ホスト異世界へ行く

REON

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第零章 先代編(前編)

祭りのあと

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「ミシオネール。いま戻った」

出る時と同じく転移魔法で戻った勇者の部屋。
勇者の不在を悟られる訳に行かず、身代わりとして部屋で待っていたイヴが読んでいた本から顔をあげる。

「珍しくお早いお戻りで」
「心労の重なった初日に連れ回すのは忍びない」
「そのような気遣いができるのでしたら連れ出さないという選択もできたのでは?」

既に連れ出した者が言う台詞ではないだろうにと呆れながら立ち上がったイヴはふと春雪の手元に目をやる。

「祈りの炎ですかな?」
「うん。ランプは国王さまが買ってくれた」
「ほう」

リュヌ祭で配られる祈りの炎。
イヴは話を聞いてミシェルをチラリと見る。

「どうでしたかな?リュヌ祭は」
「みんな楽しそうだった」
「春雪さまは?」
「初めての体験続きだったからまだ気持ちが落ち着かない」

行く前より穏やかな表情になった春雪。
ランプを見るその表情で楽しかったのだとイヴにも伝わった。

「大変よろしい。とは言えお疲れでしょう。今ダフネを呼びますので入浴を済ませて本日はごゆっくりお休みください」
「着替えの場所を教えて貰えたら後は自分でやる」
「勇者さま方の生活のお手伝いは専属の召使がいたしますので春雪さま自ら手を煩わせる必要はございません」

説明した時にも話したそれをもう一度話すと穏やかになっていた春雪の表情が変わる。

「部屋に居る時くらいは一人になりたい」

そう言ってランプをテーブルに置いた春雪。

「監視なんて付けなくても逃げたりしない」
「召使は監視では」

否定しようとしたイヴをミシェルが手を挙げて止める。

「人が居ると監視されていると感じるのか」
「ごめん。純粋な気遣いなのかも知れないけど、今まで一人で居るのが当たり前の生活だったから人が居ると気が抜けない。部屋に居る時くらいはせめて警戒しないで休みたい」

一体この青年はどのような生活をしていたのか。
警戒心が強いことは分かっていたが、まさかここまでとは。
この警戒心の強さは常に命を狙われるミシェルに匹敵する。

「分かった。では支度の後は下がらせることにしよう」
「支度?」
「春雪が自ら服や食事を取りに行くとなれば宿舎で働く者たちはいつ来るか分からない春雪を待ち続けなければならない」
「着替えもこの部屋には置いてないのか」
「部屋に用意されているのは部屋着だ。食事も食堂で食べる時と部屋へ運ぶ時がある。この部屋だけで全て済む訳ではない」
「……そうなんだ」

勇者が生活する自室はもちろん、衣装の一枚、入浴品の一つ、食事の一品に至るまで数人がかりでの確認が行われる。
全ては勇者の身の安全のため。

「春雪。ここは一般国民の家庭ではない。今までのようにただ人を遠ざけてさえいれば安全だと思わないことだ。傍に居る者が敵であるかを疑うのではなく、例え傍に居る者が敵であっても対応できるよう自らを鍛えて強くなれ」

春雪の目を真っ直ぐに見るミシェル。
厳しいその言葉は春雪がこの世界で生き残るための指南。
伴侶の王妃にすら表情を隠す若き国王は表情に乏しいこの青年をいたく気に入ったようだとイヴは髭を撫でる。

「強く……そうなれると良いけど」
「なれるかではなくなるのだ。春雪は神が選びし勇者。力を秘めていなければ勇者には選ばれない。春雪がこの世界で生き残る力を得るまで私も自らの力を尽くし護ると神に誓う」

神への誓いはこの世界では特別な意味を持つ。
絶対に破らないと誓える時にだけ口にする特別な言葉。
それを一国の王がたった一人の青年に。

「国王さまに護られる勇者じゃ駄目だと思うんだけど」
「勇者もこの国の大切な民。国王が民を護るのは当然だろう」
「そうなんだ?ありがとう」

やれやれ、本気のようだ。
ただ、幼い頃から民の為になることを優先し自らの心を殺してきたミシェルが初めて個人に興味を持ったことは喜ばしい。
しかも相手は地上の救世主である勇者。
多くの民が憧れる勇者と国王が親しいのは悪い話ではない。

