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第九章 魔界層編
雄性夢魔
しおりを挟む「警戒せずとも何もいたしません。一・二時間ほどここで過ごしていただいた後はお見送りいたします」
湯女あらためラーシュはそう言ってチラリと俺を見ると手酌でまた酒を呑み始めた。
「理由は教えて貰えないのですか?」
「危険だったからというだけです」
「危険?」
俺が?
いつ?
「あの場で交わした会話がどこまで真実か分かりませんが、あのままフラリと陰間なり宿なり向かおうものなら亜種や変異種を売買する商人や愛好家の恰好の餌食になっていたでしょう。シンほどの美しさであれば変異種愛好家でなくとも手元に置きたがるでしょうが」
湯屋の中で既に目をつけられていたってことか。
それに気付いていたからここで時間を潰させて帰らせるつもりだったと。
「まあ夢魔の魅了が効かないシンには不要な気遣いかも知れませんが、万が一のことがあれば自分の目覚めが悪いので」
「魅了を?私がかけられていたのですか?いつ?」
「夢魔のお客さまから幾度かかけられていましたよ?私は自分が夢魔種ですのでその手のものは効きませんが、シンは夢魔ではなさそうなので精神力がよほど高いのでしょう」
全っっっぜん気付かなかった!
って言うか、え?
「ラーシュさんは夢魔なのですか?」
「敬称は不要です。私は竜人族雄性型夢魔種です」
インキュバス来たぁぁぁああああ!
地上層ではもちろん魔界層でも初めて会った。
魔王城にもサキュバス(雌性の夢魔)が居るらしいけど、残念ながらどの人のことかは知らない。
「雄性夢魔は夢の中で性交して子孫を遺すのですよね?」
「なんのお話ですか?」
「寝ている雌性の夢に入って妊娠させることで自分たちの子孫を遺すのではないのですか?」
「妊娠?夢魔も半身契約した者としか子は作れません」
……あ、そうだった。
魔族は半身契約を結んだ者同士が魔力を使って子供を作る種族で、雄性体は付くモノが付いて出るモノが出てもその中に子種が居ないし、雌性体の方も妊娠自体をしないんだった。
「妊娠というのは地上の精霊族がする受胎のことでしたよね?竜人族にも魔人族にも夢魔はおりますが、そういう種類というだけで夢魔も同じ魔族です」
ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙!余計なこと言った!
今のは地球に居る時に本や漫画で得た知識!
この世界に魔族は居ても悪魔は居ないという時点で両者は似て非なるものなのに、インキュバスが居たって喜びで同じだと思った俺がアホだった!
「申し訳ありません。初めて夢魔に会えた喜びで昔本で読んだ夢魔の事を言ってしまいました。今は竜人族夢魔種、魔人族夢魔種という魔族だと知ってます。申し訳ありませんでした」
布団に正座して手と額をつけて土下座。
魔族にはない妊娠という言葉を使った所為で魔族として扱われてないと勘違いさせ不快にさせてしまった。
これは俺が全面的に悪い。
「本で。誤った知識を書いた迷惑な本ですね」
地球では俺が言った知識で合ってたんだけど。
ただ地球でもサキュバスやインキュバスが実在している訳じゃないから、俺には漫画の世界に出てくる有名な悪魔の感覚。
その有名な存在が異世界には本当に居ることを魔王から聞いてたけど、実物に会えた喜びでつい余計なことを言った。
「顔をあげてください。私も申し訳ございません」
「失礼なことを言ったのは私ですので」
「いえ、勘違いしたんです」
「勘違い?」
何を勘違いしたのかと顔をあげると目が合ったラーシュが少し困り顔をしていて首を傾げる。
「雄性夢魔は数が少ないことをご存知ですか?」
「そうなのですか?初めて知りました」
「夢魔は雌性が殆どです。魔人族の場合は魔法が使えるので単純に数の少なさで価値を判断されるのですが、竜人族は魔法が使えませんので役たたずと見下す者も少なくないんです」
「え?でも魅了自体は使えるのですよね?」
「はい。それは使えるのですが」
ラーシュ曰く魔人の夢魔も竜人の夢魔も『魅了』を使うのは同じだけど、言の葉の魅了より魔法の魅了の方が性能がいいらしく、魔人夢魔に劣る能力しか使えない上に雌性夢魔のように体で誘惑することも出来ない竜人の雄性夢魔を魔族の出来損ないと蔑む者が多いとのことだった。
「雄性夢魔と知ると途端に態度を変える者も珍しくないので過剰に反応してしまいました。申し訳ございません」
「そもそもは私が言ったことが原因ですから。事情も知らずに勘違いをさせるようなことを言ってすみませんでした」
そんな事情があるならなおさら俺が悪い。
