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第零章 先代編(前編)
鳥籠
しおりを挟む「どうして私が幽閉されるのよ」
贖罪の塔、最上階。
質素なベットの上で親指の爪を噛みつつブツブツ話す王妃。
「私はこの国の王妃なのに」
ボサボサの髪に目の下には酷い隈。
ガタガタの爪に荒れた肌。
美しいドレスと装飾品で着飾っていた王妃は見る影もない。
「誰か!紅茶とお菓子を持って来なさい!」
頑丈な鉄扉に向かい大声で命令する王妃。
扉の外には警備騎士が二名付いているが反応はしない。
「聞いてるの!?私に逆らえばどうなると思っているの!」
ここに捉えられているのは国家反逆罪を犯した罪人。
精霊族法を破り勇者を誘拐し命まで奪おうとした大罪人。
本来ならば極刑になるところだが、精神衰弱者で王家裁判にかけられず済んでいるだけの名ばかりの王妃でしかない。
カツカツと階段を上がる足音が塔に響く。
その足音は二つ。
「ご挨拶申し上げます。セルジュ殿下、ドナ殿下」
姿を見せたのはセルジュとドナ。
謹慎がとけたばかりの二人の訪問を既に聞かされていた警備騎士たちは胸に手をあて頭を下げる。
「母上。お加減はいかがですか?」
「ドナ!」
セルジュとドナが鉄扉についた小窓から中を覗くと王妃は裸足で扉へ駆け寄る。
「貴方たちが屋敷へ来たせいで幽閉されるはめに!私は貴方たちの母なのよ!今なら許してあげるから早く出しなさい!」
たった数日で見るも無惨な醜い姿になっている王妃を見てドナはポロリと涙を零す。
「母上、なぜ勇者を拐うなど愚かなことをしたのですか。私たちは母上をお慕い申しておりましたのに」
気弱ながら心優しいドナ王子。
罪を犯した母を自らの手で捉えるのは辛かっただろう。
警備騎士たちは涙を流す王子の姿に胸を痛める。
「勇者方はこの地上に生きる精霊族の宝。例え貴女が私たちの大切な母であっても、裏切り者と罵られようと、国と民のために生きる王家の者として罪を見過ごすことはできない」
王位継承第二位を持つセルジュ王子。
二妃の過ぎた奔放ぶりに彼が王位につくことをよく思わぬ者も多いが、現国王の血を引き継ぐ立派な考えの王子ではないかと警備騎士は感心する。
王妃が醜く罵るほど二人の王子の評価はあがる。
私情に流されず国や民を重んじる王子として。
慈悲深い心優しい王子として。
皮肉なものだ。
息子二人に利用されるのだから。
ただそれも自らしてきたことが原因で同情はできない。
子供たちを利用していたのは自分も同じなのだから。
「ドナ殿下!大丈夫ですか!?」
力が抜けたようにしゃがみこんだドナ。
母親のこのような姿を見てショックを受けたのだろうと、警備騎士たちもしゃがみ心配そうにドナを見る。
「しっかりしろ。お前も王家の者だろう」
「すみません兄さん。今の母上のお姿を見るのが辛くて」
「また次回にしよう」
「ですが」
「顔は見れた。それに私たちが居ては母を刺激する」
「わかりました」
ドナ王子に肩を貸すセルジュ王子。
厳しい言葉をかけながらも肩を貸すのだからよい兄弟だと警備騎士は思いながら、階段を降りて行く王子を見送った。
「きゃあああ!来ないで!」
「始まった」
「またか。呪われているんではないか?」
「下手なことを口にするな」
王子二人が去ったあと鉄扉を叩いていた王妃が叫び出す。
このように王妃は昼夜問わず唐突に発狂する。
何もいないのに追い払うような仕草をして。
王家裁判までは王妃のままだから本来であれば食事や身支度などの世話をする従者がつくが、唐突な発狂で従者が二名立て続けに怪我を負わされ今は誰もついていない。
これが精神衰弱者として王家裁判が行えない理由。
この発狂がおさまらない限り王妃は塔に幽閉されたまま。
それが何年でも何十年でも。
