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第零章 先代編(後編)
決断
しおりを挟むドナの訃音がミシェルに届いたのは翌日。
酷い怪我を負いながら伝達役として戦の最中に術式で転移した魔導師も辿り着いた街で殉職したとのこと。
瀕死の魔導師から伝達を受けた領主からの一報で術式を使い鉱山に近い街へと訪れたミシェルとイヴと軍人たち。
伝達にあった場所が分かる案内人を連れ鉱山に登ったミシェルたちが見たのは広大な敷地に広がる夥しい血と沢山の遺骸。
そして三匹のフードゥルの死骸。
その噎せ返るような血の香りと悲惨な状況に、遺骸の収容に付き添った軍人たちも言葉を失った。
「陛下」
ミシェルが見下ろしているその足元にはドナの遺骸。
フードゥル三匹との戦いの壮絶さを物語るように身体の一部を失っていた。
「命をかけ勇敢に戦った者たちだ。丁寧に収容を」
「はっ」
イヴや軍人たちに指示を出したミシェルは地面に膝をつく。
「ドナ。最期までよく戦った」
血塗れの身体にリフレッシュをかけたミシェルは既に冷たくなっているドナの頬をそっと撫でる。
大切な愛児の死。
例え自分の子ではなくともミシェルにとっては他の子供たちと等しく大切な我が子の一人だった。
遺骸にリフレッシュをかけ収容していく軍人たちは無言。
国のため民のため命を捧げる覚悟のある軍人であっても顔見知りや友人の最期を見るのは辛い。
自分たちでも苦しいというのに愛児の悲惨な最期を見た陛下の痛みはいかばかりか。
我が子の遺骸を自ら抱き上げ収容するミシェル。
涙を見せることもなくただ淡々と収容して両手を組み祈りを捧げた。
・
・
・
春雪たち勇者が訃音を聞いたのはまたその翌日。
全ての遺骸を収容して術式を使い王都へ連れ帰った後のこと。
王位継承権を持つ王子のドナは個別葬となるため棺に入れられ王城の地下で眠っていた。
「春雪」
静かな地下室でドナの棺に寄り添っている春雪。
訃音を聞かされてからずっとここに居るとイヴから聞きミシェルも足を運んだ。
ミシェルをチラリと見た春雪は再び棺に寄り添い瞼を閉じる。
泣くでもなく悲しみを現すでもなくただただ寄り添って瞼を閉じているだけのその姿が泣き叫ぶよりもよほど痛々しい。
「これを」
ミシェルが胸元から出したのは記録石。
瞼を閉じている春雪の手をとり手のひらの上に置く。
「ドナの最期の伝言だ」
それを聞いて春雪はぱちりと瞼をあげる。
遺骸と一緒に野営地から回収するまでの状況を記録し続けていた記録石の方は見せられたものではないが、それとは別に伝達役として術式を使い逃がした魔導師へ必ず国王へ渡すようにとドナが託したというこれは春雪への伝言でもある。
「見るも見ないも春雪が決めろ」
これは正真正銘『最期の』伝言。
生きて帰れないことを悟って遺したもの。
ドナの最期の姿を見るも見ないも春雪が決めること。
「…………」
ジッとミシェルを見る春雪。
ミシェルも目を逸らすなく黙って返事を待っていると、春雪は手のひらの中の記録石を見る。
「見る」
ただ一言そう答えると記録石に魔力を流した。
『父上』
記録石から映し出されたドナの姿と声。
その血塗れのドナの姿に春雪はびくりと身体を震わせる。
ドナの瞳の色は金色。
尤も開いているのは右眼だけで、左側は顔に酷い傷を負っていて瞼は開いていない。
『今から私の最期になる魔法を使いフードゥルを倒します。その前に一つだけ、私から父上にお願いがございます』
ドナの声に重なる魔物の鳴き声。
時々映る血塗れの地面とその鳴き声で如何に壮絶な戦いだったのかを窺い知ることができる。
『民にこれ以上の犠牲者を出さないよう、王家の者としてこの命をかけることに後悔はございません。ですが気がかりなことが一つ。春雪さまのことです』