「では、調理室へ行く必要のある食事や飲み物の配膳と衣装室へ行く必要のあるご衣装の用意は召使のダフネが行い、支度が済み次第速やかに下がる。と言うことでよろしいですかな?」

そう話を纏めたイヴ。
勇者に関わるお役目に気合いの入る宿舎の者たちには肩透かしだろうが優先するのは春雪の意見。

「春雪。それで良いか?」
「うん。ワガママ言ってごめん」
「よい。他の勇者からも明日希望を聞こう」
「ありがとう。俺も早くこの世界に慣れるよう努力する」

人らしい顔をして。
素のままで心を通わせることの出来る者が現れたことを喜ぶミシェルにイヴは苦笑した。

「では春雪さま、ダフネにも話を通しておきますゆえ」
「ありがとう」
「ゆっくり休むようにな」
「シエルも祭りに連れて行ってくれてありがとう。ランプも」
「ああ」

また穏やかな表情に戻った春雪と挨拶を交わして部屋を出た。

「まさか祈りの炎だけでなく真名まなまで教えたとは」

そうイヴに言われてミシェルはくすりと口を歪ませる。

春雪には知らされなかった事実が二つ。
一つは祈りの炎について。
ミシェルが話した「火を貰うと来年も幸せに暮らせる」という説明に偽りはないが、本来祈りの炎を授かる行為は『家族』や『夫婦』や『恋人』と言った極親しい者と行う。

もう一つは名前について。
王家には公の場で名乗る名前と乳母ナニーに育てられる間に名乗る祝福名と真名の三つ名があり、ミシェルが教えたのは実は真名。
誕生した時に授かる真名は崩御する時まで明かされない。
生まれた時と崩御した時の二度だけ使われる大切な名前で、今この世界でその名前を知っているのは賢者と春雪だけ。

「誰にも言うではないぞ」
「言いません、いや言えませんとも」

事実を知れば春雪はミシェルを警戒するだろう。
あの青年は特別視の裏に何かがあると疑う警戒心の強い人間。
真名についても自分たちの知らないことを春雪に教えたとなれば、おもしろくない王妃や愛児が居るだろう。

青年のためにも墓場まで持って行くしかない。
イヴはまた増えてしまった冥土の土産に溜息をついた。


ミシェルとは分かれて使用人の食堂へ向かったイヴ。
勇者一行の配膳も終わり就寝時間まで手が空く使用人たちが集まって賄いを食べている頃だろう。

「じゃあ何もせず戻って来たのか」
「だって見られるのが嫌だって逃げるんだもの」
「柊さまも一人で入れるから来ないでって」

柊の名前で勇者の話だと分かり、イヴは中には入らず隠れて気配を消す。

「ダフネなんてお茶入れたあと部屋から追い出されたらしい」
「追い出された訳では。下がるよう言われただけで」
「下がらせるってことは追い出すのと同じだろう」
「そのような言い方は誤解を招きます」
「優しいなあ。庇ってやって」
「本当に違うのです」

男性の声とダフネの声。
ダフネが必死に否定しているが、男性の方は信じず『庇っている』と勘違いしているようだ。

「何か期待外れ。物語の勇者さまに憧れてたのに」
「言えてる。普通の人だよね。本当に勇者なのかな」
「それは間違いないだろ。ステータスは確認しただろうし」
「あーあ、ガッカリ。もっと崇高な人だと思ってたのにただのワガママな人なんだもん。私だって仕事だからやってるのに余計な手間を増やさないで欲しい」

勇者の悪口とはなんと愚かな。
仲間内しか聞いていないと思い悪口のオンパレードになっている使用人たちにイヴは呆れる。

「俺たちにだって不満はある。食事を出した三人は殆ど残してたし、一人は要らないって。勇者ってだけでこんな良い場所に暮らして高価な物も食えてるのに何が不満なのか分からない」

やれやれ今度は料理人か。
やはり宿舎に仕える者の人選は外面でしか判断できない師団ではなく自分がするべきだったとイヴは大きな溜息をつく。

「勇者さま方は異世界の方です。この世界の生活様式や食事の違いに戸惑うのもおかしくありませんし、突然環境が変わって食欲がなかったとも考えられます。私たち使用人が出来ることは、地上をお救いくださる勇者さま方が訓練に集中できるよう改善すべき点を伺いつつ陰ながらお仕えすることかと」

