和感がどうしても気になった俺は、廃止された曽祖父の神社が”鬼”を祭っていたと小さい頃に聞かされたことを思い出す。

 正月に帰省した俺は、祖父の協力も得ながら”鬼”について調査を始める……俺が感じた違和感と集めた情報が導き出した答えは……という推測だった。

 数はごく少ないが、人間社会に溶け込んで暮らす”鬼”がいたという事実も。


「ふええ……結構前からバレバレだったってコト?」

 年が明けてからもスキーにバレンタイン……思い出作りは続いていたのだ……そんな前からバレていたなんて……頭を抱える蒼。

 その拍子に”角”がピコピコと動いている。

 俺だって確証があったわけじゃなくて……なかなか言い出せなかったんだ。

 さて、今度は蒼の番だ。
 本当の事情を聞かせてくれないか……?

 俺の言葉に頷いた蒼は、ゆっくりと彼女の事情を教えてくれた。
 要約すると次のようになる。


 1年1か月前、突如”角”が生え、鬼としての意識が芽生えた蒼……慌てて後見人である育ての親に連絡を取ったところ……。
 彼女は鬼の一族の最後の生き残りであり、鬼と人間の間に生まれたハーフである……18歳までに鬼の意識が目覚めなければ、人間として生きていけたこと。
 鬼の意識が目覚めないように里から遠く離れたこの街で一人暮らしをさせていたが、残念ながら意識が目覚めてしまった。
 意識が目覚めた場合、一族の子を成すことが出来るが、代償としてあと1年余り……18歳の誕生日翌日に消えてしまうこと。
 育ての親からは、鬼の一族を残すことに縛られなくてよい……せめて残り1年を楽しんで……涙ながらにそう言われたと。


 事情を話し終えた蒼の両目からは大粒の涙がこぼれ落ちる。
 彼女は、涙に濡れた顔を上げ、ゆっくりと話し始める。

「お兄さんにはたくさんの大切な思い出を貰った……本当に感謝してる」
「だからね、さっきはお兄さんを縛ってしまうんじゃないかと諦めかけたけど……」
「あたしの最期のわがままなお願い……」

 そこまで言うと言葉を切り……彼女は決意を込めた表情でこう続けた。

「あたしに、”ミライへ繋がる子供”をください……お兄さん」

 彼女の切なる願いに、俺は両眼を閉じ……ゆっくりと10秒あまり考える。
 出した答えは……。


『……嫌だ!』


 俺の答えに、大きく目を見開く蒼。

「そうだよね、こんな身勝手な願いなんて……」

 彼女が諦めの言葉を口にしかけるが、それに覆いかぶせるように俺は宣言する


『俺は、ここであきらめるのが嫌と言ったんだ!』
『子供を作る代償に愛する人が消えてしまうなんて、絶対に認めない!』
『まだ時間はある……あがくんだ蒼! 俺は1年間を君に渡したんだ……1日くらい俺にくれてもいいだろ?』