記録石から映し出されるドナをジッと見る春雪。
身動き一つとらずただただジッと瞼に焼き付けるかのように。
『勝手な願いではありますが、私が亡きあと春雪さまのことをお願いします。父上であれば必ず春雪さまを大切にしてくださると信じています。私の愛した人をどうかお願いします』
真剣な顔で春雪のことを頼むドナ。
ミシェルは伝達役から預かったと領主から渡されたあと既に見たが、その言葉でミシェルが春雪に好意を持っていることに気付いていたのだと分かって胸を締め付けられる思いだった。
『生きて帰ることのできない親不孝をお許しください。父上の子として生きられたことを幸せに思います。十七年間分け隔てなく大切にしてくださってありがとうございました』
自分の子ではないと知りながら他の兄妹と分け隔てなく育ててくれたことに感謝を伝えたドナは笑みを浮かべる。
『最期に春雪さま。約束を守れなかった私を怒るでしょうか』
そんなことを話すドナに春雪は首を横に振る。
『どうか天地戦に勝ってください。誰のためでもない、春雪さまが生きるために。春雪さまが繋いだ未来をこの目で見られないことは残念ですが、私は貴方に出会えて幸せでした』
春雪の目からポロポロ落ちた涙。
ドナの訃音を聞いて抜け殻のようになっていた春雪が初めて涙を見せた。
『春雪さま、心よりお慕いしております。誰よりも愛しています。どうぞお元気で』
ふわりとドナが笑ったそこで記録石の映像は途切れた。
「ドナ殿下」
記録石を握りしめ泣く春雪をミシェルは腕におさめる。
ドナと春雪がどれほど互いを思いあっていたか、最期の願いが春雪のことだったドナと号泣する春雪の姿だけで十分すぎるほどに伝わった。
ミシェルの膝で眠っている春雪。
延々と泣き続けて眠ってしまった春雪の涙に濡れた瞼を拭ったミシェルは赤くなっているその目許に回復をかける。
「ドナ」
棺に手を置き名前を呼ぶミシェル。
「一匹でも甚大な被害を齎すフードゥルを三匹も相手にして討伐を成し遂げるとは素晴らしい功績を遺してくれた。ドナはもちろん共に戦った従者や軍人たちの決死の行動のお蔭で多くの領民はフードゥルに怯えず暮らすことができる。身命を賭して偉業を成し遂げたことを誇りに思う」
一度人を襲うことを覚えた魔物は次々と人を襲うようになる。
既に鉱山街を壊滅させた経験のあるフードゥルをドナたちが倒さなければ再び山を降りて人里を襲っただろう。
「ただ……」
混乱期に入り次々と命が奪われていく。
被害を受けた領民、討伐に出た軍人、冒険者も。
それでも民に不安を与えないよう人前では涙一つ見せず国王として振舞っているが、ミシェルも心が痛まない訳ではない。
「生きて帰って欲しかった。国のためでも民のためでもなく、自分のために逃げてでも生きて帰って欲しかった」
国王であってもヒト。
十七年間という年月、父として他の兄妹と同じく愛し見守ってきた我が子が亡くなって悲しくないはずもない。
偉業を成し遂げるよりも生きて帰って欲しかった。
それが父としてのミシェルの本音。
「シエル」
棺を眺めていたミシェルはハッとして涙を拭う。
「すまない。起こしてしまっ」
「ごめん」
ミシェルの言葉にかぶせて謝った春雪。
「シエルの気持ちも考えずに泣いてごめん」
「私のことは良い。それよりも」
「逃げてでも生きて帰って欲しかったってあれがシエルの本音だろ?国王としてじゃなくてドナ殿下の父親としての本音」
むくりと身体を起こした春雪はまだ少し濡れているミシェルの頬に手のひらを添える。
「……とんでもないことを聞かれてしまったな。民にも軍人にも犠牲者が出ているというのに、我が子には逃げてでも生きて帰って欲しかったなどとは国王が言っていい言葉ではない」
「うん。でも今は俺しか居ないから」
たしかに国王としては許されないのかも知れない。
