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第零章 先代編(前編)
贖罪の塔
しおりを挟む王太子宮殿で療養をはじめて数日。
春雪は王太子宮殿の立派な庭園を散歩していた。
魔法検査で出ていた症状が幾つか改善されたことで、創造魔法で作った薬は地球で飲んでいた薬と同じ物だと判明した。
とはいえ異常を知らせる症状が全て消えた訳ではなく、毎日診察と検査をしてくれるイヴから宿舎へ戻る許可は出ない。
ただ春雪もすぐ治るものではないのはわかっていたことで、こればかりはホルモン補充する注射や薬を続けるしかない。
最低でも熱が出ないくらいには改善されないと講義や訓練を再開しても他の勇者三人に迷惑がかかるとわかっていたからイヴの判断に不満はなかった。
軽い運動をかねた散歩で数十分。
王太子宮殿の庭園内であることと必ず休憩を挟んで水分補給を行うことを条件に、今日からイヴの許可がおりた。
叙事詩の間は広くて静かで居心地がいいが、一つだけ難点なのは窓がないこと。
空気口などはあるが窓がないために天気すら確認できず窓を開けて外の空気を取り入れることもできない。
窓がないのは侵入者を防ぐためだが、一日四方八方を壁で囲まれている生活は気が滅入る。
「王太子っていうのも大変な立場だ」
自分が数日その窓のない部屋で過ごしたことで、次の国王になる王太子は窓一つにも注意が必要な立場なんだとわかった。
イヴとの約束を守り休憩をとって水分補給をしていた春雪。
立派な門の外に立っている騎士の後ろ姿を眺めていると朧気に見覚えのある人物がやってきた。
「誰だっけ」
赤の髪と瞳をした男女。
見たことがあっても誰かまでは思い出せない。
「まあいいや」
少し考えたもののすぐに諦めるところが春雪らしい。
高価そうな衣装を身につけてることや王太子宮殿に来る人物となれば王家の人だろうとは思い至っても、気づかれてないから挨拶する必要もないだろうと高を括っていた。
「王太子の作る水、やっぱ美味しい」
水筒の水で喉を潤して独り言を呟く。
水属性が一番得意なマクシムが作る水は不思議と水道水や湧き水より美味しくて春雪も気に入っている。
今日は訓練校があり宮殿を不在にしているが、ここ数日の日課として朝一で春雪の部屋へ足を運んで捻れば水の出る小型タンクを満タンにしてから出かけて行った。
それが日課になったのも春雪の言葉がきっかけ。
解熱剤を飲むための水をマクシムが氷の時のように何の気なしに魔法で作ってグラスを満たすと、それを飲んだ春雪がいつも飲んでいる水より美味しいと言ったから。
レベルの高い者が作った水が美味しいのはこの世界の常識。
けれど王太子に飲料水を作らせるなど考えられないこと。
春雪は美味しいと感想を言っただけで頼んだ訳ではないが、マクシムは毎日春雪のためだけに水を生成するようになった。
「散歩の続き、あ。第二王妃の子供だ」
何の脈略もない思い出し方。
散歩を再開しようとしたタイミングで見覚えのある男女が誰だったかを思い出す。
「王太子が居ないから断られてるのか?」
水に夢中で見ていなかったが、数分は経っているのにまだ門を開けていないとなると春雪でもさすがに察する。
騎士と親しげに立ち話をしている様子でもなく王太子が居ないのに何のために粘っているのかと春雪は小首を傾げる。
「まあ俺には関係ないけど」
大事な用なら王太子が帰ってきてからまた来ればいいし、騎士が必要と判断する要件なら疾うに門を開けているだろうし。
ここは王位継承権第一位の王太子のための宮殿で、同じ王家の王子王女であっても簡単に足を踏み入れさせはしないだろう。
そんなことより動かずにいたら体が冷えてきた。
また熱を出す前に宮殿へ戻ろう。
そう決めて宮殿へ向かいまた歩き始めた。
「勇者さま!」
あ、バレた。
歩き出した途端に見つかり背後から呼ばれる。
無視……はさすがにまずいか。王家の人だし。
溜息をついて振り返った春雪は今気付いたような様子を演じ門の方へ歩いて行き少し手前で立ち止まる。
「ご挨拶申し上げます。体調がまだ万全ではないため万が一にもうつさないようこの距離でのご挨拶でお許しください」
うつる病気ではないが必要以上に近寄りたくない。
相手を気遣っているような言葉で距離を置く春雪は小狡い。
「流行病ではないと聞き安心していたのですが、数日経ってもまだ療養中と聞いてお見舞いを持ってきました」
そう言ってバスケットを見せる王女。
高価そうな布を捲って中の見舞い品を見せる。
「姫殿下。勇者さまへの品はお受け取りできません」
「お口に入れるものではなくお熱を下げる効果のある布ですわ。このようにして額に貼りますの」
冷却シート、か?
