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桜木舞奈
34話 舞奈の本心
しおりを挟む「そんなことより、麻衣さん?……希さんが『キスまでした仲」っておっしゃってましたけどアレはどういう意味なんですか?』
「いや、あのね、ほら……黒木さんの地元はお魚が美味しい場所でね、一緒に食べた鱚の天ぷらがとっても美味しかったなぁっていうのをお互い冗談で言ってるだけでね……」
「地元って……希さんの地元に一緒に行ったってことですか?それってメディアの仕事じゃないですよね?わたし希さんのブログも毎回読んでるし、事務所から送られてくるスケジュールも自分の分より先に希さんの分を全部チェックしてるんですけど、特にそういった番組はなかったですよね?それって本当に仕事だったんですか?」
「あ、や、メディアの仕事ではないんだけどね……」
曖昧な言葉で逃げようとしたが、話せば話すほど追い込まれていくことは自分でも分かっていた。
「え?まだ情報解禁前で公表出来ない仕事ってことですか?……ってことは例えば写真集の撮影とかですか?でも希さんの写真集は半年前に発売されたばかりですから、そんなに続くことはないですよね?」
「あ、や、そうね……は、は、は」
全ての退路を封鎖された俺の口から出てきたのは空虚な笑い声だけだった。
俺の言い訳が尽きたことを悟ったのか、今まで冷静だった舞奈の顔が徐々に崩れていった。
今までの全てのフラストレーションを込めて暴れ回るのではないかとハラハラしたが、予想に反して舞奈は赤ちゃんのようにしくしくと泣き始めた。
「誑かされた……希さんが誑かされたんだ……アイドルより顔が可愛いくて、四六時中一緒にいて仕事も助けてくれるマネージャーについ心も身体も許してしまったんだ……」
「誑かされたって舞奈ちゃん難しい言葉知っているのね……ってかアイドルより可愛いマネージャーって私のこと?まあもちろん悪い気はしないけど……ってそうじゃなくて、私と黒木さんは本当に何でもないの!ただのアイドルとマネージャーの関係だから!」
俺も声を強めてはっきりと否定したが、うぇーん、と効果音が出そうなほど泣きじゃくり始めた舞奈にこちらの声など届いてはいなかった。
でもふと思い返すと、舞奈がここまで素の感情を見せてくれたのは初めてのような気がする。今まで見せてきたのは、優等生の舞奈も塩対応の舞奈も、どちらもアイドルとしての表情だけだった。
「わたしは!……わたしは『のぞかお』が大好きだったんです!」
依然として泣きながらではあるが、ようやく舞奈が意味のある言葉を発した。
そうだった。その話は前にも聞いたことがあった。
黒木希と井上香織。
どちらもモデルとしても活躍し、WISHの双璧を成す存在だ。WISHの『綺麗なお姉さんグループ』というイメージを決定づけたのはこの2人の存在が間違いなく大きいだろう。
「お二人がいたからわたしはWISHに憧れて、WISHのオーディションを受けたんです!」
徐々に舞奈の言葉はヒートアップしてきた。
「それは、お二人とても美しいっていうのももちろんあるけど……それだけじゃなくて、そこには深い絆が感じられたからなんです!今は昔ほどお二人並んでの仕事はないですけど、それでもずっとお互いのことを気に掛けてるんだろうな……っていうのは、言葉の端々とかライブのちょっとした目線だけでも見えてくるんです!……それに香織さんが大変になった時も真っ先に『彼女を信じる』ってさらっとブログで書いていたのも希さんでした。……あれを見てやっぱり『のぞかお』だ!って私は確信したんです!」
ちょうど一年ほど前に井上香織にはスキャンダルが出た。舞奈が言っているのはその時のことだ。
とある若手俳優とのデートと思われる写真が写真週刊誌に掲載されたのだが、当の井上香織は事件に対して謝罪をしたものの交際は否定し、結局WISHとしての活動を今も続けている。