国のため民のために存在する王家の者としては、犠牲者を増やさないよう逃げずに戦ったドナが正しいのだろう。
「俺しか居ないから国王じゃなくて大丈夫。俺の前では気丈に振る舞ってくれなくて良いから。自分だけが辛い訳じゃないのにシエルの気持ちも考えずに甘えて泣いてごめん」
涙一つ見せず冷静なシエルの胸を借りて泣いてしまった。
こんな時だからこそ国王でいなければいけないと本音を隠して無理をしているだけなのに、自分が好きな人を失った辛さしか考えられず延々と泣き続けてしまったことが情けない。
「大切な人を失った辛さはシエルも俺も同じだった」
眉を顰め静かに涙を落としたミシェルを今度は春雪が腕におさめて共に涙を零す。
大切な我が子を亡くしたミシェル。
大切な恋人を亡くした春雪。
どちらがより辛いかではない。
どちらも辛く悲しいのは同じ。
同じ辛さや悲しさを抱えた二人。
今この時は恋でも愛でも情でもなく同じ痛みを抱えた者同士で互いの傷付いた心を慰めあっているだけ。
本音を隠すことなく表に出して泣ける唯一の場所が互いの腕の中だったと言うだけのこと。
・
・
・
ドナの国葬が行われたのは五日後。
殉職した軍人の合同葬が行われた翌日。
誰の涙なのか、その日はどしゃ降りの雨だった。
「……春雪さん」
黒の喪服を着てドナの墓石に献花する春雪を見る美雨。
ドナの訃音を聞いた後から抜け殻になったかのように表情を変えなくなった春雪が痛々しくて泣く美雨の頭を柊が撫でる。
勇者や一行に続き、公爵家、国仕え、軍の上官と次々に献花をする間も、春雪はただまっすぐにドナの墓石を見ていた。
全てが終わったのは数時間後。
勇者と勇者一行は献花を終えた時点で宿舎に戻っていいことになっていたが、最後まで式に立ち会った。
「春雪殿。宿舎に戻ろう」
傘をさしてぼんやり墓石を見ている春雪に時政が声をかける。
「先に戻ってて」
「春雪さんは?」
「もう少しだけここに居る」
既にドナの火葬は済んで土の中。
一人残して宿舎に戻るのは心配な気持ちもあったけれど、今日まで毎日ドナの棺の傍に居続けた春雪の気持ちを思えば別れの時間も必要だろうと三人は了承した。
テントの中に展開してある術式を使い三人が帰ったあと、次々と帰って行く人を尻目に春雪はドナの墓石の前に立ったまま何をするでもなく、ただただその名前を眺める。
「春雪さま」
「お帰りなさい、で良いのでしょうか」
「いえ、この後またすぐに術式で戻ります」
「そうですか」
声をかけてきたのはセルジュ。
目的の魔物を討伐した報告をするため近くの街に戻って初めてドナの訃音を知り国葬に参加するため一度戻ってきただけで、このあとまたすぐに行かなくてはならない。
「私との約束を破るとは……仕様のない奴だ」
負の存在でしかない母から解放され恋焦がれた人と気持ちが通じあったというのに、未来を見届けることもなく逝くとは。
「約束?」
「剣を譲ると」
聞いた春雪にセルジュは墓石を見ながら答える。
「今回の遠征は私の方が危険なはずだったのです。それで出立の前日に私が討伐に失敗した際の宮殿の管理について話したのですが、無事に凱旋したら私がずっと欲しがっていたこの世界に一本しかない剣を譲ると言い出して。無事に帰れるものならと可愛げのない物言いでしたが、魔物の数の多い私の方が危険だと知ってドナなりに心配してくれたのでしょうね」
物言いは可愛げがなくともあれは『だから帰って来い』というドナの気持ちの表れだった。
「ドナの討伐対象のフードゥルもSランクで危険な魔物には違いないのですが、春雪さまのお力で大魔導師に覚醒したドナと熟練の軍人であれば討伐できる範囲でした」
被害報告の内容で飛行種のフードゥルだと予想した上で、大魔導師のドナと軍の魔導師を多めに連れて行くことで戦力は充分足りるはずだった。