王女が見せた物は地球にもあった冷却シートに似ている。
尤も春雪の居た時代の冷却シートは布ではなかったし、貼るのも額ではなく首で一日冷たいままという代物だったが。
「申し訳ございません。口にするものではなくともお受け取りできません。王太子殿下より命を受けておりますので」
困ったな。
王太子から止められてるなら騎士も受け取れないだろうし、王家の人からの見舞い品に俺が居らないと言っても角が立つ。
このまま立ち去る訳にもいかず騎士と王女のやり取りを黙って見ていると王子の方がジッと見ていることに気付く。
今は性ホルモンの問題で少し女性寄りの傾向になっているからあまり見られると気付かれそうで少し心配。
補充薬を再開したから女性化(乳腺の発達や乳房の膨らみ)と言える程の特徴は出てないけど、毎日見ている人では気付かない緩やかな変化でも久々に見た人は気付く可能性もある。
そんな春雪の不安は的中。
第二王妃の次男であるドナは春雪に違和感を持っていた。
晩餐の時にも中性的だと思いはしたが今は女性のよう。
二重のパッチリした大きな目と白い肌。
男性にしては細い首や剣を握り戦うには細い手首。
男性の衣装を身につけた長身のスラッとした女性。
いや、痩せて病弱に見えているだけだろうか。
男性が女性になるなど有り得ない。
それとも秘密にしていただけで元から女性だった……?
春雪の体に興味がわいたドナ。
実際に脱がせてみればすぐにどちらかわかるのに、と。
好奇心旺盛で何でも知りたがるドナは、春雪が半陰陽であることを一番知られてはいけない相手でもあった。
「ララ、もうお暇しよう。勇者さまを困らせてしまう」
「ですが」
「私たちが居てはこの寒い中で立っていなくてはならない。見舞いに来て体調を悪化させては元も子もないだろう?」
ここに来た成果はあった。
これ以上護衛騎士に悪印象を与えてはマクシム兄さんがますます警備を固めてしまう。
「妹が勇者さまに早く元気になって欲しいと願うもので医療師の治療の妨げにならない範囲のものをと思い冷却布お持ちしましたが、逆にご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。どうぞ一日も早いご回復をお祈りいたします」
「ご丁寧にありがとうございます」
さすが勇者というべきか。
優雅な仕草で礼をしたものの何を考えているのか読めない。
そのように感情から隠されてはますます興味を惹かれてしまうではないか。
「君たちにも無理を言ってすまなかった」
「恐れ多いお言葉で」
「お受け取りできないご無礼をお許しください」
外面では気弱な人物を演じているドナ。
護衛騎士にもしっかり詫びて妹のララを連れ馬車に戻る。
「よかったのですか?接触できる機会だったのに」
「あのまま居てはマクシム兄さんを怒らせてしまう」
「マクシム兄さまは勇者さまに興味がないと思いますが」
「王太子宮殿で預かっているということは父上から任されたということだ。勇者さま本人に興味などなくとも護るさ」
父上に任されるということはそれだけの価値がある。
だからこそ愚かな母は焦っているのだ。
兄を国王にして王太后となり贅沢したい母からすれば、これ以上マクシム兄さんが点数を稼ぐのが気に入らない。
それでなくともこのまま順当にいけばマクシム兄さんが次期国王の座につくのだから。
自由に研究が出来なくなる王位など私にはどうでもいいが。
「母には私が謝る」
それを聞きホッとするララ。
虫の居所が悪ければ罰を受けると知っていて罪悪感より自分が罰を受けずに済む安心感が優先なのだから、この妹も大概だ。
ただ大概なのは自分も同じ。
あの母の下で育った者がまともに育つはずもない。
・
・
・
馬車で辿り着いた緋色宮殿。
『お帰りなさいませ』
執事や従僕に出迎えられたドナとララが玄関フロアに立つと、何を言わずともドナの従者やララの侍女が外套を脱がせる。
「母上はどちらへ」
「お部屋におられます」
さてどうしたものか。
執事から母の居場所を聞いたドナは考える。
部屋に居るのならば寵臣とお楽しみ中だろう。
何せ母上は国母とは名ばかりの娼婦のような女性なのだから。
かといって報告をしなければ癇癪を起こす。
「母上に戻っ」
「ドナ」
