23 / 29
デート編
謎はすべて解けた
しおりを挟む
6月4日 午前11時40分
古いレコードからジャズが流れる店内の柔らかな空気を耳障りな電子音がかき乱した。
しかしそれはテーブルの上に置き去りにされた女のスマホが発したものではない。
「――ちょっ! 誰、こんな時に掛けてくるなんてっ!?」
アリアは慌てて制服のスカートに手を突っ込み、また画面を確認もせずタップした。
『あ、もしもし? 探偵さん?』
〈――って、またアンタかい!?〉
せっかくのシリアスな雰囲気を台無しにする、のほほんとした声にアリアはおもわずアイフォンをテーブルに叩きつけたい衝動に駆られた。そんな事とはつゆ知らず、九野創介は気の抜けた炭酸飲料のような声がスピーカーを通して聞こえてくる。
『ゴメン、探偵さん。約束の時間に少し遅れそうなんだけど……もしかして、もうお店に着いてる?』
「――べ、別にっ、九野さんとの約束を律儀に果たそうとしたとかで断じてはなくてですねっ、単に暑いからお茶がしたかっただけです!」
と、アリアは訊かれてもいない動機を反射的に答えていた。
『それは良かった。そのお店、変わった紅茶を出すって、最近、ウチの大学の女子の間でもちょっとした話題になってたんだ』
「変わった紅茶?」
〈変わったラテアートの次は紅茶か……〉
嫌な符合にウンザリしつつ、創介の話に耳を傾ける。
『なんでも、茶葉に高温の水蒸気を当てて香りや風味だけを抽出した透明な紅茶を出してくれるそうだよ』
「ああ、それで理科の実験で使う蒸留装置みたいなのが置いてあるんですか」
アリアはスマホに耳を傾けたまま、カウンターの奥で蒸気を吹き上げているサイフォンをチラリと見た。
透明なミルクティーだけでなく、透明なコーヒーに透明なコーラ……最近はやたら透明な飲み物が流行っているらしい。アリアのクラスにも水と偽って味付きの飲み物を持ち込んでいる生徒も居るくらいだ。
しかしアリアはそんなミーハーな人たちと一緒にされるのは心外だった。
「……はぁ、この前の被害者じゃないんですから、わざわざインスタ映えする店を選んでもらわなくても――」
そこまで口にしかけたアリアの頭の中で何かがカチリとハマった気がした。
〈そうだ……昔、家族で桃狩りに行った時に姉さんの口が大変な事になって……〉
静かな湖面に石を投じることで波紋が広がるように、意識の深層からいくつかの情景・状況が浮かび上がる。
それは店内に居る客の様子だったり、ここへ来る途中のアーケード街だったり、あるいは先週歩いた山の手の並木道だったり、一見するとなんの脈絡も意味も無いような些末な事柄の数々……。しかしその一つ一つが知識と結びつき論理に組み込まれることで、真相という一枚の大きなモザイク画へと変貌を遂げる。
〈でも、最後のピースが足りない……〉
青写真は描き上がったものの、現実に組み立てるには補強するための材料が必要だ。そしてアリアにはその材料を持っているであろう相手にも心当たりがあった。
『――それで、そこのマスターっていうのがウチの大学のOBで、コーヒーや紅茶を入れる器具も自作してるんだってさ。そこまでいくともう調理と言うより、科学の実験に近いよね』
その相手はアリアが推理を組み立てている間も暢気に店の話をしていた。
〈なんか、素直に訊くのは癪だなぁ……〉
とはいえ、別な情報源を当たっている時間もない。アリアの推理によれば、被害者の命はこの瞬間も死に傾きつつあるのだ。
それでもアリアは逡巡に逡巡を重ねて、ようやく創介に尋ねた。
「……九野さん、一つ聞きたいんですけど透明なトマトソースの作り方って知ってますか?」
『えっ?』
アリアの唐突な質問に最初は面食らったものの、創介はアリアの期待したとおりの情報を提供してくれた。
〈やっぱり、犯人はあの人か……〉
分かってしまえば、まるで全てのピースが始めからあるべき場所に収まるために存在していたかのような錯覚を覚える。それは今日に限ったことではない。事件に巡り会い、その謎を解くたび、被害者も犯人も最初からそうなるように決められていたのではないかと思う時がある。
殺める者は殺し、死せる者は死ぬ……。
〝名探偵〟はその運命をなぞっているだけの解説者に過ぎないような、そんな徒労感を覚えるのだ。