「ただ、想定外だったのは一匹ではなく三匹だったこと。今のドナの能力や連れ立った軍人の能力を考えれば二匹までならまだ半数の者は生還できたでしょう。父上はいつも多めの戦力で計算して私たちを送り出しますので」
だからドナは無事に生還するはずだった。
むしろ報告の時点で魔物の数が多かった私の方が危険な遠征に出ていたはずで、想定外のことさえ起きなければここに立っているのはドナの方だったかも知れない。
「民の血税に生かされている私たちは国や民のために命をかける覚悟をしておりました。覚悟はしていたのですが……それが自分ではなく弟となると割り切れないものですね」
墓石を見ながら苦笑するセルジュに胸が痛む春雪。
何かと突っかかり合う兄弟ではあったけれど、互いを大切にしていることは二人と親しくしていた春雪だから知っている。
「私とも約束してください」
「春雪さまと?」
「必ず生きて帰って来ると。セルジュ殿下に生きて帰って来て欲しいと願ったドナ殿下のために。大切な我が子を危険な討伐に送り出さなくてはならない苦しみを抱えた陛下のために。もう大切な人を見送りたくない私のために」
そんな春雪の言葉にセルジュはくすりと笑う。
「弟の他に国王陛下と勇者の名を入れられたのでは、何としてでも守らなければならない約束ではないですか」
「はい。必ず守ってください」
一国の主と精霊族の宝の勇者。
たった一人の血の繋がった弟のためとだけでも責任重大なのに関わらず、国王や勇者をそこに加えられては何としてでも生きて帰り約束を果たさねばならない。
「承知いたしました。必ずや生きて帰りましょう」
春雪の方を向いたセルジュは胸に手をあて頭を下げた。
軍人を残して帰還したらしくすぐに戻らなくてはならないセルジュが宮殿に帰ったあと、また春雪は墓石を眺める。
そして参列者を見送った王子や王女も雨が降りしきる中立ち尽くしている春雪にかける言葉が見つからず後ろ姿を眺める。
春雪とドナが恋仲になっていたことは誰も知らない。
けれどセルジュとドナと春雪が親しくしていたことは知っているだけに、どう声をかけていいのか分からなかった。
「私が声をかけよう。お前たちは先に戻っていろ」
「父上……分かりました」
珍しく疲れて見えるミシェルの顔を見た子供たちは、それ以上のことは言わず術式で王城へと戻った。
「春雪」
「国王陛下」
「もうみな帰らせた。私と春雪しか居ない」
後ろから声をかけられ振り返った春雪は、周りを見て初めて誰も居なくなっていたことに気付いた。
「酷い雨だ」
「うん」
雨に降られる墓石を見上げる二人。
墓石を飾った花もどしゃ降りの雨に打たれている。
「今この時にも戦ってる人が居るんだよね」
「ああ。貴族にも軍人にも冒険者にも討伐に出ている者は少なくない。それで葬儀に参列できなかった貴族も居る」
「そっか。だから二妃の時と違って一日で終わったんだ」
「このような時でなければ王位継承権を持つ者の方が時間をかけ丁寧に見送られるのだがな」
王位継承権を持つドナの葬儀は本来なら数日間かけて行う。
けれど今は混乱期の真っ只中。
葬儀も火葬も献花もたった一日で行われた。
「みんな悲しむ暇もない。セルジュ殿下も仲が良かった弟を亡くして辛いはずなのにまた戦場に戻って行った。シエルも子供を亡くしたのに国王の勤めに追われてる」
それが混乱期。
人の死を悲しむ時間さえ与えられない。
「……宿舎に帰る」
「春雪」
墓石を見ながら言って突然宿舎に戻ると踵を返した春雪の腕を掴んだミシェル。
「大丈夫。別れは済ませた」
まっすぐにミシェルの目を見た春雪。
その力強い目と言葉を聞きミシェルはゆっくり手を離した。
・
・
・
その日の夜のこと。
「……今、なんと?」
葬儀を終えたあとも被害報告に目を通していたミシェルは、執務室に来たイヴから話を聞いてスクロールから顔をあげる。