話の途中で大階段を降りて来たのは兄のセルジュ。
妹のララはその姿を見て使用人とともに姿勢を低くする。
「どこに行っていた」
「宮殿の外へ少し」
「王太子宮殿に行ったのだろう?あの女に命じられて」
知っているのならば訊く必要もないだろうに。
秘密を知られたと私たちが困る姿が見たいのだろうが。
その目論見通り青ざめ震えるララ。
餌を与えてやるのだから優しいものだ。
「どうぞお見逃しください。母上に叱られてしまいます」
もちろん私も漏れなく餌を与える。
この兄にとって王位継承権第五位の私ですら敵なのだ。
殺すまでもない相手と判断されるように気弱なふりをする。
「ドナは私と来い」
私がグイッと腕を掴まれると隣で震えていた妹は安堵する。
せめて私の前では安堵の息くらい堪えればいいものを。
そもそもそんな気遣いを期待できる妹ではないが。
使用人たちから目を逸らされる中を兄と大階段を上がる。
この宮殿に仕える者たちは母上と兄には逆らえない。
とうぜん私を助ける者も居ない。
宮殿と繋がった塔。
名を贖罪の塔という。
悪事を働いた仕えの者へ罰を与える懲罰塔。
各々の宮殿にも懲罰塔はあるが、こんなにも有効活用されているのはこの緋色宮殿だけだろう。
「勇者とは接触できたのか?」
拷問器具の並ぶ部屋の石床へ投げ捨てられ後ろ手に鍵を閉めた兄は早速本題に入る。
「母上に報告してからではいけませんか?」
「接触できたということか」
「いいえ。護衛騎士に止められ宮殿には入れませんでした」
「それなら私が先でもあの女が先でも変わらないだろう」
その通り。どちらが先でも変わらない。
ただ、母に従順な下僕を演じるため口にしただけで。
「馬鹿正直に正面から行ったのか」
「母上が見舞いの品を持って訪ねるようにと」
「頭の悪い。マクシムが許すはずがないだろう」
「マクシム兄さんは訓練校へ行っております」
「ほう」
勇者とは会ったが正直に話すつもりはない。
あんなにも興味を唆られる者を兄へ与えはしない。
まだ覚醒していない勇者では兄に壊されてしまうだろう。
勇者のため、国のため、精霊族のため。
いや、違う。
あの勇者を研究するのは私だ。
「宮殿の警備はどうだった」
「門付近は変わりません。ただ数分の見舞いも見舞い品も拒否されましたから内部の警備は強化されているかと」
勇者が宮殿内に居るのだから警備が強化されない訳もない。
仮に勇者の身に何かあればマクシム兄さんが責任を問われる。
だからこそマクシム兄さんから王位継承権を剥奪したい母と兄はこの機会を狙っているのだろうけれど。
マクシム兄さんは父上に似て策略家。
門付近の警備を変えていないのもあえて。
そのぶん宮殿内の警備は厳重になっているだろう。
「あの女は誰からマクシムの予定を得たんだ?」
「そこまでは私も」
「手の者を上手く潜り込ませたとは考え難いが」
木の椅子にどっかりと腰を下ろし考え耽る兄。
命じられた時は母上の機嫌を損ねないよう早々に済ませようとしか思わず気にしなかったが、たしかにどのようにして母上がマクシム兄さんの予定を知ることが出来たのかは気になる。
王太子の予定を知るのも潜り込むのも容易ではないのだが。
「あの女の狙いはマクシムの失態か?それとも勇者自身か?」
「え?」
顔をあげると兄は床に座っている私を見下ろしニヤリと笑う。
「節操のないあの淫婦が美しい勇者を欲しないと思うか?どうせこの宮殿に囲っている寵臣のように手篭めにすればよいとでも簡単に考えているのだろう。過去に聖女へ手を出し革命が起きた国王が居たことなど知らないのではないか?」
母上なら有り得る。
革命によって勇者の保護法が制定されたことを、学も教養もない公務もただ座っているだけの母上が知っているのかどうか。
民の税率すらも知らない母上の公務に付き添い尻拭いをさせられているのは私だ。
「珍しいではないか。そのような顔をするのは」
兄は私を見てくつくつと笑う。
「お前も気に入ったのか。あの勇者が。血は争えないな」
見下すその顔はなんとも楽しそうだ。
誰かを虐げている時が一番楽しそうな兄は狂っている。
いや、私たち兄妹に狂っていない者などいないが。
