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いざ鉱山町へ
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タクシーは、国道三十六号線に戻って室蘭方面に向ってさらに南下。
登別市の中央市街を通り抜け、登別川沿いを溯上、再び山の中へと入っていく。
山道に入るなり体が上下に激しく飛び跳ねる。
まるで暴れ馬に乗っているみたいだ。
アシストグリップをつかんでいないと、体を支えるのも難しい。
さっきの弾丸道路の比ではない。
道が舗装されていないばかりか、地面が凸凹しているのだ
「酷い道でしょう」
運転手が前方に顔を向けたまま、僕の心を見透かしたみたいに言う。
「運転手さん国道って言ってましたけど、これ本当に国道なんですか?」
僕は揺れる車内で、舌を噛みそうになりながら訊いた。
「ああ御免ね。言葉足らずだったわ。こくどうっていうのは酷い道と書いて『酷道』
ね。ここは、鉱石運搬用の馬車道だったときのまんまだから、道なんて整備されてな
いんだわ」
北海道によくある森を切り拓いた道なのだろう。
道路の両脇は、鬱蒼とした原野が広がっていた。
一定間隔で木製の電信柱が立っているが、茫々の草にほとんど呑み込まれてしまっ
ていた。
このまま手入れされず放置され続けたら、いずれは電信柱のみか、道路までも森に
呑み込まれてしまうだろう。
「おや、アレなんですか」
僕は、原野の中に、馬車道に並行して走る土手のようなものを認めた。
「この道に並行して走っているあの道はなんですか。あっちの方が平坦に見えるけど」
僕はサイドウィンドウを覗き込みながら運転手に訊いた。
「ああ、あれは鉱石運搬用軌道だよ。大正時代にあれが出来て、馬車鉄道で硫黄など
の鉱石を運搬するようになったんだわ。昭和になって馬車鉄道も普通の鉄道に替わり、
そのうち鉱山町すら経由せずに、硫黄を産出する硫黄山に程近い胆振線・久保内駅か
ら直接運び出すようになると、鉄道軌自体が撤去されてしまったんだわ。一見平坦そ
うに見えても、あの道は生活道路じゃないから、この道よりももっと酷い道だよ。と
てもじゃないがあの道は走れんわ」
「硫黄山というのは、鉱山町にある幌別鉱山とは違うんですか」
「うーん、違うとも、違わないとも言えんね。幌別鉱山という言葉には、二つの意味
があるから」
「二つの意味ですか?」
「幌別鉱山町にある鉱山を指して幌別鉱山と呼ぶこともあれば、隣の黄渓集落にある
硫黄山と、幌別鉱山を含む総ての鉱山関連施設を指して幌別鉱山と呼ぶこともあるか
らね」
「なるほど。そういうことですか」
「鉱山町にもいくつか鉱山はあるけど、もともと硫黄を採掘してたのは、登別よりも
内陸部にある壮瞥町黄渓の硫黄山の方なのよ。でも硫黄山は山奥過ぎて、操業を始め
た当初は鉱石の精錬所も建てられなかったの。そんで当時は、黄渓に近い運搬路は、
南のオロフレ山を越えた先にある幌別駅しかなかったもんで、幌別駅と、黄渓の中間
地点の山中に精錬施設を造ったんだわ。それが鉱山町の始まりだよ」
「へえ。鉱山町は、もともと精錬施設だったんですね」
「戦後、黄渓にも精錬所が出来て、オロフレ山の南に国鉄胆振線・久保内駅が設けら
れたから、わざわざ硫黄を山越えて幌別駅に運び出す必要なくなったから、鉱山町は
存在意義が薄れて、黄渓集落より早く廃れちゃったけどね。黄渓の方には、まだ住民
が残っているそうだけど、鉱山町の方に人が残っているっていう話は、聞いたことが
ないね」
もしかしたら成田は、鉱山町でウネサワ氏と逢えず、久保内駅経由で黄渓に向った
可能性もあるかもしれない。
「だからお客さんが、鉱山町に人に会いに行くと言ったときは、思わず耳を疑っちま
ったんだよ。気を悪くしないでね」
「いえいえ、それはいいんですけど」
いったい、ウネサワ氏は、どんなところに住んでいるのだろうか。
僕は、一抹の不安を抱いた。
道幅は、車が進むにつれ、どんどん狭くなっていった。
そして、いつしかタクシーは、傾斜の急なV字谷の斜面を走っていた。
段丘崖を走る峠道なので、片側が山で、片側が崖になっている。
