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黒木希

12話 深夜の個人練習

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「ごめんなさい、小田嶋さん。こんな時間まで付き合ってもらって」

「いえ、そんな!黒木さんが練習なさるなら当然です!」

 俺は社長に言われた通り、全体のダンス練習を動画に収めて黒木希に渡した。
 ここは我らがコスモフラワーエンターテインメント(コスフラ)が保有しているダンススタジオだ。
 新人マネージャーとしてせめて返事だけは……と思い、ハキハキとした声を出したが、気持ちとは裏腹に(……マジで今から練習なんかするの?)という気持ちでいっぱいだった。

 時刻は深夜0時を回っていた。
 黒木希は今日も早朝から稼働していた。雑誌のインタビュー、テレビ収録、ネット動画の撮影が3本。それらの仕事がようやく深夜に終わった。当然明日も朝から仕事だ。今からダンスの練習をするなど果たして正気だろうか?
 本音を言えば俺も疲れていた。慣れないマネージャー業務で精神的にヘトヘトだった。社長から送られてきたスケジュールを黒木希本人に伝えることだけが仕事らしい仕事で、その他はただ現場について行っているだけだったが、それでも疲れていた。とっとと部屋に帰って布団に潜り込みたかった。
 だが当然そんなことはおくびにも出せない。看板である希本人が疲れた素振りを一切見せないのだ。スタッフや関係者といった周囲の目がある場所だけでなく、移動中の二人きりの車の中ですら彼女はにこやかな表情を崩さない。

「あ、じゃあ大体分かったんで一度曲に合わせてみます。私ポジションに着くので、合図を出したら再生ボタンを押してもらえます?」

「はい。わかりました」

 ざっと一通りスマホの動画を見て軽く身体を揺らした程度で、彼女は俺にそう告げた。

(え?あれで大体分かったの?ウソだろ?)

 俺はその言葉を一種のボケかと思った。マネージャー相手にそんな冗談言う必要ないですよ!と言おうかと一瞬迷ったくらいだ。
 でもそれは冗談なんかじゃなかった。言われた通り俺が曲を流すと、一回目で途切れることなく最後まで彼女は踊り切ったのだ。
 


「すごい!本当に一回で出来ちゃうんですね!すごすぎます!」

 キメの静止ポーズが解けた瞬間に思わず俺は拍手をしていた。スターというのはこんなことが出来るのか!まるで人間ではない別の生き物のようにすら感じた。

「……ありがとう。でもまだ全然出来たとは言い難いわ。この曲はライブで何度もやってきた曲だから振り付け自体は覚えてるの。でも移動で迷った部分があったし、今のはただ振り付けをなぞっただけだから……。ライブっていうのは、ただ決められた振り付けを間違えなければ良いってわけじゃなくて、曲の世界観を表現してみせてお客さんを感動させなきゃね」

 少し照れたように彼女はそう呟いた。

(……え、何この人?マジでスゲェな!……っていうか完璧超人プラス努力家なのかよ。しかも何今の照れたような、でもほんのちょっと誇らしげな表情。めちゃくちゃ可愛いんだけど。普段クールでめちゃくちゃ綺麗なだけにちょっととギャップがすげぇな!)

 3日間マネージャーとして黒木希に付いていくうちに、俺はとっくに彼女に心酔し切っていた。惚れるという表現では足りず、尊敬して崇拝に近い感情が芽生えていた。
 彼女が圧倒的な美貌を持っていることは当初から分かっていたが、身近にいてもその感想は変わらない。いつどこから見ても常に完璧な美貌だった。もちろんメイク・スタイリストなど彼女を作り上げるプロの仕事の成果とも言えるわけだが、普段のケアなど彼女自身の努力もあるのだろう。
 それにも増して特筆すべきは彼女の飾らない性格だった。
 彼女は完璧な美の象徴として雑誌などではクールな表情を求められることが多かった。俺もそのイメージが強く、もっと取っ付きにくい人なのだと思っていた。バラエティ番組などでは明るくはしゃいでいる姿も見せていたが、それはテレビ用に求められた役割を演じているだけなのだと思っていた。
 でもそうではなく普段の態度もとてもナチュラルだった。慣れないマネージャーである俺のことをずっと気遣ってくれるし、外部の偉い人やタレントがいる時も移動中の2人きりの時も態度は一切変わらない。本当に裏表のない人だということが分かってきた。
 その上、身内であるメンバーのことをとても好きな様子が伝わってくる。個人での仕事の時はやはりどこか緊張しているのだろう。それに比べメンバーと一緒の仕事になると途端に明るい表情が多くなる。

(……アイドルの裏側ってもっとギスギスのドロドロじゃなかったのかよ!)
 
 女同士の集団は表は仲良く振舞っても裏では足を引っ張り合っている、ましてや人気を競い合う大人数のアイドルグループの内情など悲惨なものだろう……なぜか俺はそう思い込んでいた。単に俺の性格が歪んでいただけなのかもしれない。
 でも実際には違った。黒木希だけでなく、他のメンバーもメンバー同士が一緒になる仕事をとても楽しみにしている様子だった。こうした大規模なライブに向けたリハーサルは内容的にはとても大変ではあるのだが、同時に皆で一つの作品を作れることを楽しんでいるようでもあった。
 
「……どしたの、麻衣ちゃん?ボーっとして?」

 いつの間にか彼女の顔が俺の目の前にあった。
 近い近い近いって!アンタは自分の暴力的な美貌を自覚してくれよ!
 深夜になっても彼女の顔面のコンディションは絶好調だった。どういう仕組みになっているんだろう?疲れとかは出て来ないのだろうか?

「あ、いや見惚れちゃったっていうか……黒木さんって本当にすごいんですね。こんな時間まで働いて、その後にこうして自主練習まで……。本当にプロなんだなって」

 思わずこぼした俺の本音に彼女はクスクスと笑った。

「別に好きだから踊ってるだけよ。私はWISHの曲が好きでライブの場が最高に幸せなの。ファッションのお仕事やテレビのお仕事も嫌いじゃないけど、どこか肩凝っちゃうのよね。私はやっぱりアイドルだから。踊ることはストレス解消なのよ……あ、そろそろもう一回通しで踊りたいから麻衣ちゃん再生してくれる?」

 そう告げると彼女は再びスタジオの中央に戻りスタンバイした。
 その表情はとても生き生きしており、まだ何時間でも踊れそうだった。作り上げられたファッションアイコンとしての彼女よりも、今の表情の方が数段魅力的に見えた。
 彼女のこんな姿を見られただけでも、転生してWISHのマネージャーになった甲斐は充分にあったと言えるだろう。


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