夢魔のことをろくに知りもしないのに誤った知識(この世界では誤り)を口にしてしまったんだから。
「……夢魔に会えて喜ぶとは変わった方だ」
そう独り言のように呟いたラーシュは俺の手にグラスを持たせて酒を注ぐ。
「特殊な変異種ゆえに人目を避け隠れて暮らしていたのかも知れませんが、あまり好奇心旺盛だと痛い目にあいますよ?」
その痛い目に合わせてくれる人を捜してるんだけど。
話が横に逸れてしまっただけで。
「そんなにも竜人街は危険なのですか?」
「欲望の犇めく場所に安全な場所などありません」
まあたしかにな。
俺の居た世界でもそうだったから。
「そうですか。お願いして良かった」
「お願い?」
「湯船に浸かっている時に親しくなった方がこのあと竜人街を案内してくださることになっているんです。変異種の私が一人で歩くのは危険だから半身と一緒に案内してくださると」
それとなくさっき会った竜人の話題を出す。
多少強引な話題作りだったとしても、このままではなんの情報も得られず呑んだだけで終わってしまうから。
「見知らぬ者に着いて行くのは危険です」
「この湯屋の湯女と言っていました。今日はお休みでたまたま湯屋に来ていただけのようですが、色々と心配してくださるお優しい方でしたので大丈夫ですよ」
俺が逆の立場なら危機感のない能天気なアホだと呆れると思うけど、ラーシュは険しい表情に変わる。
「どのような特徴の湯女でしたか?」
「金色の髪と青い目をしたお胸の大きい方です」
大きいという表現では生温い爆乳だったけど。
さすがにこのキャラで爆乳と言ったら「ん?」と思われそうだから『大きい方』という言葉に留めた。
「本当にこの湯屋の湯女である保証はありませんよね」
「ラーシュさ、いえ、ラーシュを知ってる方でした」
「私を?」
「普段ラーシュはマッサージの指名を受けないそうですね。先程のお話を聞いて、今回は私の身を案じて時間を潰させる目的で受けてくださったことは理解できましたが」
この湯屋の湯女という話が事実かは定かではないけど、あの獲物に絡みつくようなしつこさには何かある。
しかも湯女+半身という言葉が出てきては無視できない。
「……このあと会う約束を?」
「はい。二時間半後に茶屋で待ち合わせをしてます」
「他にも私のことはなにか」
「他にですか?……マッサージを受けたいなら専門のお店に連れて行くと言われたのですが、ラーシュにお願いしたのでそれは結構ですとお断りしました。そのくらいかと」
本当は陰間の男娼だったことや問題を起こしてクビになったとも聞いてるけど、それが事実かどうか分からないし警戒されても困るから言わない。
「お辞めになった方がいいです」
「お誘いくださった方に心当たりが?」
「特徴を聞いただけでは何とも。金の髪と青い目の湯女は多いですので。ただ、相手が誰であっても今日知り合ったばかりの人に着いて行くのは危険です」
うん、正論。
俺もそう思う。
話せば話すほど人売りに客を斡旋してクビになった人とは到底思えない常識人だ。
この人から遠回しな言葉で聞き出すのは難しそう。
本当にさっきの湯女に心当たりがないのか、心当たりはあるけど知らないふりをしてるだけなのか、表情からも会話からも全く読み取れない。
かと言って繋がりがある可能性も捨てきれないのに正直に事情を話して聞くことも出来ない。
先に少しでも情報を得られたらと思ったけど仕方ない。
「分かりました。待ち合わせ場所へ行ってお断りします」
「このままもう会わない方が」
「それは出来ません。変異種の私一人では危険だからと竜人街の案内を申し出てくださった方に不誠実なことは出来ません。待ち合わせ場所まで行って直接謝罪いたします」
ラーシュから聞き出すのは一旦置いておく。
言葉を濁さずに聞くとしたらあの湯女が美人局もしくはその関係者と分かったあとだ。
「お気遣い感謝します。ラーシュも今日初めてお会いしたばかりなのにご親切にありがとうございました」
ラーシュもあの湯女も今日会ったばかりなのは同じ。
あえてそれを口にしてグラスの酒を呑む。
「そうでしたね。私も信用に足る存在ではありません」
「そんなことはありません。労働時間外なのに見知らぬ私の身を案じて部屋に居させてくれてるのですから。無償で私を匿ってもラーシュにはなんの得もないのに」
このあと人売りに売るつもりなら別だけど。
ただそれなら部屋代(サービス料)も貰っておく方がダブルでお金になるし、悪い奴ならむしろこんな疑われるような対応はせず通常のサービスをして時間を潰すだろう。
「私の目覚めが悪くなることを避けたいだけです」
「それでも。ありがとうございます」
手酌しようとするラーシュの手を止め屠蘇器を受け取り礼を言いながらグラスへ注いで少し笑う。