「民草の命などなんの価値もない!死ぬまで私に可愛がって貰えただけ感謝なさい!」
いつもこのように誰かへ怒鳴っている。
その姿はまるで呪われているかのよう。
言葉を聞くに魔物や亡者に襲われているようだが、勇者を拐った屋敷に監禁されていたという珍しい魔物や虐げられ亡くなった者たちの幻覚を見ているのだろう。
なんという自業自得。
そこへ連れ去ったということは、勇者のことも珍しい魔物や見目麗しい者のように監禁するつもりだったのだろう。
恐ろしい悪女だ。
どんなに発狂しても助けは来ない。
それはそうだろう。
実際に襲われているわけでないのだから。
「だから最初に忠告したというのに愚かな。魔族の物に手を出すからこうなる。弄ばれた者の恨みが晴れる日が先か、命尽きる日が先か。自らが犯した罪の幻影に苦しめられるがいい」
発狂に紛れくつくつと笑う声。
黒蛇の紅い目が鈍く光った。
「いつまで泣き真似をしてる」
「塔から出るまで続けた方が良いかと思ったのですが」
「したたかな奴だ」
「兄さんに言われるとは。大切な母など思ってもないのに」
軽快な足取りで階段を降りるドナとその後に続くセルジュ。
何ひとつとして母らしいことをして貰った記憶のない二人にとって王妃の幽閉は喜ばしいことでしかない。
三兄妹で唯一被害を受けたのは妹のララだけ。
母の愚行に協力した罪で罰を受ける。
死罪だけは免れたものの、王位継承権を剥奪された上で王宮を追放されて王都から離れた地の別荘で暮らすことになる。
「それにしてもララも馬鹿ですね。母上に協力した理由が以前から欲しかった宝石を買ってくれると言われたからだとは。たかだか宝石のために全てを失うなんて」
「精霊法で保護された勇者を誘拐すればただで済まないことなど考えればわかりそうなものだが、あれもしょせん贅沢好きの強欲な女。目先の物に目が眩んだのだから自業自得だろう」
綺麗なドレスも高価な宝石も美味しいお菓子も欲しい。
母に似て愚かで強欲な王女。
求めすぎて多くのものを失ってしまった。
「もしお前が協力を求められていたらどうした」
「協力するふりをして情報を集め父上に渡したと思います。恥辱の王と同じ道を辿るのは御免ですからね。私は好きな研究ができればそれでよいのです。今回は疑われて参りました」
セルジュやドナも事情は聞かれたものの、普段は寵臣と遊びだすと長い王妃が出かけたことや、自ら望んで出掛けることをしない出不精の妹が出かけたことを聞いておかしいと気付いただけで、本当に何も知らなかったのだからお咎めなし。
「お前があの女から信用されていれば阻止できたものを」
「無茶を言わないでください。母上の命令に全て従っていたら私まで頭の悪い王子の汚名を着せられるではないですか。当たり障りのないことにしか従いませんよ」
ララと王太子宮殿まで見舞いに行ったドナは特に疑われたが、見舞いを装い宮殿や勇者の様子を見てくることと、あわよくば親しくなるよう王妃から命じられて従っただけで計画については本当に何も聞かされておらず、命じられた内容を正直に話すことで疑いは晴れた。
しかもその命令も勇者を拐う準備時間を稼ぐため。
ララの証言曰く王妃は最初からララやドナが勇者と接触できるものとは思っておらず、見舞いに来た二人へ警備の目を向けることが真の目的だったとのこと。
「単純な母上が思い浮かぶ方法とは思えないのですが」
「頭の切れる何者かが協力したことは間違いない。マクシムの情報を得ることも王太子宮殿に侵入し誘拐することも並大抵のことではない。その者が居たから成功したのだろう」
王太子宮殿の使用人は役職問わず手練の者ばかり。
つまり王太子宮殿は使用人全てが警備騎士のようなもの。
目を光らせている使用人たちの目をかいくぐるのは至難の業にも関わらず、それを成し遂げた者はまだ見つかっていない。