「ぴいっ!? ふえっ……”愛する”って!?」

 俺は盛大に混乱する蒼の手を引くと、ラブホテルの部屋を出て走り出す。
 可能性をミライに続けるために。



Chapter5 共有

「あうぅ……あのタイミングで”愛する人”って反則だってば……」

 俺のクルマの助手席で、先ほどからずっと蒼が身もだえている。
 一連の流れのまま、家に寄る暇もなく移動しているので、俺はスーツ姿、蒼は制服姿のままだ。

 ラブホテルの部屋を出た後、こんなこともあろうかと駅前のコインパーキングにクルマを止めていた俺は、蒼を助手席に押し込んで出発したというわけだ。

「ねえお兄さん、どこまで行くの?」

 どこか吹っ切れた表情で聞いてくる蒼。

 クルマは一般道から高速道路に乗る……目指す先は俺の故郷……曽祖父が管理していた神社の跡地である。


 ***  ***


 クルマを走らせること数時間……もうすぐ日付が変わる。
 俺たちは、とある大きな公園の入り口に立っていた。

「あ……あんなところに鳥居が……」

 公園の片隅にひっそりと存在する神社の跡……撤去されなかった鳥居と、ちいさな祠だけが、かつてそこに小さな神社があったことを今に伝えている。

「なにか、不思議な感じがする……」

 鳥居の周りには玉砂利が敷かれ、敷地に入った蒼のローファーが涼やかな音を立てる。
 俺は彼女の手を取ると、ゆっくりと神社のいわれを説明する。

 俺の曽祖父は小さな神社の神主で……その神社では、ご神体として鬼を祀っていたらしい。

 何百年も昔、鬼はいまよりずっと身近な存在で……人間に害をなす悪い鬼も多かった。
 ご先祖様は、鬼を祭ると同時に悪い鬼の退治もしていたそうだ。

 その時に使っていた神具が……この水晶玉。

 俺はいつも身に着けているネックレスを外し、水晶玉を蒼の目の前にぶら下げる。
 澄んだ水晶の中にきらりと赤い光が煌めき……じんわりと水晶玉が熱を持つ。

 実家の倉庫から見つけた、この神具についての古文書によると……善なる鬼には生命力を分け与え村の発展を祈願し……悪なる鬼は滅する。

 水晶が赤く煌めく時、目の前の鬼は


 ここまで説明すると、俺はいったん言葉を切る。
 固唾を飲んで水晶玉を見つめる蒼に……彼女を救う逆転の一手を示す。


『つまり……この水晶玉を使えば蒼……君を救うことが出来るはずだ。 


「っっ……!」

 蒼が息を飲む音が聞こえた……大きな瞳にみるみる涙が溜まり……。

「ダメダメ! そんなのダメだってば!」
「アナタの……お兄さんの寿命が減っちゃう!」
「あたしは大事なものをたくさんもらった! もうこれ以上貰えないよぉ!!」

 予想通り、髪を振り乱し拒絶する蒼。

 俺の事を考えてくれている彼女を愛しく思いながらも、俺の心は決まっていた。

 むにっ……彼女のやわらかな頬を両手のひらで挟み込み、涙に濡れる赤い目をまっすぐにのぞき込む。


『嫌だ! もう決めたんだ……これが、俺からの誕生日プレゼントだ、蒼!』


 愛しいという感情が身体じゅうを駆け巡る……その勢いのまま、俺は蒼に口づける。

「ん! むぅ……」

 もじもじと体をよじって抵抗する蒼だが、俺は絶対に離さない!

 右手に握った水晶玉がだんだんと熱を帯び、赤く輝き始める。
 じわり……なにか温かいものが蒼の方に流れていくのを感じる。

 抵抗をあきらめたのか、蒼の身体からすっと力が抜け、俺のキスを受け入れる。

 どれくらいそうしていただろうか……水晶玉から熱が消えたことを確認し、俺は彼女から唇を離す。

「ずるい……ずるいよ……お兄さんは本当にずるいよ……」

 流れ落ちる涙に彼女の頬が濡れている。
 最初は尖っていた彼女の唇が、やがて三日月の形を取り……。

「でも……でも……でも……大好きっ!」

 満面の笑みを浮かべた蒼は、感極まったように抱きついてくるのだった。


 ***  ***


 月明かりに照らされながら、公園の入り口に向かって歩く俺たち。

 お互いの手は固く握られている。

「コレって結局どうなったのかな? お兄さんの寿命をあたしが分けてもらったってこと?」


『ふたりの寿命を足しで2で割った感じじゃない? よく分かんないけど』
『どっちにしろ、俺は140ってひい爺ちゃん言ってたから、半分に割ってもまあ平均だろ?』


「……ぷっ、なにそれ~」

 大真面目な顔で言った俺の言葉に、思わず吹き出す蒼。

 その表情はすべての枷から解き放たれたように晴れやかで……月明かりに輝く蒼の可愛い顔に、俺は見とれてしまうのだった。


『そういえば蒼は18歳になって……高校も卒業したし、もう問題ないな!』
『……帰り、ホテルに寄っていいか?』


「うんっ!」


 婚活アプリから始まった、ちょっと不思議な恋物語は、未来への道を照らしてこれからも続いていく……ずっと。
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