周囲に他に道らしい道はなく、もはや並行して走っているはずの鉱石運搬用軌道も、
何処にあるか判らなかった。
馬車で走ることを想定した道だからか。
軽自動車でもすれ違えないくらい道幅が狭く、先が見通せないほどの急なヘアピン
カーブが続く。
そしてカーブにさしかかるたび、僕の体は右へ左へと振り子のように大きく揺られ
た。
崖側には、滑落を防ぐガードレールさえもなく、対向車が来たら一巻の終わりだ。
むりやり連れて行ってくれと頼んでおいてなんだが、こんな危険な道を車で走るの
はとても正気の沙汰とは思えなかった。
「こいつは本当に酷い。酷道とはよく言ったもんだ」
僕は、変なことに感心した。
そして鉱山橋と書かれた小さな橋を渡ると、そこはもう幌別鉱山町だった。
「着いたよ、お客さん」
登別温泉町から、幌別鉱山町まで、たかだか一時間足らずの道のりだったが、運転
手に着いたと言われたときには心底ホッとした。
「ここが鉱山町」
重い荷物を担いで降車した僕は、辺りを見回した。
周囲は、雑草が生え放題。
人工物らしきものといえば、茶色く錆びたトタン壁の廃屋がいくつか見受けられる
だけ。
町の入口を示す表札も、看板も、見当たらなかった。
ここが鉱山町だと教えられなければ、誰も町の入口と気付かないだろう。
「本当にゴーストタウンみたいだ。最近閉山したばかりにしちゃ、ずいぶん荒廃して
いるな」
「最近閉山したってニュースは、硫黄山のある黄渓集落のことだよ。さっき話したと
おり、同じ幌別鉱山でも鉱山町の方は、ずっと以前から過疎化が進んどったんでね。
お客さん、本当にこんなとこに、独りで置いてっていいのかね。気が変わって帰る気
になったらこのまま乗せてくけど」
「いや、いいです。運転手さん」
「そうかい?」
「ここまで無理言って送っていただいてありがとうございます。本当に助かりました」
「なんもなんも。ここに連絡してくれたら、いつでも迎えに来てやっから。したっけ
俺は暗くなる前に行ぐがらよ」
気のいい運転手は、僕にタクシー会社の名刺を渡すと、すぐに車を発進させた。
遠ざかっていくタクシーの丸いテールランプが、等間隔に並んだ木製の電柱の傍を
行き過ぎていくのを見て、僕ははたと気づいた。
電柱という電柱は、ことごとく傾いていて、真っ直ぐ立っているものは一本として
なかったのだ。
それに馬車道に立っていた電信柱も、街灯はひとつも点いていなかった。
「鉱山町についてからホテルにキャンセルの電話を入れるつもりだったんだけど、こ
りゃ電話はおろか、電気が通っているかも怪しいな。運転手さんから名刺を貰ったけ
ど、タクシー会社に連絡を入れて迎えに来てもらうのは無理そうだ」
走り去るタクシーの後ろ姿を見送る僕の胸の内は、不安な気持ちで占められていく。
無意識に僕は、貰った名刺をくしゃくしゃに握り締めていた。
一九七〇年代初頭。
北海道でも、電話の普及率は百万台を突破していた。
だからウネサワ氏と連絡を取り合う必要に駆られるまでは、北海道だろうと電話く
らいあるのは当り前と認識していた。
離島じゃあるまいし、自動式電話が一台も置いていないところなんて、あるわけが
ないと思い込んでいたのだ。
でも僕のその考えは、独りよがりで傲慢だった。
一九七二年現在、固定電話を契約するだけでも、かかるお金は八万円。
工事費を含めた設置費は十万円をくだらない。
大学卒のサラリーマンの初任給が三万円だから、いかに固定電話を置くことのハー
ドルが高いかよくわかる。
電電公社の利権と言っても言い過ぎではないだろう。
ましてや、ここは閉山して過疎化の激しい鉱山町。
まだ住んでいる人がいたとしても、その住人は職を失い、生活に困窮しているはず。
固定電話を契約出来る保証はない。
あの電信柱の傾き具合だと、仮に一台でも電話があったとしても、それで町の外と
連絡を取れる保証もない。
ウネサワ氏と、手紙でしか連絡がつかなかったのも納得だった。
「まあ、ウネサワさんと意思疎通の手段が手紙しかなかった時点で、電話が通じない
ことは折り込み済みだったしな。たとえ電気が通っていなくったって、いまさら慌て
ることでもないさ。それよりも今は、裏書きに書いてあった住所を見つけるのが先決
