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桜木舞奈
36話 変貌
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再開した握手会での舞奈の対応は少しずつ変わっていった。
長時間立ちっぱなしの疲労で足は震え、ファンとの会話で声は嗄れていったが、それでも最後までその姿勢は崩れなかった。
来たファンをブースの端まで迎えに行き、出てゆくファンの手をギリギリまで離さなかった。嗄れた声をファンの人に「舞奈ちゃん、そんな声だっけ?」と驚かれるとそれを自ら笑ってみせていた。
どこかヤケクソに開き直ったような部分も見られたが、それでも最後まで笑顔を絶やすことなく握手会の終了までを走り切ったのだった。
「お疲れ様。よく頑張ったね、舞奈……」
あまりこちらの感情を見せるのは鬱陶しいだろうと思い、なるべく抑えようとしたのだが……それがかえって涙を抑えて感動しているかのように見えたのだろう(実際そうだったのだが)、舞奈は少し不機嫌な表情をこちらに向けた。
「や、隣で希さんがあんなに頑張っているのを見せられたら……いや希さんにしてみたら別に頑張っているなんて思ってすらいないのかもしれないですけど……後輩の私が頑張らないわけにはいかないじゃなですか、まったく……。あれですか?最初から仕組んでたんですか?」
「……え、仕組んでた?」
舞奈の言っている言葉がいまいちピンとなかった。
「だ、か、ら!麻衣さんは元々希さんのマネージャーだったわけじゃないですか?……だから希さんに頼んであんなお芝居をしてもらって、私にムリヤリやる気を出させるように仕向けたんじゃないですか?」
「いやいやいや、違う違う!」
冗談じゃなかった。一番ハラハラしていたのはこっちの方だったっての!
希が突然楽屋に入ってきた時の驚き。「レーンを変更をして下さい!」とゴネ始めた時の不安……舞奈ちゃんもマネージャーを体験してみると少しは分かるよ……。
「違うんですか、そうですか……たしかにウソを言っている様子でもなさそうですね」
いつの間にか舞奈の顔が目の前にあった。
座っていた私に覆いかぶさるような形だった。
「え……舞奈?」
「私、めちゃくちゃ頑張ったんです。……本当ですよ。……だから、ちょっとだけ、ご褒美くれませんか?」
舞奈の瞳は潤んでいた。
「そうだね……本当に今日の舞奈はよく頑張ったと思うよ」
そう言うと俺は、よしよし、と舞奈の頭を撫でた。
まだ少女の彼女に今日のような仕事は過酷だったかもしれない。一日のうちに大きな変貌を強いられたのだ。
だが彼女はそれに応え、不十分だった自分を認め、自らの行動によって変えたのだ。時にはプライドを捨てて挑まざるを得なかった場面もあったかもしれない。
もちろん希のような完全な仕事にはまだまだ程遠いかもしれない。
それでもその変貌っぷり、成長っぷりを間近で見られたことは、側にいる人間として無上の喜びだった。彼女を愛おしいと思わないわけがなかった。
「……ねえ?私、赤ちゃんでもないし、ネコでもないんですけど」
不満そうにそう言うと舞奈は、私の唇に素早くキスをしてきた。
ほんの少し、触れたか触れていないかのキス。
「えへへ、これくらいのご褒美はもらっても良いんじゃないかな?」
キスをしたという事実に、舞奈は自らの顔を真っ赤に染めていた。
恥ずかしさを振り解くように舞奈は私の身体から急いで離れ、振り返った。
「ねえ、麻衣さん……」
向けられた笑顔は眩しいものだった。
本当に久しぶりに見る、邪気のない、本物の笑顔だった。
「私……もうちょっとだけWISHを続けてみますよ。せっかく今日こんなに頑張ったのにすぐやめちゃったら、もったいないですもんね?」
「……うん、そうね。それが良いと思うわ」
もちろん何を選べば本当に正しいかなんて神様でも分かるわけない。
もしかしたら舞奈はこの決断を後悔する時が来るかもしれない。
それでも、純粋な気持ちから出たこの決断はとても美しいものだと思う。その気持ちを尊重して欲しかった。