「馬鹿な奴だ。おおかた見舞い客を装い療養中の部屋や一日の行動など調べてくるよう命じられたのだろう?マクシムに忠誠を誓う者たちが主不在であろうと宮殿へ招き入れる訳がないとお前もわかっているだろうに、頭の悪いやり方に何故従う」
とうぜん分かっていた。
マクシム兄さんが手練の忠臣たちに勇者を護るよう命じていることも、見舞いどころか門前払いされることも。
そんなやり方では無理だと進言したとて機嫌を損ねるだけだから、最初から成功しないと分かっている馬鹿な方法だろうと従っただけ。
「会えずよかったではないか。本当の狙いも知らず気に入っている勇者をあの淫婦にあてがうところだったのだからな」
兄の言うことはほぼ正解ではあるが一つ間違っているのは、私が気に入ったのは変化の見られた勇者を宮殿で見た後で、母上から命じられた時点では勇者に特別な思いなどなかった。
あの瞬間まではただ存在感のある美しい勇者とだけの印象。
その美しいという表現も顔貌が整った者を見れば誰しもが思う感想というだけで特別な意味などない。
興味を唆られた今は母上の手篭めになどさせはしないが。
「ドナ。お前はいつまで愚か者を演じるつもりだ?」
乱暴に引き上げられた顔に兄の顔が近づく。
「ああ、勉学の話ではないぞ?そこは偽らずあの女の自慢話の一つになってやってるんだからな。私が聞いているのはいつまであの女に逆らえない愚か者を演じるのかということだ」
気付かれていたか。
尤も私も気付かれていることにうっすら気付いていたが。
けれどハッキリ言われない限り気弱な者のふりを辞めるつもりはなく、兄もあえて言わないことで私を利用していた。
結果的に兄も私も互いを利用している者同士。
国王になどなりたくない私は母上からの期待を兄に押し付け、兄は大嫌いな母上の世話を私に押し付けた。
「お前を見ると憎らしい。淫婦に似たのは髪と瞳の色だけ」
兄は母上にそっくり。
嫌悪する相手の生き写しなのだから私が憎くもなるだろう。
「笑うな」
頬を叩かれますます笑い声が洩れる。
私は髪と瞳が同じ色なだけでも嫌だというのに、兄ほどそっくりであったら絶望していただろう。
「私は父に似たのでしょうね。兄さんはお可哀想に」
「父が誰かも分からぬ癖に」
「母上に似るよりはよいでしょう?」
私の父は父上ではない。
恐らく父上もそれに気付いている。
いや、国母の醜態を闇に隠すため、延いては国王の名誉のために多くの者が気付いていながらも黙っているのだろう。
「人を虐げることで快楽を覚える兄さんはおかしいです」
「興味を持ったものを研究材料にするお前に言われたくない」
「知りたいではないですか。全てを」
「お前のいう全てはまともではない」
もう15年も共に居るのに本音で語り合うのは初めて。
語り合いながら虐げる兄さんは楽しそうで、虐げられる私は兄さんが哀れで楽しい。
「まともであるはずがないでしょう?この宮殿で育って。母もおかしい、兄もおかしい、妹もおかしい、使用人もおかしい」
この宮殿にまともな者などいない。
唯一の良心が私たち兄妹を盾にとられて訪問を制限されている父上だけなのだから。
「父上の命を狙うのだけは辞めてくださいませんか?」
「それはできない。父上はあの淫婦に甘すぎる。私が国王となりあの淫婦をこの塔へ幽閉するまでは終われない」
「父上も私たちを盾にとられているからでしょうに」
「そんなことは分かっている」
兄さんが王太子であれば父上は命を狙われなかった。
もしくは第一妃の子でヴェルデ家の長男である王太子のマクシム兄さんが母上を罰してくれるのならば、決して父上を嫌っている訳ではない兄さんは暗殺など企てはしないだろう。
ただ、父上もマクシム兄さんも平和主義。
自分の方が価値の低い存在だと知ってか知らずか偉そうに見下す母上が相手でもマクシム兄さんは見逃してしまう。
いや、そうするまでもない相手なのだろう。
だから頭の悪い母上は調子に乗る。
「父上かマクシム兄さんが断頭台へ送ってくれれば早いのに」
「その期待はもうしない。期待するだけ無駄だ」
私もそう思う。
早いのにとは言ったものの、母上が大罪でも犯さない限り今の小悪党では断頭台へ送るほどの理由にはならない。
「せめて王位継承権第二位の兄さんの命でも狙ってくれれば」
「あの女が私には手を出さないことなど分かっているだろう?息子の私を国王にして王太后になるつもりなのだから」