だな」
僕は、そう自分に言い聞かせて、落ち込みそうになる気持ちを奮い立たせた。
空は、相変わらず陰鬱な鉛色をしている。
太陽が何処にあるか判らなくとも、陽が落ちれば辺りは急速に暗くなるからそれと
判るはず。
暗くなっていないことから、陽はまだ完全に落ちきっていないようだ。
だが果たして夜の帳が落ちるまで、どれだけ猶予があるのだろうか。
辺りが暗くなれば、ウネサワ氏の住まいを探すのはさらに困難になるだろう。
気温だって、もっと冷え込むはずだ。
「ぶるぶるぶる。こんな寂しいところで、凍え死ぬなんて御免だ。山の冷気に体温を
奪われる前に、ウネサワさん宅を見つけ出して暖を取らせてもらわないと」
僕は、雪がしんしんと降る中を、町の中心部に向ってメインストリートとおぼしき
太い道を進んで行った。
手元にあるのは北海道の道路地図のみ。
鉱山町の地図はない。
傾いた木造の電柱に架かっている番地の書かれたプレートだけが、ウネサワ宅を探
す手掛かりだ。
僕は、プレート番号と封筒の住所を照らし合わせながら、手紙の送り主の家を探し
た。
途中、学校跡や、抗口の跡、レンガ造りの遺構などが見受けられたが、「生活して
いた」痕跡は見つかっても、「生活している」痕跡はなかった。
新雪に足跡を点けながら、さらにズンズン進んで行くと、やがて大きな三又路に出
た。
「ここが町の中心部みたいだな。誰か住人に出遭えれば、ウネサワさん宅もすぐに見
つかるだろうに」
だがここまでの道のり、人影はおろか、ネズミ一匹見かけなかった。
肝心の住人が一人も見当たらないのでは、尋ねようもない。
どうやら運転手が鉱山町のことをゴーストタウンと評したのは、誇張ではなかった
ようだ。
いよいよ心配になってきた。
「本当に誰もいないのかよ。おーい、誰かいませんかーっ!」
僕は、三叉路の道の真ん中に立ち、辺りに響き渡るほどの大声で呼びかける。
「おーい、誰かーっ!」
繰り返し呼びかけるが、反応は無し。
声は、ただ虚しく薄闇の中にに吸い込まれていった。
やはり自分の足で探す以外に手段はないようだ。
タクシーは、国道三十六号線に戻って室蘭方面に向ってさらに南下。
登別市の中央市街を通り抜け、登別川沿いを溯上、再び山の中へと入っていく。
山道に入るなり体が上下に激しく飛び跳ねる。
まるで暴れ馬に乗っているみたいだ。
アシストグリップをつかんでいないと、体を支えるのも難しい。
さっきの弾丸道路の比ではない。
道が舗装されていないばかりか、地面が凸凹しているのだ
「酷い道でしょう」
運転手が前方に顔を向けたまま、僕の心を見透かしたみたいに言う。
「運転手さん国道って言ってましたけど、これ本当に国道なんですか?」
僕は揺れる車内で、舌を噛みそうになりながら訊いた。
「ああ御免ね。言葉足らずだったわ。こくどうっていうのは酷い道と書いて『酷道』
ね。ここは、鉱石運搬用の馬車道だったときのまんまだから、道なんて整備されてな
いんだわ」
北海道によくある森を切り拓いた道なのだろう。
道路の両脇は、鬱蒼とした原野が広がっていた。
一定間隔で木製の電信柱が立っているが、茫々の草にほとんど呑み込まれてしまっ
ていた。
このまま手入れされず放置され続けたら、いずれは電信柱のみか、道路までも森に
呑み込まれてしまうだろう。
「おや、アレなんですか」
僕は、原野の中に、馬車道に並行して走る土手のようなものを認めた。
「この道に並行して走っているあの道はなんですか。あっちの方が平坦に見えるけど」
僕はサイドウィンドウを覗き込みながら運転手に訊いた。
「ああ、あれは鉱石運搬用軌道だよ。大正時代にあれが出来て、馬車鉄道で硫黄など
の鉱石を運搬するようになったんだわ。昭和になって馬車鉄道も普通の鉄道に替わり、
そのうち鉱山町すら経由せずに、硫黄を産出する硫黄山に程近い胆振線・久保内駅か
ら直接運び出すようになると、鉄道軌自体が撤去されてしまったんだわ。一見平坦そ
うに見えても、あの道は生活道路じゃないから、この道よりももっと酷い道だよ。と
てもじゃないがあの道は走れんわ」
「硫黄山というのは、鉱山町にある幌別鉱山とは違うんですか」
「うーん、違うとも、違わないとも言えんね。幌別鉱山という言葉には、二つの意味
があるから」
「二つの意味ですか?」
「幌別鉱山町にある鉱山を指して幌別鉱山と呼ぶこともあれば、隣の黄渓集落にある
硫黄山と、幌別鉱山を含む総ての鉱山関連施設を指して幌別鉱山と呼ぶこともあるか
らね」
「なるほど。そういうことですか」
「鉱山町にもいくつか鉱山はあるけど、もともと硫黄を採掘してたのは、登別よりも
内陸部にある壮瞥町黄渓の硫黄山の方なのよ。でも硫黄山は山奥過ぎて、操業を始め
た当初は鉱石の精錬所も建てられなかったの。そんで当時は、黄渓に近い運搬路は、
南のオロフレ山を越えた先にある幌別駅しかなかったもんで、幌別駅と、黄渓の中間
地点の山中に精錬施設を造ったんだわ。それが鉱山町の始まりだよ」
「へえ。鉱山町は、もともと精錬施設だったんですね」
「戦後、黄渓にも精錬所が出来て、オロフレ山の南に国鉄胆振線・久保内駅が設けら
れたから、わざわざ硫黄を山越えて幌別駅に運び出す必要なくなったから、鉱山町は
存在意義が薄れて、黄渓集落より早く廃れちゃったけどね。黄渓の方には、まだ住民
が残っているそうだけど、鉱山町の方に人が残っているっていう話は、聞いたことが
ないね」
もしかしたら成田は、鉱山町でウネサワ氏と逢えず、久保内駅経由で黄渓に向った
可能性もあるかもしれない。
「だからお客さんが、鉱山町に人に会いに行くと言ったときは、思わず耳を疑っちま
ったんだよ。気を悪くしないでね」
「いえいえ、それはいいんですけど」
いったい、ウネサワ氏は、どんなところに住んでいるのだろうか。
僕は、一抹の不安を抱いた。
道幅は、車が進むにつれ、どんどん狭くなっていった。
そして、いつしかタクシーは、傾斜の急なV字谷の斜面を走っていた。
段丘崖を走る峠道なので、片側が山で、片側が崖になっている。
周囲に他に道らしい道はなく、もはや並行して走っているはずの鉱石運搬用軌道も、
何処にあるか判らなかった。
馬車で走ることを想定した道だからか。
軽自動車でもすれ違えないくらい道幅が狭く、先が見通せないほどの急なヘアピン
カーブが続く。
そしてカーブにさしかかるたび、僕の体は右へ左へと振り子のように大きく揺られ
た。
崖側には、滑落を防ぐガードレールさえもなく、対向車が来たら一巻の終わりだ。
むりやり連れて行ってくれと頼んでおいてなんだが、こんな危険な道を車で走るの
はとても正気の沙汰とは思えなかった。
「こいつは本当に酷い。酷道とはよく言ったもんだ」
僕は、変なことに感心した。
そして鉱山橋と書かれた小さな橋を渡ると、そこはもう幌別鉱山町だった。
「着いたよ、お客さん」
登別温泉町から、幌別鉱山町まで、たかだか一時間足らずの道のりだったが、運転
手に着いたと言われたときには心底ホッとした。
「ここが鉱山町」
重い荷物を担いで降車した僕は、辺りを見回した。
周囲は、雑草が生え放題。
人工物らしきものといえば、茶色く錆びたトタン壁の廃屋がいくつか見受けられる
だけ。
町の入口を示す表札も、看板も、見当たらなかった。
ここが鉱山町だと教えられなければ、誰も町の入口と気付かないだろう。
「本当にゴーストタウンみたいだ。最近閉山したばかりにしちゃ、ずいぶん荒廃して
いるな」
「最近閉山したってニュースは、硫黄山のある黄渓集落のことだよ。さっき話したと
おり、同じ幌別鉱山でも鉱山町の方は、ずっと以前から過疎化が進んどったんでね。
お客さん、本当にこんなとこに、独りで置いてっていいのかね。気が変わって帰る気
になったらこのまま乗せてくけど」
「いや、いいです。運転手さん」
「そうかい?」
「ここまで無理言って送っていただいてありがとうございます。本当に助かりました」
「なんもなんも。ここに連絡してくれたら、いつでも迎えに来てやっから。したっけ
俺は暗くなる前に行ぐがらよ」
気のいい運転手は、僕にタクシー会社の名刺を渡すと、すぐに車を発進させた。
遠ざかっていくタクシーの丸いテールランプが、等間隔に並んだ木製の電柱の傍を
行き過ぎていくのを見て、僕ははたと気づいた。
電柱という電柱は、ことごとく傾いていて、真っ直ぐ立っているものは一本として