「まあそちらの調査はお任せして早く行きましょう。向こうからお会いする機会をわざわざ与えてくださるなんて、こんなに幸運なことはありません。一秒でも早くお会いしたい」
ドナには協力者が誰かなどどうでもいいこと。
研究材料は無事に戻ったのだから。
飛び跳ねるような足取りのドナにセルジュは溜息をついた。
・
・
・
「勇者さま、お寒くありませんか?」
『大丈夫。ありがとう』
王城に近い巨大ガゼボ。
何人もの女中がついて外にも数名の警備騎士がつくそこで、体を気遣い声をかけるダフネに春雪はスケッチブックに書いた返事を見せてペコっと頭を下げる。
なんと美しく気高い勇者さま。
病床に伏しお身体の弱っていたところを狙われ、その度重なる心労で声を失いお痩せになってしまったというのに、背を正し座っているその存在感は失われていない。
精霊王に愛されし勇者。
恥辱の悪妃も彼の輝きを奪うことは出来なかった。
誰にも彼の輝きを奪うことはできない。
ダフネ以外の者はみな王城に仕える者たちで、勇者の姿を傍でゆっくりと見るのは初めて。
男性でありながら女性のようにも見える中性的な容姿をした春雪に女中たちは見ていないフリをしながらも夢中。
地上の救世主でもあり美しい人物でもあるとなれば仕方ない。
そんな女中たちの評価など露知らず、春雪はただ手持ち無沙汰でボーッとしているだけ。
痩せたのも熱で寝込んで食事が出来なかったのとホルモンの影響で、心に傷を負って食欲がなくなった訳ではなかった。
気高いもなにもない。
春雪は春雪らしくマイペースで生きているだけ。
それなのに周りからの評価があがっただけ。
「セルジュ殿下とドナ殿下が参られました」
ガゼボの外で警備をしている騎士の声で春雪は椅子から立ち上がると入口に目をやる。
晩餐の時よりラフな衣装。
けれどさすが王族。
品がいい。
「お待たせして申し訳ございません、勇者さま」
セルジュがまずは待たせた詫びを口にし、ドナもニコリと微笑んで綺麗なボウアンドスクレープで挨拶をする。
春雪もそれに対しボウアンドスクレープで返すとテーブルに置いていたスケッチブックを見せる。
『セルジュ殿下とドナ殿下にご挨拶申し上げます。声が出ないため筆談でのご挨拶となるご無礼をお許しください』
それに目を通すセルジュとドナ。
「父上から伺っております。この度は私とドナの母でもある第二妃が大変ご迷惑をおかけしました。声をなくしたのも母の愚行が原因。どうお詫びすればよいか言葉もありません」
深く頭を下げる王子に驚き大きく手を横に振る春雪。
『お二人は悪くありません』
急いで書いて頭を下げているセルジュとドナの肩をポンポンと叩いて顔をあげた二人に見せる。
『陛下に本日の席を設けていただいたのは直接お礼を伝えるためです。お二人が救出してくださらなければどうなっていたことか。心より感謝申し上げます』
先に書いてあったそれも続けて見せて深く頭を下げる。
警戒心が強くなかなか人を信用しない春雪ではあるが、して貰ったことに感謝できないほど無礼な性格はしていない。
屋敷へ来た理由はなんであっても助けてくれたことには本心から感謝していた。
「そう言っていただけると」
「温かいお心遣い感謝申し上げます」
見目麗しい王子二人と勇者。
三人のやりとりを見る女中たちは表情には出さず、なんと尊い光景なのかと内心思う。
「立ち話もなんですので座りませんか?」
「ああ。そうしよう」
「勇者さま、よろしければ少しお付き合いください」
勇者の椅子を引きニコリと笑うドナに女中は驚く。
王子がそのように従者のようなことを。
ニコリと品よく微笑み返し座る勇者もなんと愛らしいことか。
まるで逢瀬をする恋人同士のよう。
「このような薄いストールではお風邪を召されます。どうぞこちらをお使いください」
自分に用意されていたストールを勇者の肩にかけたセルジュ。