美人局の件は別として、この部屋にあげた理由は最初にも言ってたそれがどうやら本音っぽい。
「シンは危なっかしいです」
「物知らずだからですか?」
「物知らず?あえて首を突っ込んでいるのでは?」
「なにに首を突っ込んでいると?」
「そこまでは分かりかねます」
なるほど。
俺もしっかり疑われてる訳か。
それは簡単にボロを出さないはず。
「聡い方ですね」
「なにが目的ですか?」
「実は竜人街に来たのは働き先を見つけるためなんです」
「え?仕事を探しに来たということですか?」
「はい」
その回答は意外だったのかラーシュはグラスから顔をあげて俺と目を合わせる。
「多くの人が集まる竜人街でも変異種で魔人の私を雇ってくださる先は少ないと分かっていますが、もしかしたら一ヶ所くらいはあるのではと僅かな期待を持って来ました。この湯屋もそうですが、それが理由で様々なお店に足を運びたいのです」
嘘だけど。
本気で心配してるなら申し訳ないけど、あえて首を突っ込んでると疑われてるなら理由を作る必要がある。
クルトも姿を偽り湯屋に潜入して探ってるのに、自分の印象だけでラーシュを善い人と判断して実際には美人局に関わっていて対策を取られたなんてなったら目も当てられない。
「陰間に行きたかった理由もそれですか?」
「はい。お酒と会話を楽しむお店であれば様々なお客さまが足を運ぶでしょうから、中には変異種でも雇ってくださりそうなお店を知っている方も居るのではないかと」
クルトと相談して今日は大本命の湯屋に絞って来たけど、情報が得られなかった場合の次の情報収集先として酒を飲む場所の妓楼や陰間が上がっていることは事実。
男にも女にも酒が入り閨を共にした相手につい口を滑らせてしまう人は居るから、従業員の中にはそんな客から得た深い情報を持ってる者もいる。
「仕事を探しに来たとはさすがに思いませんでした」
「竜人街で職探しをする魔人は少ないでしょうからね」
「少なくとも私は初めてお会いしました。魔人のシンを前に言うのも失礼ですが、今まで私が出会った魔人は竜人を下に見ている方ばかりだったので」
うん、たしかに竜人を下に見てる魔人は多い。
俺を拐って竜人街に監禁したあの魔人たちもだけど、神龍の祠の件の時にもリュウエンたち竜人は城仕えから魔法が使えないからどうこうと見下すような言い方をされてた。
地上層でもそうだったように魔界層でも特定の種族を見下す嫌な奴は居る。
「思えばシンは最初から見下していませんでしたね」
「個人として好きな人と嫌いな人ならおりますが、種族で括って好き嫌いや上下関係の判断をしたことはありません。それぞれ生まれもった特性が違うというだけのことですから」
個性に違いがあるだけ。
どの種族にも強い人も居れば弱い人も居る。
それは戦いの話だけでなく心の強さ弱さも含め。
「危なっかしい人かと思えば頼もしいところもある。本当に不思議な人だ」
髪にスルリと通された指。
側頭部を撫でたと思えば次は額の両端を撫でられる。
「生まれつきですか?角がないのは」
「え?はい」
「魔法を使えないのですね」
随分変わった所を撫でると思えば角の確認か。
そういえばついさっき魔人族は角がないと魔法を使えないと爆乳湯女の話で知ったんだった。
「失礼を承知で伺いますが、竜人街で働かなくては生活が出来ないのですか?今までは魔人界で魔法に頼らず自給自足をしていたのではないのですか?」
ああ、そっか。
集落を作り暮らしてる竜人ならまだしも魔法の使えない魔人が一人暮らしで自給自足するのはたしかに難しい。
魔人界では自力で狩りをして生活するのが基本だから。
「申し訳ありません。親切にしてくださる方に話せないのは心苦しいですが、その問いにはお答えできません」
これ以上嘘を重ねるのはさすがにしんどくなってきた。
本当のことも今は言えないから狡く逃げさせて貰う。
「分かりました。もう聞きませんから安心してください」
腕におさめられ緩く背中を撫でられる。
この慰めているような行動は……俺が魔人界でろくな生活をしてなかったから言えないんだと勘違いしてそう。
善い人すぎて罪悪感が半端ない(冷汗)
「首の保護貼り替えますか?まだ湿っているので」
「え?あ、じきに乾きますからこのままで大丈夫です。お気遣い感謝します」
腕におさめたことで肌に触れ気付いたのか、首に貼ってある保護テープにラーシュの目が行きハッとする。
性別を変えたところで魔王の紋章(契約印)は消えないから、それを隠すためにクルトが貼ったことを忘れていた。
断るとスルリと撫でられた首もと。
保護テープの上からなのにゾワッとする。
なんだこの感覚は。
「失礼しました」
「はい?」
謝ってスッと離れた手。
なにが失礼?首に触ったから?