「時政さまは聖騎士に、柊さまは大賢者に、美雨さまは大聖女に、そして春雪さまは戦勇者という職に覚醒なさいました」
一度報告したことを繰り返すイヴ。
「なぜ突然」
「天門を開き打って出るそうです」
「……なに?」
天門とは勇者だけが開くことの出来る魔界への道。
つまりこちらから魔界へ行き天地戦を仕掛けるということ。
「献花式を終えて四人で集まり話し合った上で打って出ることを決断したところ、春雪さまのお力で覚醒したそうです」
あまりにも突然の報告。
夕時までは共に居た勇者や一行が突然覚醒をしただけでなく天門を開いて開戦すると言い出したのだから。
「ま、待て。こちらから仕掛けずとも」
「もう大切なものを失いたくないと、大切なものを失わせたくないと、そう申しておりました」
ミシェルが戸惑う気持ちはイヴにもわかる。
けれど神に近い者に立ち向かうのは彼ら。
そうすると決めたならば優先するのは彼らの決意。
「彼らは神に選ばれし勇者と勇者一行です。それぞれが自分の大切なもののために魔王と戦うことを決断いたしました。国王陛下にできることは天地戦に向かう彼らを見送ることです」
国王にできることはそれだけ。
行ってこいと見送ることが国王の役目。
「私も天地戦に出ることになった伝達を済ませねばなりませんので、今日はこれで失礼いたします」
顔を伏せ顬を押さえているミシェルにイヴはそう話しながら手に持っていた被害報告のスクロールを机に置く。
「国王の相談役としてではなく陛下が幼い頃からお傍に居た者として進言を。最後の選択は誤りなさるな」
最後にそれだけ言うとイヴは執務室を出て行った。
国王とミシェルの狭間で揺れる心。
各地の賢者や勇者たちの背中を押すのが盾の国の王としての役目と理解しているが、ミシェルとしての心が追いつかない。
子供を亡くした悲しみに塞ぐ暇もないまま、幼い頃からずっと傍に居たイヴや異界の若者たちを見送るのかと。
スクロールをそのままに立ち上がったミシェルは急くようにローブを掴むと、それを羽織りながら執務室を出た。
城を出て向かったのは勇者宿舎。
「こ、国王陛下?」
「勇者は部屋に居るか?」
「はい。すぐにお呼びいたします」
「いや、私が行く」
宿舎の正面玄関から入ったミシェルは国王の突然の訪問に驚く警備兵に確認をとると春雪の自室に向かった。
春雪の自室は勇者宿舎の最上階。
部屋に着くと扉をノックした。
「どちらさまでしょうか」
中から聞こえたのはダフネの声。
名乗らなかったから警戒して扉を開けないのかと気付く。
「ミシェル・ヴェルデ・ブークリエ。国王だ」
そう名乗るとすぐに扉が開く。
「ご、御無礼を。不敬をお許しください」
「謝罪は不要。伝達を出さずに来たのだから警戒して当然だ」
扉を開いたダフネが床に跪いて謝罪するのを見たミシェルはそう話しながら室内を見る。
「勇者殿は」
「入浴中にございます」
「では中で待たせて貰おう」
「は、はい」
国王が部屋に訪問してくるなど驚きでしかない。
警備兵にしてもダフネにしても普段からミシェルがバルコニーを使い春雪に会いに来ていることなど知らないのだから、国王が訪問して来たことに驚くなと言うのが無理な話。
「お声がけして参ります」
「いや。急かすのは忍びない。出てくるのを待とう」
国王が待つなど考えられないこと。
勇者であっても身分は国王の方が上なのだから。
「今日はもう下がってよい。勇者殿には私から話しておく」
「承知いたしました」
ローブを脱ぎながら言ったミシェルにダフネは深く頭を下げて部屋を出て行った。
ソファに座ったミシェルは深い溜息をつく。
国王が先触れもなく一人で勇者宿舎に来るという、本来なら有り得ないことをして仕えの者たちを混乱させたことはすまないと思うが、謁見の許可をとって数日後になどと悠長なことをしていられる内容の話ではなかったのだから許して欲しい。
浴室に続く扉が開いたのはその数分後。