冷酷と言われるセルジュ王子まで気遣いをと、ますます女中たちは驚く。
「侍女長。少し温度をあげるように。ぶり返してしまう」
「し、承知しました」
この勇者、魔性。
見た目が中性を極めていて見る者によっては女性にも見える春雪が相手だけに、女中たちも恋人同士の逢瀬を見ているような錯覚を起こしてしまっていた。
ドナは親しくなって研究に協力して貰いたくて。
セルジュは母と違い害をなす者ではないというアピール。
春雪は人前で王子を演じるのも大変だなという同情心。
交錯する三者三様の思い。
そこに女中が思うような甘ったるい感情はない。
運ばれてきたのは沢山の種類の菓子と最高級の紅茶と珈琲。
甘いものが苦手なセルジュは珈琲、ドナと春雪は紅茶を選び、品のよい仕草でそれぞれがカップを口へ運ぶ。
「勇者さま、どのお菓子を召し上がりますか?」
ダフネから問われて迷う春雪。
美しく飾られた菓子を見て迷っている春雪を見てドナはくすりと笑う。
「甘いものが苦手でなければこちらのケーキがおすすめです。フルーツをふんだんに使用したケーキで美味しいですよ」
ドナにすすめられた春雪はコクリと頷いてダフネを見る。
この茶会で仕える女中は厳選した者だけであることと、口にする物は全て鑑定を行ってから出すことを先にミシェルから聞かされていた春雪は安心しておすすめのケーキを選んだ。
なんと華やかな光景なのか……と女中たちは見惚れる。
本人たちはただ茶を飲み菓子を食べているだけなのだが、見目麗しい者が三人も揃えば必然的に目を惹かれるもの。
しかも王家の王子と勇者という高貴な三人。
その光景にありもしない花が見えるようだった。
一方、注目を浴びる当人たちはと言うと。
思った以上に勇者とできる話題がない。
珈琲カップを口にしながらそう思うセルジュ。
何せ相手は深く知ることを許されない勇者。
本人から話すのならばいいがこちらから個人的なことを聞く訳にもいかず、かと言って下手な話題をふればあの女のことを思い出させて気分を害させてしまうかも知れない。
このような場に適任なのは善い人のフリの得意なドナだが、よほど勇者がお気に入りのようで、ケーキを食べている姿を満足そうな笑みで眺めているだけで役に立たない。
困った。
そんなセルジュをよそに春雪を眺め思いを馳せるのはドナ。
ああ、なんて可愛いのか。
くっきりした二重に長いまつ毛に大きな目。
形のよいふっくらした唇や小ぶりな耳。
簡単に折れてしまいそうな首や手首。
血管のよく見えるキメの細かい艶やかな白い肌。
乳房の有無では男性だったが男性には見えない。
いや、女性のようで男性にも見える。
ああ、調べてみたい。
体も血も骨格も調べなくては満足できない。
隅々まで調べて真実を知りたい。
そのためにも健康で居て貰わないと。
肉づきがよくなるようもっと召し上がれ。
ああ、可愛い。
ニコニコしながら眺めているドナの視線に気付いていながら、気付いていないフリでケーキにだけ目を向ける春雪。
なにが楽しいんだ。
最初は自分がすすめたケーキが口に合うか表情で確認しているのかと思ったけれど、さすがにずっと見ているのはおかしい。
しかも楽しそうにニコニコしながら。
作り笑いではないようだし悪意がある訳でもなさそうだけど、妙に寒気がするのは気のせいだろうか。
目を合わせないでおこう。
話題になりそうなことを探し春雪をジッと見るセルジュ。
どこから調べようかと思いを馳せ春雪をジッと見るドナ。
嫌な予感という第六感で寒気がしてケーキをジッと見る春雪。
そんな事実を他所に無言の三人を微笑ましく見る女中たち。
このような場で会話しないなど幼少から識見や礼儀作法を身につけるための帝王学を学んだ王子であれば有り得ないこと。
けれど王子とて人の子。