そうハッキリと物申したのはダフネ。
ダフネを春雪さまの専属にしたのは正解だった。
貴族ではないが元から使用人として勤めていただけに、主人となる者への忠誠心が違う。

「どうしてこちらが合わせないといけないんだ。俺は十年以上料理人をやってきた。貴族の夜会の料理人に選ばれたことも少なくない。その味が合わないならこの世界には合わないと言うことだ。キッチンカーの安物でも食べていれば良い」
「それは言い過ぎだ。好き嫌いはこの世界の人にもある」
「勇者さまに無礼が過ぎるぞ」

同じ料理人でも意見が割れて対立が始まる。

「その勇者さまとやらはローズとアウニ曰く普通の人らしいじゃないか。本当に強くなるのか疑わしいもんだ」
「見てみれば分かるよ。物語の勇者と全然違うから」
「ただのワガママな人に仕える私たちの身にもなって」
「持ち上げ過ぎなんだよ。使い物になるかも分からないのに」

醜い暴言の数々にイヴは眉根を押さえる。
心の中は別として、実際に口に出してしまう愚者の方が少なかったことが唯一の救いか。

「お前たち、そこまでだ」
『ミシオネールさま!』

会話を収めた記録石を法衣にしまい待機室へ入ったイヴ。
使用人たちは青ざめてすぐに膝を折る。

「会話は記録した。讒謗ざんぼうを口にした者は即刻荷を纏めよ」
「弁明の機会を!」
「ほう。お前は自らの発言が正しかったと言うのだな?」
「そ、それはっ」

聖女美雨の召使に選ばれたローズ。
期待外れやワガママなどと言ったのはこの使用人。
子爵家の三女であるものの評判は宜しくない。
だから選考の時点で外すよう言ったのに案の定だと、イヴは師団の無能さに呆れる。

「希望が叶って良かったではないか。もう二度と手間のかかるワガママな者に仕える必要がなくなったのだから。私からすれば、自ら募集してきておいて仕える身にもなれと言う貴様の方が随分なワガママだと思うがな」

ニヤリと笑ったイヴに冷や汗をかくローズ。
賢者の中でも極めて冷酷と噂されるイヴにこれ以上口を開くのは危険だと本能が告げていた。

「アウニ。柊さまは普通の方だったか。勇者か疑わしい方だったか。なんと見る目のない。柊さまは歴代の勇者にも居なかった〝魔導師〟として召喚された才能の塊だと言うのに。訓練を重ね覚醒した暁には大賢者となるだろう。そのような御方を召喚された当日の姿で見下す貴様の無能さに呆れる」

柊の召使のアウニ。
男爵家の令嬢でローズの腰巾着。
面談にもローズと一緒にやって来た。
ローズと同じく貴族という身分で師団が専属に選んだだけで、類は友を呼ぶとはまさにこのこと。

「ドメニコ。料理の腕は買っていたと言うのに残念だ。王宮でジルドを師と仰いでいた時は真面目な青年であったのに、貴族家の食卓を任され少し名声を得た程度で有頂天になるとは。ここは客側が貴様の味を好んで足を運ぶ食堂ではない。主に仕える料理人と食堂の料理人の違いも分からぬのか。仕えの料理人は主の口に合うものを作るのが役目だろう」

かつては王宮の厨房で下働きをしていたドメニコ。
雑用にも嫌な顔ひとつせず、毎日汗水垂らして真面目に働いていることは王宮料理長のジルドから聞いていた。
ジルドが珍しく褒めた者だったと言うのに残念でならない。

讒謗の特に酷かった三人を名指しで注意したイヴは使用人たちを見渡して大きな溜息をつく。

「貴様らは身勝手な思想を持つ国民の代表格のようだ。勇者さま方は望んでこの世界に来たのではない。異世界で平和に暮らしていたのをこの世界の都合で召喚されてしまったのだ。それなのに、勇者ならば無条件で地上を救ってくれると何故思う。平和な生活を奪った世界の者がワガママだ期待外れだこの世界には合わないだと身勝手なことを何故言える。良い場所に暮らせて高級品を食べられるのに何が不満か分からない?逆の立場ならば不満しかないのではないか?勇者さま方に不便のないよう尽力することは、この世界の者が出来るせめての贖罪だ」