『……探偵さん?』
スピーカー越しに聞こえてきた創介の声でアリアは我に返った。途中からほとんど耳に入っていなかったが、その間も創介はアリアの質問に丁寧に答えてくれていたらしい。
「あ、スイマセン。急にヘンな質問をして……」
物思いからまだ完全には立ち直っていないような声で謝ると、創介がおどけるような調子で返した。
『謎はすべて解けた……かな?』
どうやらこの普段はぼんやりしているクセに妙に鋭い所のあるこの大学生は、アリアの声の調子や質問の内容から、電話の向こうで何か起きていると勘付いているようだった。
創介のおちゃらけた台詞のおかげでアリアの調子もすっかり元に戻っていた。
「うるさい……私が推理を騙り終える前に九野さんが来なかったら、帰りますから」
字面ほど強い調子を込めずにそう告げると創介の優しく励ますような声が耳に届いた。
『ああ、それは急がないと……何せ自分を助けてくれた〝名探偵〟ならあっという間に事件を解いてしまうだろうからね』
その言葉を最後にアリアは電話を切った。
ずっとスマホを押し当てていたせいか、耳が熱い。
アリアは俯いたまま顔の火照りが引くのを待って、やがて顔をあげる。
「……無論、謎解きはディナーどころかランチの前に、です!」
現役JK探偵はお気に入りのベレー帽を被り直すと、深く濃いコーヒー色の瞳で犯人を見据えた。
古いレコードからジャズが流れる店内の柔らかな空気を耳障りな電子音がかき乱した。
しかしそれはテーブルの上に置き去りにされた女のスマホが発したものではない。
「――ちょっ! 誰、こんな時に掛けてくるなんてっ!?」
アリアは慌てて制服のスカートに手を突っ込み、また画面を確認もせずタップした。
『あ、もしもし? 探偵さん?』
〈――って、またアンタかい!?〉
せっかくのシリアスな雰囲気を台無しにする、のほほんとした声にアリアはおもわずアイフォンをテーブルに叩きつけたい衝動に駆られた。そんな事とはつゆ知らず、九野創介は気の抜けた炭酸飲料のような声がスピーカーを通して聞こえてくる。
『ゴメン、探偵さん。約束の時間に少し遅れそうなんだけど……もしかして、もうお店に着いてる?』
「――べ、別にっ、九野さんとの約束を律儀に果たそうとしたとかで断じてはなくてですねっ、単に暑いからお茶がしたかっただけです!」
と、アリアは訊かれてもいない動機を反射的に答えていた。
『それは良かった。そのお店、変わった紅茶を出すって、最近、ウチの大学の女子の間でもちょっとした話題になってたんだ』
「変わった紅茶?」
〈変わったラテアートの次は紅茶か……〉
嫌な符合にウンザリしつつ、創介の話に耳を傾ける。
『なんでも、茶葉に高温の水蒸気を当てて香りや風味だけを抽出した透明な紅茶を出してくれるそうだよ』
「ああ、それで理科の実験で使う蒸留装置みたいなのが置いてあるんですか」
アリアはスマホに耳を傾けたまま、カウンターの奥で蒸気を吹き上げているサイフォンをチラリと見た。
透明なミルクティーだけでなく、透明なコーヒーに透明なコーラ……最近はやたら透明な飲み物が流行っているらしい。アリアのクラスにも水と偽って味付きの飲み物を持ち込んでいる生徒も居るくらいだ。
しかしアリアはそんなミーハーな人たちと一緒にされるのは心外だった。
「……はぁ、この前の被害者じゃないんですから、わざわざインスタ映えする店を選んでもらわなくても――」
そこまで口にしかけたアリアの頭の中で何かがカチリとハマった気がした。
〈そうだ……昔、家族で桃狩りに行った時に姉さんの口が大変な事になって……〉
静かな湖面に石を投じることで波紋が広がるように、意識の深層からいくつかの情景・状況が浮かび上がる。
それは店内に居る客の様子だったり、ここへ来る途中のアーケード街だったり、あるいは先週歩いた山の手の並木道だったり、一見するとなんの脈絡も意味も無いような些末な事柄の数々……。しかしその一つ一つが知識と結びつき論理に組み込まれることで、真相という一枚の大きなモザイク画へと変貌を遂げる。
〈でも、最後のピースが足りない……〉