珍しく緊張なさっているのか、静かに愛でていたいのか、好きな人を前にすればつい素に戻ってしまうのも仕方がない。
ケーキやお菓子に夢中でお二人の熱視線に気付いていない少し鈍い勇者さまもまた愛らしい。
私たちは何も見ておりませんのでごゆっくり。
女中たちからすっかり勘違いされていることに三人は気付かないまま、ただ時間だけが流れた。
「勇者さま。よろしければ少し三人で庭園を歩きませんか?」
茶会は茶と会話を楽しむものに関わらず全く会話のないまま散会したとあっては場を設けてくれた父上に顔向けできない。
変なところで王子らしいセルジュは庭園の散歩を申し出る。
少し考えこくりと頷いた春雪。
大事をとりまだイヴから外出を止められ一日の殆どをベッドで過ごしている春雪にとって、軽い運動にもなる散歩をすることは悪い提案ではなかった。
「では勇者さま、参りましょう」
先に立ち上がって春雪に手を差し出すドナ。
この世界流の礼儀作法はまだ学び途中の春雪は『この世界では同性にも手を貸すのか』と思いつつドナの手に指先を置く。
当然そんなマナーはない。
様々な思惑があって甲斐甲斐しい二人に春雪はされるがまま。
王子が行うことに間違いはないだろうとの考えで。
まさか自分が女性相手のように扱われているとは露知らず。
外套を着てからガゼボを出た三人。
三人と言っても実際には後方に護衛騎士が数名ついているが、防音魔法をかけているため声までは聞こえない。
久しぶりの外出。
体調を崩した上に催淫香の影響で療養が長引いてまともな外出が久々の春雪は、のんびり歩きながら木や花を眺める。
「花がお好きなのですか?」
春雪が首を傾げるとドナは「夢中で見てるので」と付け足す。
『私の居た星では木や花は珍しいものだったので』
立ち止まりスケッチブックに書いて答える春雪。
環境汚染がすすんだ星では植物もまともに育たない。
絶滅の危機に瀕した植物を保護する目的の植物ドームはあったが春雪は行ったことがなく、ナノやPCで観たことしかない。
自然豊かなこの世界の人にとってはなんら珍しいものではなくとも春雪にとっては珍しいもの。
花が好きという訳ではないが、王太子宮殿の庭園とはまた違う種類の珍しいものに興味を惹かれるのも当然だった。
「木や花が少ないと言うことですか?」
ドナにこくりと頷く春雪。
「異界とこの世界の植物や生物の違いに興味はありましたが、そもそも植物が少ないとは考えが及びませんでした」
『この世界は自然豊かです。だから空気も綺麗なんでしょう。天然の森を見たのもこの前が初めてだったので、ゆっくり森林浴を楽しみたかったと今は少し残念に思います』
皮肉にも誘拐され王都の外に出たから知ったこと。
誘拐された屋敷の周囲は森に囲まれていた。
命の危機の去った今だからこそ思えることではあるが、もっと別の機会にゆっくり見たかったと思う。
「勇者さまはまだ王都から出たことがなかったのですね。森であれば王都のすぐ傍にもありますから」
『惜しいことをしました。あの日起きていれば見られたのに』
「あの日は転移の術式を使ったので森は通りませんでした」
『そうなのですか?』
屋敷からは王城の庭園に繋げてあった術式を使って戻って来たため、仮に起きていたにしても王都周辺は見られなかった。
残念な表情をする春雪にドナとセルジュは顔を見合わせる。
「父上に話してみましょうか」
「話す?」
「王都森林へ勇者さまをお連れする許可を」
「無理だろう。そのような危険なことを認めるはずがない」
「一般国民であれば子供でも親と行くような森ですよ?」
「彼は勇者だ。魔物にさえ気を付ければよい国民とは違う」
言い合う二人をキョロキョロ見る春雪。
王都の外に出られるのは願ってもないことだけど、セルジュが言うことも理解できる。