この世界の者は愚かだ。
有無を言わさず召喚した異世界の者たちが無条件に自分たちを救ってくれると信じて疑わない。
異世界の者たちは多くの物を失ったことは考えず、自分たちが平和になることだけしか考えていない身勝手な生き物。

「国管轄宿舎の使用人に選ばれ偉くなった気分の者が多いようだが、いつから貴様らは特級国民以上の身分となったのだ?貴様らが他者から賞賛され鼻高々でいられるのも特級国民である勇者さまにお仕え出来ているからだろう。勇者さま方が下々の貴様らに合わせるのではない。下々の貴様らが勇者さま方に合わせるのだ。身の程を弁えよ。讒謗を聞かれたのが私であったことを幸運に思え。命が惜しくば勇者宿舎で見聞きした全て墓場まで持って行くことだ」

本来であればこの場で粛清されてもおかしくない大罪。
讒謗を聞いたのがミシェルであったらと思うと寒気がする。
勇者召喚に人一倍の罪悪感を持っているミシェルがあのような讒謗を赦すはずもなく、血の雨が降っただろう。

「さあ、勇者侮辱罪を犯した大罪人は首を落とされる前に荷を纏め宿舎を去れ。明日一番に解雇通知を生家へ送る。証拠は残っているのに自分は言ってないなどと言い逃れは出来んぞ」

泣きながら出て行く者も無言で出て行く者も顔面蒼白。
勇者宿舎の使用人に選ばれることは誉れなことでもあるが、こうして切られた際には陰口を言われる対象となりかねない。
侮辱罪という大罪にあたる勇者の悪口を言って切られたとは口が裂けても言えないだろうし、勇者の情報や宿舎内部の情報は一切口外しないと先に誓約書を交わしているため、お役目を切られた理由を嘘で取り繕うのも難しいだろう。

「さて。使用人の何たるかを理解している者がこれだけ居たことを喜ばしく思う。諸君ならば勇者さま方が座学や訓練に勤しめるよう尽力してくれることだろう。早急に使用人の補填を行うが、それまでは残った者だけで役目を果たして欲しい」

赤い月が昇った翌日から連日連夜続いた面談で選んだ人材が欠けたのは痛いが、早い内に膿を出せたことは幸い。
召喚祭までは勇者も王城へ行く機会が多く不在の時間も多いが、訓練が始まればこの宿舎が主な拠点となる。
そうすればボロが出ていただろう。

「勇者さまの生活を支える諸君には話しておくが、今代の勇者さま方の天賦の才は大変素晴らしい。その才を覚醒できるかどうかはご本人の努力はもちろん、来ていただいたこの世界の私たちがどれだけ勇者さまに合った環境をご用意できるかにもかかっていることを忘れないで欲しい」

疲れて帰る場所が不快では心を病む。
心と体の疲れがとれない生活では覚醒も遠のく。
イヴはそのことを使用人たちにも理解して欲しかった。

「イザベラ。時政さまの様子はどうだった。柊さまや美雨さまのように異世界との生活様式の違いは見られたか?」
「ナイフやフォークの使い方と水道の使い方をご存知ありませんでした。入浴の補助に関しては美雨さまや柊さまと同じく抵抗があるようでしたので、使い方を教えて私は下がりました」
「うむ。素晴らしい対応だ。万が一他にも抵抗がある様子が見られた際は時政さまのご希望に従い動くように」
「承知しました」

イヴが選んだもう一人の専属召使イザベラ。
子の多い男爵家の次女で、下の弟妹が多いだけに人の世話をすることには慣れている。

「勇者さまを敬うダフネとイザベラは続行。急遽になるが美雨さまにはエステル、柊さまにはフラヴィがお仕えするよう。補填後にも継続するかは後日希望を訊く。それまで頼んだぞ」
「「承知しました」」

勇者の傍にいる専属の召使は特に厳選を重ねる必要がある。
エステルとフラヴィは春雪に付くダフネと時政につくアウニの補佐としてイヴが選んだが、急遽でも問題なく対応できそうな熟練と言えばこの二人しか居ない。

「料理長にはドメニコと最後まで迷ったトビに就任して貰う」
「大変光栄です」
「本日のお食事が口に合わなかったのか、食欲がなかったのか分からない。後ほど勇者さま方にご希望を伺い報告する」
「勇者さま方のご希望に添えるよう尽力して参ります」
「うむ。よろしく頼む」