「母上が王太后になった暁には国が滅びますよ」
「だからそうならないよう塔へ幽閉する」
嗚呼、兄と私はなんとおかしいのか。
虐げ虐げられながら国の未来を憂うのだから。
「締めすぎたか」
「殺さないでくださいね?王位どころではなくなりますよ」
「ああ」
見えている腕は既に傷だらけ。
母上と違って顔には絶対に傷を作らないこととおかしな拷問器具を使わないだけ兄の方がましだけれど。
「少しは怖がってみせろ」
「そこはまだ演じなくてはならないのですか?もう今更ですから痛がる顔だけで満足して欲しいのですが」
虫の居所が悪い時の母上から様々な拷問を受けている私にとって兄のソレは怖がるようなものでもない。
今までは気弱な者を装っていたために怖がってみせたけれど、ハッキリさせたのは兄なのだから今更また演じたくはない。
「婚約者を虐げるのは辞めてくださいね?」
「する訳がないだろう。普通の令嬢を」
「分かっているならそれで」
有識者が決めた婚約者でも兄さんが国王になれば将来の国母。
さすがの兄さんも将来の国母を虐げるつもりはないようだ。
「とはいえ第一候補にあがっているあの御令嬢はいかがなものかと。兄さんも将来父上と同じ末路を辿る予感がします」
「そうなのか?」
「候補者でありながら噂一つ耳に入っていないのですか?」
「なにも」
いかに興味がないのか。
同様に兄の周りの者も役に立たない。
「身分の低い者が這い蹲る姿を見るのが楽しいようです。研究室の窓から幾度か見かけましたがなかなかの悪党で。私の研究室からは見えないと思っているのか、私に見られたとて兄さんには言わないと思っているのか存じ上げませんが」
取り巻きを引き連れた化粧臭い令嬢。
複数で一般国民を囲み虐げ這い蹲る姿を楽しむ姿は母上に似ている。
「兄さんの加虐性は性癖ですので趣味の合う御令嬢とであれば互いに楽しめるとは思いますが、彼女のあれは紛れもない虐めです。人を虐めてきた者が兄さんから虐げられるようになるのも面白くはありますが、私が有識者であれば一般国民を見下しているアレを将来の国母となる第一候補には選びませんね」
顔が怖いため誤解されているが、兄が虐げるのは性的な快楽を得るための手段で一般国民を脅したり暴行したりはしない。
腐ってもそのあたりは生粋の王子なのだ。
だから兄の歪んだ性癖を知らない者にはただ『目付きの悪い怖い王子』というだけの印象だろう。
「では候補から外そう」
「随分と簡単に私の話を信じますね」
「この監獄のような宮殿で共に暮らしてきたお前の嘘が分からないと思うのか?勇者に会っていないなどと嘘をついたことは見逃してやろう。あの後先を考えない馬鹿な女が勇者に手を出し騒ぎを起こされるより方法を弁えられるお前の方がマシだ」
可哀想に。
母上がまともであればその父上譲りの人を見抜く才をもっと別の場所で活かせただろうに。
「兄さんは私の顔が憎らしいと申しましたが、私も兄さんを憎らしく思います。私とは違って兄さんは正真正銘父上の血を引いているのですから」
兄は父上と母上の子供。
私は他所の男と母上の子供。
父上の血をひいている兄さんが羨ましくて憎らしい。
「そうか。ではこれからも憎み合おうではないか」
「互いに無いものを羨むなど愚かな」
「私たちが愚かでなかったことなどない」
「そうですね」
ただほんの少し父上に助けを求めればよかったのだと思う。
私たちが助けを求めないから父上も下手に手を貸せない。
将来国王となる可能性のある子供に差をつけないよう、育児や教育は王妃の役目と決められているから。
けれどそれに気付いたのが遅すぎた。
既に歪んでいる私たちはいまさら元には戻れない。
歪んでいない自分など知らないのだから。
・
・
・
時は少し遡り再び王太子宮殿。
運動を兼ねた散歩を終え部屋に戻った春雪は入浴を済ませ、入浴前に執事のフェリクスが水分補給のために運んできた栄養ドリンクを美味しく飲み干し少し休もうとベッドを捲る。
「?」
首を傾げたその刹那、布越しの手に口を塞がれ意識を失う。
時間にして数秒。
本人すら何が起きたのか分からぬまま、春雪は王太子宮殿から忽然と姿を消した。
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