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第十三話「訓練と教官役の苦労について」

教育 心視の場合

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 訓練生達は、なんとか誰も脱落することなく、正しくは脱落を許されずに、十キロを走り切った。今は全員、地面に横たわってぜいぜいと息喘いでいた。

 そこに駆け足でやってきた、こちらは余裕綽々らしい比乃が、クリップボードに挟んだ真新しいメモを淡々と読み上げて、次の指示を出し始める。今度は丁寧口調ではない。完全な教官としての口調だ。

「事後の行動を示す。現在一一〇〇。持久走のペースが遅く時間がなくなったので、射撃訓練と格闘訓練、AMW操縦訓練を班に分けて同時に行う。それぞれ自薦でも他薦でも良い、得意な分野の訓練に参加するように、射撃が得意な者は浅野三曹、格闘が得意な者は白間三曹、操縦が得意あるいは受信値が高い者は自分の所へ来るように」

 そこまで言ったところで、全く返事がないことに怪訝そうな顔になった比乃が顔を上げると、訓練生全員が返事も出来ない程にくたびれていることに気付いた。
 比乃はその様子に対する感想を、ため息一つで表す。

「その前に小休止を取る。三十分取るので、各々休憩終わり次第先ほどの指示通りに動くこと、昼休憩はその分遅れると思え」

 それだけ言って、志度と心視を引き連れて歩き去って行った。朝に和かに挨拶していたのとは、別人のような比乃の態度に、これが本物の鬼教官かと、身を震わす者が数名いた。

 残された訓練生の内の誰かが「た、助かった……」と呟いたのに、全員が同意した。もはや無茶な持久走に対して、罵倒する力さえ残っていなかった。

 ***

 きっちり三十分後、一応動けるまでは回復した訓練生が三列にずらりと並んだ。流石に、この期に及んで舐めた態度を取る者はおらず、むしろ何か難癖をつけられてはたまらないとばかりに、生真面目な程綺麗に整列していた。

(一つ目の目的は達成かな)

 その理由はともかく、少なくとも朝までの腑抜けた態度はなくなった。明日になってまた腑抜けていたら……そしたらまた地獄を見てもらおう。まぁ、そうでなくても訓練の手を抜きはしないのだが。

 比乃は訓練生に悟られないように内心で満足げに頷くと、また大声をあげる。

「それぞれの得意分野を私たちに示してもらう。貴方達のこれまでの訓練経過はデータとして目を通したが」

 ここで、ちらりと訓練生達を見やる。こちらを見る目に少し変化があった。その目には「どうだ、文句あるか?」という意思があった。確かに、各々の成績を見るに、座学、基礎体力、操縦技能はそれなりに優秀だった。

 ただし、それは“訓練生として”のそれなりである。比乃は全く容赦なく「この程度で調子に乗るな」と切り捨てた。訓練生達の表情に怪訝さとこちらに対する不信感が混ざった。しかし、比乃はそれに対してむしろ口角をあげて続ける。

「井の中の蛙も良いところ。この程度で奢っていられるそのお頭の能天気さが羨ましいくらいだな」

 さらに煽る、比乃に向けられる視線が、完全に敵意混じりになる。それすらも受け流すような表情で、話を続ける。

「そんなことはないという目をしているな、では今からそれが嘘ではないと示してもらう。嘘だったら、それ相応の反省をしてもらう、所定の位置まで移動開始」

 比乃が格納庫に、志度は体育館へ、心視は運動場の隅にある射撃場へ、訓練生を引き連れて移動していく。

 教官の陸曹の後ろを歩く訓練生達は口には出さないが、内心で全員が「目にもの見せてやる」という熱意を抱いた。しかし、その熱意はいとも簡単に打ち砕かれることになる。

***

 まず、グラウンドの端にある射撃場。射撃姿勢を取るための盛土から、四百メートルほど離れた所に、白く塗装した人型のベニヤ板が見える。裏は山になっていて、市街地などへの流れ弾が飛ばないように配慮されていた。

 訓練生を引き連れてそこまで歩いて来た心視は、武器庫から持ち出したM24対人狙撃銃を「ん」と訓練生達の方へ差し出した。

「この中で……一番射撃が上手い人……やってみて」

 反対の手で指差しているのは、彼方にある人型の標的。口下手ながらも「この距離から当ててみろ」と言外に言っているということは、訓練生にも流石に理解できた。

「それでは、自分が」

 と静かに前に出てきた訓練生が一人。全体的にスマートな印象を受ける女性だった。手をよく見ると豆が潰れて硬くなっている。この中でも相応に努力してきた方らしい。

 心視は品定めするように彼女を見てから、狙撃銃を手渡すと、次に他の訓練生四人に観測用の双眼鏡を渡した。

「全員で見ててあげるから……撃ってみて」

 表情も変えず、抑揚のない声で促され、狙撃銃を受け取った女性は伏せ撃ちの姿勢を取る。照準眼鏡の中に映るのは人型の板、マンシルエットターゲットと、その隣に何故か置いてある空き缶。

 少し怪訝に思いながらも、スコープを調整し、呼吸を止めて、引き金を引く。
 一発目はシルエットの肩に当たった。
 二発目はきっちりと胴体の真ん中に命中。
 三発目でシルエットの頭部を吹き飛ばした。

 双眼鏡でそれを見ていた心視は「へぇ……」と少し感心したような声を漏らした。他の訓練生も「流石ぁ!」「やっるぅ!」などと歓声をあげる。

「他に……同じくらいできる人、いる?」

 その問い掛けに答える者はいなかった。正真正銘、彼女がこの教育隊で一番の射的屋マークスマンらしい。心視は周辺を少し見渡してから、

「それじゃあ……ちょっとあっちで待ってて、もし、人が通りそうだったら止めてね」

 あっち、と訓練場の更に隅っこを指さしながら言うと、狙撃銃を抱えて、訓練生が止める間もなく元来た方へと駆け足で行ってしまった。

 訓練生たちは困惑しながらも、指定された場所で大人しく待つこと三分。「私達の腕が予想よりよくて、どう指導したらいいかわからなくて逃げたんじゃないの?」などと一人が言い始めたとき、一発の銃声が鳴った。

 最初に射撃を行った訓練生が「まさか」と標的の方を双眼鏡で見る。しかし、そこには頭の部分が吹き飛ばされた標的が先ほどと変わらずあるだけで、それに命中した様子はない。

 気のせいかと思ったが、よく見ると、隣にあった空き缶が無くなっている。それから立て続けに発砲音。

 他の訓練生も双眼鏡で空き缶があった辺りを観察すると、一人が何かに気付いて「あっ!」と標的場の上を指差した。

 見ると、空き缶が宙を舞っていた。そのまま、重力に任せて落下し始めた直後、また発砲音。缶が弾かれたように、上へと打ち上がる。

 訓練生は恐る恐る、自分たちの教官が走って行った方を見る。そこは、自分達が先ほどいた場所からさらに百メートル以上は離れた、グラウンドの端っこだった。こっちを見ていることに気付いたらしい心視が、射撃を止めるてお、訓練生の元へ駆け足で戻ってきた。

 そして戦々恐々とする四人の元まで戻ると、先ほどと全く変わらない無表情のまま、

「このくらい……第三師団の射撃好きは……全員できる」

 そう告げて、四人は口を呆然と開きっぱなしにした。そんな彼女らに、狙撃銃を再び渡し、どこか自慢げに鼻を鳴らす。「このくらいできて当然だ」と言外に語っていた。

 ちなみにこの後「射撃場の外で狙撃するな!」と比乃にしこたま怒られたのは、幸いにも訓練生に知られることはなかった。
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