やれやれ。師団の馬鹿どもが、選考から外すよう忠告した者たちを一番重要な専属に選んだ理由を調べなくては。
おおかた子爵家から金でも握らされたんだろうが、判明すれば国仕えどころか人生も終わるというのに愚かな。

余計な仕事を増やしおって。
イヴは面倒ごとが増えたことにまた溜息をついた。





「お父さま」
「グレース。来ていたのか」

自室に戻り入浴していたミシェルが風呂から出ると、ゆっくり休むよう伝えて玉座の間で別れたグレースが待っていた。

「みな下がってよい」

娘の様子を見て部屋にいた従者を下がらせたミシェル。
テーブルに置かれた水を手ずからグラスに注いでグレースの隣に座る。

「また国民地区へお出かけしたのですか?」
「少しリュヌ祭の様子を見ておこうと思ってな」
「問題はありませんでしたか?」
「ああ。楽しそうな国民の様子を見ることができた」
「それは何よりです」

グレースにとっても国民が平和であるのは喜ばしいこと。
そうでなければ自ら望んで供物になったりしない。

「何か話があって来たのだろう?」

ミシェルの寝室に従者以外の者が入ることは滅多にない。
王妃との房事もミシェルが王妃の部屋へ行く。
それは血の繋がった王子や王女も例外ではなく、国王が子供に寝首をかかれることもある王族だからこそのしきたり。
浄めに入る前日は例外だったが。

「申し訳ありません。こうして生きていることが幸せな夢を見ているのではと思えて眠れなくて」

ミシェルにもその気持ちは分からなくない。
ただの一度も聖者が戻った例がないのだから、次に会うのは互いが神の身許に行ってからと覚悟をしていた。

「戻ることのできた真実を知る術はないが、グレースが生きてここに居ることは夢ではない。それは紛れもない事実だ」

偶然かはたまた神のお導きか。
それを知る事は叶わなくともグレースが生きているのは事実。

「眠れぬなら付き合わないか?たまには親子で語らいながら嗜むのもよいだろう」

ミシェルが取りに行ったのは酒瓶とグラス三つ。
テーブルに並べた三つのグラスに琥珀色の酒を注ぎ、対面のグレースの前に一つ、もう一つを空いている隣の席の前に置く。

「お父さま、それは」
「ブランディーヌも共に祝いたいだろう」

グレースの母ブランディーヌ。
祝福の儀でグレースが〝聖者〟の特殊恩恵を持っていることを知り、心の整理がつくまでは泣き暮らしていた。
こうしてグレースが生きて戻ったことを誰よりも喜んでいるのはブランディーヌだろう。

「異界の青年たちの人生を大きく変えた日に豪華な祝いをする気にはならないが、親子でひっそりと命あることを祝うくらいであれば神もお許しくださるだろう」

親子三人だけが知る祝杯。
ミシェルがグラスを手にするとグレースも目の前のグラスを手にする。

「大役を成し遂げ生きて戻った我らが娘に神の祝福を」

隣の空席に向かい乾杯の仕草をしたミシェルは、涙ぐむグレースにも向かい乾杯の仕草をしてグラスを口へ運んだ。

「戻ったことをお兄さまにご報告しました」
「なんと言っていた」
「何故生きて戻れたのかと。分からないと答えましたが」

ミシェルの初子でありグレースの兄でもあるマクシム。
王位継承権第一のマクシムは王太子宮殿に暮らしている。

「他には」
「公子との婚姻のことくらいでしょうか」
「相変わらずか」

同じ父親ミシェルの血を引く子供同士でも仲が良いとは限らない。
理由は単純で、王位継承権を持っているから。

継承位が一番高いのはミシェルの初子のマクシム(17)。
第二位が第二王妃との間に産まれた男児のセルジュ(17)。
第三位が第一王妃の子である女児のグレース(16)と続く。

王位継承権で優先されるのは男児であることと王妃の位。
当然ながら第一王妃(正妃)が一番位が高い。
病で崩御したものの、第一王妃だったブランディーヌの子供のマクシムとグレースは継承権を争う者同士でもある。

ただ、女児は継承権を持っていても嫁ぐ者が多く、グレースも赤い月が昇るまでは嫁ぎ先が決まっていた。
聖者の役目を務めることになり婚約解消となったため、本来なら嫁いだ時に放棄されるはずだった継承権をまだ持ったまま。
マクシムからすれば減ったはずの敵が舞い戻った気分だろう。

