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二章
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しおりを挟むそれなら俺がいま燻っている理由は単純だ。
視界の中で猫が他の人から構われているから。
「牧君。話があるんだけど」
「なに?」
「後で少し話せる?」
「後っていつ?」
椎名さんに話しかけられていても気はそぞろ。
あの猫はもっと猫らしく警戒心を持っても良いと思うけど。
視界に入る光景に苛立ちは増して行く。
俺に名前をつけさせた癖に。
俺に構えと言った癖に。
構ってくれるのなら誰でも良いのか。
「飲み物を取ってくる」
「あ、私も行く」
限界になりそうで適当な理由を作り立ち上がると、まだグラスに飲み物が残っているのに和美もそう言って立ち上がった。
その後ろに見えたミルクの顔。
馴れ馴れしい両隣の男から腰や肩に腕を回されたまま俺を見上げて口元を笑みで歪ませている。
ほらねとでも言いたげな顔。
からかって笑っている時と同じ顔。
もう……限界。
「もう良いだろ?帰ろう」
掴んだ細くて白い手。
これ以上は見たくないし、ここに残して行きたくない。
「俺が構うから」
俺以外に構われないで欲しい。
「突然割り込んで来るな」
「黒峰さんは俺たちと話してるんだよ」
「煩い」
細い手を掴む腕を捕まれて一言返すと猫は声をあげて笑う。
「良いね。今のツトムは好きだよ。構われてあげる」
「黒峰さん、ツトムと知り合いだったんですか?」
「知り合いっていうか僕のご主人様」
気まぐれな猫は両隣の男の腕からすり抜けると、訊いた和美にそう答えて俺に腕を絡ませた。
「これ僕たちの分。足りるよね?」
「足りるけど……ツトム君と黒峰さんが?本当に?」
「僕のご主人様だよ。身体の上に乗っちゃう仲」
「お騒がせしました。すみません」
「楽しかった。またね」
菜々緒のお姉さんにお金を渡した猫は盛大な勘違いをされそうな説明をしていて、早く去った方が良いと悟って半ば強引に猫を連れて部屋を出た。
「みんなポカーンとしてたね」
エレベーターに乗るとミルクは大笑い。
イタズラ好きの猫だ。
「俺の分のお金返す」
「良いよ。楽しませて貰ったから」
「楽しませるつもりで連れ出したんじゃない」
ただ限界だっただけ。
視界に入る光景を見ていることが。
肩を組まれたり腰に腕を回されたりは疎か、顔を近くまで寄せられてもミルクは一切拒まなかった。
あんなのそのままお持ち帰りされても文句は言えない。
拒まないんだからその気があるんだろうと勘違いされるような状況だったんだから。
「じゃあご馳走してよ。自分で稼ぐようになったら」
「これ自分で稼いだお金だから」
「え?バイトしてるの?」
「してた。3年になって辞めたけど。だから返す」
高校に入ってすぐバイトを始めた。
3年に上がる春休みまで続けて貯金していたお金だから親から貰った小遣いじゃない。
「そこまでは知らなかった」
「知らなくて当たり前だろ。今日初めて会ったのに」
「やっぱり要らない。構ってくれたお礼」
初めて驚いた顔を見せたミルクはフフと笑うと1階について開いたドアから先に降りる。
「ミルク」
「どこに行く?何して遊ぶ?構ってくれるんだよね?」
やはり男性的でもありながらどこか艶めかしさも感じる。
長い黒髪を揺らして振り返った姿にそんなことを思った。
「ミルクはどこに行きたい?」
「僕が決めて良いの?」
「構う約束で連れ出したから。どこでも付き合う」
行きたい場所がある訳じゃない。
したいことがある訳でもない。
一緒に居るミルクが希望する場所があるのなら合わせる。
「駅の向こうでも良い?」
「どこでも」
「じゃあ一緒にそこまで散歩しよう」
散歩という響きには似つかわしくない賑やかな繁華街。
それでも前を歩くミルクは軽快な足取りで散歩を楽しんでいた。
「………」
一体ミルクはどこに向かっているのか。
駅の向こうとは聞いていたけど、着いて来た先は左右にいかがわしい看板が並んでいる。
「こういう所から出て来る人ってつい見ちゃうよね」
「え?まあ」
「普通の顔して出て来ても、この人たち今まで……って」
分からなくはない。
あまり良い趣味とは言えないけど。
「例えば前から歩いて来る2人」
歩く速度を落とし隣に並んだミルクは腕を絡めて小声で話す。
「同じ会社で働く上司と部下で、男の方は結婚2年目。2歳の子供が1人いて妻は現在妊娠6ヶ月。家庭では良い父で主人を演じつつ外では部下と不貞行為に耽る27歳。2ヶ月後に妻に不倫がバレてたっぷりと慰謝料を払うことになる」
具体的な話に「え?」と声が洩れるとミルクは笑う。
「愛人も今日の不貞行為で妊娠してバレた時には妊娠中。奥さんから慰謝料を請求されて、仕事を辞めて別れる条件を飲んだ後に妊娠が発覚。職場まで認知しろと執念で詰め寄ってきて不倫男は妻から三行半を受けて捨てられて、お互いに沢山の慰謝料を抱えたまま馬鹿な2人は籍を入れて返済して行くハメになりましたとさ。子供が生まれて半年でまた不倫するけどね」
前から歩いて来る2人。
腕を組んで歩く2人は普通の恋人同士に見えるけど。
「なんて考えると見る目が変わるよね」
「………」
「なに?」
「……信じそうになった」
返事を聞いてミルクは大笑い。
未来の話までしていたのにどうして信じかけたのか。
これは笑われて当然だ。