「それに、今日一日希さんの側で握手会に参加して今さらですけど……自分がどれだけ恵まれた環境にいるのか改めて思い知らされました。ずっと憧れていた先輩たちと毎日会えて……麻衣さんにも会えて……時々こうして握手をしに来てくれるファンの人たちは全員私のことを好きでいてくれる……こんな幸せな場所、地球上のどこを探しても絶対ありませんよね?」
「そうだね……私もそう思うよ」
改めてアイドルという職業……職業と言って良いのか、あまりに身近に接していると時々分からなくなるけれど……の不思議さを思った。
「だから『自分がそれに相応しいのか?』なんて疑問は、しばらく遠くに置いておきます。私はこの環境にまだしばらく自分を置いておきたいし、この場所でやってみたいことがまだまだあるんです」
「……うん」
私は泣きそうになるのを抑え、頷くことしか出来なかった。
「じゃあ……また明日からも、よろしくお願いしますね」
本音を口にしたことを恥ずかしがるように舞奈はペコリと頭を下げると、そそくさと楽屋から出ていった。
「あ、舞奈……」
明日の仕事の詳細を伝えただろうか?と思い呼び止めようとしたが、彼女にその声は届かなかった。
楽屋から走り去る彼女の後姿はとても若々しいものだったけれど、確信に満ちた足取りのようにも見えた。
その後行われたアンダーライブで舞奈は輝きを増していった。
得意のダンスはますますキレを増していたし、他のメンバーとも普段から積極的にコミュニケーションを取るようになっていった。
ソロの歌の場面では、もちろん急に抜群の歌唱力がついたわけではないけれど、必死に感情を込めて歌っていた。
オタク……オタクというのはある意味で尊敬を込めた呼称である。
普通の人だったら見逃してしまうような些細な変化に気付き、その理由を考え、自分なりのストーリーを構築していく人たちのことだからである。
色々なジャンルのオタクが存在するが、アイドルにもオタクがつくのはそれだけアイドルという文化が多様性に満ち、様々な角度から語りたくなるものだからだろう。
彼ら・彼女らオタクたちは、当然舞奈の変化に敏感だった。
歌声の変化、ダンスのキレと表情、MCの際の他のメンバーとの距離感の変化……マネージャーとして間近で見ていた俺でも気付かなかったような変化を見つけては、SNS上で様々に語り合っていた。
『桜木舞奈こそがWISHの次期エースだ!』
そんなスレッドが立てられるまでになっていた。
贔屓目かもしれないが、幼虫だった少女が一気に本物のアイドルに羽化したかのような変化に思えた。一番近くででそれを見守っていたはずなのに……いつの間にか彼女は側を駆け抜けていったようだ。
どんなに目を凝らして見ていても、それを上回るスピードで大きく変化して羽ばたいてゆく。
それこそが彼女たちアイドルの本当の魅力なのかもしれない。
(つづく)
長時間立ちっぱなしの疲労で足は震え、ファンとの会話で声は嗄れていったが、それでも最後までその姿勢は崩れなかった。
来たファンをブースの端まで迎えに行き、出てゆくファンの手をギリギリまで離さなかった。嗄れた声をファンの人に「舞奈ちゃん、そんな声だっけ?」と驚かれるとそれを自ら笑ってみせていた。
どこかヤケクソに開き直ったような部分も見られたが、それでも最後まで笑顔を絶やすことなく握手会の終了までを走り切ったのだった。
「お疲れ様。よく頑張ったね、舞奈……」
あまりこちらの感情を見せるのは鬱陶しいだろうと思い、なるべく抑えようとしたのだが……それがかえって涙を抑えて感動しているかのように見えたのだろう(実際そうだったのだが)、舞奈は少し不機嫌な表情をこちらに向けた。
「や、隣で希さんがあんなに頑張っているのを見せられたら……いや希さんにしてみたら別に頑張っているなんて思ってすらいないのかもしれないですけど……後輩の私が頑張らないわけにはいかないじゃなですか、まったく……。あれですか?最初から仕組んでたんですか?」
「……え、仕組んでた?」
舞奈の言っている言葉がいまいちピンとなかった。
「だ、か、ら!麻衣さんは元々希さんのマネージャーだったわけじゃないですか?……だから希さんに頼んであんなお芝居をしてもらって、私にムリヤリやる気を出させるように仕向けたんじゃないですか?」
「いやいやいや、違う違う!」
冗談じゃなかった。一番ハラハラしていたのはこっちの方だったっての!
