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雨に笑えば

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 午後の授業が終わる頃には、空は真っ暗に染まっていた。
 雷に囃し立てられた雨が、豪雨になってアスファルトを叩く。

「傘ある?」
「持ってねぇ」

 放課後の玄関口。ひさしから降る雨を覗いて、僕と若は肩を落とした。

「今日の降水確率何パーだったっけ」
「四十」
「あーそれは持ってこないと」
「お前も忘れたんだろ」
「うん」

 空虚で温度の低い会話を雨に溶かして、僕らはため息を揃える。
 走って帰るには、駅からも家からも遠い。「たまには濡れるか」と腹を括ったとき、後ろで傘の開く音がした。振り返るとそこに、氷雨がいる。

「おやおやパイセンコンビ。なーにしてんスかー、お二人揃ってー」

 相変わらず能天気な素振りで、氷雨が近付いてくる。

「傘を忘れたんだ」
「走って帰る」
「えー濡れちゃうッスよー」

 二人揃って答えると、氷雨が割り込んできて、にししと笑う。

「そこでアタシによき考えが御座ーる~」

 傘が開いて、くるくると回る。歌舞伎役者のような口調。
 そのまま僕らの前に一歩出ると、傘を肩にかけて僕らに振り返る。

「アタシが傘持って前走ったら、後ろのパイセンたち雨当たらなくないッスか? ッスか!?」

 とんでもない発明をしてしまった。
 前のめりに畳み掛ける氷雨の瞳は、そう言わんばかりに煌めいている。
 やけに近い顔から身を引いて、僕は首をかしげる。

「どうだろう。結構雨きついし、普通にかばんだけでも傘に入れてくれる方が有り難いかな」
「やる前から無理な理由並べると損ばっかッスよ! れっつ・ちゃれんじ!」

 氷雨の言葉には有無を言わせない勢いがあった。
 楽しげな様子を頭ごなしに拒絶するほど、僕も残酷にはなりきれない。
 困り果てて目線で助けを求めると、若が無表情で両手を上げた。降参か、全くもって使えない。

「足元には気を付けてな」

 僕は覚悟を決めて、ため息を返した。どうせ元から濡れる予定だ。人が一人増えたところで、どうと言うことはない。

「さー走るッスよー、あの夕焼けに向かって!」
「ないけど」
「大雨だぞ」
「問答無用~!」

 氷雨が小走りで外に飛び出す。僕らは一度だけ顔を見合わせてから、彼女の背中を追った。

 踊るように回る雨傘。
 楽しげな叫び声、水気を孕んだ運動靴。三人分の足音が、べしょべしょとアスファルトを叩く。
 先頭で傘をさす赤い髪を追って、僕らは国道に繋がる下校路を走った。
 先頭に氷雨、真ん中に僕、一番後ろに若。
 そう言えば昔見た映画で、こんな陣形があったなと思い出す。確かファランクスだ。前列が守り、中列が槍を構え後列が待機する。氷雨もそれを知ってか、威勢よく声を上げて僕らの前を歩いた。

「うおー行くッスよー! ペルシア軍を蹴散らすぞー!」
「もう滅んでるよ」

 盾のように傘をさして、氷雨が振り返ってくる。

「パイセンたちー、遅れちゃダメッスよー!」

 雨に濡れた顔が、不釣り合いなほど輝いている。
 顔面をまんべんなく雨滴に叩かれながら、僕は「笑うと目がなくなるんだな」などとぼんやり考えていた。

「いや待って冷たい、てか全身痛い。これ僕ら雨ダイレクトに受けてるから」
「背ぇたっかいんスよ二人ともー、腰下げて下げて。そんなんじゃ戦場は生き残れないっスよー!」

 テンションが高い。
 言われた通り腰をかがめて走る僕らは、端から見れば滑稽なことだろう。変わらず頭を弾く雨粒が、頭蓋にばらばらと雨音を響かせる。

「見てくださいよ、あそこの空!」

 曇天に晴れ間とも呼べないような光が透けたのは、国道を渡りきった頃だった。
 駅に続く細道を僕らは走り続けてた。濡れた靴下も前髪も気にせず、ただ氷雨だけを見て走っている。
 だからこそ、だったのかもしれない。

「もうじき、晴れるかもっスねっ」

 雨明けの滲む光が照らす横顔。頬に乗った雨粒がキラリと輝くその顔に、僕は心臓をくすぐられたような気分になった。
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