春雪が半裸で髪を拭きながら出て来た。
「え?」
ソファに目が行った春雪はピタリと足を止め部屋を見渡す。
「召使は下がらせた」
まだ居るはずの召使の姿を捜しているのだろうと察したミシェルは何よりも先にそれを伝える。
「お一人で来たのですか?」
「ああ。私しか居ない」
それを聞いて春雪はミシェルを見る。
「バルコニーから来た?」
「今日は正面玄関を通って来た。まだ就寝時間前だからな」
「そっか」
ミシェルが来るのはいつもバルコニーから。
ただ今日はまだダフネも居る時間の訪問だからしっかり入口から来たのだろうと納得した。
「あ、服」
「暑くてそのまま出て来たのだろう?そのままで構わない。私しか居ないのだから気遣いは不要だ。それよりも話がある」
自分が半裸なことを思い出した春雪にそう話したミシェルは自分が座っているソファの対面のソファを指さす。
「天地戦のこと?」
「ああ」
ソファに座りながら聞いた春雪。
いつものように就寝時間後まで待たずにこの時間に来たのだから、イヴから報告を受けてすぐに来たのだろうと察せた。
「天門を開いて打って出ると聞いた。本気か?」
「嘘や冗談でそんなこと言わない。四人で話して決めた」
「どうして突然」
「魔族からの開戦を待つ間に犠牲者が増えるから」
ダフネが用意してあった水をグラスに注ぎながら話す春雪の言葉に迷いは感じられない。
「……ドナの崩御がきっかけか」
「うん。俺はもうこれ以上大切な人を失いたくないし、大切な人が悲しむ姿も見たくない。三人も顔見知りのドナ殿下の崩御をきっかけに自分の大切な人の死を身近に感じたみたいだ」
天門を開こうと思うと三人に話したのは春雪。
魔王と戦えるだけの力が自分たちにあるか分からないまま天門を開くことは反対されるのではと思いつつ言ったことだったけれど、三人も外部訓練や勇者の祠に同行してくれたドナが亡くなったことで死を身近に感じたらしく、それぞれの大切な人を守るためにもそうしようと同意してくれた。
「まだやれることがあるのではないか?」
「やれることって訓練や特訓?魔族が攻めて来るまで鍛えたところで魔王に勝てる確信なんて持てないし、その間にも魔物の被害を受けたり討伐に出て亡くなる人の数が増える。地上で開戦すれば魔族に沢山の命を奪われることにもなる」
どちらにせよ開戦は間近。
魔物の数や気性が荒くなっていることはもちろん、ランクの高い魔物による被害報告が頻繁に届く時点で異常事態。
魔族が攻めて来るまで鍛えたところで大した差はないだろう。
いたずらに犠牲者の数を増やしてしまうだけ。
「…………」
ミシェルにもそれは分かっていること。
今日明日にでも開戦しておかしくない状況から鍛えたとて大した違いは生まれないことも、魔族が来るのを待って地上で開戦すれば多くの精霊族が命を失うことになるのも。
「精霊族を守るために魔王と戦える力を与えられた俺たち異世界人を召喚したのにどうして迷うんだ?こっちから攻めたところで敗北されると結局は精霊族の命が奪われるから、少しでも長く鍛えて勝利の可能性を高めておきたいってこと?」
「違う。そうではない」
勝って欲しいのはその通り。
ただそれは多くの精霊族の命が奪われるからという理由ではなく、勝つことだけが勇者たちの生き残れる道だから。
彼らに死んで欲しくない。
春雪に死んで欲しくない。
イヴに死んで欲しくない。
そんなことを口にすれば『勇者召喚を行った者が何を言う』と呆れられるだろうが、勇者の春雪や勇者一行の三人と交流を持つ内にその思いが強くなっていった。
まだやれることがと言ったのも少しでも開戦を回避したくて。
少しでも先延ばしにしたくて。
どんなに先延ばしにしたところで勇者たちは天地戦に立つことになると分かっているけれど。
「……自分が行くのならばどんなに良かったか」