『お気遣いありがとうございます。ドナ殿下のお気持ちは嬉しいのですが、勇者は宿舎から出ることを禁じられておりますのでセルジュ殿下の仰る通り認めて貰えないと思います』
勇者の生活は窮屈で不自由。
起きてから眠るまでの予定は全て決められているし、常に護衛が付いているし、宿舎の外へ自由に出かけることもできない。
ただその不自由は勇者が守られている証拠。
身を守ることもできない自分に不満を言う資格はない。
幼い頃の自分を見ているようだ。
セルジュとドナは偶然にも同じことを思う。
王家に生まれ育った者は籠の中の鳥。
幼い頃は危ないからと行動を制限され、仕方なしに宮殿内で遊んでいれば王子なのだからと咎められる。
大人になっても求められるのは王子に相応しい教養や品。
民のために生き、民のために死ぬのが王家の者の務め。
だからこそ王家の者は民の税で裕福な暮らしができる。
二人も例外ではなく、母変わりに子育てをする乳母や訓練校に入るまでついていた家庭教師からもそう言われて育った。
自分でも納得できたのはある程度の歳になって。
いや、納得したのではなく王家に生まれてしまった者の定めと諦めただけとも言える。
王家の子供は生まれた場所を悔やみ、民より優れた知識や教養を強いられることで感情を殺すことを学び、性格は歪んで表情を隠すことが上手くなる。
そのような環境で育った者が純粋無垢に育つはずはない。
国王であるミシェルも含めみな腹に何かを抱えて表裏の顔を使い分けている。
国民から見れば華やかな王家。
実際には国と国民のために生きることを課された籠の中の鳥。
そして勇者もまた、精霊族を救う者として籠の中で大事に大事に育てられる鳥。
「……相談してみます」
そう口を開いたのはセルジュ。
「ただ、あまり期待はしないでください。期待させてやはりとなるのは本意ではないので」
無理だろうと内心では思っている。
けれど諦める前の自分と勇者が重なり、父上に言ってみるくらいなら……という気持ちがうまれた。
『ありがとうございます。セルジュ殿下』
笑みを浮かべてスケッチブックに書いたそれを見せた春雪。
きっと無理だろうことは春雪にもわかっているけれど、それでも提案してくれようとするその気持ちは嬉しかった。
ずいぶんと愛らしい。
春雪の控えめな笑みにセルジュはそう思う。
あの女やドナが興味を惹かれるのも分からなくはない。
しょせん私も血は争えないと言うことか。
ドナに言った言葉が自分にも突き刺さりセルジュは苦笑した。
・
・
・
「兄さんが折れるとは思いませんでした」
「なんの話だ」
庭園の散歩をしたのは三十分ほど。
病み上がりの勇者に配慮して早目に切り上げた。
「勇者さまをお連れする許可を父上に貰うのですよね?」
「その話か」
普段のセルジュならば無理だと一蹴して終わり。
それなのに今回は相談してみると言ったことがドナには天変地異レベルの驚きだった。
「訓練が進めば実践で王都の外にも出るだろうが、あくまでそれはこちらの予定でその前に開戦することも有り得る。いざ開戦すれば勇者の彼が生きて帰る保証もない。我々より残された時間が少ないかも知れない彼には一分一秒も惜しいだろう」
訓練が進めば。
それは魔族側から仕掛けて来なかった場合の話で、実際にはいまこの瞬間に開戦してもおかしくない。
そしてその誤算は覚醒前の勇者や勇者一行が命を落とすことを意味する。
「見たがっているならばいつかではなく一分一秒でも早く見せてやるべきなのではないかと思っただけだ」
勇者の安全を第一に考えれば正気の沙汰ではない。
許可されないだろうことも分かっている。
けれど興味津々に庭園の植物を見ていた勇者の姿は晩餐の時よりも活き活きしているように見えた。
「勇者を守ることは召喚したこの国や精霊族の務めとは言え、本人がしたいことをさせないことは果たして勇者のためと言えるのだろうか。魔王を倒せる者が彼しかいないから死なせたくないだけのこちらの都合ではないだろうか」