その事件はファンの間で大きな波紋を呼んだ。当然井上香織に対する批判は大きく一時期は「責任を取って卒業しろ!」という声がかなり大きかった。
このまま卒業か?という雰囲気だった香織に手を差し伸べたのが旧友の希であり、紆余曲折を経てではあるが、それ以降香織はまた人気を復活させてきている。
「そんなお二人の絆を……麻衣さんは壊したんですか!?『のぞかお』はWISHの歴史そのものなんですよ?そこに割って入ることがどれほど大きなことだか麻衣さんは分かってるんですか!?」
「壊してない!壊してないから!……それにそもそも『のぞかお』だって別に仲のいい2人っていうだけで、付き合ったり隠れてキスしているような関係じゃないと思うんだけ……」
「え?何か言いました!?」
俺がボソボソと言った正論は、舞奈の一睨みによってどこかに弾き飛ばされてしまった。
……正論というものは時に何の意味もなさないものなのだよ、とほほ。
その後も舞奈はあーでもないこーでもないとワーワー言っていたが、それにも疲れたのか、ついに言葉が途切れた。
「……でも麻衣さんのことも嫌いになれないんですよね……」
その言葉で私はハッとして急に舞奈が愛おしく思えた。自らの内の母性を認めたのはこの時が初めてだった。
「……ねえ、舞奈ちゃん?あなた本当にWISHのことが大好きなのね。……私もずっとWISHのことは好きだったけど、熱量ではあなたにはまったく敵う気がしないよ……」
舞奈も少し驚いたような顔をしてこちらを見る。
なぜそんな自明のことに聡明な彼女が気付かなかったのだろう?そのアンバランスさこそが若さというものなのだろうか?
ようやく私が思っていた一番の疑問をぶつけることが出来そうだった。
「舞奈ちゃんは、なんでそんなに大好きなWISHからわざわざ身を引こうとするの?」
ずっと憧れていたグループに自身がメンバーとして加入して、憧れていた先輩たちと共にアイドル活動が出来るなんて……どんなラノベよりも都合の良い理想的展開なんじゃないだろうか?
だが、舞奈は間髪入れずそれに反論した。
「私なんかみたいな中途半端な気持ちのメンバーが活動を続けてちゃいけないんです!WISHのメンバーはみんな何よりもアイドル活動が大好きなんです。私みたいな人間はメンバーとして相応しくないんですよ!」
……ああそうか。彼女はアイドルに対する憧れが強すぎるあまり、そのハードルを超えられない自分が許せなかったのだろう。だから普通の女子高校生としての自分も捨てられず、そんな中途半端な自分を自嘲して笑ってみせることで逃げ道を用意していたのかもしれない。
そんな彼女の生き方を否定して「アイドルに専念して生きていくことだけを考えろ!」などと俺には口が裂けても言えなかった。
前世の松島寛太としての生き方も、今の小田嶋麻衣としての生き方も妥協まみれだったからだ。
でも、同世代の人より少しだけ余分に生きてきたおかげで分かってきたのは、そんな生き方も悪くはないということだ。
「ねえ、舞奈ちゃん?……あなたは自分がどうしたいかってことだけを考えてれば良いのよ。……そのプライドと気遣いはとても立派かもしれないけれど、あなた自身をきっと後悔させるよ?若い頃の後悔は取り戻せないんだよ」
俺は思わず泣きそうになる気持ちのやり場に困り、半ば無意識のうちに舞奈を抱きしめていた。
過去の自分の気持ちを舞奈に重ねているような部分もあったし、それだけ潔癖な気持ちで自分の行動を決められる舞奈のことを羨ましく思っていたのかもしれない。
舞奈は一瞬驚いたように身を固めたが、すぐに受け入れて身体の力を抜いた。
「……何言ってるのか全然分からないですけど……麻衣さん、おじさんみたいですね……」
褒めているような、憐れむような、馬鹿にしているような、尊敬しているような不思議な口調だった。
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