大賢者と盾の王の特殊恩恵を持つミシェル。
国王でなければ大賢者として勇者やイヴと天地戦に行った。
賢者とは自らの命と引き換えに勇者を魔王の元まで送り届ける宿命を持った者なのだから。
「誰かを送り出すより自分で戦う方が気が楽だ。自分にも戦う力がありながら誰かを危険な戦地に送り出さねばならない。好んで我が子や若き勇者を戦地に送り出す訳ではない」
自分が身命を賭して戦うより誰かを送り出す方が辛い。
戦うだけの力を持っているからこそ、自分は行かず送り出さなければならないことがミシェルの心を蝕んでいた。
「もしかしてドナ殿下を討伐に行かせたこと後悔してる?」
「後悔など今に始まったことではない。ドナだけでなく誰かが命を落とすたびに後悔している。私が行かせなければその者は命を落とすことはなかった。私が命じたから命を落としたのだと。どんな大罪人よりも多くの命を奪っているのは私だ」
この国で一番人の命を奪っているのは自分。
戦う力を持たない者を守るため戦う力を持つ者に命ずる。
誰かを守るために誰かを犠牲にするのだから滑稽な話だ。
「シエル」
自嘲するミシェルに眉根を顰め名前を呼んだ春雪の声に重なったノックの音。
「聴聞員にございます」
自室の扉の向こうから聞こえたのは聴聞員の声。
「私が出よう」
「シエルが?分かった」
ミシェルはソファから立ちあがり春雪はシャツに腕を通す。
国王が居ても聴聞するのかと思いながら。
「陛下へご挨拶申し上げます。お話しの腰を折り申し訳ございません。聴聞のお時間になりましたが如何なさいますか?」
ミシェルが訪問していることは宿舎長から聞いて知っていたものの、勇者の様子やステータスを確認することが聴聞員の役目のため、胸に手をあて挨拶をしてからミシェルに確認をとる。
「まだ話が終わっていない。勇者殿には私が聞いておこう」
「承知いたしました」
確定した訳ではないためまだ聴聞員は勇者たちが天門を開く決意をしたことを知らされておらず、国王が足を運ぶほどの重要な話をしているのだろうとだけ察してすぐに引き下がった。
「このあと訪問者の予定は」
「ない」
「そうか」
聴聞の後は自由時間。
天門を開くことを決めた今日はそれぞれ大切な人と話をするだろう。
ソファに座り溜息をついたミシェルは天を仰ぐ。
「少し呑む?」
「酒は……いや、少し貰おう」
「うん」
酒を取りに行った春雪の後ろ姿を眺めるミシェル。
あの細い身体で魔王と戦うのかと今更ながら思う。
そうさせたのは自分だと思うと胸が痛い。
「シエルと呑むのどのくらいぶり?」
「私も覚えていない」
「部屋にも来なかったからね」
ミシェルが来たのはドナと関係を持つ前のこと。
顔を合わせる機会もなかった。
「毎日呑んでいるのか?」
「ううん。暫く呑んでなかった」
前回呑んだのは緋色宮殿で。
ドナとセルジュと三人で呑んだ日が最後。
帰還したらまた無事を祝って一緒に呑もうと思っていた。
「シエルは?」
「寝酒を多少」
「そうなんだ」
つまり眠れなくて呑んでいたと言うこと。
大き目の氷を入れたロックグラスにミシェルから貰った酒を注ぎながら、寝つきが悪い時に呑むと以前話していたことを思い出してそう察する。
「乾杯……はする気分じゃないね」
「弔い酒だな」
葬儀を終えた今日はドナの弔い酒。
個人を偲ぶ献杯をして二人は同時に口へグラスを運んだ。
「一つ確認したい」
「なに?」
「ヤケになって天門を開くと決めたのではないのか?」
イヴから報告を受けた時に思ったことを聞くミシェル。
そうならばしっかり話をする必要がある。
「何もかもどうでも良くなってってこと?」
「ああ」
「それはない。さっきも言った通り、自分がもうこれ以上大切な人を失いたくないのと、大切な人が悲しむ姿も見たくない。自分が嫌だと思ったから三人に話したんだ」
そう話して春雪はグラスの中身を飲み干す。