そこにあるのは手前勝手な都合。
籠に閉じ込め大事に大事に育て戦地へ送り出す。
それだけ大事に育てておきながら『さあ死んで来い』と死地へ向かわせるのだから酷い話だ。
「兄さんも勇者に惹かれていると言うことは分かりました」
兄さんが誰かに興味を持って罪悪感を抱くとは。
ますます欲求が抑えきれなくなりそうだ。
「勇者とだけでも精霊族にとって特別な存在だと言うのにあの不思議な魅力。歴代の女性勇者や一行は身を守る術として人に愛される能力を神から与えられていると文献に書かれておりますが、実は男性勇者にも与えられていたのでしょうか」
男性勇者より力の弱い女性勇者への神の慈悲。
不思議と女性勇者は愛され可愛がられる。
今代の女性勇者である聖女も愛嬌のある可愛らしい方だと晩餐の日に感じ、文献に書かれていたことは事実だとわかった。
「異界人はみな得体の知れない存在感があることは間違いないが、勇者のあれは聖女とも他の男性勇者とも違う。お前は勇者四人を研究したいのか?それとも彼を研究したいのか?」
「他の勇者さまは特になにも。謎が多いのは彼一人ですから」
研究したいと切実に思ったのは一人だけ。
男性にも女性にも思える勇者の真実が知りたい。
性別だけでなく表情から感情を読むことも難しく、言葉や声の抑揚から本心かどうかを知ることも難しい。
何もかもはっきりしないからこそ探究心を擽られる。
「彼は本心から人を信用していない。私たちに警戒するならわかるが、毎日傍に仕えているはずの者にすら距離があった。召喚した世界の者だから信用できないのではなく、異界でもそうしていたから癖になっているのではないかと思う」
あれは召喚されてから身についた警戒心ではない。
言うなればあれが彼の素の状態。
警戒心を持つことが彼にとっては日常のことだったのではないかと、今日の茶会での様子を見ていて感じた。
「異界でどのような生活をしていたのでしょうね」
「それは本人にしか分からないが、常に警戒心が必要な状況に置かれていたのだろう」
何故そうせざるを得ない状況に置かれていたのかは分からないが、あの警戒心の強さは国王の父上に等しいものがある。
彼もまた敵が多かったのだろう。
「そのようなことを聞いてはますます知りたくなるではないですか。体だけでなく考えや感情もくまなく全て。警戒心の緩んだ勇者さまの姿も見てみたい。警戒心をなくし誰かに甘える勇者さまもきっと愛らしく美しいのでしょうね」
あの勇者も不運なことだ。
異界では何かから身を守り、この世界でも狂人から身を守らなくてはならないとは。
「勇者さまは壊さないでくださいね?」
「その言葉、お前に返そう」
「私は愛でるだけですよ」
「お前の愛でるは普通ではない」
今までは自制心で抑え問題は起こしていないが、あの勇者相手でも果たして抑えがきくのか。
返り血の狂人と呼ばれた処刑人が唯一愛した女性を護るためおかした、ただ一度の過ちで出来たドナが。
万が一の時は私が止めるしかないのだろう。
半分であろうと血の繋がった兄として。
ドナの暴走を止めてやれるのは同じ鳥籠の中で気の狂うような時間を共に過ごした私だけなのだから。
「早く宮殿へ戻って父上に取り次いで貰わなくては」
「ああ」
緋色宮殿に残ったのは私とドナの二人。
これからも私たち兄弟はあの鳥籠で互いを羨み憎みながら生きてゆく。
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病室で短い生涯を終えた僕、ガクの切実な願いは、神様のちょっとした(?)サービスで、とんでもなく盛大な形で叶えられた。
気がつけば、そこは剣と魔法が息づく異世界。貴族の三男として、念願の健康な体と、ついでに規格外の魔力を手に入れていた!
これでようやく、平和で自堕落なスローライフが送れる――はずだった。
だが、僕には一つ、致命的な欠点があった。それは、この世界の魔法に関する常識が、綺麗さっぱりゼロだったこと。
皆が必死に唱える「詠唱」を、僕は「気合を入れるためのおまじない」だと勘違い。僕の魔法理論は、いつだって「体内のエネルギーを、ぐわーっと集めて、どーん!」。
その結果、
うっかり放った火の玉で、屋敷の壁に風穴を開けてしまう。
慌てて土魔法で修復すれば、なぜか元の壁より遥かに豪華絢爛な『匠の壁』が爆誕し、屋敷の新たな観光名所に。
「友達が欲しいな」と軽い気持ちで召喚魔法を使えば、天変地異の末に伝説の魔獣フェンリル(ただし、手のひらサイズの超絶可愛い子犬)を呼び出してしまう始末。
僕はただ、健康な体でのんびり暮らしたいだけなのに!
行く先々で無自覚に「やりすぎ」てしまい、気づけば周囲からは「無詠唱の暴君」「歩く災害」など、実に不名誉なあだ名で呼ばれるようになっていた……。
そんな僕が、ついに魔法学園へ入学!
当然のように入学試験では的を“消滅”させて試験官を絶句させ、「関わってはいけないヤバい奴」として輝かしい孤立生活をスタート!
しかし、そんな規格外な僕に興味を持つ、二人の変わり者が現れた。
魔法の真理を探求する理論オタクの「レオ」と、強者との戦いを求める猪突猛進な武闘派女子の「アンナ」。
この二人との出会いが、モノクロだった僕の世界を、一気に鮮やかな色に変えていく――!
勘違いと無自覚チートで、知らず知らずのうちに世界を震撼させる!
腹筋崩壊のドタバタコメディを軸に、個性的な仲間たちとの友情、そして、世界の謎に迫る大冒険が、今、始まる!
バーンズ伯爵家の内政改革 ~10歳で目覚めた長男、前世知識で領地を最適化します
namisan
ファンタジー
バーンズ伯爵家の長男マイルズは、完璧な容姿と神童と噂される知性を持っていた。だが彼には、誰にも言えない秘密があった。――前世が日本の「医師」だったという記憶だ。
マイルズが10歳となった「洗礼式」の日。
その儀式の最中、領地で謎の疫病が発生したとの凶報が届く。
「呪いだ」「悪霊の仕業だ」と混乱する大人たち。
しかしマイルズだけは、元医師の知識から即座に「病」の正体と、放置すれば領地を崩壊させる「災害」であることを看破していた。
「父上、お待ちください。それは呪いではありませぬ。……対処法がわかります」
公衆衛生の確立を皮切りに、マイルズは領地に潜む様々な「病巣」――非効率な農業、停滞する経済、旧態依然としたインフラ――に気づいていく。
前世の知識を総動員し、10歳の少年が領地を豊かに変えていく。
これは、一人の転生貴族が挑む、本格・異世界領地改革(内政)ファンタジー。
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