洗身の時に散々触ったのに。
「仕事ですが、やはり竜人街で働くのはお勧めしません」
何に謝ったのか分からないまま話題を変えられる。
……まあいいか。
体に何かされた訳ではなさそうだし。
「私が魔人で変異種だからですか?」
「いえ。シンほどの容姿であれば竜人街で仕事に困ることはないでしょう。ここは魔界唯一の妓楼の街ですので」
「妓楼でなら雇っていただけると?」
「引く手あまたでしょうね。湯場でも申しましたように、もっとご自身の価値がどれほどのものかを自覚した方がいい」
手に持ったグラスを取られて顔を寄せられる。
コバルトブルーの瞳と目を合い布団に押し倒された。
「「…………」」
「……どうして拒まないのですか」
あ。ついクズの素が出た。
会話の中で未経験を装ったんだから最低でも戸惑うふりくらいはするべきだった。
「マッサージをしてくれる気になったのかと」
苦しいな!自分で言ってて言い訳が苦しい!
何も分かっていない子を演じる自分が虚しい。
「まさかとは思いますが……湯屋で言われているマッサージを普通のマッサージと思っておられますか?」
「違うマッサージがあるのですか?」
「たしかにご希望であれば普通のマッサージもいたしますが、湯屋で行うマッサージは基本的に床入りのことを言います」
「そ、そうだったのですか」
いや、知ってましたけど!
苦しい言い訳を素直に信じるとかほんと善い人だな!
驚いたような呆れたようなラーシュには申し訳ないけど、これしか咄嗟に思い浮かばなかった。
「妓楼で遊女として働くということはこうして好意のない相手と床入りをするということです。極一部の芸や話術に長けた花魁が床入りをすることなく年季があけることもありますが、シンの場合はどんなに芸や話術を磨いても無駄です」
ああ、押し倒したのはそれを教えるためか。
突然ヤル気スイッチが入った訳ではないらしい。
「この香りが何かしらの能力なのか生まれ持った特性なのかは分かりませんが、手に入れられる距離にいるシンを前にして欲求に抗える精神力の高さを持つ魔族は少ないでしょう」
そう言って口と鼻を手で隠したラーシュは体を起こす。
なるほど、押し倒したせいで少し香りにやられたのか。
鼻のいい魔族には精霊神と魔神の混ざった香りはよほど強烈らしい(本人は全くの無自覚)。
「すみません。毎日湯浴みしてるのですが臭いですか?」
「臭いとは一言も申しておりません」
「ですが口と鼻を隠されてるので」
「これは」
俺から言われてその行為が失礼だと思ったのか言葉を止めたラーシュはゆっくり手を離す。
「どうですか?大丈夫ですか?」
あざとく体を近付けると眉根を顰められる。
魔王や四天魔から気をつけるよう注意されるほど強烈な香りのはずなのに、これだけそれらしき雰囲気で近寄っても我を忘れないラーシュの精神力の高さはかなりのものだと思う。
「先程まではお話ししてくださったのに」
「そうと意識していない時は問題なかったのですが」
「そう、とは?香りを意識するとということですか?」
「香りというより」
「いうより?」
「シンをそちらの方面に意識してしまうと」
性的な目で意識するとってことか。
思えば近寄った人の全てが欲情する訳じゃないし、性的な目で見た人が香りを嗅ぐと欲求を刺激されるんだろう。
普段俺の傍に居るのが支配香という強力な能力を持つ魔王と精神力鬼レベの四天魔だから、自分の能力(?)がどんな時に発揮されるのかは今初めて知った。
「少し距離を。……約束を守れなくなります」
「約束?」
「最初に何もしないとお約束しました」
言ってたな。
警戒しなくても何もしないと。
その約束を守るために必死で抗ってるのか。
竜人族の雄性夢魔は役立たずなんて誰が言った。
早々に精神を侵されない人というのはそれだけで才能だ。
才能のある人に会うと楽しく(嬉しく)なるのは魔族の血か元からの性格か。
「もう少し別の機会にお会いしたかった」
「……どういう意味ですか?」