青写真は描き上がったものの、現実に組み立てるには補強するための材料が必要だ。そしてアリアにはその材料を持っているであろう相手にも心当たりがあった。
『――それで、そこのマスターっていうのがウチの大学のOBで、コーヒーや紅茶を入れる器具も自作してるんだってさ。そこまでいくともう調理と言うより、科学の実験に近いよね』
その相手はアリアが推理を組み立てている間も暢気に店の話をしていた。
〈なんか、素直に訊くのは癪だなぁ……〉
とはいえ、別な情報源を当たっている時間もない。アリアの推理によれば、被害者の命はこの瞬間も死に傾きつつあるのだ。
それでもアリアは逡巡に逡巡を重ねて、ようやく創介に尋ねた。
「……九野さん、一つ聞きたいんですけど透明なトマトソースの作り方って知ってますか?」
『えっ?』
アリアの唐突な質問に最初は面食らったものの、創介はアリアの期待したとおりの情報を提供してくれた。
〈やっぱり、犯人はあの人か……〉
分かってしまえば、まるで全てのピースが始めからあるべき場所に収まるために存在していたかのような錯覚を覚える。それは今日に限ったことではない。事件に巡り会い、その謎を解くたび、被害者も犯人も最初からそうなるように決められていたのではないかと思う時がある。
殺める者は殺し、死せる者は死ぬ……。
〝名探偵〟はその運命をなぞっているだけの解説者に過ぎないような、そんな徒労感を覚えるのだ。
『……探偵さん?』
スピーカー越しに聞こえてきた創介の声でアリアは我に返った。途中からほとんど耳に入っていなかったが、その間も創介はアリアの質問に丁寧に答えてくれていたらしい。
「あ、スイマセン。急にヘンな質問をして……」
物思いからまだ完全には立ち直っていないような声で謝ると、創介がおどけるような調子で返した。
『謎はすべて解けた……かな?』
どうやらこの普段はぼんやりしているクセに妙に鋭い所のあるこの大学生は、アリアの声の調子や質問の内容から、電話の向こうで何か起きていると勘付いているようだった。
創介のおちゃらけた台詞のおかげでアリアの調子もすっかり元に戻っていた。
「うるさい……私が推理を騙り終える前に九野さんが来なかったら、帰りますから」
字面ほど強い調子を込めずにそう告げると創介の優しく励ますような声が耳に届いた。
『ああ、それは急がないと……何せ自分を助けてくれた〝名探偵〟ならあっという間に事件を解いてしまうだろうからね』
その言葉を最後にアリアは電話を切った。
ずっとスマホを押し当てていたせいか、耳が熱い。
アリアは俯いたまま顔の火照りが引くのを待って、やがて顔をあげる。
「……無論、謎解きはディナーどころかランチの前に、です!」
現役JK探偵はお気に入りのベレー帽を被り直すと、深く濃いコーヒー色の瞳で犯人を見据えた。
0
あなたにおすすめの小説
やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。
毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。
そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。
彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。
「これでやっと安心して退場できる」
これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。
目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。
「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」
その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。
「あなた……Ωになっていますよ」
「へ?」
そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て――
オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる