昭和レトロな歴史&怪奇ミステリー 凶刀エピタム

かものすけ

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卯子沢マキリ

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「あなた、見かけない顔ですね。この町に熊が出ることも知らないし、もしかしてあ
なた内地の方?」

「ええ。実は僕は、この鉱山町で人と会う約束があって、今日東京から北海道へやっ
て来たばかりなんです」

「それじゃあ、もしかしてあなたが、連絡を下さったアイヌユーカラ全集の執筆のお
手伝いをしていたという吟谷京介先生さまお付きの書生さんですか」

「ということは……そういうあなたは、ウネサワさん?! 良かったー。やっと逢え
た」

 ようやく目的の相手と巡り逢えた僕は、ほっと胸を撫で下ろした。

「陽が暮れてもいらっしゃらないので、てっきり今日は、もう来ないものとばかり。
さあさあ、こんなところで話し込んでいるのもなんですから、どうぞ私の家にいらし
て下さいな」

 彼女が差し出した手を掴むと、すごく温かかった。
 ウネサワさんに腕を引かれて連れて来られたのは、燃やされた家から一区画離れた
ところに建っている別の掘っ立て小屋だった。
 外観は、さっき焼かれた家とまったく同じ。
 屋根も、壁も、茅で葺かれていた。
 茅葺きの屋根と壁は、アイヌの伝統的住居チセの特徴だ。



「さあ、どうぞどうぞ。中へ入って下さい」

 僕は、ウネサワさんに背中を押され、土間へ通された。
 既に夜の帳が下りているので、掘っ立て小屋の中は真っ暗だったが、室内温度は、
外気温に比べるとだいぶ暖かった。
 ウネサワさんは、土間に置いてあった大きな水瓶で、顔をじゃぶじゃぶ洗って化粧
を落とすと、手拭いで顔を拭きながら僕に顔を寄せてきて、

「ちょっと待ってて下さいね。いま、囲炉裏に火を入れますから」と囁いた。

 ウネサワさんにとっては、勝手知ったる家なのだろう。
 何処に何が置いてあるかちゃんと判っているみたいで、まるで夜目が効く動物のよ
うに、屋内が暗くても苦にせず動き回っていた。
 しばらくすると部屋の奥で、ぼうっと仄かな赤い光が灯った。
 そしてすぐにパチパチと音を立てて赤々と炎が燃え上がって、屋内全体が明るくな
り、屋内がはっきりと見通せるようになった。
 ウネサワさんが、囲炉裏の燠火(おきび)に薪をくべたのだ。

 燠火は、薪を燃やして赤くなったもののこと。
 高温を発しているため、燠火さえ生きていれば、着火剤がなくてもすぐに囲炉裏に
火が点く。
 電気は引かれていないのか。灯りになりそうなものは梁に吊り下げられた採掘ラン
タンと、部屋中央に据えられた囲炉裏の炎のみ。
 囲炉裏は、煮炊きするためだけのものでなく、部屋を温める暖房や、部屋の照明の
役目も担っているのだ。
 電気もろくに通っていない家では、必需品といえるだろう。

 掘っ立て小屋の外観は、チセのような見た目だったが、中はいたって普通の高床式
の日本家屋。
 僕がいる土間には、大きな水甕のほかに、竃も見受けられる。
 玄関を上がった先は、すぐ居間だ。

「そんなところにいたら寒いでしょう。さあさあ、どうぞどうぞ。遠慮なく中へ上が
って下さいな」

 僕は、ウネサワさんに即されて、玄関の一段高くなった上がりかまちのところにい
ったん荷物と腰を下ろしてから、グズグズになった革靴と靴下を脱いだ。

「よっこらしょと」

 そして重い荷物を居間まで引きずっていく。
 チセの床は、土間に茣蓙を敷いただけの粗末なもののはずだが、この家の床はちゃ
んとした板ばり。
 居間の真ん中には、囲炉裏が設けてあって、パチパチと音を立てながら黄色い炎が
燃えている。
 囲炉裏の真上の梁からは、横木に魚が彫られた自在鉤が吊るされており、さらに自
在鉤からは鉄瓶が吊るされていた。
 鉄瓶表面には、吹き溢した白い湯垢が浮いていて、かなり使い込まれていることが
分かる。
 囲炉裏の脇には、イナウと呼ばれる木を削って作られた木幣が置かれていた。
 木幣は、神に捧げる供物であり、神に祈るときは神の依り代にもなる。

 僕は、ウネサワさんが、ここに座りなさいと叩いている炉の東側の御座にへたり込
んだ。
 僕の座った炉の東側は上座で賓客席。
 僕を下にも置かないマキリさんの手厚いもてなしの心を感じた。
 一方マキリさんは、入口に近い囲炉裏の西側に座りなおした。
 尻の下の御座は、蒲を織ったもの。
 昔は本土でも、蒲製の御座が主流だったが、蒲の丈の揃った長い茎を集めるのは骨
が折れるので、イグサ製の御座に取って代わられて、最近はすっかり見かけなくなっ
た。
 意外と貴重品である。

「ふーっ。やっと人心地ついた」

 やっと腰を落ち着けられた僕は、改めて室内を見回す。
 窓は、南側の高いところに、明かり取り兼、換気用細い窓が二つ。
 出口と反対側の東側に開閉式の窓が一つ。
 僕の背後の東側の窓は、神を招き入れるための神窓だ。
 家の外側は、ほぼ茅壁で覆ってしまっているが、神窓の部分だけは、窓の開閉のた
めに茅で覆われていなかった。
 内壁は、ところどころ無い。
 木造の棟木や垂木、梁、桁、柱、筋交といった家を支える構造材と、外壁の下見板
が丸見えになっている。
 板張りの床と、内壁には、炎に照らされて長く伸びた二つの影が揺らめいていた。

「外見はチセみたいだったけれど、家の中は、チセとだいぶ違いますね」

「この現代にチセに住んでいるアイヌなんていませんよ。この家は、本物のチセでは
なく、普通の平屋をチセ風に改装したナンチャッテチセなんです。黄渓集落の方にも、
何人かアイヌの鉱山夫がいて、やはり似たようなナンチャッテチセに住んでますわ」

 ウネサワさんの話によると、なんでも伝統的な茅葺きのチセは、消防法上の問題が
あって、現代では住居として建てることは出来ないのだそうな。

「茅にしても、本物のチセのように、直に壁や屋根に葺いている訳ではないんですよ。
断熱用に、下見板張りの壁の上から茅で覆っているだけなんです。本当は、内側の壁
も茅で葺いてしまえば完璧なんですけど――まだこの家に引っ越してきたばかりで、
とてもそこまで手が回らなくて」

 引っ越してきたばかりにしては、勝手知ったる我が家という感じで、暗闇でもスイ
スイ動いていた気がするが。
 でも確かに言われてみればそのとおり、南側の壁には大きな窓枠が残っていた。
 経年劣化で窓ガラスが割れたので、窓枠だけ残して窓を外し、外側から茅で覆った
ものと思われる。
 南側の窓が高い位置に開いている横長の細い窓なのは、茅壁で覆いきれなかった窓
枠の隙間を、窓として利用しているからだった。

「へえ、この家のリフォームを、あなた独りでやったんですか。凄いな」

 茅ぶき壁の断熱効果を、ここまで熟知し、上手く利用しているのは、やはりアイヌ
の知恵だろう。
 僕が、室内を興味深く眺めていると、ウネサワさんが急に僕の目の前までやって来
て、着物のすそを切って、僕と向かい合わせに正座した。

 ウネサワさんは、もうあの鬼女のような顔ではなく、化粧を落としてスッピンにな
っている。
 肌が抜けるように白く、彫りが深く、目鼻立ちのはっきりした、凄いべっぴんさん
だった。
 目鼻立ちのはっきりした人が、派手な化粧を施すと、顔がくどくなりすぎて恐くな
ってしまうのはよくあることだ。
 元がキレイな顔だからこそ、文身を施したとき、恐ろしい鬼女メイクに見えてしま
ったということもあるだろう。
 年齢は僕よりは下か。
 一見すると、二十代半ばから、三十くらいに見える。
 でも俯いているときは、炎に照らされた顔の陰影が濃くなって年上に見えた。
 色の白さは七難隠すと言うし。
 女の年齢は外見からじゃよく判らない。
 ましてアイヌ女の年齢なんて僕にはさっぱりだった。
 でもまさか、化粧を落としただけで、ここまで顔の印象が変わるとは。
 嬉しい誤算である。
 正座したウネサワさんは、真っ直ぐに僕の顔を見つめてきた。
 こんな美女に、至近距離から見つめられた経験なんてなかったもので、僕はドギマ
ギして思春期の少年みたいに頬が熱くなる。

「な、なんでしょうか」

 僕が訊ねると、ウネサワさんはいったん目を伏せ、三つ指突いてお辞儀した。

「遠路はるばる、ようこそおいで下さいました。卯子沢マキリと申します」

 小津安二郎の映画に出てくる原節子もかくやといった風な、見事な立ち居振る舞い。
 僕は、アイヌ女性が思いがけず魅せた和式の所作の美しさに驚いてしまい、キョト
ンとなった。

「どうしました? 鳩が豆鉄砲を食らったような顔されて」

「あっ、すみません。これはこれは御丁寧に。いやー、てっきりアイヌの挨拶のハー
プの礼をされるものとばかり思っていたもので。思いがけず、見事な和人の所作を見
せられて、つい見とれてしまったんですよ」

「あら、いやだ。アイヌの血筋といっても、和人社会に溶け込んで長いんですから、
和人の挨拶くらい普通に出来ますよ」

 マキリはそういって、ホホホと軽やかに笑った。
 ハープの礼というのは、アイヌ女性の伝統的挨拶方法だ。
 部族ごとに多少の差異はあるものの、鼻の下を横一文字に撫でてからハープと唱え
るのが一般的である。
 僕も返礼しないわけにはいかなくなり、慌てて手を擦り合せ、それから掌を上に向
けて上下させ、ヒゲもないのにヒゲを撫でつける仕草をした。
 アイヌ男子の挨拶方法『オンカミ』である。

「よく出来ました。さすがアイヌのユカラを研究なされている方だけあって、ちゃん
とアイヌの礼儀を心得ていらっしゃる」

「郷に入り手は郷に従えと言いますからね。あなたに、あんな見事なお辞儀を見せつ
けられちゃ、こっちだってオンカミをやらないわけにはいきませんよ」

「まあ」

 僕たちは、なんだか可笑しくなって、二人して笑い合った。

「あのー、あなたはさっき卯子沢マキリと名乗りましたが、あなたは手紙を下さった
卯子沢マツネさんではないのですか? 僕はてっきり、あなたがマツネさんだとばか
り――」

「卯子沢マツネは、私の母です。母は文字が書けないので、私が母の手紙の代筆をし
たのです。それに手紙を出したときには、既に母は床に臥せっていましたから」

 ああ、そういうことだったのかと、僕は腹にストンと落ちた。
 僕は、あの手紙の文章の言い回しにも違和感を覚えていたからだ。

 違和感を覚えたのは、手紙の「ご高名は、かねてからうかがっておりました」とい
う部分だ。
 マキリの母マツネと、吟谷に、面識がないのなら「世間から高い評価を受けている
人物だと聞いている」と伝聞調で書くのは、取り立てておかしな表現ではない。
 でも二人は、四十年以上前とはいえ、以前に一度会っている。
 普通は「御出世おめでとうございます」とか、「あなたの努力と才能が世間に認め
られて大変嬉しく思います」とか、もっと別の表現になるはずだ。
「かねてから窺っておりました」という書き方には決してならない。
 だが、代筆していた娘のマキリさんが、母のマツネさんから、吟谷の高名を聞いて
いたということなら話の筋は通る。

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