「ここではない別の場所でということです」
美人局の件とは関係ない場所で。
そしたら演技せず姿も偽らず本音で話せたのに。
ここで会っては情報を引き出すための言動しかできない。
「そろそろ帰ります」
「まだ出ては危険です。ここに居た方が」
「これ以上お言葉に甘えるのは心苦しいので。大丈夫ですよ、こう見えても意外と強いですから」
ここが引き時。
というより俺自身がラーシュを善い人認定してしまったから、これ以上は嘘を重ねて情報を引き出せる気がしない。
クルトの方もどうなっているのか分からないから、ここを出たらまず腕輪の水晶で連絡をとってみよう。
「本当に何もいたしませんので」
「あ、違います。それが心配で帰るのではありません」
突然帰ると言ったから勘違いをさせてしまったらしく着替えの入った籠をとろうとした腕を掴まれ、真剣な表情で言われたそれに笑う。
「労働時間外に無償で居座るのは心苦しいのと、仕事でお疲れなのに私が居ては眠れませんから」
料金を払ってるなら仕事として成立してるからいいけど、さすがに無償で長時間滞在し続けるのは気が引ける。
情報を引き出すためにラーシュの提案に乗っただけで、仮に人売りや愛好家が待ち伏せていたところで余程の強い相手じゃない限りは負ける気がしない。
「初めて来たのでこういった場所の相場が分からない無知で申し訳ないのですが、最低限でもこれは受け取ってください。ラーシュには本当に感謝しています。得体の知れない私に親切にしてくださってありがとうございました」
籠に入れておいた財布(異空間の魔導具)から魔界層のお金を出してラーシュの手に部屋代や飲食代として渡す。
お金は要らないと最初に言われたけど本当に渡さずに帰るほど図々しくはなれないから。
「分かりました。これはありがたく頂戴いたします」
「そうしてください」
「料金をいただいたのでお役目を務めさせていただきます」
……あれ?そういう展開?
これは予想外。
帰るつもりだったのに布団に押し倒されて唖然。
「部屋代や酒代としてお支払いしたのですが」
「多すぎます。シンにはあの額が最低限のようですので、その最低限の料金に見合うよう努力いたします」
え?湯女のサービス料ってそんな安いの?
最初に要らないと言われてしまったから、せめて部屋代と酒代だけでも受け取って欲しいと思って支払った額だったのに。
妓楼で払った玉代(料金)はその数倍。
リュウエンは人気の花魁だからお茶を飲んで話すだけでも別格に高いと考えても、湯女のサービス料は安すぎる。
プロ(妓楼・陰間)とセミプロ(その他)の違いか?
プロ数十万、セミプロ数千円くらいの差になるけど。
「シン。いつまで惚けているのですか?」
料金で驚いてただけで惚けてた訳じゃないけど。
頭、額、頬とキスされていることを分かっていながら『心ここに在らず』だったことは認める。
「突然すぎて考えが追いつかなくて」
「料金をいただいてしまえば何もせずでお帰りいただくことはできません。ですから必要ないとお断りしたのですが」
いやだから部屋代と酒代で……と言っても無駄か。
料金を貰うってことは仕事をするってことだから。
善い人の上に真面目か。
キスされながらスルリと脱がされ露わになった肩。
ラーシュは黙った俺に苦笑いして肩に口付けた。
「シン」
流されるままに流され続けて数十分。
ガラス製のオイルポットから温めた透明オイルを俺に垂らしながら名前を呼んだラーシュは顔を近づける。
「夢魔の魅了が効かないシンにはそのままかけても無理でしょうから、今からかける私の能力を受け入れてください。痛くないようするだけなので悪いことはしません」
痛くないようにと言われてハッとする。
さすが竜人街一の男娼だけあってその上手さに流されすっかり忘れてたけど、未経験の設定だった。
「能力?」
「はい。悪いものではありません。簡単に説明すると痛みを緩和させるための能力です。ただそれだけですので、ここにいる今だけは私を信用していただけたら」
今だけは?
随分含みのある言い方をする。
「分かりました。信用します」
まあいい。
もしラーシュが善人の仮面をつけた悪人なら断罪する時に心苦しくならずに済むというだけ。
「私の目を見てください」
「はい」
ぐっと近付いた顔。
コバルトブルーの目を見ていると瞳孔が縦長になる。
あれ?この縦長の瞳孔は
「!?」
考えてる途中で心臓がドクンと脈打つ。
全力疾走した後のような鼓動の速さになって胸を押さえる。
「……本当に信用したのですね」
「!?」
騙された?
胸を押さえる俺を見てラーシュは苦笑している。
「大丈夫ですからゆっくり呼吸をしてください。催淫という夢魔の能力を使っただけです。鼓動が速くなるのは最初だけでじきに落ち着きますから」
やっぱりそうか。
縦長の瞳孔に見覚えがあると思えばクルトと同じ。
クルトは魔法でラーシュは言の葉という違いはあるけど、催淫という能力は一度かけられたことがある。
ということはクルトも夢魔だったのか。
「まさか苦しいですか?」
「いえ。……苦しくは」
「少し緩めます」
数分してもおさまらないのを見て催淫の効果を緩めてくれたことで、ようやく全力疾走した後の心臓の速さもおさまった。
「普通にかけたつもりですが強すぎたようです。竜人の催淫は魔人には効き難いはずなのですが」
ああ、はい……俺 の 体 は 人 族 な の で。
クルトは俺が人族だと知ってたから加減してかけたけど、俺を魔人だと思っているラーシュは加減せずにかけたんだろう。
俺本人が魔人を装ってるんだから責められない。
「申し訳ございません。大丈夫ですか?」
「はい。落ち着きました」
「良かった。催淫で命を落とす危険はないですが、効きすぎたままで行為をすると大変なことになりますので」
「大変なこと?」
「中々満足できないというか、おさまらないというか」
なるほど。
ドーパミンだ何だと快楽物質が出まくってる状態と。
未経験者を相手に気を遣ってるのか、言葉を濁したラーシュに苦笑する。
「効果は感じられますか?」
「体が熱いです」
「それは終わればおさまりますので」
「分かりました」
天然媚薬製造機の魔王の体液に比べれば幾分マシだけど、催淫の効果も結構強い。
ラーシュの手馴れてる感も加わって、多分俺が本当に未経験者だったとしても痛みは感じなかっただろう。
竜人街一の男娼だったというのも真実味がある。
夢魔がそもそも性に長けた種な上に顔も体もいいとなれば人気が出るのも当然だ。
それなのに高級男娼の陰間を辞めて湯女になった理由は。
そちらの方はあまり爆乳湯女の話を信じたくない。
ラーシュは善い人。
俺が感じたその印象のままに、断罪しなくてはならない側の人物でないことを願いたい。
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バーンズ伯爵家の長男マイルズは、完璧な容姿と神童と噂される知性を持っていた。だが彼には、誰にも言えない秘密があった。――前世が日本の「医師」だったという記憶だ。
マイルズが10歳となった「洗礼式」の日。
その儀式の最中、領地で謎の疫病が発生したとの凶報が届く。
「呪いだ」「悪霊の仕業だ」と混乱する大人たち。
しかしマイルズだけは、元医師の知識から即座に「病」の正体と、放置すれば領地を崩壊させる「災害」であることを看破していた。
「父上、お待ちください。それは呪いではありませぬ。……対処法がわかります」
公衆衛生の確立を皮切りに、マイルズは領地に潜む様々な「病巣」――非効率な農業、停滞する経済、旧態依然としたインフラ――に気づいていく。
前世の知識を総動員し、10歳の少年が領地を豊かに変えていく。
これは、一人の転生貴族が挑む、本格・異世界領地改革(内政)ファンタジー。
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