君を殺せば、世界はきっと優しくなるから

鷹尾だらり

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彼女の世界に近づくために

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《消えてしまいそうなほどに優しくなった父は、私達を必要としなくなったのかもしれない。前は私達で発散していたストレスを、他の誰かが別の形で埋めるようになったのかもしれない》

 もしそうなったら、私達は子供だけで生きなければならないのかな?
 そのページはそこで終わっていた。
 あたかもそれが一つの章の終焉であるかのように、悲惨で思わせぶりな文言を書き連ねて。僕の指先は、求めるようにページをめくる。
 カーテンの閉まった薄暗い部屋の中で、呼吸の音さえも煩わしく響く。
 次の章を始める文章はひどく簡潔に、一つの解釈以外を読み取らせなかった。

 ──父を殺した。

 僕は貪るように手記を読む。なんてことだ、とその一つ一つに軽い絶望を覚えながら。
 氷雨は、自身の愛結晶を自覚しながら父を愛していた。
 きっかけは再び父親の空咳に血が混じった日だった。
 ひときわ激しい、狂ったような暴力だった。氷雨はとっさに父の足に縋りつき、「愛してます」と言った。その言葉に父親が血を吐いても、何度も繰り返した。
 やがて彼が倒れて痙攣を始めても、動かなくなっても。何度も、何度も。

 その日から弟とは会っていない。氷雨は親戚中をたらい回しにされ、弟とは連絡は取れなくなった。
 何も知らない親族から聞かされた話では、父はいつだって子供たちのことで悩んでいたらしい。
 恐らく彼は上手く愛情を表現できず、そのフラストレーションと自分への失望から子供に当たり散らしてしまったのだろう。愛情は確かにあった。子供たちのために貯金もしていた。
 けれど氷雨がそれを知った時にはもう、彼はこの世にいなかった。

《それでもアタシは、後悔していません》

 と最後のページには書かれていた。掠れのない綺麗な筆跡は、そこだけが真新しかった。
 氷雨茉宵は間違えなく怪物だ。環境に順応することによって生まれた怪物だ。
 結晶を知らずに母を愛した僕とは、根本的に違う。
 自らの愛結晶を悟り、その遅効性の殺意を理解した上で愛情を注ぎ続けた。0と1の間に、無限に近い隔たりがあるように、認識一つの違いは、海底から沸き起こる泡とそれを照らす月ほどに遠い。

(ああ、そうだったのか)

 ふと、本当に唐突に、僕はすべてを理解した。
 きっと氷雨は、最初から僕の愛結晶に気付いていたのだ。
 けれど、それでも彼女が僕を愛したのなら。はたして彼女がくれた口づけを、僕はどう信じればいい?
 どうして彼女の愛情が、殺意とはまったく関係のない場所で育まれたものだと証明できる?

「参ったな」

 氷雨の人生記録を閉じて、僕は天井を仰ぐ。
 薄い影を貼り付けた天井に這い廻る、ヒグラシの声が不快だった。

「僕は、何を信じればいいんだ」

 それでもこの口を突いて出た声は、思ったよりもずっと平坦だった。
 出会った頃の氷雨から感じた歪みは、何もかもが間違えていて。けれど彼女に対して抱いた殺意は、ある意味で何一つとして間違ってはいなかったのだろう。
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