先代のように子に恵まれなくても世継ぎ問題が起き、自分のように子に恵まれても王位継承問題が起きる。
王族とは皮肉なものだとミシェルは酒をあおった。

「二妃と三妃には私から報告しておく」
「お願いいたします」

グレースが生きて戻ったことは既に、勇者召喚の成功報告と共に国仕えの口から王妃たちにも知らされていること。
自らの子を国王にしたい王妃たちがグレースの生還報告を受け今どのように考えているかを想像するだけで頭が痛い。

「もし行き過ぎた行動があれば従者に言うよう」
「はい」

国王のミシェルに求められるのは平等。
継承権を持つ子供の一人を贔屓することはできない。
将来王位を継承する者を正しく見極める必要があるから。

子をどう育てるかは王妃の役目。
母であるブランディーヌが生きていれば無事生還したグレースを守ってくれただろうが、どんなに嘆いても戻って来ない。
守ってくれる母の居ないグレースは、第二王妃や第三王妃、そして継承権を持つ兄弟と自ら戦わなくてはならない。

それはマクシムも同じ。
以前は少なからず見られた仲睦まじい兄妹の姿もブランディーヌの崩御をきっかけに見ることはなくなった。
マクシムも王太子として独りで戦っているのだ。

「今後のことはゆっくり考えると良い」
「ありがとうございます」

民の上に立つ国王といえど自らの子には無力。
一般国民の父親ならば出来る『自らの子を守る』という当然の行動が、国王のミシェルには許されない。
国王であるミシェルが守るのは国であり民。

国王もまた国と民の傀儡。
鳥籠に閉じ込められ見世物にされる翼を折られた鳥。





「ふぅ」

風呂から上がって髪を拭きながら長い息を吐いた春雪。
全てがボタン一つで済む未来の風呂と違うシステムに悪戦苦闘したものの、広い風呂に浸かって少し気持ちが落ち着いた。

入る前にダフネが用意した果実水をグラスに注ぎ、ランプの置いてあるテーブルの椅子を引いて座る。

「本当にまだ消えてない」

魔導具というらしいランプの中の炎。
固形燃料やロウソクに火を灯している訳でもないのに、神官から貰った時と変わらず赤子の拳くらいの炎が浮いている。
さすが魔法の存在する世界。

「俺が勇者か。そんな御大層な人間じゃないのに」

指先で軽くランプを傾けながら呟く春雪。
中の炎はそれでも消えずに燃えたまま。

「何を基準に選ばれたんだか」

勇者なんて娯楽小説の中の存在。
現実世界には勇者など存在しない。
もし居たなら地球はもっと良い世界になっていただろう。

少なくとも春雪には助けてくれる人など居なかった。
守られていたけど、助け出してくれる勇者は存在しなかった。
そんな自分が勇者とはタチの悪い冗談だと春雪は苦笑する。

「俺にとっては魔王や魔物の居る世界も地球も変わらない」

独り言を言いながらうつらうつら。

「こうして気を抜けるだけこの世界の方がマシか」

窓一つない部屋に鍵をかけて寝るよりマシ。
ランプのガラス越しにゆらゆら揺れる祈りの炎に指を伸ばす。

「祭りは楽しかった」

華やかな祭りの光景を思い浮かべながら眠りについた。

 
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バーンズ伯爵家の長男マイルズは、完璧な容姿と神童と噂される知性を持っていた。だが彼には、誰にも言えない秘密があった。――前世が日本の「医師」だったという記憶だ。 マイルズが10歳となった「洗礼式」の日。 その儀式の最中、領地で謎の疫病が発生したとの凶報が届く。 「呪いだ」「悪霊の仕業だ」と混乱する大人たち。 しかしマイルズだけは、元医師の知識から即座に「病」の正体と、放置すれば領地を崩壊させる「災害」であることを看破していた。 「父上、お待ちください。それは呪いではありませぬ。……対処法がわかります」 公衆衛生の確立を皮切りに、マイルズは領地に潜む様々な「病巣」――非効率な農業、停滞する経済、旧態依然としたインフラ――に気づいていく。 前世の知識を総動員し、10歳の少年が領地を豊かに変えていく。 これは、一人の転生貴族が挑む、本格・異世界領地改革(内政)ファンタジー。

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