「自分が悲しいのはもちろん、泣いてたグレース姫殿下やロザリー姫殿下やリーズ姫殿下の姿とか、自分が長男だからって気丈に振舞ってた王太子殿下の姿とか、まだ帰還できないセルジュ殿下やまたすぐに討伐に出るだろうフレデリク殿下が同じ結末を辿るんじゃないかって恐怖心とか。俺なんかと親しくしてくれた人たちの姿を見て色々考えたうえで決めた」
ヤケになって死んでも良いとは思っていない。
自分が死ぬことは敗北を意味するのだから、大切な人をもう失わないためには生きて勝つしかない。
「……そうか」
春雪の決意が固いことを知ったミシェルは一言そう返すと、春雪と同じくグラスの中の酒を飲み干した。
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でも学校には、行っても俺に声をかけてくれる親友はいた。
その日も体の調子が良くなり、親友と久しぶりの学校に行きHRが終わり先生が出ていったとき、クラスが眩しい光に包まれた。
そして僕は一人、違う場所に飛ばされいた。
転生貴族の領地経営〜現代日本の知識で異世界を豊かにする
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ローラシア王国の北のエルラント辺境伯家には天才的な少年、リーゼンしかしその少年は現代日本から転生してきた転生者だった。
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世の中は意外と魔術で何とかなる
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新しい人生が唐突に始まった男が一人。目覚めた場所は人のいない森の中の廃村。生きるのに精一杯で、大層な目標もない。しかしある日の出会いから物語は動き出す。
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平凡な生き方をしているつもりが、結局騒ぎを起こしてしまう男の冒険譚。困ったときの魔術頼み!大丈夫、俺上手に魔術使えますから。※主人公は結構ズルをします。正々堂々がお好きな方はご注意ください。
詠唱? それ、気合を入れるためのおまじないですよね? ~勘違い貴族の規格外魔法譚~
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「次の人生は、自由に走り回れる丈夫な体が欲しい」
病室で短い生涯を終えた僕、ガクの切実な願いは、神様のちょっとした(?)サービスで、とんでもなく盛大な形で叶えられた。
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当然のように入学試験では的を“消滅”させて試験官を絶句させ、「関わってはいけないヤバい奴」として輝かしい孤立生活をスタート!
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バーンズ伯爵家の内政改革 ~10歳で目覚めた長男、前世知識で領地を最適化します
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バーンズ伯爵家の長男マイルズは、完璧な容姿と神童と噂される知性を持っていた。だが彼には、誰にも言えない秘密があった。――前世が日本の「医師」だったという記憶だ。
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これは、一人の転生貴族が挑む、本格・異世界領地改革(内政)ファンタジー。
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