「子供がこんな所に」
「親御さんは何をやってるんだろうね」
「自分で責任もとれない癖にいい気なもんだ」
「無責任に行動できて羨ましい」
すれ違いざまに聞こえた会話。
明らかに俺とミルクへの嫌味。
「包茎不倫野郎と愛人ヤリ〇ンビッチには言われたくねえよ!今の内から奥さんと子供たちのためにしっかり慰謝料の準備しとけよ!地獄に落ちろクソ野郎ども!」
振り返って大声で言いながら両手でサムズダウンするミルク。
「……失礼しました!」
振り返った2人だけでなく歩いていた他の人も見ていて、これは逃げるが勝ちだとミルクを抱えてその場から走り去る。
「あ、ここに入って」
「え!うん!」
ミルクから言われて入ったのは公園。
俺が必死に走ったと言うのにミルクは楽しそうに笑い声をあげていた。
「……あんな妄想事を大声で」
「気づかなかった?指輪」
「指輪?」
息切れする俺の首に腕を絡めているミルクは悪びれることもなく口元を笑みで歪ませている。
「男の方だけ薬指に指輪してた」
「え?じゃあそれを見て不倫だと思ったってこと?」
「降りない」
「疲れたんだけど」
「ベンチあるよ」
「ほんとだ」
抱えていた身体を降ろそうとするとますますしがみつかれ、近くにあったベンチに降ろそうとしても離してくれない。
「どうしたい?これは」
「座れば良いじゃん」
「ミルクは?」
「座るよ。ツトムの膝に」
「こんな所で?」
「大丈夫。僕は猫だから」
それは他の人には通らない気がするけど。
からかって冗談で言ってる様子はなく、薄暗いからまあ良いかとミルクを抱えたままベンチに座る。
「……包茎野郎とかヤリ〇ンビッチとか」
座って一息ついたら笑いがこみ上げてくる。
綺麗な顔して口が悪い。
「ビッチだよ。平気で人の男とセックスしてるんだから」
「まあ。本当に不倫してるなら紳士淑女じゃないことは確か」
俺の身近にいる夫婦のように。
『ニャァァァ』
「え、え!?」
空を見上げていたら猫の鳴き声がして下を見て驚く。
「駄目だよ。今は僕が乗ってるんだから」
『ニャァァ』
「駄目」
ベンチの周りに集まっている猫。
1・2匹なんて可愛い数ではなく色とりどりの猫たちがミルクと俺を見上げていた。
「なにこれ。凄い」
「猫は苦手?」
「ううん。好き。おいで」
ミルクの背中に腕を回して支えながら身を屈め、猫たちの前に指先を出して振るとスリっと顔を擦り寄せてくる。
「可愛い」
こんなに何匹も一緒に擦り寄られたのは初めてだけど。
「僕は?」
「ん?」
「僕のことを構ってくれるんじゃないの?」
「え?なんで怒ってる?」
猫と遊んでいるとミルクに訊かれて身体を起こして顔を見ると何故か不機嫌な表情をしている。
「もうツトムと遊ばない。僕も仲間と遊ぶ」
そう言ってミルクは俺の膝から降りると少し離れた位置まで行ってしゃがみ、後を着いて行った猫たちを撫で始めた。
「……本当に猫?」
そう呟いてしまうほどの光景。
猫たちは言葉が理解出来ているかのように着いて行って、しゃがんでいるミルクの周りに集まり身体を擦り寄せている。
「ミルク」
「………」
「ミルクさん」
「………」
背中を向けたまま無視。
どうやら機嫌を損ねさせたようだ。
このまま不思議な光景を眺めているのも悪くないけど。
こうして見ると小さい背中。
さっき物凄い事を言ってサムズダウンした子とは思えない。
猫たちと戯れるミルクの背中を眺めているとスマホの着信音が鳴った。
画面を見れば知らない番号……ではなく椎名さん。
登録していないから番号のままだけど。
そう言えば後で話があると言っていた。
ミルクの様子を見て気もそぞろに返事をしたけど、話を聞くとはまだ答えてなかったはず。
「ミルク。出ても良い?」
「………」
まだ返事なし。
どうしようと少し迷ったけど、誘われて行ったのにあんな帰り方をしたことは謝っておこうと画面をスライドさせた。
「はい」
『牧君』
「ごめん。誘ってくれたのにあんな帰り方して」
『もう家?』
「ううん。まだ外」
カラオケはもう出たんだろうか。
椎名さんの声の他には何も聞こえない。
『さっきの人と……一緒?』
「うん」
背中を向けて無視されてるけど。
『私が後で話せる?って言ったの聞いてた?』
「聞いてた」
正直に答えると会話が止まる。
本当に俺に好意があると言うなら、ミルクと一緒にまだ居ることで察して諦めてくれれば良いという狡い考えもあった。
『話があるの。会えない?』
俺の狡い考えは通用しないようだ。
全く関係のない話なら良いけど、こんな声で言われて気づかないほど鈍くない。
「いつ?」
『今。まだ家に帰ってないんだよね?』
ミルクと一緒に居ると知っていての今。
行かないと言ったら諦めるだろうか。
「1人で居るんじゃないから」
『うん』
「それなのに今?」
『今が良い』
駄目だ。もう話を聞いて終わらせよう。
ここまできたら下手に長引かせる方が拗れる。
「どこに居る?」
『来てくれるの?』
「1人で居るんじゃないからって言ったのに今って言ったのは椎名さんだよ。俺の都合はお構い無しに自分の都合を押し通すほど大事な話ってことだよね?聞いたらすぐに帰る」
再びの無言。
だから嫌だったんだ。
今の俺は椎名さんに気遣うほどの心の余裕がない。
優弥もこうなることが分かっていたから「時期じゃない」と止めたんだろう。
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