希が突然楽屋に入ってきた時の驚き。「レーンを変更をして下さい!」とゴネ始めた時の不安……舞奈ちゃんもマネージャーを体験してみると少しは分かるよ……。
「違うんですか、そうですか……たしかにウソを言っている様子でもなさそうですね」
いつの間にか舞奈の顔が目の前にあった。
座っていた私に覆いかぶさるような形だった。
「え……舞奈?」
「私、めちゃくちゃ頑張ったんです。……本当ですよ。……だから、ちょっとだけ、ご褒美くれませんか?」
舞奈の瞳は潤んでいた。
「そうだね……本当に今日の舞奈はよく頑張ったと思うよ」
そう言うと俺は、よしよし、と舞奈の頭を撫でた。
まだ少女の彼女に今日のような仕事は過酷だったかもしれない。一日のうちに大きな変貌を強いられたのだ。
だが彼女はそれに応え、不十分だった自分を認め、自らの行動によって変えたのだ。時にはプライドを捨てて挑まざるを得なかった場面もあったかもしれない。
もちろん希のような完全な仕事にはまだまだ程遠いかもしれない。
それでもその変貌っぷり、成長っぷりを間近で見られたことは、側にいる人間として無上の喜びだった。彼女を愛おしいと思わないわけがなかった。
「……ねえ?私、赤ちゃんでもないし、ネコでもないんですけど」
不満そうにそう言うと舞奈は、私の唇に素早くキスをしてきた。
ほんの少し、触れたか触れていないかのキス。
「えへへ、これくらいのご褒美はもらっても良いんじゃないかな?」
キスをしたという事実に、舞奈は自らの顔を真っ赤に染めていた。
恥ずかしさを振り解くように舞奈は私の身体から急いで離れ、振り返った。
「ねえ、麻衣さん……」
向けられた笑顔は眩しいものだった。
本当に久しぶりに見る、邪気のない、本物の笑顔だった。
「私……もうちょっとだけWISHを続けてみますよ。せっかく今日こんなに頑張ったのにすぐやめちゃったら、もったいないですもんね?」
「……うん、そうね。それが良いと思うわ」
もちろん何を選べば本当に正しいかなんて神様でも分かるわけない。
もしかしたら舞奈はこの決断を後悔する時が来るかもしれない。
それでも、純粋な気持ちから出たこの決断はとても美しいものだと思う。その気持ちを尊重して欲しかった。
「それに、今日一日希さんの側で握手会に参加して今さらですけど……自分がどれだけ恵まれた環境にいるのか改めて思い知らされました。ずっと憧れていた先輩たちと毎日会えて……麻衣さんにも会えて……時々こうして握手をしに来てくれるファンの人たちは全員私のことを好きでいてくれる……こんな幸せな場所、地球上のどこを探しても絶対ありませんよね?」
「そうだね……私もそう思うよ」
改めてアイドルという職業……職業と言って良いのか、あまりに身近に接していると時々分からなくなるけれど……の不思議さを思った。
「だから『自分がそれに相応しいのか?』なんて疑問は、しばらく遠くに置いておきます。私はこの環境にまだしばらく自分を置いておきたいし、この場所でやってみたいことがまだまだあるんです」
「……うん」
私は泣きそうになるのを抑え、頷くことしか出来なかった。
「じゃあ……また明日からも、よろしくお願いしますね」
本音を口にしたことを恥ずかしがるように舞奈はペコリと頭を下げると、そそくさと楽屋から出ていった。
「あ、舞奈……」
明日の仕事の詳細を伝えただろうか?と思い呼び止めようとしたが、彼女にその声は届かなかった。
楽屋から走り去る彼女の後姿はとても若々しいものだったけれど、確信に満ちた足取りのようにも見えた。
その後行われたアンダーライブで舞奈は輝きを増していった。
得意のダンスはますますキレを増していたし、他のメンバーとも普段から積極的にコミュニケーションを取るようになっていった。
ソロの歌の場面では、もちろん急に抜群の歌唱力がついたわけではないけれど、必死に感情を込めて歌っていた。
オタク……オタクというのはある意味で尊敬を込めた呼称である。
普通の人だったら見逃してしまうような些細な変化に気付き、その理由を考え、自分なりのストーリーを構築していく人たちのことだからである。
色々なジャンルのオタクが存在するが、アイドルにもオタクがつくのはそれだけアイドルという文化が多様性に満ち、様々な角度から語りたくなるものだからだろう。
彼ら・彼女らオタクたちは、当然舞奈の変化に敏感だった。
歌声の変化、ダンスのキレと表情、MCの際の他のメンバーとの距離感の変化……マネージャーとして間近で見ていた俺でも気付かなかったような変化を見つけては、SNS上で様々に語り合っていた。
『桜木舞奈こそがWISHの次期エースだ!』
そんなスレッドが立てられるまでになっていた。
贔屓目かもしれないが、幼虫だった少女が一気に本物のアイドルに羽化したかのような変化に思えた。一番近くででそれを見守っていたはずなのに……いつの間にか彼女は側を駆け抜けていったようだ。
どんなに目を凝らして見ていても、それを上回るスピードで大きく変化して羽ばたいてゆく。
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(つづく)
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