なかったのだ。
それに馬車道に立っていた電信柱も、街灯はひとつも点いていなかった。
「鉱山町についてからホテルにキャンセルの電話を入れるつもりだったんだけど、こ
りゃ電話はおろか、電気が通っているかも怪しいな。運転手さんから名刺を貰ったけ
ど、タクシー会社に連絡を入れて迎えに来てもらうのは無理そうだ」
走り去るタクシーの後ろ姿を見送る僕の胸の内は、不安な気持ちで占められていく。
無意識に僕は、貰った名刺をくしゃくしゃに握り締めていた。
一九七〇年代初頭。
北海道でも、電話の普及率は百万台を突破していた。
だからウネサワ氏と連絡を取り合う必要に駆られるまでは、北海道だろうと電話く
らいあるのは当り前と認識していた。
離島じゃあるまいし、自動式電話が一台も置いていないところなんて、あるわけが
ないと思い込んでいたのだ。
でも僕のその考えは、独りよがりで傲慢だった。
一九七二年現在、固定電話を契約するだけでも、かかるお金は八万円。
工事費を含めた設置費は十万円をくだらない。
大学卒のサラリーマンの初任給が三万円だから、いかに固定電話を置くことのハー
ドルが高いかよくわかる。
電電公社の利権と言っても言い過ぎではないだろう。
ましてや、ここは閉山して過疎化の激しい鉱山町。
まだ住んでいる人がいたとしても、その住人は職を失い、生活に困窮しているはず。
固定電話を契約出来る保証はない。
あの電信柱の傾き具合だと、仮に一台でも電話があったとしても、それで町の外と
連絡を取れる保証もない。
ウネサワ氏と、手紙でしか連絡がつかなかったのも納得だった。
「まあ、ウネサワさんと意思疎通の手段が手紙しかなかった時点で、電話が通じない
ことは折り込み済みだったしな。たとえ電気が通っていなくったって、いまさら慌て
ることでもないさ。それよりも今は、裏書きに書いてあった住所を見つけるのが先決
だな」
僕は、そう自分に言い聞かせて、落ち込みそうになる気持ちを奮い立たせた。
空は、相変わらず陰鬱な鉛色をしている。
太陽が何処にあるか判らなくとも、陽が落ちれば辺りは急速に暗くなるからそれと
判るはず。
暗くなっていないことから、陽はまだ完全に落ちきっていないようだ。
だが果たして夜の帳が落ちるまで、どれだけ猶予があるのだろうか。
辺りが暗くなれば、ウネサワ氏の住まいを探すのはさらに困難になるだろう。
気温だって、もっと冷え込むはずだ。
「ぶるぶるぶる。こんな寂しいところで、凍え死ぬなんて御免だ。山の冷気に体温を
奪われる前に、ウネサワさん宅を見つけ出して暖を取らせてもらわないと」
僕は、雪がしんしんと降る中を、町の中心部に向ってメインストリートとおぼしき
太い道を進んで行った。
手元にあるのは北海道の道路地図のみ。
鉱山町の地図はない。
傾いた木造の電柱に架かっている番地の書かれたプレートだけが、ウネサワ宅を探
す手掛かりだ。
僕は、プレート番号と封筒の住所を照らし合わせながら、手紙の送り主の家を探し
た。
途中、学校跡や、抗口の跡、レンガ造りの遺構などが見受けられたが、「生活して
いた」痕跡は見つかっても、「生活している」痕跡はなかった。
新雪に足跡を点けながら、さらにズンズン進んで行くと、やがて大きな三又路に出
た。
「ここが町の中心部みたいだな。誰か住人に出遭えれば、ウネサワさん宅もすぐに見
つかるだろうに」
だがここまでの道のり、人影はおろか、ネズミ一匹見かけなかった。
肝心の住人が一人も見当たらないのでは、尋ねようもない。
どうやら運転手が鉱山町のことをゴーストタウンと評したのは、誇張ではなかった
ようだ。
いよいよ心配になってきた。
「本当に誰もいないのかよ。おーい、誰かいませんかーっ!」
僕は、三叉路の道の真ん中に立ち、辺りに響き渡るほどの大声で呼びかける。
「おーい、誰かーっ!」
繰り返し呼びかけるが、反応は無し。
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やはり自分の足で探す以外に手段はないようだ。
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