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五人目の少女

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 お前の恋人だったな、と檜垣さんは言った。
 僕は否定しなかった。

「どうしてそれで、氷雨が疑われるんです?」
「ンなもん簡単なこった。階段下で倒れてた被害者が、お前たちが拐おうとしてた奴だったからだよ」
「だったら容疑者は僕のはずだ。四件の殺人全てが立証されたら、僕は問答無用で死刑ですよ」
「ああ、そりゃあそうだ」

 室外機に置いた缶コーヒーを呷って、檜垣さんが鋭い目を僕に向ける。
 とっさに身構える。けれどその目線は、またすぐに僕を手放した。

「お前が血ぃ吐いて、二日間ぐっすり寝てなきゃな」
「二日も?」
「ああ、丸二日も」

 二日、と繰り返して動揺を飲み込む。
 思ったより僕の体は深刻なダメージを負っていたらしい。

「お前を送った日から下のモンに張らせてたがな。この部屋から出てきたのは、氷雨茉宵一人だけだ」

 檜垣さんが咥えタバコのまま目を瞑る。
 そこまでにいくつも浮かんだ疑問の中から、一つだけを選んで僕は訊ねる。

「檜垣さんは、知ってたんですか」
「んァ? 何を」
「氷雨茉宵が、僕と同じだってこと」

 そこでようやく、僕は深く息を吐く。
 ずっと浅いまま吹かしていたタバコの煙に、重く淀んだ色が滲み出す。
 檜垣さんが吐き出す煙は、僕のそれよりもずっと重く空を汚した。

「そりゃ、出席番号まで知ってるオッサンが知らねぇ訳ァないわな」

 夏の暑さを表す擬音のような蝉時雨の手前で、僕は拳を握り締めた。
 腸がねじ切れるような怒りは、目覚めたその瞬間から僕だけに向いている。

「そうですか。有り難う御座います」

 まだ燃えきらないタバコを揉み消して部屋に戻る。
 財布とスマホだけを持って、微かに血の滲むジーンズのまま靴を履く。
 ドアノブに手をかけたところで、ベランダから声が伸びてきた。

「へぇ」

 檜垣さんはいつもみたいに、僕をからかうような態度を取らなかった。
 ただどうして好きだったかどうかもわからない人の写真を捨て去る時のように、心底興味の薄れた声を寄越してくる。

「そんなにいい女なんだなぁ、氷雨茉宵ってのは」

 僕は何も答えなかった。
 扉を開けて外に飛び出し、遠くに見える逃げ水を追いかけながら走った。
 人殺しを糾弾するような白い日差しが視界を突き刺す。
 一本の傘を掲げてずぶ濡れのまま走った下校路にも、最寄りの駅にも氷雨はいない。電話は電源を切っているらしく、無機質で誰のものでもないアナウンスが聞こえてくるだけだった。
 氷雨の口ぶりから考えると、彼女は死を望んでいるわけではない。
 しかしその目的が牟田との決着であった場合、どんな形であれそれは既に達成されていている。
 それにも関わらず姿を現さないと言うことは、恐らく氷雨はしたのだろう。優しい世界を求める彼女は、あらゆる暴力を正当化しない。
 牟田が重傷を負って発見されたと言うことは、氷雨はその理想を自らの手で汚してしまったのだ。
 僕の懸念はそこにあった。
 仮に氷雨がその理想に敗れたせいで僕に顔が合わせられなくなっているのだとしたら、きっと彼女は二度と僕の前に姿を現さないだろう。
 掲げた理想の為に、十年以上も自分を犠牲にし続けてきた少女なのだ。自分がその理想を汚したと判断したのなら、何があっても自身を許すことはない。
 僕に出来ることは、彼女を探し続けることだけだった。
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